Matthew Henry's Complete Commentary
Matthew Henry · 1714
Matthew Henry 사후(1714) 공개 도메인. 디지털판 CC0-1.0.
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1 無事に逃れたのち、彼らはその島がメラダという名であることを知った。
2 さて未開の人々は、わたしたちに多大の親切を示した。というのは、降り続く雨と寒さのために火をたき、わたしたちみなを迎えてくれたからである。
3 するとパウロが薪の束を集めて火に置いたとき、熱気のためにマムシが出て来て、彼の手に噛みついた。
4 未開の人々は、その毒獣が彼の手にぶら下がっているのを見て、互いに言った、「この人は殺人者に違いない。海からは逃れたが、刑罰は彼を生かしておかないのだ」。
5 しかし彼は獣を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。
6 彼らは彼が膨れ上がるか、急に倒れて死ぬかと思って待っていた。しかし長い間待って、彼に何の害も来ないのを見て、心変わりして、彼を神であると言った。
7 その近くには、島の首長ポプリオの所有地があった。彼はわたしたちを迎え、三日間親切にもてなしてくれた。
8 ところがポプリオの父が、熱病と赤痢にかかって床に着いていた。パウロはその人のもとにはいり、祈って、彼の上に手を置いて、いやしてやった。
9 このことがあると、島にいたほかの病人たちも来て、いやされた。
10 彼らはわたしたちに多くの敬意を表してくれた。そして出発のときには、必要なものをわたしたちに積んでくれた。
パウロがどれほど多様な場所と状況にいたことか!彼は惑星であり、固定星ではなかった。ここに彼を、嵐によって投げ出されなければおそらく決して来なかった島にいるのを見る。しかしそれでも神は彼にここでなすべきわざを持っておられるようである。嵐の風でさえ神のはかりごとを成就する。そしてだれにも何の善ももたらさない風は、確かに悪い風である。この悪い風はメラダ島に善をもたらした。というのも、彼らに三か月間パウロの交わりを与えたからである。パウロは来る所どこででも祝福であった。この島はメラダと呼ばれ、シチリアとアフリカの間にあり、長さ二十マイル、幅十二マイル。地中海のいかなる島よりも大陸から最も遠い。シチリアから約六十マイル。マルタの騎士たちによって以来有名である。彼らはトルコがキリスト教世界のその部分を蹂躙したとき、立派に立ち向かい、彼らの武力の進展にいくらかの歯止めをかけた。ここに、
一、この島の住民が、彼らの海岸に難船した悩める異邦人たちに与えた親切な受け入れ(使徒28:2)。未開の人々はわたしたちに多大の親切を示した。神はだれのいのちも失われないことを約束された。そして神については、そのわざは完全である。もし彼らが海から逃れ、岸に来て寒さや欠乏のために死んだとしても、それは同じことであった。それゆえ摂理は彼らへの配慮を続ける。そして人の手によって受ける益れは神の手から来ることを認めなければならない。というのもすべての被造物は、神がそれとされる以上のものでも以下のものでもなく、神が喜ばれるとき、敵を平和にすることができるように、陌生人を友—必要な時の友、真の友—にすることができるから。逆境における友であり、それは兄弟の生まれる時である。観察せよ。1. マルタの原住民がパウロとその一行に示した親切についての一般的な注目。彼らは未開の人々と呼ばれる。彼らの言語と習慣がギリシヤ人にもローマ人にも従わなかったから。彼らは(十分なほど傲慢に)自分たち以外のすべてを野蛮人と見なした。その他の点では十分に文明化されており、おそらくある場合には彼らよりも礼儀正しかったのに。これらの未開の人々は、そう呼ばれたにせよ、人間らしさに満ちていた。彼らはわたしたちに多大の親切を示した。彼らはこの難船を略奪の機会にする—クリスチャンの人々と呼ばれる多くの者がするであろうことをわたしは恐れる—どころか、あわれみを示す機会としてそれをとらえた。サマリヤ人は傷ついた貧しい人にとって祭司やレビ人よりも良い隣人である。そして真実、わたしたちはギリシヤ人やローマ人やクリスチャンの中よりも、これらの未開の人々の中により大きな人間らしさを見出さなかった。そしてそれはわたしたちの模倣のために書かれている。それによってわたしたちは苦難と悲惨にある者たちにあわれみ深いこと、自分自身も同じからだにあることを知る者として、わたしたちの能力の限り救援し、助けることを学ぶ。わたしたちは陌生人をもてなす用意があるべきである。アブラハムのように—彼は旅人を招き入れるために天幕の扉に座った(ヘブル13:2)。とりわけ苦難にある陌生人を。これらの者のように。すべての人を尊びなさい。もし摂理がわたしたちの住まいの境界を定め、失った者に奉仕する機会をしばしば与えるなら、わたしたちはそれを自分の割り当ての不便の中にではなく、その利点の中に置くべきである。受けるよりも与える方が幸いであるから。誰が知ろう、これらの未開の人々がこのような時のためにこの島にその割り当てを受けたのを!2. 彼らの親切の特定の実例。彼らは火をたいた。ある大きな広間か何かで。そしてわたしたちみなを迎えた—火の周りに場所を作り、わたしたちすべてを歓迎した。どこの国の者か、どの宗教かを問わずに。岸へ泳ぎ、船の破片に乗って来たので、彼らはひどく濡れていたに違いないと考えなければならない。乾いた糸一本も持っていなかった。そしてそれだけでなく、洪水を完成するかのように、上からの水が下からの水と出会え、激しく降ったのでこれはすぐに彼らを骨まで濡らした。そしてそれは冷たい雨でもあった。それゆえ彼らは良い火をこれほど切望した(彼らは船の上でちょうどその前に心ゆくまで食べていたので)。そして彼らは彼らのためにそれをすぐに用意した。彼らを暖め、服を乾かすために。貧しい家族に燃料を供給することは、食物や衣服を供給することと同じく慈善の一端であることがある。暖かくなりなさいは満たされなさいと同じく必要である。悪天候の極みにおいて、暖かい家、寝床、衣服、良い火の便益によって季節の厳しさに対して守られている自分を見出すとき、わたしたちは降り続く雨と寒さにさらされている多くの者がいることを思い、彼らをあわれみ、彼らのために祈り、できるなら助けるべきである。
二、マムシが彼の手に噛みついたことによるパウロのさらなる危険、そして人々がそれに与えた不当な解釈。パウロは陌生人の中にあり、一行の最も取るに足らない最も軽蔑すべき者の一人として現れる。それゆえ神は彼を区別し、すぐに彼に注目させる。
火が作られるべき、そしてこれほど大勢の者がすべてその益れを受けるために大きくされるべきとき、パウロは薪を集めるにおいて彼らの誰と同じくらい忙しかった(使徒28:3)。彼はすべてから自由であり、彼らの誰よりも計算に上ったのに、彼はすべての者のしもべとなった。パウロは勤勉で活動的な人であり、何かがなされるべきときにはいつも何かをすることを愛し、決して楽を取ることを工夫しなかった。パウロは謙遜で自己否認の人であり、火のための薪を集めることさえ、奉仕になるなら、いかなることにも屈した。わたしたちは罪以外は何も自分の下に置くべきでなく、兄弟の善のために、必要ならば、最も取るに足らない務めにへりくだる用意があるべきである。民は彼らを助ける用意があった。しかしパウロは濡れ冷えているのに、それをすべて彼らに押し付けず、自分で助ける。火によって益れを受ける者は火に燃料を運ぶのを助けるべきである。
薪が古い乾いたがらくたであったので、たまたまその中にマムシがいた。熱に来るまで死んだように横たわり、それから生き返った。あるいは火を感じるまで静かに横たわり、それから刺激され、無警戒にそれを火に投げた者に飛びかかり、彼の手に噛みついた(使徒28:3)。蛇のような毒のある生き物は通常、薪の中にいる。そこから壁に寄りかかる者に蛇が噛みつく(アモス5:19)を読む。それは人々が生垣を引き裂くのを恐れるほど普通であった(伝道の書10:8)。生垣を破る者は蛇が噛むであろう。緑の草の下に蛇がいるように、乾いた葉の下にもしばしばいる。人のいのちがいかに多くの危険にさらされているか、そして下等な被造物からどれほどの危険にあるかを見よ。それらの多くは、人が神に反逆者となって以来、人の敵となった。そしてわたしたちがこれらから保護されていることがいかに恵みであるか。わたしたちは有益なものを期待する所で有害なものに出会うことがしばしばある。そして多くの者が正直に雇用され、その義務の道にあるときに傷害を受ける。
未開の人々は、パウロが囚人として、確かに殺人者であり、自分の国で正義から逃れるためにローマに上訴したと結論した。そしてこのマムシは血の復讐者となるために神の正義によって遣わされたと。あるいは彼らが彼が囚人であることを知らなかったなら、彼が逃亡中であると思った。そしてその毒獣が彼の手にぶら下がっているのを見て—彼はすぐにそれを投げ捨てることができなかったか、しなかったかのようで、ぶら下がらせた—彼らは結論した。「この人は殺人者に違いない。無実の血を流した。それゆえ海からは逃れたが、神の刑罰が彼を追い、その逃走の思いに浸っている今、彼に噛みつき、彼を生かしておかない」。さてここに、わたしたちは見ることができる。
(1) 自然の光の啓示のいくつか。彼らは未開の人々であり、おそらく書物も学問も持たなかったが、自然に知っていた。[1] 世界を治める神がおり、すべての出来事を司る摂理があること。事は偶然に—いや、このような事さえ—起こるのではなく、神の導きによる。[2] 悪は罪人を追うこと。神が報いられる良いわざと罰せられる悪いわざがある。遅かれ早かれ凶悪な犯罪のために清算する神のnemesis—復讐がある。彼らは神がいるだけでなく、この神が復讐はわたしのもの、わたしは報復する—死に至るまで—と言われたことを信じる。[3] 殺人は重い罪であり、長く罰せられないままであるべきでないこと。人の血を流す者は、その血が人(長官によって、当然されるべきように)によって流されなければ、天と地の正しい裁き主—不正の復讐者—によって流されるであろう。悪の道で罰を逃れると思っている者たちは、これらの野蛮人の口からさばかれるであろう。彼らは書物なしに、悪者にはわざわい、彼らに災いがある、その手の報いが彼らに与えられるからと言えた。多くのさばきを逃れたゆえに安心し、進んでも平安があると言い、悪いわざに対する宣告が速やかに執行されないゆえにいよいよ悪を行うことに心を定める者たちは、これらの無学な人々から、犯罪者が海の復讐を逃れても、神の正義を逃れることはできないこと、刑罰は生かしておかないことを学ぶことができる。ヨブの時代には、道を過ぎる者に尋ねることができた。次に会う者に。そして彼らは悪者は滅びの日に備えられていると告げたであろう。
(2) 自然の光の誤りのいくつか。神の啓示によって正される必要があった。二つの事において彼らの知識は欠けていた。[1] 彼らはすべての悪人がこの生涯で罰せられると思った。神の刑罰は殺人者のような大きく悪名高い罪人を長く生かしておかない。しかし彼らが穴から上がってきても、わなに捕えられ(エレミヤ48:43,44)、彼らが獅子から逃れても、熊が出会う(アモス5:19)。溺死を逃れても、マムシが噛みつく。しかしそうではない。悪人、殺人者でさえ、時に生き、年老い、いや力強くなる。刑罰の日は他の世に、大いなる怒りの日に来るから。そしてある者はこの世で見せしめにされるが、神と摂理があることを証明するために。しかし多くの者は、来たるべきさばきがあることを証明するために、罰せられないまま残される。[2] 彼らはこの生涯で目立って苦しむ者がすべて悪人であると思った。マムシが手に噛みつく人はそれゆえ殺人者と判断される。シロアムの塔が倒れた上の者がエルサレムの誰よりも大きな罪人であるに違いないように。この誤りはヨブの友人たちが彼の場合についての判断において進んだものである。しかし神の啓示はこの事を真の光に置く。すべての事が通常すべての者に等しく来る。良い人はしばしばこの生涯で大いに苦しむ。その信仰と忍耐の訓練と向上のために。
三、危険からのパウロの救出、そして人々がこれに与えた不当な解釈。マムシが彼の手に噛みついたことは彼の信仰の試みであった。そしてそれは称賛と栄光と誉れに至ることが見出された。1. それが彼を少しも恐怖や混乱に陥れたとは現れない。彼は叫びも、飛び上がりもしなかった。わたしたちが自然にするように、恐怖と急ぎでそれを投げ捨てなかった。民がそれに気づき、それについての意見を述べる時間があるまで、彼はそれをぶら下がらせた。このような突然の事故の際に、神の恵みの特別な助けと、弟子たちに関するキリストの言葉(マルコ16:18)の彼らは蛇を取り上げるの実際の信仰と考察なしには、だれも持ち得ないような素晴らしい心の存在と落ち着きを。これが心を定め、神に信頼することである。2. 彼は無造作にマムシを火の中に振り落とした。何の困難も、助けを呼ぶことも、その把握を緩めるための何の手段も用いずに。そしておそらくそれは火の中で消し滅ぼされた。このようにキリストの恵みの力において、信者はサタンの誘惑を聖なる決意をもって振り落とす。キリストがそうしたように、サタンよ、わたしのうしろに下がれ。主があなたを責められるようにと言って。そして悪い者が彼らに触れないように—噛みつかないように—自分自身を保つ(ヨハネ第一5:18)。人の非難とそしりを軽んじ、聖なる軽蔑をもってそれらを見るとき、良心のあかしを持つなら、そのときわたしたちはここでのパウロのようにマムシを火の中に振り落とす。それはわたしたちに、わたしたちがそれにいら立たないか、それによって義務から思いとどまらないか、悪口に悪口を返すように挑発されない限り、害を与えない。3. 彼は少しも悪くなかった。それが彼の死であると思った者たちは長い間見たが、彼に何の害も来ないのを見た。神はこれによって彼をこれらの未開の人々の中で目立たせ、それによって彼らの中に福音の受け入れの道を備えようとされた。これ以降その島には毒のある生き物は一匹も住まなかった—アイルランドと同様に—と報告されている。しかしカトリックの著述家たちが確信をもって語るにもかかわらず、わたしはその事実が確認されているを見出さない。4. 彼らはそれから、前に彼を侮辱したのと同じほど彼を高く上げた。彼らは心変わりして、彼を神であると言った。不死の神として。というのも、死すべき人がマムシを手にこれほど長くぶら下げながら、少しも悪くないことは不可能であると思ったから。大衆の意見の不確かさを見よ。それは風と共に変わる。そして両極端に走りがちであること。パウロとバルナバに犠牲を献げることから彼らを石で打つことへ。そしてここでは、殺人者として非難することから神として偶像視することへ。
四、熱病で病んでいた老紳士と、他の病気の者たちの、パウロによる奇跡的な癒し。そしてこれらのキリストの教理の確証と共に、疑いなくその忠実な公布があった。観察せよ。1. 島の首長ポプリオがこれらの悩める陌生人に与えた親切なもてなし。彼は島にかなりの地所を持ち、ある人々は総督であったと考える。彼は彼らを迎え、三日間親切にもてなした。彼らが他の場所で最も良い条件で自分を整える時間を持てるように。神が大きな地所を与えた者たちに大きな心を与えられるとき、それは幸いである。島の首長である彼が最も親切で寛大であるべきであった。最も富める者が善いわざに富むべきであった。2. ポプリオの父の病気。彼は熱病と赤痢で病んでいた。これらはしばしば共に来る。そして共に来るとき、通常致命的である。摂理は彼がちょうどこの時に病むように計らった。彼の癒しがポプリオの寛大さへの現在の報いとなるように。そして彼の奇跡による癒しが、とりわけ彼が預言者の名において受けたパウロへの親切への報いとして。預言者の報いを持つ。3. 彼の癒し。パウロは彼の場合に気づき、彼らが求めなかったのに—彼らはそのようなことを少しも考えなかった—医者として薬で癒すのではなく、使徒として奇跡で癒すために、はいって行った。そしてキリストの名において神に癒しを祈り、彼の上に手を置いた。そして彼は瞬時に完全に良くなった。彼は年にしていたはずであるが、健康を回復した。そして彼のいのちがさらに長く延びることは彼への恵みであった。4. 多くの他の者の癒し。彼らはこの癒しに誘われてパウロに頼んだ。もしこれほど容易に、これほど効果的に病気を癒せるなら、すぐに十分な患者がいるであろう。そして彼は彼らすべてを歓迎し、彼らが求めて来たものを持たせて帰した。彼はそこが陌生人の地であり、偶然彼らの中に投げ出され、彼らに何の義務も負わず、最初の機会に出発を待っていると、彼らの申請を受けることは免除されると言い訳しなかった。いや、良い人は神の摂理が彼を投じた所どこでも善を行うよう努める。パウロは自分が債務者である—ギリシヤ人にだけでなく、野蛮人にも—と考え、彼らの中で有用である機会に感謝した。いや、彼はとりわけ時宜を得た避難と補給を与えてくれたこれらのマルタの住民に義務を負っていた。そしてここにおいて事実上自分の宿泊費を精算した。これは陌生人をもてなすことを励ますものである。ある者はそれによって知らずに御使いたちを、ある者は使徒たちをもてなしたから。神は苦難にあるその民への親切に関して、だれにも遅れを取らない。わたしたちはパウロがこれらの癒しと共に彼らに福音を宣べ伝えたと考える理由がある。そしてこのように確証され推奨されて来たそれは、彼らの中で一般に受け入れられたと。もしそうなら、海岸での難船によってこれらのマルタ人ほど豊かにされた者はいなかった。
五、これらの未開の人々でさえ、彼らにキリストを宣べ伝えることによってパウロが彼らに示した親切に対して行った感謝の表明。彼らは彼に、また彼と共にいて彼らの中で説教を助けたであろう他の牧師たちに、礼儀正しかった(使徒28:10)。1. 彼らはわたしたちに多くの敬意を表した。彼らは可能な限りの敬意を示した。彼らは神が彼らを栄光づけるのを見た。それゆえ彼らは彼らを栄光づける義務があると正当に考え、彼らへの敬意を証するために何も過ぎることはないと思った。おそらく彼らは入籍によって彼らに島の自由を与え、彼らのギルドと兄弟団の会員として迎えた。福音の忠実な説教者は二重の栄光に値する。とりわけその労苦において成功したとき。2. 出発のとき、彼らはわたしたちに必要なものを積んでくれた。あるいは、必要なものを船に積んだ。パウロはここで手で働くことができなかった。働くべきものがなかったから。それゆえメラダの良い人々の親切を受けた。癒しの費用としてではなく—無償で受け、無償で与えた—自分と共にいる者たちの必要の救援として。そして彼らの霊的なものから刈り取ったのだから、彼らにそのような返礼をするのは当然であった(コリント第一9:11)。
¹¹ 三か月の後、アレクサンドリアの船で出航した。この船はディオスクロイ(カストルとポルックス)を紋章としており、島で冬を越したものである。 ¹² シラクサに上陸して、そこに三日間滞在した。 ¹³ そこから回り道をしてレギオンに来た。一日たつと南風が吹き、二日目にポッリオリに着いた。 ¹⁴ そこで兄弟たちを見出し、彼らから七日間滞在するようにと懇願された。こうして私たちはローマに向かった。 ¹⁵ 兄弟たちは私たちのことを聞きつけ、アピイ・フォルムと三つの宿屋まで出迎えに来てくれた。パウロは彼らを見て神に感謝し、勇気づけられた。 ¹⁶ ローマに着くと、百人隊長は囚人たちを侍衛長に引き渡した。しかしパウロは、自分独りで、自分を看守する兵士と一緒に住むことが許された。
ここには、ローマに向かうパウロの航海の経過と、彼がついに同地に到着したことが記されている。これまで彼は荒れ模様で危険な航海を続け、命からがら逃れた。しかし嵐の後には凪が来る。彼の航海の後半は穏やかで静かであった。
ここに次のことが記されている。
一. 彼らがマルタを去ったこと。あの島は彼らにとって幸いな避難所であったが、故郷ではなかった。彼らは元気を取り戻すと、再び海に出なければならなかった。クリスチャンの歩みにおいて出会った困難や落胆が、前進することを妨げてはならない。ここで次のことが記されている。1. 出発の時期について。三か月の後、すなわち冬の三か月間の後である。季節が危険な間、前進するよりは費用がかかっても待機する方がよかった。パウロは冬の天候のもとで航海に出る危険を前に警告したが、彼らはその警告に耳を貸さなかった。しかし今や、自らが経験した困難と危険によってそれを学んだので、彼が改めて警告する必要はなかった。高くついた学びであったが、その経験は彼らの益となった。それゆえ経験は「愚か者の師」と呼ばれる。経験に教えられるまで学ばない者は愚か者だからである。2. 彼らが出発した船について。それはアレクサンドリアの船であった。難破した船と同様である(使 27:6)。この船はその島で冬を越しており、無事であった。この世における人間の営みがいかに異なる結果をもたらすかを参照せよ。ここに二艘の船があった。どちらもアレクサンドリアの船であり、どちらもイタリアに向かい、どちらも同じ島に打ち上げられた。しかし一艘はそこで難破し、もう一艘は救われた。このような出来事はしばしば観察される。摂理はこの世に携わる人々を好んで助け、繁栄させることがある。それは人々が世的な営みに手を伸ばすよう励まされるためである。また時には摂理が彼らに逆らって、この世に心を向けないよう警告される。出来事はこのように多様であり、私たちは欠く時にも満たす時にも、その両方を学ぶのである。歴史家は船の紋章に言及している。おそらくそれが船に名を与えたのであろう。それはカストルとポルックスであった。詩人たちが嵐を司り、航海する人々を海の神々として守護するとした、あの取るに足らない愚かな異教の神々が、船首に描かれるか刻まれ、船はそこからその名を取ったのである。これは、エジプトとイタリアの間を行き来するすべての人々にその名と紋章でよく知られた船であったという物語の確かさを高めるため以外に、ほかの理由で言及されたのではないと思われる。ライトフット博士は、ルカがこの事情を記したのは、人々の迷信を暗示するため、すなわち彼らがこの紋章の下では以前よりも航海が良くなると期待していたのではないかと示唆したのであると考える。
二. 彼らがイタリアのどこかに上陸し、ローマに向かう旅を続けたこと。1. 彼らはまずシチリアの首府シラクサに上陸した。そこに三日間滞在した。おそらく陸揚げする荷物があり、あるいは取引をする商品があったのであろう。というのは、この船は交易の航海をしていたように思われるからである。パウロは今や、よく耳にし見たいと思っていた場所、特に古くから著名なシラクサを見ることができて好奇心を満たされた。しかしそこにはクリスチャンがいなかったようである。2. シラクサから彼らはレギオンに来た。イタリアの都市で、シチリアのメッシーナの真向かいにあり、カラブリアすなわちナポリ王国に属していた。そこに彼らは一日滞在したようである。ローマ・カトリックの伝説は、パウロがこの時にここで説教し、魚たちが岸に集まって彼の言葉を聞いたという、もっともらしくも作り話を伝えている。すなわち、彼が蝋燭で石の柱に火をつけ、その奇跡によって人々に教えの真理を確信させ、彼らの多くがバプテスマを受け、彼はこの航海の同伴者ステファノを彼らの監督として按手した、という。そしてこれらがすべてこの一日のうちになされたと彼らは語る。しかし彼らが上陸した形跡はなく、ただ停泊しただけのようである。3. レギオンから彼らはポッリオリに来た。ナポリに近い港町で、現在ポッツォーリと呼ばれている。アレクサンドリアの船はこの港を目指しており、それゆえローマに向かうパウロと他の人々はここで陸揚げし、残りの道を陸路で進んだ。ポッリオリで彼らは兄弟たちを、すなわちクリスチャンを見出した。誰がキリストの知識をここにもたらしたのかは語られていない。しかし福音の種は実に不思議に広がり、ここにもあったのである。神は、私たちがほとんど思いもよらない場所に、ご自身に仕え礼拝する人々を多く持っておられる。そして次のことに注目せよ。(1) ポッリオリの兄弟たちはおそらく少なかったが、パウロは彼らを見つけ出した。彼らが彼のことを聞きつけたのか、彼が彼らを尋ね当てたのかは分からないが、まるで本能によって集まったかのようであった。キリストにある兄弟は互いを見出し、外国の地で同郷の人がするように交わりを保つべきである。(2) 彼らはパウロとその同伴者に七日間滞在するよう懇願した。すなわち、少なくとも主の日を彼らと共に過ごし、その日の公の礼拝を助けるよう計らうことであった。彼らが再びポッリオリでパウロに会えるか分からなかった。だから彼は一、二回、あるいはそれ以上説教してからでなければ行かせなかった。パウロは彼らにそれほどの時間を与えることを喜んだ。パウロを指揮下に置く百人隊長も、おそらく自身ポッリオリに友人や用事があり、パウロに好意を示すために一週間そこに滞在することに同意した。4. ポッリオリから彼らはローマに向かって進んだ。徒歩で旅したのか、乗るための家畜が用意されたのか(使 23:24)は分からない。しかしローマに行かなければならず、これが最後の区間であった。
三. ローマのクリスチャンがパウロに寄せた出迎えについて。パウロがポッリオリに着いた途端、同地のクリスチャンからローマのクリスチャンに知らせが送られたのだろう。彼がそこにどれほど滞在するつもりか、いつローマに向けて出発するかが伝えられ、この面会の機会が設けられた。次のことに注目せよ。
1. 彼らがパウロに示した大いなる敬意。彼らは彼の名声を多く聞いていた。神が彼をいのように用い、キリストの御国のために彼が世界でなしとした顕著な奉仕、そして彼が霊的な父となった幾多の魂について。彼らは彼の苦難についても聞いており、神がその中で彼をどう認めてくださったかを知っていた。それゆえ彼らは彼に会いたいと切に望むだけでなく、キリストの大義のための栄光ある擁護者として、あらゆる敬意を示す義務があると考えた。彼は少し前に彼らに長い手紙を書いていた。極めて優れたローマ人への手紙である。その中で彼は彼らに対する深い愛情を表しただけでなく、多くの有益な教えを与えた。その返礼として彼らは彼にこの敬意を示したのである。彼らは彼を出迎えに行った。彼が囚人であったにもかかわらず、使節や裁判官が公の入城をするように、彼を荘厳に連れて行こうとしたのである。ある人々はローマから五十一マイル離れたアピイ・フォルムまで、またある人々はローマから二十八マイル(あるいは三十三マイルという人もいる)の三つの宿屋と呼ばれる場所まで行った。彼らが彼を囚人であるために恥じたり、彼を認めることを恐れたりするどころか、そのまさにその理由のゆえに二重の敬意を受けるに値すると考え、いっそう注意深く敬意を示したことは称賛に値する。
2. パウロがこれにおいて得た大いなる慰め。彼がローマに近づくにつれ、おそらくポッリオリで皇帝ネロが今どのような人物であり、最近どのような暴君となったかを聞き、カイサルへの上訴とその結果について憂鬱な考えを抱き始めた。彼はローマに近づいていた。そこは彼が行ったことのない所であり、彼を知る人や彼の知る人がほとんどいない所であった。そこで何が起こるか分からなかった。しかしローマから彼に敬意を示しに来た善良な人々と出会うまでは、彼は気落ちし始めていた。彼らを見たとき、(1) 彼は神に感謝した。彼らの礼儀に感謝したことはもちろん、何度も何度もその親切を嬉しく思うと告げたであろう。しかしそれだけではなかった。彼は神に感謝したのである。次のことに注意せよ。私たちの友人が親切にしてくれるなら、それは神が彼らをそのようにしてくださるのである。神が彼らの心にそのように思い立たせ、その手にその力を与えてくださるのであり、私たちはその栄光を神に帰さなければならない。彼は間違いなくマルタの野蛮な人々の礼儀と寛大さにも神に感謝したが、ローマのクリスチャンの人々の敬虔な配慮にははるかに深く感謝した。彼はローマのクリスチャンがこれほど多くいるのを見て、キリストの福音が帝国の首都でこのように素晴らしい成功を収めたことに神に感謝した。私たちが外国に出る、あるいは外の世界を見るとき、見知らぬ場所でさえ、キリストの名を担い、神を恐れ仕える人々に出会うなら、私たちは感謝をもって心を天に向けなければならない。このように悪い世であるのに、この地に多くのすぐれた人々がいることを神にほめたたえよう。パウロはローマのクリスチャンに会う前に、彼らについて聞いた報告に基づいて彼らのために神に感謝していた(ローマ 1:8)。私の神はあなたがたすべてのために感謝する。しかし今や彼らを見たとき(そして彼らは彼が交わったほとんどの人々よりも、おそらくファッショナブルで洗練された人々であったか、あるいはほとんどの人々よりも荘重で真面目で知性的であったが)、彼は神に感謝した。しかしこれだけではなかった。(2) 彼は勇気を得た。それは彼に新たな命を与え、彼の霊を元気づけ、憂鬱を追い払った。今や彼はかつて自由の身でエルサレムに入ったのと同じように快活に囚人としてローマに入ることができた。そこには彼を愛し尊ぶ人々がおり、彼は友人として彼らと交わり、相談できる。それは彼の投獄の退屈さやネロの前に立つ恐怖を大きく和らげる。次のことに注意せよ。天国に向かって旅する人々が、イエス・キリストの御国と忍耐における同労者である同旅行者に出会うことは励みとなる。善良なクリスチャンが数多く真面目に集まっているのを見るとき、私たちは神に感謝するだけでなく、自分自身も勇気を得るべきである。そして善良な牧者たち、特に苦難の中にあり軽蔑を受けているときに敬意を示すことは良い理由がある。それが彼らを励まし、彼らの苦難と奉仕の両方を容易にするからである。しかし注目すべきは、ローマのクリスチャンが今パウロにこれほど敬意を示したにもかかわらず、彼が彼らから最も必要としたときに彼らは彼を見捨てたということである。彼は言った(Ⅱテモテ 4:16)。私の最初の答弁のとき、誰も私に味方せず、すべての人が私を捨てたと。彼らは快適な旅のために四十マイルや五十マイルを馬で走ってパウロに会いに行くことは容易にできた。しかしパウロのために立ち、彼のために証言することによって皇帝の不興を買い、他の身分の高い人々の機嫌を損ねる危険を冒すことになると、彼らは免除してほしいと願ったのである。そうなると、彼らは今出迎えに行ったのと同じくらい遠くまで彼を避けるために町を出るだろう。これは人に頼るのをやめ、私たちの神なる主にあって自分自身を励ますようにとの私たちへの暗示である。神の約束から得る勇気は決して私たちを裏切らない。しかし人々のもてなしから得たものは、私たちが恥じることになるときがあるであろう。神は真実であっても、すべての人は偽り者となるように。
四. ローマにおけるパウロの拘留への引き渡し(使 28:16)。彼はついに旅の終わりに来た。そして、1. 彼は依然として囚人であった。彼はローマを見ることを切望していた。しかし彼がそこに着いたとき、他の囚人たちと共に侍衛長に引き渡され、彼が許す以上にローマを見ることはできなかった。何人の噂の人物たちが、冠を戴き凱旋してローマに入城したことであろうか。しかし彼らは実際には同時代の人々の疫病であった。ここに一人の善良な人が、貧しい捕虜として鎖に繋がれ、あざけりを受けてローマに入城している。彼こそが実は同世代に対する最大の祝福であった。この一思考は、この世に対する愛着を永遠に失わせるのに十分である。2. それでも彼はある好意を示された。彼は囚人であったが、厳重な囚人ではなく、共同牢獄に入れられたのではなかった。パウロは独りで住むことを許された。友人たちが彼のために用意した便利な私的な宿舎に。そして一人の兵士が彼の守衛として任命された。私たちはその兵士がパウロに丁寧であったことを望む。パウロのような礼儀正しく愛想の良い男にそうあるべきなら、その兵士は非常に意地悪な人物であったに違いない。パウロは独りで住むことを許されたので、他の囚人たちと一緒に収容されていたなら、より良く自分自身と友人たちと神とを楽しむことができた。次のことに注意せよ。これは神の囚人たちを励ます。神は彼らを捕虜にする者たちの目に彼らに好意を与えることができる(詩 106:46)。ヨセフがその看守の目に(創 39:21)、エホヤキンがバビロンの王の目に恵みを得たように(Ⅱ列 25:27,28)。神がご自身の民を直ちに捕われから救い出さないときでも、それを彼らにとって容易にするか、彼らをその下で穏やかにするなら、彼らには感謝すべき理由がある。
¹⁷ 三日後、パウロはユダヤ人の指導者たちを集めた。彼らが集まったとき、彼は彼らに言った。「兄弟たちよ、私は民や先祖の慣習に対して、何も反するようなことはしなかったのに、エルサレムからローマ人の手に囚人として引き渡されたのです。 ¹⁸ ローマ人たちは私を尋問した後、私を釈放しようとしました。私には死刑に当たる理由がなかったからです。 ¹⁹ しかしユダヤ人たちがこれに反対したので、私はカイザルに上訴せざるを得ませんでした。それは私が同胞を訴える何かを持っているからではありません。 ²⁰ だからこそ、あなたがたにお会いして語り合いたく、お呼びしたのです。私はイスラエルの望みのために、この鎖につかれているからです。」 ²¹ 彼らはパウロに言った。「私たちはユダヤからあなたについての手紙を受け取っていませんし、帰って来た兄弟の中で、あなたについて悪く言ったり語ったりした者もいません。 ²² ただ、あなたがどう考えているか聞きたいと思います。この分派については、至る所で反対されていると、私たちは知っているからです。」
パウロは多大の費用と危険を冒して囚人としてローマに連れて来られ、来たときには彼を起訴したり何かを訴えたりする者は現れなかった。彼は自分自身の訴えを呼び起こさなければならず、ここでそれをローマのユダヤ人の指導者たちに説明する。それほど古いことではない。クラウデオの勅令によってすべてのユダヤ人がローマから追放され、その死まで締め出されていた。しかしその後五年の間に、多くのユダヤ人が貿易の利益のためにそこに来た。そこに会堂や公の礼拝の場所が許されたかは見えないが、これらのユダヤ人の指導者たちは彼らの中で最も身分ある者たち、その宗教の最も著名な人々、最良の資産と利益を持つ者たちであった。*パウロは彼らを集めた。*彼らの評価において正しく立ち、彼と彼らとの間に良い理解があることを望んで。ここで私たちは語られる、
一.彼が彼らに語ったこと、および彼らに自分の訴えについてどのような説明を与えたか。彼は彼らに敬意を払って語り、彼らを兄弟たちと呼び、それによって彼らから人として、また兄弟として扱われることを期待し、彼らをそのように扱い、真理以外は語らないことを約束した。*私たちは互いに肢体——私たちは皆兄弟——だからである。さて、1.彼は自分の潔白を宣言し、ユダヤ人が彼に対して一般に持っているような悪意を彼らに与える正当な機会を自分は与えなかったと語った。「私は民に対して、何も反するようなことはしなかった。」*ユダヤ人の宗教や市民的自由を損なうようなことは何もしなかった。彼らの現在の惨めさに苦難を加えなかった。彼らは知っている。先祖の慣習に対しても——宗教を廃止したり革新したりすることによって——反するようなことはしなかった。確かにパウロは父祖の慣習を異邦人に課さなかった。これらは彼らのために意図されたものではなかったから。しかし彼がユダヤ人においてこれらに反対したことはないのも同様に真実である。彼らの中にいたとき、みずからこれに従った。彼らが自分自身の宗教の慣習に従って実践することについて彼らと争ったことはなかった。ただ異邦人に対する敵意についてのみ争った(ガラテヤ 2:12)。パウロは良心の証を持っていた。ユダヤ人に対して自分の義務を果たしたと。2.彼は出会ったひどい扱いについて控えめに不満を述べた。彼らに不快な思いをさせなかったのに、エルサレムからローマ人の手に囚人として引き渡されたと。もしこの件について完全な真理を語っていたなら、ユダヤ人にとっては見かけ以上に悪かったであろう。というのもローマ人が彼を守っていなければ、彼らは法や正義の色合いもなく彼を殺したでろうから。しかしそれにもかかわらず、彼らは彼を犯罪人として総督フェリクスの前に訴え、彼に判決を求め、事実上彼をローマ人の手に囚人として引き渡した。彼が望んだのは自分たちの律法による公正で偏見のない裁判だけであったのに。3.彼はローマの総督たちの彼に関する判断を宣言した(使 28:18)。彼らは彼を尋問し、彼の事件を調査し、彼に対して語られるべきことを聞き、彼が自分のために語るべきことを聞いた。千人長が彼を尋問し、フェリクス、フェストス、アグリッパも同様であった。そして彼らは彼に死刑の理由を見出せなかった。彼が正直で、静かで、良心に忠実な良い人であること以外は何も現れなかった。それゆえ彼らはユダヤ人を彼に対する死刑判決で喜ばせることは決してしなかった。むしろ彼を行かせ、彼のわざを続けさせ、彼に妨害を与えなかったであろう。彼らは皆彼を聞き、その教えを十分に気に入ったから。最も注意深く彼の事件を調査した者たちが彼を無罪とし、彼を罪定めたのは聞かない者、彼に偏見を持つ者たちだけであったことはパウロの誉れであった。4.彼は自分と自分の訴えをローマに移す必要性を弁明した。それは単に自己防衛のためであり、反訴したり、訴える者たちに対して反対の申立をしたりする意図ではなかった(使 28:19)。*ユダヤ人たちがこれに反対し、彼の放免に対して注意を促し、彼を死刑にできなければ、生涯囚人にしようと企んだとき、彼はカイザルに上訴せざるを得なかった。総督たちが次々とユダヤ人をそれほど恐れ、彼らの敵となることを恐れて彼を放免できなかったことを見て、より高い権力の助けを祈ることを彼に必要とさせた。これが彼がこの上訴で目指したすべてであった。同胞を訴えるためではなく、ただ自分を弁護するため。人は自己防衛で自らを主張する権利を持つ。しかし隣人のあらを探すべきではない。訴えることは人に恨みを買うことである。特に国を、そのような国を訴えることは。パウロは彼らのために執り成しはしたが、彼らに対して決してしなかった。ローマ政府はこのときユダヤ民族を分裂的で、騒乱を起こしやすく、不服従で危険であるとの悪い評価を持っていた。そしてパウロのような雄弁な舌を持ち、ローマの市民であり、これほどの傷害を受けた者が、皇帝をユダヤ民族に対して激怒させることは容易なことであった。しかしパウロは永遠にそのようなことはしなかった。彼はすべての人の最善を図り、悪いものをさらに悪くしないためであった。5.彼は自分の苦難を真の足場に置き、その理由について彼らに説明した。それは彼らが彼の迫害者たちに加担するだけでなく、彼のために心を留め、彼のためにできることをするように(使 28:20)。「だからこそ、私はお呼びした。」あなたがたと争うためではなく。私は政府をあなたがたに向けて激怒させる意図を持たない。むしろお会いして語り合うため。*同胞として、また文通を保ちたい人として。*イスラエルの望みのために、私はこの鎖につかれているからである。*彼は自分の投獄の印を身につけており、おそらく彼を守る兵士に鎖でつながれていた。(1)彼がメシヤ——イスラエルの望みである方——が来られたことを説いたから。「すべてのユダヤ人はメシヤがその民イスラエルの栄光となることに同意しないか。それゆえメシヤは待ち望まれるべきであり、私はこのメシヤを説き、来られたことを証明する。彼らは将来来るべきメシヤへの望みを維持しようとするが、それは彼への絶望に終わらなければならない。私はすでに来られたメシヤへの望みを説くが、それは彼にある喜びをもたらす。」(2)彼が死者の復活が来ることを説いたから。これもイスラエルの望みであった。彼がこう呼んだように(使 23:6、24:15、26:6,7)。「彼らはあなたがたに、ローマのくびきから解放し、地の上であなたがたを偉大で繁栄させるメシヤをまだ期待させようとし、これが彼らの思いを占めている。そして私があなたがたの期待をもう一つの世の大いなる事に向け、それらを彼らに確保するメシヤを受け入れるよう説得するので、彼らは私に怒る。私は外面的な力や壮麗さではなく。私はあなたがたを、父祖たちが信仰によって目を向けていた霊的で永遠の祝福に導こうとしており、これが彼らが私を憎む理由である——私があなたがたを、イスラエルの欺きであり、その恥と滅びとなるもの——一時的なメシヤの観念——から離れさせ、イスラエルの真の現実の望み、父祖たちになされたすべての約束の純粋な意味——人の心の中に立てられた聖さと愛の霊的王国——それは死者の喜ばしい復活と来たるべき世のいのちの保証であり、備えである——に導こうとするから。」
二.彼らの返答。彼らは認める。1.彼らは彼に対して特に語るべきことは持たなかった。また皇帝の前に彼の告発者として現れるよう、文書であれ口頭であれ指示を受けていなかった(使 28:21)。「私たちはユダヤからあなたについての手紙を受け取っていません。」(あなたを起訴する命令を受けていない。)帰って来た兄弟——ユダヤ民族の——最近ローマに上って来た者(多くの機会が、彼らの国が今やその帝国の属州となったので、ユダヤ人をそこに引き寄せた)の中で、*あなたについて悪く言ったり語ったりした者はいません。*これは非常に不思議なことであった。パウロが行く先々で彼を追いかけたあの絶え間なく根深いユダヤ人の激怒が、彼をローマまで追いかけ、そこで彼を罪定めようとしなかったとは。ある人々は彼らがここで嘘をつき、彼を起訴する命令を持っていたが、皇帝の不興を受けていたので認める勇気がなかったと考える。皇帝は先代たちのように彼らをすべてローマから追放しなかったが、そこで彼らを支持しなかった。しかし私は彼らの語ったことが真実であったと考える傾向がある。そしてパウロは今、カイザルに上訴することで自分が目指した点を獲得したことを見た。彼らが追う勇気のない法廷に自分の訴えを移すことであった。これはダビデの策略であり、彼の安全であった(サムエル第一 27:1)。*私にとってはペリシテ人の地に逃れるよりほかにない。そうすればサウルは私を捜すのをあきらめ、イスラエルのどの海岸でも私を見つけることはできず、私は彼の手から逃れる。そしてその通りになった(サムエル第一 27:4)。サウルはダビデがガテに逃げたと聞いて、もはや彼を捜さなかった。このようにパウロは上訴によって、彼らの手の届かないローマに逃げ、彼らは「放っておこう」と言った。2.彼らが彼の説いた教理、そのように多くの反対に直面して彼が広めるためにこれほど苦労している宗教について特に知りたいと願った(使 28:22)。「あなたがどう考えているか聞きたいと思います。」*ha phroneis——あなたの意見や思いは何か。あなたがそれほど賢く、それほど好み、それほど熱心である事柄は何か。キリスト教についてはほとんど知らないが、至る所で反対されている分派であることは知っているから。この軽蔑的で悪意ある言葉を語った者たちはユダヤ人、ローマのユダヤ人の指導者たちであった。彼らは自分たちの知識を誇り(ローマ 2:17)、しかしキリスト教について知っていたのは、それが至る所で反対されている分派であるということだけであった。彼らはこれに悪名を着せ、それからこれを引き下げた。(1)彼らはこれを分派とみなした。これは誤りであった。真のキリスト教はすべての人類に共通の関心事であるものを確立し、分派が通常その起源を負うような狭い意見や私的利益の上に築かれていない。それは分派のように世の利益や利点を目指さない。そのすべての利益は霊的で永遠である。さらに、それは人の子らを合わせる直接の傾向を持ち、彼らを分け、対立させる分派のようではない。(2)彼らはこれが至る所で反対されていると言った。これはあまりにも真実であった。彼らが交わるすべての者がこれに反対して語り、それゆえ彼らは皆がそうすると結論した。実際、大多数がそうであった。キリストの聖なる宗教が至る所で反対されることは、今も常にその運命であった。
²³ そして日を定めて、さらに大勢の人が彼の宿にやって来た。パウロは朝から晩まで、神の国を説き明かし、モーセの律法と預言者から引用してイエスについて彼らを説得した。
²⁴ ある者は語られたことを信じ、ある者は信じなかった。
²⁵ 互いに意見が合わずに立ち去ろうとして、パウロは一ことだけ次のように語った。「聖霊が預言者イザヤを通して、私たちの父祖たちに語られたことは、まことに正しかった。
²⁶ 『この民のところに行って、告げよ。あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らず、見るには見るが、決して認めない。
²⁷ この民の心は鈍り、その耳は遠く、その目は閉じている。それは、彼らが目で見、耳で聞、心で悟り、立ち返って、私にいやされるのを恐れているためである。』」
²⁸ ですから、神の救いが異邦人に送られたことを、あなたがたは知っておきなさい。彼らはこれを聞き入れるのです。」
²⁹ このことばを語り終えると、ユダヤ人たちは立ち去り、互いに激しく論じ合った。
ここには、パウロがローマのユダヤ人たちとキリスト教について持った長い対話の短い記述がある。彼らはそれが「至る所で反対されている」ために一派と呼ぶほど、それに対して偏見を持っていたが、それでも聞く用意があった。これはエルサレムのユダヤ人がしようとしなかったこと以上であった。ローマのこれらのユダヤ人たちは、世界とのより広い交わりとより一般的な会話を持つ人々であったため、おそらくエルサレムの頑迷なユダヤ人よりも自由に探求し、それを聞く前にこの問題に答えようとはしなかったであろう。
一、パウロがキリスト教を弁護するこの対話をどのように進めたかがここに語られている。ユダヤ人たちが時間を定め、この論争のために日が設けられた。関係するすべての者に十分な通知が行き渡るように(Ac 28:23)。それらのユダヤ人たちは確信を受ける用意があるように見えたが、彼らが皆そうであることが証明されたわけではない。さて、その日が来たとき、
「大勢の人がパウロのところに集まった」。彼は囚人であり彼らのところに出て行くことができなかったが、彼らは彼の宿に彼を訪ねて来ることを望んだ。そして彼が今置かれている束縛は、もし正当に考慮されるなら、彼らを彼の教えに対して偏見を持たせるどころか、それを彼らに確認させるべきであった。なぜなら、それは彼がそれを信じているだけでなく、苦しみを受ける価値があると考えていることのしるしであったからである。パウロのような人に、彼の監獄において教えを受けないよりも、むしろ訪ねるものである。そして彼は彼らのために宿に場所を作った。彼らに益を与えるためなら、政府の怒りを買うことを恐れなかった。
彼は彼らとの対話において非常に広範で十分であった。自分自身の正当化よりも彼らの確信を求めた。(1) 彼は神の国を彼らに「説き明かし」、すなわち説明した。その御国の性質と栄光ある目的と計画を示した。それが天的で霊的であり、人の心に据えられ、外的な壮麗さではなく、心と生活の純潔に輝くことを。ユダヤ人を不信仰に留めていたのは、神の国を「観察をもって来るもの」と誤解していたことであった。それが説き明かされ、真の光の中に置かれるなら、彼らはその従順に導かれるであろう。(2) 彼は神の国を説き明かしただけでなく、「証しした」。すなわちそれを彼らにはっきりと宣言し、メシアの支配による神の国が来て、今や世界に設けられたことを反論の余地のない証拠によって確認した。彼は恵みの御国における並外れた力について、その力と影響を自ら経験し、その支配に服するように導かれた仕方について証しした。(3) 彼は神の国を説き明かし、証ししただけでなく、「説得した」。彼らの良心に訴え、神の国を受け入れ、それに服従し、それに反対し続けないよう、あらゆる熱心をもって促した。彼は教え(その説明と確認)を、聞き手への温かく生き生きとした適用で追随させた。これが最も適切で有益な説教の方法である。(4) 彼は「イエスについて説得した」。彼の論説全体の設計と傾向は、彼らをキリストに導き、彼がメシアであることを確信させ、福音において提供されているように彼を信じるよう促すことであった。彼は彼らに ta peri tou Iēsou(イエスに関する事柄)を促した。「モーセの律法と預言者から」読み聞かせたキリストに関する預言を、メシアを指し示すものとして示し、これらがすべてこのイエスにおいて成就したことを明らかにした。彼らはユダヤ人であったので、彼は旧約聖書の書物から彼らと対話した。そしてこれらがキリスト教に反するどころか、その大きな証拠であることを実証した。それゆえ、新約の歴史を旧約の預言と比較するなら、このイエスこそ来るべき方であり、私たちは他の者を待つべきではないと結論しなければならない。
彼は非常に長く語った。というのは、「朝から晩まで」彼の論説を続けたからである。おそらく八時間から十時間にも及ぶ説教であった。主題は興味深く、彼はそれに満ちていた。それは極めて重要であり、彼は真剣であり、心が注がれていた。彼はいつ再びこのような機会を持てるか知らなかった。それゆえ、彼らの忍耐を疲れさせることについて許しを乞うことなく、彼は一日中彼らを留めた。ただし、その時間の一部は彼らとともに、彼らのために祈るのに費やしたであろう。
二、この説教の効果は何であったか。キリスト教ほどに良い大義であり、パウロほどに熟練した者によって扱われるなら、間違いなく勝利を収め、すべての聞き手がすぐにそれに従うであろうと思われた。しかし事実はそうではなかった。幼子イエスはある者のつまずき、ある者の立ち上がりのために置かれ、ある者には土台の石、ある者にはつまずきの石となる。1. 「彼らは互いに意見が合わなかった」(Ac 28:25)。ある者はパウロが正しいと思い、ある者はそれを認めようとしなかった。これこそキリストが送るために来た分裂、キリストが燃やすために来た火である(Lu 12:49,51)。パウロは多大な平明さと明瞭さをもって説教したが、それでも聞き手は彼の説教の意味と証拠について合意できなかった。2. 「ある者は語られたことを信じ、ある者は信じなかった」(Ac 28:24)。そこに不一致があった。福音の成功は常にこのようであった。ある者には「いのちからいのちへのかおり」となり、ある者には「死から死へのかおり」となった。ある者はみことばによって働きかけられ、ある者はかたくなにされる。ある者は光を受け入れ、ある者はそれに目を閉じる。キリストの聞き手や彼の奇跡の目撃者の間でもそうであった。ある者は信じ、ある者は冒涜した。もしすべてが信じたなら、不一致はなかったであろう。それゆえ分裂の非難はすべて、信じようとしない者たちの上にあった。
三、別れ際にパウロが彼らに語った目覚めのことば。彼らがつぶやくことによって、彼らの中に、おそらく大多数が、頑固で彼の語ったことの確信に屈しない者が多いことを彼は感じた。彼らは立ち上がって去ろうとしていた。もう十分であった。「待て」とパウロは言う。「去る前に一ことばを受け取り、家に帰ったらそれを考えよ。あなたがたの頑固な不信仰がどんな結果をもたらすと思うか。これの終わりにあなたがたはどうするのか。それはどこに行き着くのか」。
「あなたがたは神の義なるさばきによって、不信仰のうちに閉じ込められるであろう」。あなたがたは自分の心をかたくなにする。そして神はパロの心をかたくなにされたように、彼らのかたくなにされるであろう。そしてこれはあなたがたについて預言されたことである。その聖書(Isa 6:9,10)を開いて、真剣に読み、そこに記された場合があなたがたの場合にならないか恐れよ。旧約には、信じるすべての者において成就する福音の約束があるように、信じない者において成就する霊的さばきとしての福音の脅しもある。そしてこれはその一つである。それは預言者イザヤに与えられた委託の一部である。彼は良くしようとしない者を悪くするために遣わされたのである。「聖霊が預言者イザヤを通して私たちの父祖たちに語られたことは、まことに正しかった」。エホバによって語られたことがここでは聖霊によって語られたと言われている。これは聖霊が神であることを証明する。そしてイザヤに語られたことがここでは彼らの父祖に彼によって語られたと言われている。なぜなら彼は神が自分に語ったことを民に告げるよう命じられたからである。そしてそこに語られたことが民にとって恐ろしく、預言者にとって悲しいものであっても、それは「まことに正しく語られた」とここでは言われている。ヒゼキヤは怒りのことばについて「あなたが語られた主のことばは良い」と言った(Isa 39:8)。そして「信じない者は罪に定められる」ことは、「信じる者は救われる」と同様に福音である(Mk 16:16)。あるいはこれは私たちの救い主のことば(Mt 15:7)によって説明されるかもしれない。「イザヤはあなたがたについて預言して正しかった。聖霊はあなたがたの父祖たちに、あなたがたにおいて成就するであろうことを語った。『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない』と。」(1) 「彼らの神に対する大きな罪はあなたがたの罪でもある。そしてそれは次のことである。あなたがたは見ようとしない。あなたがたは最も説得力のある証拠に対して目を閉じ、前提を否定できないのに結論を認めようとしない。『あなたがたの目は閉じている』」(Ac 28:27)。これは頑固な不信仰と偏見への自発的な奴隷状態を示唆している。「あなたがたの父祖たちが神のさばきにおいて彼らに向けられた神の御手を見ようとしなかったように(Isa 26:11)、あなたがたも福音の恵みにおいてあなたがたに差し伸べられた神の御手を見ようとしない」。これらの不信仰なユダヤ人たちが福音に対して偏見を持っていたことは真実であった。彼らは見なかった。なぜなら、見ないと決心していたからである。見ようとしない者ほど盲目な者はない。彼らは自分たちの確信を追及せず、それゆえにそれを受け入れようとしなかったのである。彼らは故意に「自分の目を閉じた」。それは彼らの目で、永遠の平安にかかわる大きな事柄を見ないためである。神の栄光、キリストの愛らしさ、罪の醜さ、聖さの美しさ、この世のむなしさ、もう一つの世の現実性を見ないためである。彼らはこれらの真理によって変えられ、治められることを望まず、それゆえにその証拠を受け入れようとしない。「自分の耳で聞く」ことを恐れたのである。聞きたくないことを、天から啓示された神の怒り、天から啓示された神の御心を。彼らは耳を塞ぐ、魔法使いのまじないをどう巧みに唱えても聞き従わない「耳の遠いまむし」のように。彼らの父祖たちもそうした。「彼らは聞こうとしなかった」(Zec 7:11,12)。そして彼らが目と耳を閉じ、二つの学びの感覚を、聞く耳も見る目をも造られた方に向かって(言わば)城壁のように構えることを恐れるのは、「心で悟り、立ち返って、私にいやされるのを恐れているため」である。彼らは自分の心を暗やみに、あるいは少なくとも絶え間ない混乱と激動の中に留めた。もし慎重で穏やかな思いを受け入れるなら、宗教的であることが自分たちの義務であり利益でもあることを心で悟り、そうして次第に真理が強くなり、自分たちが喜んでいる悪の道から、今は嫌悪している務めへと立ち返るのではないかと恐れたのである。注目せよ。神の方法は、まず人々に見させ、聞かせ、次に心で悟らせ、そして彼らを立ち返らせ、その意志を曲げ、いやすことである。これが理性的な魂に対する正規の取り扱い方である。それゆえサタンは、思いを盲目にし、理解を暗くすることによって、魂の神への立ち返りを妨ぐ(2Co 4:4)。そして罪人がこれに加担し、自分自身の目を摘み取る場合、事態は非常に悲惨である。「彼らはより自由に罪を犯すために、進んで無知に陥る」(*Ut liberius peccent, libenter ignorant)。彼らは自分の病を愛し、神が彼らをいやされるのを恐れる。古きバビロンのように。「私たちは彼女をいやそうとしたが、彼女はいやされなかった」(Jer 51:9)。これが罪であった。(2) 「この罪に対する神の大きなさばきは、あなたがたに対する神のさばきである。そしてそれは次のことである。あなたがたは盲目になるであろう。神はあなたがたを司法的な惑わしに引き渡される。『あなたがたは聞くには聞く』—神のことばが何度も何度も説教されるであろう—『しかし決して悟らない』。あなたがたが悟るために心を傾けないので、神は悟るための力と恵みを与えられないからである。『あなたがたは見るには見る』—あなたがたの目の前で多くの奇跡としるしがなされる—『しかし決して認めない』。その説得力のある証拠を認めない。モーセがあなたがたの父祖たちに語ったことが、あなたがたについても真実にならないように気をつけよ(De 29:4)。『主は今日まで、悟る心と、見る目と、聞く耳とを、あなたがたにお与えにならなかった』。またイザヤが同時代の人々に語ったことも(Isa 29:10-12)。『主はあなたがたの上に深い眠りの霊を注ぎ、あなたがたの目を閉じられた』」。彼らが神の恵みに抵抗し、光に反抗すること、そして神が彼らから恵みと光を取り去り、控えられること—彼らが真理の愛を受け入れないこと、そして神が彼らを強い惑わしに引き渡し、偽りを信じさせること—彼らの自発的なかたくなさと司法的なかたくなさとが相まって、「この民の心は鈍り、その耳は遠くなった」。彼らは愚かで無感覚になり、彼らに語られるすべての事柄によって働きかけられない。どんな薬も彼らに効かず、届かない。それゆえ彼らの病は不治と宣告され、その状態は絶望的である。自分を惨めにする病からいやされようとしない者が、どうして幸せになれようか。そしていやしの方法の使用に立ち返ることを拒む者が、どうしていやされようか。そして自分の病にもその治療法にも確信を持たない者が、どうして立ち返れようか。そして「目を閉じ、耳を塞ぐ」者が、どうして確信を持てようか。福音を聞きながらもそれに留意しないすべての者は、この運命に恐れおののかせよ。なぜなら、ひとたび彼らがこのように心のかたくなさに引き渡されると、彼らはすでに地獄の郊外にいるからである。もし神がいやさないなら、だれが彼らをいやせようか。
「あなたがたの不信仰は、福音を異邦人の世界に送ることにおける神の義なるさばきを正当化するでろう」(Ac 28:28)。「それゆえ、あなたがたが神の恵みを自分たちから押しやり、神聖な真理と愛の力に服そうとせず、神聖な知恵が定めたちやしの方法に立ち返り、いやされることを拒むなら、それゆえ『神の救いが異邦人に送られたことを知っておきなさい』」。もともとユダヤ人だけのものであった救い(Joh 4:22)が、彼らに提供され、その手段が与えられ、彼らはあなたがたよりも有利な立場に立つ。「それは彼らに送られ、彼らはこれを聞き入れるであろう」。これを受け入れ、その中で幸せになるであろう。さてここでパウロは次のことを意図する。(1) 異邦人への福音説教に対する彼らの不快感を和らげること。その不条理さを示すことによって。彼らは神の救いが異邦人に送られたことに怒り、それが彼らに対してなされた過度の恵みだと考えた。しかし、もしその救いが受け入れる価値のないほど小さな価値のものと思うなら、異邦人には良すぎるとねたむことはできないであろうし、それゆえに彼らを恨むこともできない。神の救いは世界に送られた。ユダヤ人には最初の提供がなされた。それは彼らに公正に提案された。熱心に促された。しかし彼らはそれを拒んだ。彼らは婚宴の宴への招きを受けたが、それを拒んだ。それゆえ他の客が招かれても、自分たちを責めるしかない。もし彼らが取引を結ばず、条件に応じないなら、応じる者に怒るべきではない。異邦人が彼らの頭越しに、あるいは彼らの手からそれを取ったと文句を言うことはできない。彼らはすでにそれから手を引いていた。いや、「彼らはそれに踵を向けた」のである。それゆえそれは彼らの過失である。「彼らの躓きによって救いが異邦人に届いたからである」(Ro 11:11)。(2) 異邦人になされた恵みに対する彼らの不満を、彼らの益に転じ、その悪から善を引き出すこと。彼がローマ人への手紙で、ユダヤ人の不信仰と拒絶によって異邦人が得た利益について語ったとき、彼は、愛する同国人ユダヤ人を「聖なる競争心へと刺激し、彼らの中の幾人かを救うため」に、あえてこのことに言及したと語った(Ro 11:14)。ユダヤ人はキリストの福音を拒み、それを異邦人に押しやった。しかし今からでも拒絶を悔い、軽んじた救いを受け入れるのに遅すぎることはない。彼らは「いいえ」と言ってから受け取ることができる。たとえ話の兄のように、「ぶどう園に行って働け」と命じられたとき、最初は「行きたくない」と言ったが、「後で悔い改めて行った」(Mt 21:29)。福音は異邦人に送られたのか。それなら、それに足りなくなるよりもむしろ、それを追いかけようではないか。そして聞く範囲外とされ、自分たちの拝む偶像のように「耳を持って聞かない」者と考えられている彼らが聞き入れるのなら、すべて求めることに神が近くにおられる特権を持つ私たちが、それを聞かないでよいだろうか。このように彼らに論じ、異邦人の間で福音が受け入れられたことをもって彼らを羞恥に導いて福音を信じさせたいと願った。もしそれが彼らにその効果をもたらさなければ、かえって彼らの非難を重くするであろう。書記官やパリサイ人たちが、取税人や遊女たちがヨハネのバプテスマを受け入れるのを見ながら、その後で自分たちの愚かさを悔い改め、「彼を信じる」ようにならなかったように(Mt 21:32)。
四、集会の解散は、ある種の混乱の中で行われたようである。1. 彼らはパウロに背を向けた。信じなかった者たちは、彼が最後に語ったことば、すなわち彼らが司法的に盲目にされ、暗やみに座している者たちの間に福音の光が輝くであろうということに、ひどく苛立った。「パウロがこれらのことばを語り終えると」、彼らにとっては十分であった。そして「彼らは立ち去った」。おそらく同国人の他の者たちが同様の機会に怒ったほどには激しくはなかった。しかしばかで無関心であり、彼の論説の終わりの恐ろしいことばにも、前に語られた慰めのことばにも、彼らが座っていた椅子以上に心を動かされなかった。彼らは立ち去った。多くの者は二度とパウロの説教を聞かず、この件についてさらに探求しようという決意を持って。2. 彼らは互いに顔を向けた。彼らの間に激しい論争があったからである。信じた者と信じなかった者の間の争いだけでなく、信じなかった者たちの間にも議論があった。パウロから去ることに同意した者たちでさえ、なぜ去るかの理由については合意しなかったが、「互いに激しく論じ合った」。多くの者が激しく論じながらも、正しく論じない。他人の意見の欠点を見つけることはできるが、真理には屈さない。また、神が彼らの理解を開く恵みがなければ、人々が互いに論じても彼らを確信させることはできない。
³⁰ こうしてパウロは、丸二年の間、自分の借りた家に住み、彼を訪ねて来るすべての人を迎えた。 ³¹ 神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストに関する事を、すべて大胆に、自由に語った。禁じる者はなかった。
ここで私たちは祝福されたパウロの歴史に別れを告げようとしている。それゆえ、神がこれ以上彼について知ることをふさわしくないと見なされた以上、私たちはここで彼を残さなければならない状況のあらゆる詳細を注意深く見なければならない。
一.私たちがキリストの縛めのゆえに彼を残さなければならないこと、しかも彼の解放の展望が何も与えられていないことは、私たちにとって悩みでなければならない。その良い人の生涯の丸二年がここで拘禁の中で費やされ、見える限り、その間ずっと彼を捕えていた者たちによって尋問されることはなかった。彼は投獄からの迅速な解放を期待してカイザルに上訴した。総督たちが囚人について死刑や縛めに値することを何もしていないと皇帝陛下に報告したのに、彼は囚人のまま拘禁されている。人に、特に偉い人に軽視される囚人に信頼する理由がいかに少ないか。ヨセフのケースが証しする。献杯の長は彼を思い出さず、忘れた(創世記 40:23)。しかし、ここには言及されないが、それでもこれらの二年のうちの、しかもその年の早い時期に、彼が最初にネロの前に引き出され、そのとき彼のキリストにある縛めがカイザルの宮廷で現れたと考える者もいる。彼が言うように(ピリピ 1:13)。そしてこの最初の弁明のときにだれも彼に味方しなかった(テモテ第二 4:16)。しかしこの上訴によって期待したように放免される代わりに、彼は皇帝の手から命からがら逃れたようである。彼はこれを獅子の口からの救いと呼ぶ(テモテ第二 4:17)。そしてそこで最初の弁明について語ることは、それ以来第二の弁明を持ち、そこではより上手くいったが、それでも放免されなかったことを示唆する。この二年間の投獄の間に彼はガラテヤ人への手紙を書き、次いでテモテへの第二の手紙を書き、次いでエペソ人、ピリピ人、コロサイ人、ピレモンへの手紙を書いた。これらの中で彼は特に自分の投獄についていくつか言及している。そして最後に、放免された直後に——テモテも同様であったが、彼は彼を訪ねて来て、ある理由で彼の同囚とされた(彼と共に、パウロはヘブル人に書く。ヘブル 13:23、もし彼が早く来れば、私はあなたがたに会おう)——ヘブル人への手紙を書いた。しかし彼がどのように、あるいは何の手段で自由を得たかは告げられていない。ただ二年間囚人であったということのみ。伝承によると、放免後彼はイタリアからスペインに行き、そこからクレテに行き、テモテと共にユダヤに入り、そこからアジヤの教会を訪問し、ついに二度目にローマに来て、そこでネロの最後の年に斬首された。しかしバロニウス自身が、この投獄からの解放と殉教の間の彼に関する一切に確実性がないことを認めている。しかしネロが暴君として振る舞い始めたとき、キリスト者に立ち向かい、彼らを迫害した(そして彼は彼らに対する法律を制定した最初の皇帝であった。テルトゥリアヌスが言うように、Apol. cap. 5)。ローマの教会はその迫害によって大いに弱められ、これがパウロを二度目にローマにもたらし、そこに教会を再建し、残された弟子たちの魂を慰めるためであった。こうして彼は二度目にネロの手に陥ったと、ある人々は言う。またクリュソストモスは語る。ネロの愛人の一人であった(流儀よく言えば)若い女が、パウロの説教によってキリストの信仰に回心し、それまで生きていた放縦な生活から離れさせられた。ネロはこれに激怒し、彼をまず投獄し、次いで死刑にするよう命じた。しかし、ここで与えられているこの短い記述に従おう。1.パウロのような有用な人がこれほど長く拘禁されているのは考えるだけで悲しい。彼はフェリクスの下で二年間囚人であった(使 24:27)。そしてそれとローマに来るまでの間のすべての時間に加えて、ここではネロの下でさらに二年間囚人である。もしその自由があったなら、この五年間(少なくともそれだけ)で、パウロはどれほど多くの教会を植え、どれほど多くの町や国をキリストに導いたことであろうか。しかし神は賢く、用いる最も有用な道具に負債ではないことを示される。それらの奉仕なしに、またその苦難によって、ご自身の利益を進めることができるし、進められる。パウロの縛めさえ福音の前進(ピリピ 1:12-14)となった。2.それでもパウロの投獄はある点で彼への親切であった。というのもこの丸二年間、彼は自分の借りた家に住んだ。そしてそれは、私の知る限り、彼がかつてしたことがない以上のことである。彼は常に他人の家に滞在することに慣れていたが、今は自分の家——賃貸料を払う限り自分のもの——を持つ。そしてこのような隠遁は、生涯巡回してきた者にとっては慰めであろう。彼は常に移動し、一つの場所に長く留まることは稀であった。しかし今は同じ家に二年間住んだ。それゆえ彼をこの獄に連れて来たことは、キリストが弟子たちを寂しい所に行って、しばらく休むよう(マルコ 6:31)召されたようであった。自由であったとき、彼はユダヤ人の待ち伏せ(使 20:19)のために絶えず恐れていた。しかし今は彼の獄が彼の城であった。このように食らう者から食物が出て、強い者から甘さが出た。
二.それでも、キリストの縛めのゆえに彼を残すとしても、彼をキリストのわざに励むところに残すことは私たちにとって喜びである(彼にとってもそうであったと確信する)。そしてこれが彼の縛めを容易にした。これらによって神に仕え、善を行うことから締め出されなかったから。彼の獄は宮、教会となり、そうして彼にとっては宮殿となる。彼の手は縛られているが、神に感謝、彼の口は封じられていない。忠実で熱心な奉仕者は、沈黙させられることよりも、いかなる苦難にも耐えられる。ここに囚人としての、しかも説教者としてのパウロがいる。彼は縛られているが、主のことばは縛られていない。彼がローマ人への手紙を書いたとき、彼らに会って、彼らに何か霊的な賜物を分け与えたいと切に願った(ローマ 1:11)と言った。彼らの何人かに会う(使 28:15)ことを喜んだ。しかし彼らに何か霊的な賜物を分け与えることができなければ、その喜びの半ばにもならない。ここにその機会があり、それなら彼は自分の拘禁について文句を言わない。見よ。
1.彼が誰に説教したか。彼から教えを受けたいと願うすべての者に。ユダヤ人であれ異邦人であれ。彼が説教するためにほかの家に行く自由があったかは見えない。おそらくなかった。しかしだれでも彼の家に聞きに来る自由があり、彼らは歓迎された。*彼は彼を訪ねて来るすべての人を迎えた。*見よ。奉仕者の扉は、彼らから教えを受けたいと願う者たちに開かれているべきであり、彼らは魂について気にかける者たちに忠告する機会を喜ぶべきである。パウロは会堂や、華麗で広い公の集会所で説教することはできなかった。しかし自分の貧しい小屋で説教した。見よ。神への奉仕において私たちがしたいことができないとき、できることをしなければならない。小さな借りた家しか持たない奉仕者は、もし許されるなら、むしろそこで説教すべきであり、沈黙すべきではない。彼は彼を訪ねて来るすべての人を迎え、最も偉い者を恐れず、最も卑しい者を恥じなかった。彼はキリスト者には週の初めの日、ユダヤ人には第七の日、また週のいかなる日にも来るすべての者に説教する用意があった。そして彼らは彼のところに来たので、教えられたいという願いと学ぶ用意があることを前提とし、これらがあるところでは、何か良いことがなされる可能性がある。
2.彼が説教したこと。彼は彼らの頭を好奇心の思弁で、あるいは国事や政治の事柄で満たさなかった。彼は自分の主題に留まり、使徒としての自分の務めに専心した。(1)彼は神の大使であり、ゆえに神の国を宣べ伝えた。これを宣べ伝えるためにできる限りのことをし、その事を交渉し、その真の利益の前進のために。人の王国の事には干渉しなかった。これを論じるのはそれらの務めの者に任せた。彼は人の間の神の国と、その国のことばを説教した。公の論争で弁明したのと同じ神の国を証しする(使 28:23)ことを、公の説教で強めた。それは、正しく受け入れられるなら、私たちを皆賢く良くし、より賢くより良くするものであり、説教の目的である。(2)彼はキリストの代理者、花婿の友であり、ゆえに*主イエス・キリストに関する事を教えた。*キリストの全歴史、その受肉、教え、いのち、奇跡、死、復活、昇天。敬虔の神秘に関わるすべて。パウロは依然として自分の原則に固執した——*キリスト、そして十字架につけられた方以外、何も知らない、語らない。*奉仕者は、説教において自分の主な務めから逸れる誘惑にさらされるとき、この問いで自分自身を引き戻すべきである。これは主イエス・キリストにどのように関わるのか。これには私たちをキリストに導き、キリストにおいて歩み続けるどのような傾向があるのか。私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、キリストを宣べ伝えるから。
3.彼がどのような自由で説教したか。(1)神の恵みは彼に霊の自由を与えた。彼はすべて大胆に説教した。自分が説教したことの真理について——それは彼が立ち向かえるものとして——確信している者として。またその価値について——それは彼が苦しみうるものとして——確信している者として。彼はキリストの福音を恥としなかった。(2)神の摂理は彼に言葉の自由を与えた。禁じる者はなかった。彼のしたことについて彼に任何の止めを与えず、彼に任何の制限を課さない者。異邦人に語ることを禁じる習慣のあったユダヤ人たちはここでは権威を持たなかった。そしてローマ政府はまだキリスト教の告白を犯罪として認識していなかった。ここにおいて私たちは神の御手を認めなければならない。[1]迫害者の激怒に境界を設けられる。心を転じられないとしても、手を縛り、舌に轡をはめることができる。ネロは血に飢えた男であり、ローマにはキリスト教を憎むユダヤ人も異邦人も多かった。しかしそれにもかかわらず、説明がつかないほど、パウロは囚人であっても福音を説教することを見逃され、平和の乱れとは解釈されなかった。このように神は人の怒りを自分に賛美させ、その残りを制限される(詩篇 76:10)。パウロの説教を禁じる力を持つ者が多くいたにもかかわらず(彼を守る普通の兵士でさえできた)、神はこのように計らわれて、だれも彼を禁じなかった。[2]ここに迫害された者の救済のための慰めを備えられる神を見よ。パウロがここで置かれた機会の範囲は、以前のものと比べると非常に低く狭かった。しかしそのようなものとして、彼はそこで妨害も扰乱も受けなかった。彼に開かれたのは広い扉ではなかったが、それは開かれたままであり、だれもこれを閉じることは許されなかった。そしてそれは多くの者にとって効果的な扉であり、カイザルの家の人々の中にさえ聖徒がいた(ピリピ 4:22)。私たちの荘厳な集いの町がこのように静かな住処とされ、私たちが日々いのちのパンで養われ、だれも禁じないとき、私たちは神に感謝し、変化に備え、とげや茨が決してない聖なる山を切望すべきである。
祝福されたパウロについてここに記されている事に注意し、それを活用することに、我々はさらに深く関心を持つ。というのも、この章の物語の後、神聖な歴史の中で彼についてもはや何も聞かないからである。彼の書簡において、なお多くの彼が我々の前にあるにもかかわらず。我々は幾つかの章にわたって彼を一つの裁判席からもう一つに付き添い、最後に彼を自由な状態で去ることができれば、さらに喜ばしく別れることができたであろう。しかしこの章で我々は彼に弔慰し、かつ彼を祝賀しなければならない。一、我々はすべてを奪われた哀れな難破した乗客として彼に弔慰する。しかしそれでも彼を祝賀する。1. 彼の苦難において彼の神によって特別に認められた者として、彼の手に噛みついた毒蛇によって害を受けることから彼自身が守られたこと(使徒28:1-6)。また彼らが投げ出された島において、多くの病人をいやし、特に島の有力者プリュビオの父をいやすことによって、多くの善の器とされたこと(使徒28:7-9)。2. そこの人々によって大いに尊敬されたこと(使徒28:10)。二、我々は「人身保護令(habeas corpus)」によって移された犯罪人という名目の下にローマに連行された、哀れで拘束された囚人として彼に弔慰する(使徒28:11-16)。しかしそれでも彼を祝賀する。1. ローマのキリスト者たちが彼に示した敬意において。彼らは遠路を彼に会いに来た(使徒28:15)。2. 彼が引き渡された守衛長の好意において。守衛長は彼が自分自身で住むことを許し、彼を普通の牢に入れなかった(使徒28:16)。3. ローマのユダヤ人たちとの、彼自身の事柄(使徒28:17-22)とキリスト教全般の主題についての彼の自由な対話において(使徒28:23)。その結果、神が栄光化され、多くの者が徳を建てられ、残りの者は言い訳ができなくなり、異邦人に福音を宣べ伝える使徒たちが正当化された(使徒28:24-29)。4. 二年間にわたり自分の家で来るすべての者に福音を宣べ伝える、妨げられない自由において(使徒28:30-31)。