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Matthew Henry's Complete Commentary

Matthew Henry · 1714

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Matthew Henry's Complete Commentary

Matthew Henry · 1714

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Matthew Henry 사후(1714) 공개 도메인. 디지털판 CC0-1.0.

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2 Chronicles 28章 서론 Matthew Henry's Complete Commentary

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本章はヨタムの子アハズの治世の歴史である。それは悪い治世であり、主の激しい怒りを増し加えるのに一役買った。ここで私たちは次のことを見る。 I. 彼のとった激しい悪行、2Ch 28:1-4。 II. そのために自ら招いた艱難、2Ch 28:5-8。 III. ユダの兄弟たちを踏みつけたことに対して神が預言者を通してイスラエルの軍勢に送られた責め、そして彼らがその責めに従順な耳を傾けたこと、2Ch 28:9-15。 IV. アハズとその民に次々と襲いかかった多くの災禍、2Ch 28:16-21。 V. それにもかかわらず続いた彼の偶像礼拝(2Ch 28:22-25)、そしてそのようにして彼の物語は終わる、2Ch 28:26,27。

2 Chronicles 28章 1-5 Matthew Henry's Complete Commentary

The Wickedness of Ahaz (738 BC)

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アハズの悪行 (紀元前738年)

¹ アハズは王位についたとき二十歳で、エルサレムで十六年間統治した。しかし彼はその父祖ダビデのように、主の目に正しいことを行わなかった。
² 彼はイスラエルの王たちの道に歩み、またバアルのために鋳造した像を造った。
³ さらに彼はヒンノムの子の谷で香をたき、主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦人の忌むべき習慣に従って、自分の子どもたちを火のなかを通らせた。
⁴ 彼はまた高き所や、もろもろの山の上で、またすべての緑の木の下で犠牲をささげ、香をたいた。
⁵ それゆえ、その神、主は彼をアラムの王の手に渡された。アラムの王は彼を打ち、その民の大群を捕虜として連れて行き、ダマスコに連れて行った。彼はまたイスラエルの王の手にも渡され、イスラエルの王は彼を大いに殺戮した。

アハズほど善を行う大きな機会を持った者は確かにいなかった。彼が王位についたとき、国は良い状態にあり、豊かで強く、宗教も確立していた。それにもかかわらず、わずかこれらの節のなかに、私たちは次の彼を見いだす。1. 惨めなほどに腐敗し堕落した者。彼は良い教育を受け、良い模範を示されていた。しかし親は子どもに恵みを与えることはできない。彼が受けたすべての教訓は彼にとって無駄であった。彼は 主の目に正しいことを行わなかった(2Ch 28:1)。いや、彼は多くの悪を行った。神に対して、自分の魂に対して、そして民に対する悪であった。彼はそむいたイスラエル人と滅びゆくカナン人の道に歩み、第二の戒めに背いて鋳造した像を造り、それを拝んだ。いや、さらに第一の戒めに背いてバアルのためにそれらを造った。彼は主の宮を捨て、山の上で、またすべての緑の木の下で犠牲をささげ、香をたいた。まるで山々が天にいっそう近づけてくれるかのように、また木々の陰と滴りが天の保護と影響を意味するかのように。彼の悪を完成させるように、自然的な愛情も宗教も完全に脱ぎ捨てた者として、人類の大いなる敵である悪魔に仕え、これに完全に身を捧げた者のように、彼は 自分の子どもたちを火のなかでモレクにささげて焼いた(2Ch 28:3)。彼らを火のなかを通らせることによってその地獄の悪霊に献じることすら十分でないと考えたのである。空中の権を持つ君が、不従順の子らの間にいかに絶対的な支配権を振るっているかを見よ。2. 惨めなまでに略奪され、餌食となった者。彼が神を捨て、莫大な費用をかけて偽りの神々の保護の下に自らを置いたとき、正しく彼の神であられた神が、彼を敵の手に渡された(2Ch 28:5)。(1.) アラム人が彼を侮り、勝利を誇った。戦場で彼を打ち破り、多くの民を捕虜として連れ去った。(2.) イスラエルの王も、彼自身は偶像礼拝者であったが、彼に対するむちとされ、 大いに殺戮した。民はこれらのさばきによって苦しんだ。彼らの血が流され、国は荒らされ、家族は滅びた。彼らに良い王があったときには、 彼らは腐敗して行った(2Ch 27:2)が、その王の善が彼らを覆った。しかし今や悪い王を持つに及んで、すべての防備が彼らから去り、さばきの洪水が彼らの上に押し寄せた。前の治世におけるその幸福を知らなかった者たちは、この治世の悲惨によってそれを尊ぶことを学んだ。

2 Chronicles 28章 6-15 Matthew Henry's Complete Commentary

The King of Israel Defeats Ahaz (738 BC)

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イスラエルの王がアハズを打ち破る(紀元前738年)

⁶ レマリヤの子ペカがユダで一日に十二万人を殺した。みな勇猛な男子であった。彼らが先祖の神、主を捨てたからである。 ⁷ エフライムの勇士ジクリが王の子マアセヤと、宮内大臣アズリカムと、王に次ぐエルカナを殺した。 ⁸ イスラエルの子らは、彼らの同胞のうちから、女と子と娘二十万人を捕虜とし、また彼らから多くの分捕り物を奪い取り、その分捕り物をサマリヤに携えて行った。 ⁹ ところが、そこにオデデという主の預言者がいた。彼がサマリヤに来た軍勢の前に出て行って、彼らに言った。「見よ、あなたがたの先祖の神、主がユダに怒りを発されたので、彼らをあなたがたの手に渡されたのだが、あなたがたは天に届くほどの激怒で彼らを殺した。 ¹⁰ 今、あなたがたはユダとエルサレムの子らを、あなたがたの男女の奴隷にしようと思っている。しかし、あなたがたのうち、実にあなたがたのうちにも、あなたがたの神、主に対する罪がないのか。 ¹¹ だから今、私に聞き従え。あなたがたが同胞から捕虜とした捕虜たちを帰しなさい。主の激しい怒りがあなたがたの上にあるからである。」 ¹² そこで、エフライムの子らのかしらたちのうちの数名—ヨハナンの子アザルヤ、メシレモテの子ベレキヤ、シャルムの子エヒゼキヤ、ハドライの子アマサが、戦争から帰って来る者たちに立ち向かって、 ¹³ 彼らに言った。「捕虜たちをここに連れて来てはならない。私たちがすでに主に対して罪を犯しているのに、あなたがたは私たちの罪過と背きに、さらに加えようとするのか。私たちの背きは大きく、激しい怒りがイスラエルに向けられているのだから。」 ¹⁴ そこで、武装した者たちは捕虜と分捕り物をかしらたちと全会衆の前に残しておいた。 ¹⁵ 名指された人々が立って、捕虜たちを引き取り、分捕り物のうちから、その裸の者たちにことごとく着せ、履かせ、食べさせ、飲ませ、油を塗り、その弱い者たちをみなろばに乗せ、彼らをなつめやしの町エリコの同胞のもとに連れて行って、サマリヤに帰った。

ここで私たちは次を見る。

I. 不実なユダが神の摂理の戒めの下に置かれ、しかもその戒めは非常に厳しい。彼らが王国となって以来、しかもイスラエル人によって、これほど血生臭い事が彼らの間で行われたことはなかった。アハズはイスラエルの王たちの道に歩み、神はイスラエルの王を彼を罰する道具とされた。私たちが見習う者や、その罪に同調する者を、神が私たちの災いとされるのは正しいことである。ユダとイスラエルの間に戦争が起こり、ユダが敗北した。というのは、1. 戦場で甚大な人的被害があった。膨大な数の人々(十二万人、他の時には勇猛な男子であった)が殺され(2Ch 28:6)、王の子を含む最高位の者たちもいた。彼は自分の子らの一部をモレクにいけにえとして献げた。それゆえこの子も神の怒りにいけにえとして献げられるのは当然である。また王に次ぐ者、すなわちその友人であり国務の長であったか、あるいは戦いでそのかたわらにいた者が殺され、王自身はかろうじて逃れた(2Ch 28:7)。イスラエル王国はこの時強くなかったが、ユダにこれほど大きな災厄をもたらすには十分であった。しかし確かに、これほど多くの人々、身分の高い人々、勇敢な人々が一日のうちに倒れたのは、彼らが自分の罪責の自覚と神の義なる御手によって不思議なほど気力を失わなければ不可能なことであった。勇猛な男子たちでさえほふられる羊のように数えられ、敵の容易な獲物となった。彼らが先祖の神、主を捨てたからであり、それゆえ神も彼らを捨てられたからである。2. 多くの女と子どもたちが捕虜とされた(2Ch 28:8)。野戦の軍勢が敗走すると、町々や村々がすべて容易に略奪され、住民は奴隷として連れて行かれ、その富は戦利品となった。

II. 勝利したイスラエルでさえ、ユダを攻撃した悪い動機と、自分たちの成功を誤って用いたことのゆえに、神のことばの戒めの下に置かれ、しかもこの戒めが良い結果を生む。ここに次のことがある。

1. 神が預言者を通して彼らに送られたメッセージ。預言者は彼らを出迎えるために出て行った。それは彼らの勇猛を称え、戦利品と凱旋の栄光を帯びて帰る彼らの勝利を祝うためではなく、神の御名によって彼らの過ちを告げ、神のさばきを警告するためであった。

(1.) 彼は彼らがこれほど誇りとしているこの勝利がどのようにしてもたらされたかを告げた。神が彼らを恵み深く見られたからでも、彼らがその御手から功績として得たからでもなく、神がユダに怒りを発されたから、彼らをその怒りの杖とされたのである。あなたがたに知らせよう。これはあなたがたの義のゆえではなく、彼らの悪のゆえであり(De 9:5)、彼らは折られたのだから、高ぶらず、かえって恐れよ。神があなたがたをも惜しまれないかもしれないから(Ro 11:20,21)。

(2.) 彼は神が同胞に対して彼らに与えた権威を乱用したことを彼らに追及した。勝利が自分たちのしたいことを何でもする権威を与え、最も長い剣が命と財産に対する最も明確な権利であると考える者は(Jusque datum sceleri—力こそ正義)、勝利が何であるかを理解していない。いや、勝利を用いないことは不明智であるように、勝利を乱用することは不敬虔である。勝利者たちはここで責められる。[1.] 戦場で行った殺戮の残酷さについて。彼らが戦争の中で戦争の血を流したことは、私たちは合法的とみなすが、それが彼らにとって罪となったのは、同胞に対する悪意の悪い原理から、そして天に届くほどの激怒、すなわちそのような軍事的処刑を喜ぶ血に飢えた者たちに神が復讐を求める叫ぶ野蛮な狂気によって行ったからである。神の義に仕える者たちも、怒りと復讐の霊で行うなら、その義に責任を負わされ、神のために行動するという栄誉を失う。人の怒りは神の義を実現しないからである。[2.] 捕虜たちに対する横柄な扱いについて。「*あなたがたは今、彼らを抑えつけようとしている。*彼らがあなたがたの同胞であり、生まれながらの自由なイスラエル人であるにもかかわらず、奴隷として使い、または売ろうとしている。」神は人々が語り、行うことだけでなく、計画することもご覧になる。

(3.) 彼は彼らが神の怒りにどれほどさらされているかを示す、彼ら自身の罪を思い起こさせた。あなたがたのうち、実にあなたがたのうちにも、あなたがたの神、主に対する罪がないのか。(2Ch 28:10)彼は彼らの良心に、またその事の明白な証拠に訴える。「たといあなたがたが今、罪のゆえにユダを懲らしめる道具とされたとしても、それゆえに自分たちが無実であると思ってはならない。いや、あなたがたも神の前に罪があるのだ。」これは次のことへの抑制として意図された。[1.] 成功における誇りへの抑制。「あなたがたも罪人であり、罪人が高ぶるのはふさわしくない。今回は勝ったが、安心してはいけない。間もなく車輪があなたがた自身の上に回ってくるかもしれない。もし神の家が彼らの中にある者たちにさえこれほどさばきが始まるなら、子牛を拝む者たちの終わりはどうなるのか。」[2.] 同胞に対する厳しさへの抑制。「今あなたがたは彼らを制圧したが、あなたがた自身も神のあわれみを見出さなければ滅びるのだから、彼らにあわれみを示すべきである。罪人が残酷であるのはふさわしくない。あなたがたにはすでに答えるべき十分な罪過があるのだから、これをそれに加えてはならない。」

(4.) 彼は捕虜たちを釈放し、丁重に故郷へ帰すよう命じた(2Ch 28:11)。「あなたがたが罪を犯したので、*神の激しい怒りがあなたがたの上にあり、*あわれみを示すこと以外にこれを逃れる道はない。」

2. これを受けてのかしらたちの、捕虜を留置しないという決定。彼らは勝利に酔いしれた*戦争から帰って来る者たちに立ち向かい、*捕虜たちをサマリヤに連れて来てはならないとはっきりと告げた(2Ch 28:12,13)。彼らにはすでに答えるべき十分な罪があり、背きに加えることは何もしないというのであった。これによって彼らは、預言者を通した神のことばに対する従順な思いと、同胞に対する温かいあわれみを示した。これは神のあわれみ深い恵みが彼らのうちに働いたものであった。神はこの哀れな民の苦しみを顧み、その叫びを聞き、彼らを捕虜としたすべての者たちにあわれまれるようにされた(Ps 106:44,46)。

3. 兵士たちがこの事においてかしらたちの決定に従い、それによって捕虜たちが釈放されたこと。(1.) 武装した者たちは、武装していたので力によって剣で得たものに対する自分たちの権利を主張できたが、同意して、捕虜と戦利品をかしらたちの処分に任せた(2Ch 28:14)。これによって彼らは、捕虜を取ったときよりもさらに真の英雄的な勇猛さを示した。自分の利益に反して、理性和宗教の権威に従うことは、いかなる人にとっても大きな栄誉である。(2.) かしらたちは哀れな捕虜たちを良くもてなして帰した(2Ch 28:15)。神からあわれみを見出したいと願う者は、自分の処分の下にある者たちに対してどれほど温かく振る舞うべきかをここから学ばなければならない。これらのかしらたちがこの事において神のことばにこれほど敬意を示し、民にこれほど大きな影響力を持っていたにもかかわらず、これほど多くの預言者たちの神の呼びかけに従って、その王国から偶像礼拝を根絶しなかったことは不思議なことである。偶像礼拝はその後間もなくその王国の滅びをもたらした。

2 Chronicles 28章 16-27 Matthew Henry's Complete Commentary

The Death of Ahaz (738 BC)

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アハズの死(紀元前738年)

¹⁶ その時、アハズ王はアッシリの王たちに助けを求めるため使いを送った。 ¹⁷ エドム人が再び来てユダを打ち、捕虜を連れ去ったからである。 ¹⁸ ペリシテ人も低地とユダのネゲブの町々を侵略し、ベテ・シェメシュ、アヤロン、ゲデロト、ショコとその村々、ティムナとその村々、ギムゾとその村々を取って、そこに住んだ。 ¹⁹ 主がイスラエルの王アハズのゆえにユダを低くされたからである。彼がユダを裸にし、主に対して大きく背いたからである。 ²⁰ アッシリの王ティルガテ・ピルネセルが彼のところに来たが、彼を苦しめ、彼を強めなかった。 ²¹ アハズが主の宮、王宮、首長たちの家から財産を取ってアッシリの王に与えたが、彼は助けなかった。 ²² アハズはその悩みの時に、なお主に向かって背いた。この人こそ、そのアハズ王である。 ²³ 彼は自分を打ったダマスコの神々にいけにえをささげて言った。「アラムの王たちの神々が彼らを助けたのだから、私もそれらにいけにえをささげよう。そうすれば彼らは私を助けよう。」しかし、それらの神々は彼と全イスラエルの滅びの原因となった。 ²⁴ アハズは神の宮の器具を集め、神の宮の器具を切り刻み、主の宮の扉を閉ざした。そしてエルサレムの隅々に祭壇を造った。 ²⁵ ユダのそれぞれの町に高き所を造って、ほかの神々に香をたき、その先祖の神、主を怒らせた。 ²⁶ 彼のその他の業績とその道、初めから終わりまでのことは、見よ、ユダとイスラエルの列王記の書にしるされている。 ²⁷ アハズは先祖たちと共に眠り、人々は彼を町、すなわちエルサレムに葬った。しかしイスラエルの王たちの墓には入れなかった。その子ヒゼキヤが彼に代わって王となった。

ここには次のことがある。I. アハズの罪のゆえに彼の王国が陥った大きな苦境。概して、1. 主がユダを低くされた(2Ch 28:19)。彼らはこの頃まで富と力において非常に高かった。しかし神は彼らを低くし、かつて恐るべきものであったのと同じほど轻蔑すべきものとする方法を見いだされた。神のことばの下で自らを低くしようとしない者は、当然神のさばきによって低くされる。不義は人を低くする(Ps 106:43)。2. アハズはユダを裸にした。彼の罪が彼らを卑しくしたように、彼らを暴露した。それは恥への裸にした。すなわち、衣を脱がされた人のように軽蔑にさらしたからである。それは危険への裸にした。すなわち、武装を解かれた人のように攻撃にさらしたからである(Ex 32:25)。罪は人のものを奪い取る。特に、エドム人がアマツヤの残酷な扱い(2Ch 25:12)への復讐としてユダを打ち、多くの捕虜を連れ去った(2Ch 28:17)。ペリシテ人も彼らを侵し、近くにあるいくつかの町や村を取り、占領した(2Ch 28:18)。それはウジヤが彼らに加えた侵入(2Ch 26:6)への復讐であった。そして、アハズの罪だけがペリシテ人を彼の国に招いたことを示すように、彼が死んだまさにその年に、預言者イザヤはその子によるペリシテ人の滅びを予告した(Isa 14:28,29)。

II. アハズが国の苦境にも国の罪にも加えたこと。

  1. 彼は外国の王々に取り入って助けを得ようとすることで、苦境を加えた。エドム人とペリシテ人が彼を悩ませたとき、彼はアッシリの王たちに助けを求めて使いを送った(2Ch 28:16)。それは自分の王国が弱まり、裸にされたことを知り、神に信頼できなかったからである。それゆえアッシリの王の関心を得るために莫大な費用をかけた。彼は神の宮と王宮を略奪し、首長たちを搾り取って、この外国軍隊を自分に雇い入れる金を捻出した(2Ch 28:21)。彼が隣人である異邦人の偶像礼拝に同調したにもかかわらず、彼らはそれゆえに彼を重んじず、彼をより愛さず、彼が神を失ったその同調によって彼らの心を得ることはできず、金によってしか彼らとの利害関係を結ぶことができなかった。悪人たち自身も、自らに寝返って来た者に対して真の愛情を持たず、彼らに親切をしようとしないことがしばしば見いだされる。退廃した枝は、あらゆる面で忌むべき枝と見なされる(Isa 14:19)。しかしアハズはアッシリの王から何を得たか。彼は*彼のところに来たが、*彼を苦しめ、彼を強めなかった(2Ch 28:20)。助けなかった(2Ch 28:21)。アッシリの軍隊は彼の国に駐留し、国を貧しく弱めた。彼らは傲慢で横暴になり、彼に多くの苦悩をもたらした。折れた葦のように、助けにならないだけでなく、手を刺すものであった。

  2. 彼は外国の神々に取り入って助けを得ようとすることで、罪を加えた。彼は苦境の中で、十分にその愚かさを見るべき理由があった自分の偶像礼拝を悔い改める代わりに、さらに背き(2Ch 28:22)、かつてないほど偶像に狂気した。ここで彼に不名誉の烙印が押される。この人こそ、そのアハズ王である、あの惨めな者、ダビデの家の恥であり、その世代の呪いと災いである者。注意すべき。苦難によって良くされる代わりに、かえって悪くされる者たち、すなわち苦境の中でさらに背く者たち、和らげるべきものによってかえって腐敗が刺激され、悪を行うために心を一層堅くする者たちは、実に悪であり、卑しい。彼の背きが何であったかを見よう。(1.) 彼は神の宮を乱用した。すなわち、祭司たちが宮の奉仕を行えないように、あるいは器具がないために正しく行えないように、その器具を切り刻んだ。そしてついに扉を閉ざし、民がそこに来られないようにした(2Ch 28:24)。これは彼以前の最も悪い王たちがしたことよりもさらにひどいものであった。(2.) 彼は神の祭壇に立ち向かった。エルサレムの隅々に自分のために祭壇を造り、預言者の言葉のように、それらが畑の溝にある石の山のようになった(Ho 12:11)。そしてユダの町々において、権力によってか、財力によってか、おそらくその両方によって、民が望む偶像に香をたくための高き所を建てた。まるでわざとその先祖の神を怒らせようとするかのようであった(2Ch 28:25)。(3.) 彼は神ご自身を捨てた。ダマスコの神々にいけにえをささげた(2Ch 28:23)。それらを愛したからではなく、それらが自分を打ったと考えたからではなく、それらが敵を助けたと思ったからであり、もし自分が彼らの関心を引き込むことができれば、彼らは自分を助けるだろうと考えたのである。愚かな者よ!彼を打ち、アラム人を彼に向かって強められたのは、彼自身の神であって、ダマスコの神々ではなかった。もし彼が主に、そして主にのみいけにえをささげていたなら、主は彼を助けられたであろう。しかし、人々が自分の悩みと助けの源を見誤る時、彼らの愛情と礼拝が誤った方向に向かうのは不思議ではない。そして結果はどうなるか。アラムの神々はアッシリの王たちがそうでなかったようにアハズに何の益ももたらさず、彼と全イスラエルの滅びとなった。この罪は神を怒らせてさばきをもたらし、彼をわずか三十六歳の全盛期に断ち切った。またこの罪は民を堕落させたので、次の治世の改革をもってしても彼らの偶像礼拝への傾向をいやすことができず、バビロン捕囚がそれを根こそぎ引き抜くまで、その苦い根が残った。

この章はアハズの治世の終わりをもって終わる(2Ch 28:26,27)。すべての状況から見て、彼は悔い改めずに死に、それゆえ栄光なく死んだ。すなわち、*王たちの墓に葬られなかった。*王の権力を教会の保護や徳の建て上げのためではなく、教会の破壊のために用いた者が、王たちの中に葬られるにふさわしくなく、彼らとは全く異なる者が彼らと共に葬られるにふさわしくないと考えられたのは当然であった。