Barnes' Notes on the Bible
Albert Barnes · 1834
Albert Barnes' Notes on Revelation Of St. John The Divine (New Testament, English original, public domain). Sourced from the Christian Classics Ethereal Library (CCEL). Public domain. Retrieval mirror: biblehub.com/commentaries/barnes.
- 翻訳進捗
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- 原文言語
- en
本章は次の主題を含む。
I. 妻たちの務め(1 Peter 3:1-6)。特に次のとおり。
(a)その歩みが、信じていない夫たちが、妻たちの純潔な歩みの中に見えるその幸いな影響を通して、その宗教を受け入れるよう導くのに適したものであるべきこと(1 Peter 3:1-2)。
(b)衣服と飾りに関しては、外面的なものを追い求めるのではなく、むしろ心に属するものを追い求めるべきこと(1 Peter 3:3-4)。
(c)これらの務めがどのような仕方で果たされるべきかを例示するために、使徒は彼女たちをアブラハムの妻の聖なる模範に導く。それはキリスト教の女性が模倣すべき模範である(1 Peter 3:5-6)。
II. 夫たちの務め(1 Peter 3:7)。妻たちにすべての正当な敬意を払い、彼女たちと救いの共同相続人として生き、自分たちの祈りが妨げられないようにすることが、彼らの務めであった。これは次のことを含意する。
(1)最も重要な点において、彼らが平等であること。
(2)彼らが共に祈ること、あるいは家族の祈りがあること。
(3)夫婦が共に生活し、自分たちの祈りが一つにされた心から立ち上るように、また神がそれに答えることが不都合でないように生きることが、夫婦の務めであること。
III. 一致と親切という一般的な務め(1 Peter 3:8-14)。彼らは次のようにすべきであった。
(a)心を一つにし、同情し、兄弟として愛すべきであった(1 Peter 3:8)。
(b)悪に悪を、そしりにそしりをもって報いてはならなかった(1 Peter 3:9)。
(c)歩みが純潔であり、平和の友である人々に与えられた長命と誉れの約束を覚えるべきであった(1 Peter 3:9-10)。
(d)主の目が常に義人の上にあること、善い人々はその保護の下にあること(1 Peter 3:12)、また、この性質を保ちながら苦しむように召されるのであれば、それを苦難というよりむしろ栄誉とみなすべきことを覚えるべきであった(1 Peter 3:13-14)。
IV. 自分たちが抱いている望みについて、すべての人にいつでも理由を述べる用意のあるべき務め、また、神への奉仕の中で迫害と試練を受けるように召されるのであれば、自分たちがなぜキリスト者であると告白するのかについての正当な理由をなお示しうるべき務めである。さらに、自分たちに悪をなす人々が、自分たちの宗教が名前以上のものであり、迫害者たちでさえ同意せざるをえないほどの真理に基づいていることを見るように、そのように生きるべき務めである(1 Peter 3:15-17)。
V. 迫害と試練の中で、彼らはキリストの模範、その試練、その忍耐、その勝利を覚えるべきであった(1 Peter 3:18-22)。特に次のとおり。
(a)使徒は、キリストが無罪であるのに苦しみを受け、何の悪も行わなかったのに死に渡されたという事実に彼らを導く(1 Peter 3:18)。
(b)使徒は、彼らを忍耐のことと、大きく豊かに満ちた悪のあった時代のことに導く。そのときキリストは、その代行者また使節であるノアの人格において、ついに滅ぼされ、今は牢に囚われている罪深く曲がった人々の反対のゆえに、長く、多くの苦しみを受けられた。これは、私たちが人々に善を行おうとする試みの中で彼らから害を受けるとき、私たちがどれほど忍耐強くあるべきかを示す(1 Peter 3:19-20)。
(c)使徒は、ノアが主の使節として、悪い世代へのメッセージを携えるにあたって出会ったすべての反対にもかかわらず、彼とその家族が救われたという事実に言及する(1 Peter 3:21)。この言及の意図は、明らかに、私たちが世で出会う試練の中で忍耐し、寛容であるなら、私たちも救われるであろうことを示すことである。使徒は、ノアは水によって救われたと言う。私たちも、と彼は言う、同様の仕方で水によって救われる。彼の救いにおいても、私たちの救いにおいても、水は救いの手段として用いられる。彼の場合には箱舟を支えることによって、私たちの場合には罪の洗い清めの象徴となることによってである。
(d)使徒は、キリストが天に昇り、御使たち、また支配者たち、また権威ある者たちの上に高められたという事実に言及する。これは、キリストがそのすべての試練を忍耐をもって耐えたのち、ついに勝利されたこと、同様に私たちも忍耐するなら勝利するであろうことを示す(1 Peter 3:22)。キリストは勝利者として現れ、天の最も高い栄誉に高められた。それゆえ私たちも、忠実であるなら、勝利者として現れ、キリストのように天の栄誉に高められることを望みうる。ここでの論証全体はキリストの模範から引き出されている。第一に、全世界に対するキリストの忍耐と寛容から、次に、キリストが自ら地の上におられたときのことからである。また、洪水前の不敬虔な人類に遣わされたその使節の場合においても、キリストが自ら地の上におられた場合においても、不敬虔な人々から受けたすべての事の後に最終的な勝利があったという事実から引き出されている。それゆえ私たちも同じ仕方で反対と試練に耐えるなら、高められた私たちの救い主とともに天において勝利することを望みうるのである。