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Matthew Henry's Complete Commentary

Matthew Henry · 1714

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Matthew Henry's Complete Commentary

Matthew Henry · 1714

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Matthew Henry 사후(1714) 공개 도메인. 디지털판 CC0-1.0.

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2 Samuel 2章 서론 Matthew Henry's Complete Commentary

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ダビデは君主サウルと友人ヨナタンの記憶に対してふさわしい敬意を払ったが、それは彼らのためであったのと同じくらしダビデ自身の誉れでもあった。今や彼は次に何をなすべきかを考えている。サウルは死んだ、それゆえダビデよ立ち上がれ。I. 神の導きによって彼はヘブロンに上り、そこで油注がれて王となった(2Sa 2:1-4)。II. 彼はサウルを葬ったヤベシ・ギルアデの人々に感謝を示した(2Sa 2:5-7)。III. サウルの子イシュ・ボシェテが彼に対抗して立てられた(2Sa 2:8-11)。IV. ダビデの陣営とイシュ・ボシェテの陣営との間に激しい戦いが生じた。その中で、1. 双方十二人ずつが徒手で組み合い、全員討たれた(2Sa 2:12-16)。2. サウルの陣営は打ち負かされた(2Sa 2:17)。3. ダビデ側のアサエルがアブネルに討たれた(2Sa 2:18-23)。4. ヨアブはアブネルの求めに応じて退却の角笛を吹かせた(2Sa 2:24-28)。5. アブネルは全速力で退き(2Sa 2:29)、双方の死傷者が計上された(2Sa 2:3-32)。こうしてここにはイスラエルの内戦の記録があり、それは時の経過とともにダビデが王位に完全に着くことで終結した。

2 Samuel 2章 1-7 Matthew Henry's Complete Commentary

David Made King at Hebron (1053 BC)

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ダビデがヘブロンで王となる(紀元前1053年)

¹ この後、ダビデは主に伺いを立てて言った。「ユダの町々のどれかに上って行きましょうか。」主は彼に、「上って行け」と言われた。ダビデは、「どこへ上って行きましょうか」と言った。主は言われた。「ヘブロンへ。」
² ダビデはそこへ上って行った。また彼の二人の妻、イズレエルの女アヒノアムと、カルメル人ナバルの妻であったアビガイルも上って行った。
³ また、彼とともにいた者たちを、それぞれその家とともに引き連れて上らせた。彼らはヘブロンの町々に住んだ。
⁴ ユダの人々がやって来て、そこでダビデに油を注いでユダの家の上に王とした。ダビデはサウルを葬ったのはヤベシ・ギルアデの人々であると告げられた。
⁵ ダビデはヤベシ・ギルアデの人々に使者たちを遣わして言った。「あなたがたの主サウルにこのように親切をし、彼を葬ってくれたあなたがたは、主によって祝福されているように。
⁶ あなたがたがこのことをしたので、主があなたがたに恵みとまこととを示されるように。私もまた、この親切に報いてあなたがたに善を行おう。
⁷ それゆえ、今、あなたがたの手を強くし、勇猛な者となれ。あなたがたの主君サウルは死に、またユダの家が私に油を注いで彼らの上に王としたからである。」

サウルとヨナタンが死んだとき、ダビデは自分が油注がれて王となるべきことを知っており、今やその道が極めてはっきりと見えていたにもかかわらず、ただちに使者をイスラエルの全領域に遣わして、すべての民を呼び集め、死を罪として彼に忠誠を誓わせるようなことはしなかった。ゆっくりと事を進めたのである。信じる者は急ぐことはなく、神の約束の成就について神の時を待つからである。ダビデがチクラグにとどまっている間、多くの者がいくつかの部族から彼を助けるためにやって来た(1Ch 12:1-22)のであり、それほどの軍勢があれば彼は征服によって入ることもできたであろう。しかし柔和をもって治めようとする者は、暴力をもって立ち上がることはしない。ここで次のことを観察せよ。

I. 彼がこの重大な局面において求め、与えられた神の導き(2Sa 2:1)。彼は成功を疑わなかったが、しかし神の手段と人の手段の両方という適切な手段を用いた。神の約束に対する望みの確信は、敬虔な努力を緩慢にするどころか、かえってそれを促す。もしそ私がいのちの冠を選ばれたのなら、「それなら私は何もしない」ということにはならない。「それなら私は、私を選ばれた方の導きに従い、その方が示すすべてのことを行おう」となる。ダビデはその選びについてこの良い用い方をした。そして神に選ばれたすべての者がそうする。1. ダビデは、戒めにしたがって、その道において神を認めた。 彼はアビアタルが彼のもとに携えてきた裁きの胸当てによって主に伺いを立てた。私たちは苦難の中にある時ばかりでなく、世が私たちに微笑み、第二原因が私たちに有利に働く時にも神に頼らなければならない。彼の問いは、「ユダの町々のどれかに上るべきか」、すなわちここを動くべきか、というものであった。チクラグが廃墟となっていても、彼は神の導きなしにそこを去ろうとはしなかった。「もし私がここを動くなら、ユダの町々のひとつに行くべきか」、と。これは神をそれらの町々に限定したのではない(もし神がそのように導かれるなら、イスラエルのどの町にも行っただろう)。しかしこれは彼の慎み深さを表していた。ユダの町々において彼は最も多くの友人を見出すであろうし、現時点では自分の部族以上を見ようとはしないという謙虚さであった。私たちのすべての動きや移転において、神が私たちに先立って進んでおられるのを見るのは慰めである。そしてもし信仰と祈りによって神を私たちの前に置くなら、そうすることができる。2. 神は、約束にしたがって、彼の道を導き、上るように命じ、どこへ、すなわちヘブロンへと告げられた。ヘブロンは祭司の町、逃れの町のひとつであり、ダビデにとってそれはそのような町であった。そして神ご自身が彼にとって小さな聖所となるという暗示であった。族長たちの墓がヘブロンに隣接していることは、神が彼に抱かせた古い約束を彼に思い起こさせたであろう。神は彼を、彼自身の町ベツレヘムではなく、そこはユダの千の中の小さな町(Mic 5:2)であったゆえに、より重要な場所であり、おそらく当時はその部族の郡庁所在地であったヘブロンに遣わされた。

II. ヘブロンへの移転にあたって彼が家族や友人のために配慮したこと。1. 彼は妻たちを連れて行った(2Sa 2:2)。彼女たちが患難において彼の伴侶であったように、王国においてもそうなるためであった。彼にはまだ子がなかったようである。彼の初子はヘブロンで生まれた(2Sa 3:2)。2. 彼は友人や従者たちを連れて行った(2Sa 2:3)。彼らは彼の放浪に同行していたので、彼が住処を得たとき、彼らも彼と共に落ち着いた。このように、もし私たちがキリストと共に耐え忍ぶなら、キリストと共に治めるのである(2Ti 2:12)。いや、キリストはご自身の良き兵士たちに対してダビデがその兵士たちにできた以上のことをされる。ダビデは彼らに宿を与えた―彼らはヘブロンの町々や周辺の町々に住んだ。しかしキリストの試みの中に最後まで彼とともにいる者には、キリストが国を任命されるのであり、ご自身の食卓で彼らを饗宴されるのである(Lu 22:29,30)。

III. ユダの人々によって彼に与えられた誉れ。彼らは彼に油を注いでユダの家の上に王とした(2Sa 2:4)。ユダの部族は他のどの部族よりもしばしば単独で立っていた。サウルの時代、それは一つの集団として単独に数えられていた(1Sa 15:4)し、この部族の人々は単独で行動することに慣れていた。彼らは今もそうした。しかしそれは自分たちのためだけであった。彼らは彼を全イスラエルの上に王として油注ぐ(Jdg 9:22)と称したのではなく、ただユダの家の上にだけであった。他の部族は彼らの好きにすればよかった。しかし彼らとその家については、神に選ばれた者に治められることを選んだのである。ダビデが次第に立ち上がった様子を見よ。彼はまず将来的に、次いで一つの部族だけの所有において、そしてついに全部族の王として油注がれた。このようにメシア、ダビデの子の御国も漸次に立てられる。彼は神の指定によってすべての主であるが、まだすべてのものが彼の足の下に置かれているのを私たちは見ていない(Heb 2:8)。ダビデが最初ユダの家の上にだけ治めたことは、摂理の暗黙の示唆であった。すなわち彼の王国はやがて再びそれに縮小されるであろうと。それは十部族が彼の孫から離反した時にそのようになった。またユダの敬虔な王たちにとって、ダビデ自身が最初ユダだけを治めていたということは励ましとなった。

IV. サウルへの親切に対する感謝を述べるために彼がヤベシ・ギルアデの人々に送った敬意あることば。彼は引き続き、前任者の記憶を尊ぶことに努め、それによって彼が野心やサウルへの敵意から王冠を狙ったのではなく、純粋に神から召されたためであることを示そうとしている。ヤベシ・ギルアデの人々がサウルを葬ったことが彼に告げられた。おそらく、彼が彼らの世話焼きすぎを不快に思うだろうと考える人々によるものであった。しかし彼はそのようなことが全くなかった。1. 彼はそのことについて彼らを称賛した(2Sa 2:5)。生きている間に私たちが愛し尊ぶべき義務があった人々については、彼らが死んだとき、その遺骸、名、家族に敬意を示すべきである。「サウルはあなたがたの主であった」とダビデは言う、「それゆえあなたがたはこの親切を示し、この誉れを彼に与えてよく行った」。2. 彼はそのことのために彼らを祝福してくださるよう神に祈り、それに報いてくださるように願った。「あなたがたは祝福されている、特に死人に親切にした者に特別に親切に扱われる主によって祝福されてもよい」(Ru 1:8)。良心に従って、死んだ者の遺骸、名、家族に示されるべき敬意と愛情は、決して報いを失わない慈善の行いである。「主があなたがたに恵みとまこととを示されるように」(2Sa 2:6)。すなわち約束にかなった恵みである。神が示される恵みはまことのうちにあり、頼ることのできるものである。3. 彼はその埋葬に報いて彼らに報いることを約束した。「私もまたあなたがたに報いよう。」彼は自分自身が報いることを免れるために、彼らを報いについては神のもとへ回すようなことはしなかった。良い願いは良いものであり、感謝の表れであるが、それ以上のことができる場合には、それに安住するには安すぎる。4. 彼は慎重にもこの機会を捉えて彼らを自らの側に引き寄せた(2Sa 2:7)。彼らはサウルに最後の敬意を払ったが、彼はそれが最後となることを望んだ。「ユダの家が私に油を注いで王とした。彼らに同調し、その点において勇猛となることは、あなたがたの知恵である。」私たちは、どんなに死んだ者を愛したとしても、生き残った者の中に、神が彼らに代えて私たちに与えられた祝福を無視したり軽視したりしてはならない。

2 Samuel 2章 8-17 Matthew Henry's Complete Commentary

A Civil War in Israel (1053 BC)

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イスラエルにおける内乱(紀元前1053年)

⁸ しかしサウルの軍の長、ネルの子アブネルはサウルの子イシ・ボシェテを取って、マハナイムに連れて行った。
⁹ そして彼にギルアデと、アシュリ人と、エズレルと、エフライムと、ベニヤミンの上に、また全イスラエルの上に王として君臨させた。
¹⁰ サウルの子イシ・ボシェテがイスラエルの上に治め始めた時、四十歳であった。二年間治めた。しかしユダの家はダビデに従った。
¹¹ ダビデがヘブロンでユダの家の上に王であった期間は七年六か月であった。
¹² ネルの子アブネルと、サウルの子イシ・ボシェテのしもべたちは、マハナイムからギブオンに出て行った。
¹³ ツルヤの子ヨアブとダビデのしもべたちも出て行き、ギブオンの池のそばで共に会した。そして彼らは座った。片方が池の片側に、もう片方が反対側に。
¹⁴ アブネルはヨアブに言った。「若者たちに立ち上がらせ、私たちの前で戯れさせよう。」ヨアブは言った。「彼らを立ち上がらせよう。」
¹⁵ そこで立ち上がって渡った。サウルの子イシ・ボシェテに属するベニヤミンの十二人と、ダビデのしもべ十二人。
¹⁶ 彼らはおのおのその相手の頭をつかみ、その剣を相手のわき腹に突き刺した。こうして彼らは共に倒れた。それゆえその場所はギブオンにあるヘルカテ・ハツリムと呼ばれた。
¹⁷ その日は非常に激しい戦いであった。アブネルとイスラエルの民はダビデのしもべたちの前で打たれた。

ここに、I. 二人の王の間の競合がある。神が王としたダビデと、アブネルが王としたイシ・ボシェテ。サウルが殺され、戦いに共に立つほどの分別と勇気を持っていたその子らがみな殺された時、ダビデは何の反対もなく王座に就くと思われたであろう。全イスラエルが彼がいかに自らを示したかだけでなく、いかに明らかに神が彼をそれに指名されたかを知っていたからである。しかし人の計らいの中には、神のはかりごとに反対する矛盾の霊がこれほどあり、戦いに父と共に行くのにふさわしくないと思われたような弱く愚かなイシ・ボシェテでさえ、政府において彼に代わる者とされ、ダビデが平和にそれに就くよりも好まれる。ここにおいてダビデの王国はメシアの王国の型であった。これに異邦人は怒り、もろもろの民のはかりごとを立てる(Ps 2:1,2)。1. アブネルがダビデとの競合においてイシ・ボシェテを立てた人物であった。おそらく直系の世襲に対する熱心から(彼らが諸国のような王を持つなら、この点で彼らも諸国に似なければならず、王冠が父から子へと受け継がれなければならない)、あるいはむしろ自らの家族と親族への愛情から(彼はサウルの叔父であった)、また軍の長という名誉の地位を自らに確保する他の道がなかったからである。一人の者の高慢と野心がどれほどの害をもたらし得るかを見よ。もしアブネルが彼を立てなかったら、イシ・ボシェテは自らを立てることは決してなかったであろう。そして自らの目的を果たすために彼を道具とした。2. 彼が最初にその主張を立てた場所マハナイムは、ヨルダンの向こう側にあり、そこではダビデの関心が最も薄いと思われた。その軍勢から離れていることで、彼らは自らを強める時間を持てたであろう。しかしそこに旗印を立てて、イスラエルのすべての部族の思慮の浅い民(すなわちその大部分)が彼に服した(2Sa 2:9)。ただユダだけが完全にダビデに味方した。これは神の約束に対するダビデの信仰のさらなる試練であり、またその約束の成就のために神の時を待てるかどうかの忍耐の試練であった。3. この競合の継続の時期について少し難しさがある。ダビデはユダのみの上に約七年治めた(2Sa 2:11)。しかし(2Sa 2:10で)イシ・ボシェテはイスラエルの上にわずか二年治めた。その二年の前、あるいは後、あるいはその両方で、一般的にサウルの家のため(2Sa 3:6)、その家の特定の個人のためでなく、アブネルが宣言した。あるいはこの二年は戦争が起こる前のことであり(2Sa 2:12)、それは長く続き、残りの五年に及んだ(2Sa 3:1)。

II. 両軍の間の遭遇。

1. どちらの側もその全力を戦場に持ち込んだ形跡はない。殺戮が少なかったから(2Sa 2:30)。私たちは不思議に思う。(1) ユダの人々が、国全体を彼への服従に帰すために、ダビデのためにいっそう精力的に現れ行動しなかったこと。しかしダビデは彼らに攻撃的に行動することを許さなかったであろう。事が自ずから成るか、むしろ神がイスラエルの血の流出なしにそれを成してくださるのを待つことを選んだ。彼にとって、キリストの型として、それは非常に尊いものであった(Ps 72:14)。彼の敵対者でさえ彼はその臣民と見なし、それに応じて扱った。(2) イスラエルの民がほとんど中立の立場に立ち、これほど長年イシ・ボシェテの下におとなしく座っていることができたこと。特にこの時に多くの部族が示した資質を考えれば(1Ch 12:23等で見るように)。知恵ある者、勇士、勇敢な者、戦いに熟練した者、二心でない者たちであった。それにもかかわらず七年間、目立ったところでは彼らの大部分が、公共の行政がだれの手にあるかに無関心であったようである。神の摂理は、ある時には人の愚鈍さによって、またある時には同じ人々の活動によって、自らの目的を果たす。彼らは自らに不似合いでありながら、摂理の動きは一様である。

2. この戦いにおいてアブネルが侵略者であった。ダビデは事がどう落ちるかを見るために静かに座した。しかしサウルの家、その先頭に立つアブネルが挑戦を与え、そして最悪の結果となった。それゆえ急いで争いに出てはならず、口論を始めるのに先走ってはならない。その終わりにどうすべきかを知らないからである(Pr 25:8)。愚かな者の唇と手は争いに入り込む。

3. 戦いの場所はギブオンであった。アブネルがそれを選んだのは、それがベニヤミンの割り当て地にあり、サウルが最も多くの友人を持っていたからである。しかし彼が戦いを挑んだ以上、ダビデの将軍ヨアブはそれを辞退せず、そこで彼と会し、ギブオンの池のそばで出会った(2Sa 2:13)。ダビデの大義は神の約束の上に建てられており、地の利の不利を恐れなかった。彼らの間の池は両軍に熟考の時間を与えた。

4. 最初の交戦はアブネルによって提案され、ヨアブによって受け入れられ、両軍十二人ずつによるものであった。(1.) この技比べは戯れから始まったように思われる。アブネルが提案した(2Sa 2:14)。若者たちを立ち上がらせ、私たちの前で戯れさせよう。剣闘士のように。おそらくサウルはその部下をこのような野蛮な遊びに慣らしていた。暴君らしく。アブネルは彼から傷と死を冗談にし、血と恐怖の光景で自らを楽しませることを学んだ。彼が私たちの前で戯れさせようと言った時、戦わせようを意味した。愚か者はこのように罪をあざ笑う。しかし人間の血をこのように浪費でき、このように火、矢、死を投げつけて、私は戯れているのではないかと言える者は人という名に値しない(Pr 26:18,19)。ヨアブはダビデの下で育ったので、そのような提案をするほどの知恵はあったが、他の者がした時にそれに抵抗し反対するほどの決意はなかった。彼は名誉の点にこだわり、挑戦を拒むことを自分の評判の傷と考え、それゆえ彼らを立ち上がらせようと言った。その戯れを好んだからでも、決闘が決定的であると期待したからでもない。ただ相手に威圧されたくなかったのである。誇り高き者の気まぐれのために、これほど多くの尊いいのちが犠牲にされた!両軍から十二人ずつが選手として呼び出され、リストに入った。生死の二重の陪審であり、他人のではなく自らの。アブネル側の選手たちが最も進んで先頭に立ったようである(2Sa 2:15)。おそらくこのようにその総司令官の機嫌に仕えるという愚かな野心の中で育ったから。しかし、(2.) それがどのように始まったにせよ、血で終わった(2Sa 2:16)。彼らはおのおのその剣を相手のわき腹に突き刺した(敵意ではなく名誉に駆られて)。こうして彼らは共に倒れた。すなわち二十四人全員が殺された。互いにこれほど均等な相手であり、どちらの側も命乞いも、容赦もしないほどの決意であった。彼らは(ヨセフスが言うように)合意によって互いに致命傷を与え合ったかのようであった。他人のいのちをねらう者はしばしば自らのいのちを捨てる。そして死だけが征服し、勝利の戦車に乗る。両軍の驚くべき頑固さは、その場所に与えられた名前に記憶された。ヘルカテ・ハツリム―岩のような人々の野。体が強いだけでなく、堅固で揺るがない constancy の人々、死の光景にも動じない者たち。しかし強情な者はかすめられ、その眠りについた(Ps 76:5)。これほどの代償で購う名誉とは!キリストのためにいのちを失う者はそれを見出す。

5. ついに全軍が交戦し、アブネルの軍勢は潰走した(2Sa 2:17)。前のは引き分けの戦いであり、両軍とも全員が殺された。それゆえ彼らはもう一つの試みに委ねなければならず、そこで(しばしばあるように)挑戦を与えた者が敗れて去った。ダビデには神が味方であった。それゆえ彼の側が勝利した。

2 Samuel 2章 18-32 Matthew Henry's Complete Commentary

Asahel Slain by Abner (1053 BC)

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アサエルがアブネルに殺される(紀元前1053年)

¹⁸ その所にゼルヤの三人の子、ヨアブ、アビシャイ、アサエルがいた。アサエルは野の雌鹿のように足が速かった。
¹⁹ アサエルはアブネルのあとを追った。行く時、アブネルのあとを追って右にも左にも曲がらなかった。
²⁰ アブネルはうしろを振り向いて言った。「あなたはアサエルか。」彼は答えた。「そうです。」
²¹ アブネルは彼に言った。「右か左にそれ、若い者の一人を捕えて、その武具を取れ。」しかしアサエルは彼のあとを追うのをやめなかった。
²² アブネルは再びアサエルに言った。「私のあとを追うのをやめよ。なぜ私があなたを地に打ち倒そうとするのか。そうしたらどうして私はあなたの兄弟ヨアブに顔を向けられようか。」
²³ しかし彼はそれるのを拒んだ。そこでアブネルは槍の後端で彼の第五の肋骨を打った。槍はうしろまで抜けた。彼はそこに倒れ、その場所で死んだ。アサエルが倒れて死んだ所に来た者はみな立ち止まった。
²⁴ ヨアブとアビシャイもアブネルのあとを追った。彼らがアマの丘、すなわちギブオンの荒野の道のギアの前にある所に来た時、日が沈んだ。

ここにアブネルとアサエルの間の争いがある。ヨアブの兄弟でありダビデの従兄弟であったアサエルは、ダビデの軍勢の主要な指揮官の一人であり、走る速さで有名であった。彼は野の雌鹿のように足が速かった(2Sa 2:18)。これは速く追うことで、速く逃げることでなく、彼が得た名であった。しかし、熟練した経験豊かな兵士としてのアブネルには及ばなかったと推測できる。それゆえ次のことを観察しよう。

I. アブネルを捕虜にしようとねらういかに軽率であったか。彼は他でなくアブネルのあとを追った(2Sa 2:19)。ダビデやヨアブとの関係、自分の速さ、その党派の成功を誇りとし、この若い戦士にとって今やアブネル自身、殺されるか縛られるか、以上の勝利の記念には役立たなかった。それが戦争を終わらせ、ダビデの王座への道を効果的に開くと思ったから。これが彼を追跡において非常に熱心にさせ、道にある他の者を捕える機会を顧みず、右にも左にも目を向けず、その目はアブネルのみにあった。この計画は勇敢であった、もしそれにpar negotio—遂行に等しい者が彼にあったなら。しかし速い者はその速さにおいて、強い者がその力においてよりも誇らないように。magnis excidit ausis—彼は自分には大きすぎる試みで滅びた。

II. アブネルがいかに寛大であったか。自らの身の危険を知らせ、自らの損になることに手を出さないよう助言した(2Ch 25:19)。1. より小さな獲物で満足するよう命じた(2Sa 2:21)。「若い者の一人を捕え、彼を略奪し、あなたの捕虜とせよ。あなたに合う者と争え、これほどあなたより優れた者に及ぼうとするな。」すべての争いにおいて自分の力と敵の力を比較し、比べる時に自分に偏しないよう注意するのは知恵である。さもなければ自分自身の敵となるのを証明するから(Lu 14:31)。2. 自己防衛のために彼を殺す必要に迫らせないよう懇願した。それは彼が非常にいやであったが、彼に殺されるよりはせねばならなかった(2Sa 2:22)。アブネルは、ヨアブを愛していたか、恐れていたかのようである。彼が非常にその不満を招くことをいやったから。もしアサエルを殺せば確実にそうなる。敵同士がこのように互いに敬意を払うことは称賛すべきである。アブネルがどのようにヨアブに顔を向けようかと気をもむことは、彼が本当にダビデが最後には神の指定にしたがって王国を持つと信じていたのではないかと疑わせる。もしそうなら、彼に反対することにおいて自分の良心に反して行動していた。

III. アサエルの軽率がいかに致命的であったか。彼はそれるのを拒んだ。アブネルが丁寧に語ったのは彼を恐れたからだと思った。しかしどうなったか。アブネルは彼に追いつくや、逆手の一撃で致命傷を与えた(2Sa 2:23)。*彼は槍の後端で彼を打った。*そこから彼は危険を恐れなかった。これはアサエルが知らなかった、警戒を学んでいなかった一撃であった。しかしアブネルはおそらくかつてそれを用い、敵を打っていた。ここでそれは効果的に果たした。アサエルはその傷ですぐに死んだ。ここに見よ、1. 死がしばしば最も予期しない方法で私たちに来ることを。逃げる敵の手や槍の柄をだれが恐れようか。しかしこれらからアサエルは致命傷を受ける。2. 私たちが誇る才能によってしばしば裏切られることを。アサエルがこれほど頼んだ速さは彼によいことをせず、その運命を早め、それによって彼は逃げるのではなく死に向かって走った。アサエルの倒れはアブネルの彼に対する安全だけでなく、征服者の追跡に完全に止まりを打ち、アブネルに再び立ち直る時間を与えた。その所に来た者はみな立ち止まったから。ただヨアブとアビシャイは落胆するどころか、これによっていら立ち、いっそうの激しさでアブネルを追い(2Sa 2:24)、ついに日没頃追いついた。近づく夜が彼らに退くことを余儀なくさせた。

²⁵ ベニヤミンの子らはアブネルのあとに集まり、一隊となり、一つの丘の頂に立った。
²⁶ アブネルはヨアブに呼ばわって言った。「剣はいつまでも滅ぼし尽くすのか。その終わりには苦しみとなることを知らないのか。それなら兄弟のあとを追うのをやめよと、民に命じるまでいつかかるのか。」
²⁷ ヨアブは言った。「神は生きておられる。あなたが語らなかったなら、確かに朝に民はみな兄弟のあとを追うのをやめたであろう。」
²⁸ ヨアブがラッパを吹いた。民はみな立ち止まり、もはやイスラエルのあとを追わず、もはや戦わなかった。
²⁹ アブネルとその部下は夜通しアラバを歩き、ヨルダンを渡り、ビトロン全地を通って、マハナイムに来た。
³⁰ ヨアブはアブネルのあとを追うのをやめた。彼がすべての民を集めた時、ダビデのしもべたちのうち十九人とアサエルが欠けていた。
³¹ しかしダビデのしもべたちはベニヤミンとアブネルの部属のうち三百六十人を打ったので、彼らは死んだ。
³² 彼らはアサエルを取り上げ、ベツレヘムにあるその父の墓に葬った。ヨアブとその部下は夜通し行き、夜明けにヒブロンに着いた。

ここに、I. アブネルは征服されると、卑しくも停戦を求めた。彼は残りの軍勢を丘の頂に集めた(2Sa 2:25)。あたかも再び戦おうとするかのように。しかしヨアブに少しの休息を哀願する謙虚な嘆願者となった(2Sa 2:26)。最も前向きに戦った者が最初にそれに飽きた。流血を戯れにした者(若い者たちを立たせ、私たちの前で戯れさせよ、2Sa 2:14)は、自分が負ける側にある時、そして彼が軽々しく抜いた剣が自分自身に及ぼうとする時、今それに衝撃を受ける。彼の調子がどのように変わったかを観察せよ。その時は剣で戯れるだけであった。今は*剣はいつまでも滅ぼし尽くすのか。*それは一日しか滅ぼさなかった。しかし彼にとっては自分に不利であったから永遠のように思えた。そして今、怒りを日の入りまで持ち越さないことを非常に望んでいる。今や彼は内乱の悲惨な結果についてヨアブ自身に訴えることができる。その終わりには苦しみとなることを知らないのか。勘定がまとめられる時に、後悔をもって思い返されるであろう。内乱でだれが勝っても、共同体は確実に失うから。おそらく彼は、ベニヤミンとの戦争の終わりにイスラエルの部族にあった苦しみ、彼らが自らのなした荒廃を激しく泣いた時のことを指す(Jdg 21:2)。今や彼はヨアブに退却のラッパを吹くよう懇願し、彼らが互いに食い尽くしてはならない兄弟であると訴える。朝にはヨアブに兄弟たちに襲いかかるよう命じようとした者が、今は武器を下ろすよう命じてほしいと願う。ここに見よ、1. 理由が自分に有利な時にはそれを用いることがいかに容易で、不利な時には用いようとしないかを。もしアブネルが征服者であったなら、剣の貪欲さや内乱の惨禍についての不平を聞かず、両側が兄弟であると訴えなかったであろう。しかし打ち負かされたのを見て、これらすべての議論がその退却の確保と、散らされた軍勢が断ち切られるのを救うために集められ用いられる。2. 物事の結果が人の心をいかに変えるかを。朝には快く見えた同じものが、夜には陰鬱に見えた。争いに入るのに前向きな者は、それを終える前に悔いるかもしれない。それゆえ手を出す前にやめるのがよい。ソロモンが勧めるように。すべての罪について真実である(ああ、人が時宜にこれを考慮してくれたら!)。それは終わりには苦しみとなる。最後には、それが愛想をふりかけた者を蛇のように噛む。

II. ヨアブは征服者でありながら寛大にもこれを許し、退却のラッパを吹いた。主人の心を、血を流すのをいかに嫌っていたかをよく知っていたから。彼は確かにアブネルをその前向きさを非難し、これほどの流血があった責任を彼に負わせる(2Sa 2:27)。*あなたが語らなかったなら、*すなわち「戦うよう命じなかったなら、若い者たちを立たせ、私たちの前で戯れさせよと言わなかったなら、私たちのうちだれも一撃も打たず、剣も抜かなかったであろう、兄弟に対して。あなたは剣が滅ぼし尽くすと嘆くが、だれが最初にそれを抜いたのか。だれが始めたのか。今は民を分けたいが、だれが彼らを戦わせたか思い出せ。もしあなたが挑戦しなかったなら、朝に退いていたであろう。」危害をなすのに前向きな者が通常最初にそれを訴える。これは、もしこれ以上ヨアブが勝利を押し進め、アブネルの軍勢を完全に断ち切ったなら、ヨアブを正当化したかもしれない。しかし敵の誤りをあわれみ、イスラエル人の軍勢にその指揮官の愚かさの代償を高く払わせるのをいやがる者のように、彼は誉れ高く、ラッパの音によって追跡に止まりを打ち(2Sa 2:28)、アブネルに整然たる退却を許した。血を惜しむのは良い倹約である。兵士たちがここで将軍の命令に非常に従順であったように、彼も無疑その君主の指示を守った。君主は全イスラエルの幸福を求め、それゆえだれの害をも求めなかった。

III. 軍勢が分かれ、両者とももといた所へ退き、両者とも夜に行軍した。アブネルはマハナイムへ、ヨルダンの向こう側へ(2Sa 2:29)。ヨアブはヒブロンへ、ダビデのいる所へ(2Sa 2:32)。両側の戦死者が計算される。ダビデの側ではアサエルのほか十九人だけが欠けていた(2Sa 2:30)。アサエルはすべてよりも価値があったが。アブネルの側では三百六十人(2Sa 2:31)。以前の内乱では大いなる虐殺がなされたが(Jdg 12:6,20:44)、それと比べればこれは何でもなかった。彼らが賢く穏やかになったことが望みである。アサエルの葬儀がここに言及される。他の者は戦場に葬られたが、彼はベツレヘムに運ばれ、その父の墓に葬られた(2Sa 2:32)。このようにある者のちりと他者のちりの間に区別がなされる。しかし復活においては神に属する者と属さない者の間の違いしかなされない。それは永遠に残る。