scripture.how 聖書注解書

学習資料

聖書注解書

複数のパブリックドメイン注解書と scripture.how の韓国語訳を、書巻と章ごとに閲覧できます。注解書を切り替えながら、訳文だけでなく原文と訳文を並べて読むこともできます。

現在の注解書

Jamieson-Fausset-Brown Commentary Critical and Explanatory on the Whole Bible

Robert Jamieson, A. R. Fausset, David Brown · 1871

全項目

19,831

翻訳 19,831 件

ライセンス

パブリックドメイン

原文出典

出典とライセンス

注解書ごとに原資料、著者、翻訳進捗、ライセンス情報を分けて表示します。scripture.how の韓国語訳・編集物は原文資料とは別に管理されます。

全体ライセンスを見る

Jamieson-Fausset-Brown Commentary Critical and Explanatory on the Whole Bible

Robert Jamieson, A. R. Fausset, David Brown · 1871

パブリックドメイン

Commentary Critical and Explanatory on the Whole Bible (1871). CCEL expanded electronic edition states it is in the public domain.

翻訳進捗
19,831 / 19,831
原文言語
en
表示方式
翻訳言語
翻訳状態

1 Corinthians 4章 1 Jamieson-Fausset-Brown Commentary Critical and Explanatory on the Whole Bible

1Co 4:1-21.

翻訳あり 本文を開く

林前 4:1-21.

對工人的正確看法:不可預先下定判斷;同時使徒們的低微狀態與哥林多人的結黨驕傲形成對比——不是保羅要使他們羞愧,而是如父親一般警告他們;為此他打發提摩太去,並且自己不久也要親自前來。

1. 看……我們——保羅和亞波羅。

基督的執事——不是教會的元首——你們各人可在其身上誇口

(林前 1:12);

元首的地位唯獨屬於基督;我們不過是事奉你們的僕人

(林前 1:13; 3:5, 22)。

管家——

(路 12:42; 彼前 4:10)。

不是恩典的儲藏者,而是分賜者("按時分糧"或分賜),按神所賜給我們的分量分給別人。會堂裡的chazan,即"監督",相當於教會的主教或"使者"——他每安息日召七個會眾出來讀律法,並監督他們。會堂的parnasin,如同教會古代的"執事",負責照管窮人

(徒 6:1-7),

後來也在長老或主教之下講道,正如司提反和腓利所作的。教會不是祭司職分的附屬品;工人倒是神派給教會的管家。人不願與神過分親近;因此樂意在其間放一個祭司職分,並借代理人來事奉神。異教(如現代羅馬天主教的)祭司與其說是解釋"神的奧秘",不如說是隱藏它們。工人的職責在於"傳揚"(字面意為"如傳令官一般宣佈",

太 10:27)

神的深奥真理("奧秘"——屬天的真理,只能借啟示而知)——按它們已經啟示的程度,並按聽者願意接受的程度。約瑟夫說,猶太教向所有百姓公開其宗教的奧秘,而異教徒則向"蒙召入會"的少數人隱藏其奧秘。

1 Corinthians 4章 2 Jamieson-Fausset-Brown Commentary Critical and Explanatory on the Whole Bible

無題

翻訳あり 本文を開く

2. 所求於管家的——最古老的抄本讀作"在此(即在地上)所求於管家的"。如此,人對管家的用法

(林前 4:2)

與神的方式

(林前 4:3)

便形成對比。雖然在這裡——論到管家時,所要查問的,是要他顯為(即被證明為)忠心;但神的管家並不等候人在人的日子所作的審判,而是等候主在祂的大日所作的審判。這是針對哥林多人因某些教師的恩賜而偏愛他們的另一論據:而神在其管家身上所要求的,是忠心

(撒上 3:20

旁註;

來 3:5);

正如地上的管家一樣——但有所不同

(林前 4:3)——

神的管家等候的不是人的審判來試驗他們,而是主的日子所要作的試驗。

1 Corinthians 4章 3 Jamieson-Fausset-Brown Commentary Critical and Explanatory on the Whole Bible

無題

翻訳あり 本文を開く

3. 我都以此為小事——字面意為"這是極小的事";不是說我輕視你們的審判,而是與神的審判相比,幾乎算不得甚麼。

人的……日子審判——字面意為"人的日子",與主的日子

(林前 3:13)

相對

(林前 4:5; 帖前 5:4)。

"人的日子"在此以擬人化的方式呈現在我們面前〔WAHL〕。主的日子以前的一切日子都是人的日子。EMESTI 將

(林前 4:4)

中三次重複的"審判……審判……審判"的希臘文譯作:對我而言(雖然可能被證明為忠心),我被人的審判所認可是極小的事;是的,我甚至不假定自己有權審判並認可自己——但那有權、並且能審判我的案件者(那判官),是主。

1 Corinthians 4章 4 Jamieson-Fausset-Brown Commentary Critical and Explanatory on the Whole Bible

無題

翻訳あり 本文を開く

4. わたし自身によって--「わたしは自分自身について(務めにおける)不忠実さを少しも自覚しない」と訳すべきである。〔BENGEL〕はこのギリシャ語の複合語を、「単に裁くのではなく、他の者との関係においてある者を裁きにおいて決定する」と説明する。

これで義と認められるのか--したがって良心は誤りのない導きではない。パウロは自分の良心をそうは考えなかった。この節はローマの祭司たちが主張する司法権に直接反対するものである。

1 Corinthians 4章 5 Jamieson-Fausset-Brown Commentary Critical and Explanatory on the Whole Bible

無題

翻訳あり 本文を開く

5. ローマの祭司職が告解座において主張する司法権に反論する。

だから--主のみが唯一の決定者、裁き主であるゆえに。

裁いてはならない--コリント第一

4:3, 4

のギリシャ語(その場合はある者の事件の長所を是認するあるいは決定するを意味する)とは同じではない。ここでは一般的なすべての裁きが禁じられている。それは神の最終的な裁きという特権を勝手に先取りするものである。

主--イエス・キリスト。その「執事」であるわたしたちは

(コリント第一 4:1)、

また裁き主となる方である

(ヨハネ 5:22, 27; 使徒 10:42; 17:31)。

明らかにする……心--今のわたしたちの裁き(教師たちに関するコリント人のそれのように)は必然的に不完全である。わたしたちは外側の行いしか見ることができず、心の「動機」を見ることはできない。「忠実さ」は

(コリント第一 4:2)

これによって評価され、「主」は心の状態に従って「義と認める」か、その逆を行う

(コリント第一 4:4)。

そのとき、それぞれが賞賛を受ける--

(コリント第一 3:8; サムエル第一 26:23; マタイ 25:21, 23, 28)。

むしろ「その人にふさわしい賞賛」、コリント人がお気に入りの教師に積み上げたような誇張された賞賛ではなく。動機によって評価された行いに対する「賞賛」(ギリシャ語)。「そのとき」、それより前ではない。それゆえそのときまで待て

(ヤコブ 5:7)。

1 Corinthians 4章 6 Jamieson-Fausset-Brown Commentary Critical and Explanatory on the Whole Bible

無題

翻訳あり 本文を開く

6. そして--「さて」、移行を示す。

例えによって自分とアポロに当てはめた--すなわち、アポロと私自身の人物の下に、すべての教師に当てはまることを表した。私たち二人を、党派の合言葉として使われた二人を、すべての他の者の型あるいは象徴としたのである。私たち二人の名を挙げたが、その名の下には、あなたがたを恥じ入らせないために名前を出さない他の人々を意図している〔ESTIUS〕。

~と思わないようになど--最も優れた写本は「思う」を省く。「あなたがたが(あなたがたの模範として)私たちによって(これを)学ぶためである。(~行くの)ではない、書かれていることを超えて」と訳せ。聖書の宣言と同様にその沈黙を尊べ。そうすれば明示的に啓示されていないことについて教条的になることが少なくなる

(申命 29:29)。

ひとりのために高ぶる--すなわち「ひとり(のお気に入りの伝道者)のために、ほかの人に対して」。ギリシャ語の直説法は「あなたがたが今あるように高ぶらないように」と示唆する。

1 Corinthians 4章 7 Jamieson-Fausset-Brown Commentary Critical and Explanatory on the Whole Bible

無題

翻訳あり 本文を開く

7. 訳すれば、「あなたを(ほかの人より上に)区別したのはだれか」?あなた自身ではなく、神である。

誇っているとすれば、それは受けたものではないかのように――あたかもそれを受けているのは神ではなく、あなた自身に負っているかのように。

1 Corinthians 4章 8 Jamieson-Fausset-Brown Commentary Critical and Explanatory on the Whole Bible

無題

翻訳あり 本文を開く

8. 反語。訳せば、「すでにあなたがたは満腹し(霊の食物で)、すでにあなたがたは富み、私たち抜きで王のように玉座に着いた」。強調は「すでに」と「私たち抜きで」にある。あなたがたはもはや「義に飢え渇く」必要がないかのように、またクリスチャンが奮闘し苦しまなければならない「国」にすでに到達したかのように振る舞う。あなたがたはお気に入りの教師たちや、彼らを通じた知識における自分たちの想像上の霊的達成にこれほどまでに思い上がり、宴で「満腹」になった者や、富む者がその富を誇るように感じている。それゆえあなたがたは、最初の霊の父(

1Co 4:15

)である「私たち抜きで」できると感じている。

彼らは、「国」と小羊の婚宴での「喜びの満ち満ち」の前に、十字架と苦難がすべての真の信者に来なければならない(

2Ti 2:5, 11, 12

)ことを忘れていた。彼らは自己満足のラオデキヤ人(

Re 3:17;

比較

Ho 12:8

)のようであった。

現世的な満ち満ちと富は疑いなく、コリントにおいてある場合、この霊的自己充足を生み出す傾向があった。使徒の文字通りの「飢え渇き」(

1Co 4:11

)との対比がこれを証明する。

私としては…あなたがたが支配できれば――訳せば、「私としては本当に」等。私が本当にそうであれば、あなたがたの国が本当に始まっていればよいのに。

そうすれば、私たちもあなたがたと共に支配できれば――

2Co 12:14

。「私が求めるのはあなたがたのものではなく、あなたがたです」。あなたがたの霊の繁栄は、キリストにある父である私たちの繁栄となる(

1Co 9:23

)。あなたがたが国に達するとき、あなたがたは私たちの「喜びの冠、私たちの主イエスの御前での」(

1Th 2:19

)。