Matthew Henry's Complete Commentary
Matthew Henry · 1714
Matthew Henry 사후(1714) 공개 도메인. 디지털판 CC0-1.0.
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1 すると大祭司が、「そのとおりか」と言った。
2 そこでステパノは言った、「皆さん、兄弟たち、父たち、聞いてください。わたしたちの父アブラハムがハランに住む前、メソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて、
3 『あなたの国と、あなたの親族から離れて、わたしが示す地に行きなさい』と仰せになった。
4 そこでアブラハムはカルデヤ人の地を出て、ハランに住んだ。そして彼の父が死んだのち、神は彼をそこから、今あなたがたの住んでいるこの地に移された。
5 しかし、神はそこで彼に、足の踏み場ほどもゆずられなかった。ただ、その子がまだなかったとき、彼とその後の子孫とに、それを所有として与えることを約束されたのである。
6 そして、神はこう言われた。『彼の子孫は他の国で旅人となり、四百年のあいだ、奴隷にされて虐待されるであろう』と。
7 そして、彼らが奴隷として仕えるその国民を、わたしはさばくであろうと神は言われた。そののち、彼らは出てきて、この場所でわたしに仕えるであろう。
8 神は割礼の契約をアブラハムにお与えになった。こうしてアブラハムはイサクを得、第八日に割礼を施した。イサクはヤコブを、ヤコブは十二人の族長たちを得た。
9 ところが族長たちはねたんで、ヨセフをエジプトへ売ってしまった。しかし神は彼と共におられて、
10 すべての苦難から彼を救い出し、エジプト王パロの目の前で彼に恵みと知恵とを与えられた。そしてパロは彼をエジプトの総督とし、エジプト全国および自分の全家を支配させた。
11 さて、エジプトとカナンの全土にききんが迫り、大きな苦難が続いた。わたしたちの先祖たちは食物が得られなくなった。
12 ところがヤコブは、エジプトに穀物があると聞いて、わたしたちの先祖たちを初めて遣わした。
13 二度目のとき、ヨセフは兄弟たちに見わけられ、ヨセフの親族のことがパロに知れた。
14 そこでヨセフは人をやって、父ヤコブと親族一同、七十五人を呼び寄せた。
15 こうしてヤコブはエジプトへ下り、彼自身もわたしたちの先祖たちもそこで死んだ。
16 そして彼らはシケムに運ばれて、アブラハムがシケムの父ハモルの子らから銀若干で買った墓に葬られた。
ステパノは今、国民の大議会の前に法廷に立たされ、冒涜の罪で訴追されている。証人たちが彼に対して誓ったことについて、わたしたちは前の章で述べた。彼がモーセと神に対して冒涜のことばを語ったと。すなわち彼がこの聖なる場所と律法に逆らって語ったからである。ここで、
一、大祭司は彼に自分のために答えるよう求めた(使徒7:1)。彼は議長であり、そのようにして法廷の代弁者であった。それゆえ彼は言った。「法廷の囚人であるあなたは、自分に対して誓われたことを聞いた。それについて何を言うのか。そのとおりか。あなたはそのような趣旨のことばを語ったことがあるか。もしあれば、それを取り消すのか、それとも堅く立つのか。有罪か無罪か。」これは公平さの見せかけを持っていたが、傲慢な態度で語られたように思われる。そして彼は、もしそれが事実であり、彼がそのようなそのようなことばを語ったなら、彼が正当化や説明のために何を申し立てようとも、確かに冒涜者と判定されるであろうという点まで、この訴えをあらかじめ判断していたように見える。
二、彼は弁明を始めた。それは長かった。しかし彼が主な論点に達したちょうどそのとき(使徒7:50)に突然途切れたことから判断すると、敵が彼に語るべきことをすべて語ることを許したなら、はるかに長くなったであろうと思われる。一般的にわたしたちは次のことを観察できる。
1. この論述において、彼は聖書に精通した力ある者として現れ、それによってすべての良いことばとわざのために十分に整えられている。彼は聖書の物語を、しかも自分の目的に非常に適したものを、聖書を見ずに語ることができた。彼は聖霊に満たされていた。新しい事柄を啓示するため、あるいはユダヤ民族に関する神の秘密の計議と定めを彼らに開いて、これらの反対者たちを有罪とするため、というよりも、旧約聖書の聖書を彼の思いに起こさせ、彼らの確信のためにそれをいかに用いるべきかを教えるためであった。聖霊に満たされる者は、ステパノがそうであったように、聖書に満たされるであろう。
2. 彼は七十人訳翻訳に従って聖書を引用している。それによって彼は、会堂でその訳を用いていたギリシャ語ユダヤ人の一人であることが分かる。これに従うことが、この論述においてヘブル語原典からの多様な異なりを生じさせている。法廷の裁判官たちはそれを訂正しなかった。彼がどのようにしてそれに導かれたかを知っていたからである。またそれは彼が語った御霊の権威を少しも損なうものではない。異なりは本質的なものではないからである。わたしたちはApices juris non sunt jura—法の単なる細部は法そのものではない、という格言を持つ。使徒7:1-16は、創世記の終わりまで教会の歴史のこの概要を続けている。観察せよ。
(1) 彼の前置き。「皆さん、兄弟たち、父たち、聞いてください」。彼は彼らに、おべっかの称号ではなく、礼儀正しく敬意のある称号を与えた。彼らからの公平な取り扱いを期待することを示すため。人として人間的な取り扱いを、兄弟と父として父らしく兄弟らしい取り扱いを希望する。彼らは彼をユダヤの教会の背教者、彼らの敵として見なそうとしている。しかし反対の確信への道を備えるため、彼は皆さん、兄弟たち、父たちとして彼らに語りかけ、彼らがそう彼を見なさなくても、彼自身はその一人として見なすことを決意した。彼は彼らの注意を求める。聞いてください。彼が語ろうとするのは彼らがすでに知っていることであるが、それでも彼はそれに聞くことを願う。というのは、彼らがそれをすべて知っていても、心の非常に密接な適用がなければ、目の前の事柄にそれをいかに適用するかを知らないであろうからである。
(2) 彼の論述への入り口。それは(不注意に読む者にはそう見えるかもしれないが)聞き手を楽しませ、古い物語を語って気を逸らすためだけの長い脱線ではない。いや、それはすべて適切であり、ad rem—本題にかなっている。神がその聖なる場所と律法に彼らほど心を留めていなかったことを彼らに示すためである。というのは、その聖なる場所が設けられ、儀式律法が与えられる何世紀も前から、世に教会を持っておられたように、両者がそれぞれの時を終えた後にまた持つであろうからである。
[1] 彼はカルデヤのウルからのアブラハムの召しから始める。それによって彼は神のために選び分けられ、約束の受託者、旧約教会の父となった。これについてわたしたちは(創世記12:1以下で)述べた。またネヘミヤ9:7,8で言及されている。彼の生国は偶像の国であった。メソポタミヤであった(使徒7:2)。カルデヤ人の地であった(使徒7:4)。そこから神は彼を二段階で連れ出した。一度にあまり遠くへ行かず、彼に優しく取り扱った。まず彼をカルデヤ人の地からハランへ、そことカナンとの中間の場所(創世記11:31)へ連れ出し、五年後に父が死んだとき、彼を今あなたがたの住んでいる**カナンの地へ移された。神がアブラハムに語った最初のとき、神は栄光の神として(使徒7:2)、神聖な臨在の目に見える示現のうちに現れ、彼との一致を確立したように思われる。そしてその後、その一致を保ち、必要に応じて時折彼に語ったが、栄光の神としての目に見える現れを繰り返さなかった。
第一に、このアブラハムの召しからわたしたちは次のことを観察できる。1. すべての道において神を認め、雲と火の柱のような神の摂理の導きに従わなければならない。アブラハムが移されたのではなく、神が彼を今あなたがたの住んでいるこの地に移されたと言われている。彼は導き手に従ったにすぎない。2. 神がご自身と契約に入れる者たちを、神はこの世の子らから区別される。彼らはその生まれの状態、生まれの地から効果的に召し出される。彼らは世にゆったりと構えてはならず、それを超えて、その中のすべてのもの、たとえその中で最も親愛なものであっても、生きなければならない。そして神が別のより良い国、すなわち天の国でそれを埋め合わせてくださることを信頼しなければならない。その国を神は彼らに示されるであろう。神に選ばれた者たちは、暗黙の信仰と従順をもって神に従わなければならない。
第二に、しかしこれがステパノの場合にどう関係するかを見よう。1. 彼らは彼を神の冒涜者、教会の背教者として訴えた。それゆえ彼は自分がアブラハムの子であり、わたしたちの父アブラハムと言えることを誇りとし、アブラハムの神に忠実な礼拝者であることを示す。それゆえ彼はその方をここで栄光の神と呼ぶ。彼はまた神の啓示、とりわけユダヤ教会が設立され組織されたその啓示を認めることを示す。2. 彼らは割礼を受けていることを誇りとしていた。それゆえ彼は、アブラハムが割礼を受ける前に、神の導きの下に、神との交わりに入れられたことを示す。それは使徒7:8までなかったからである。この論拠をもってパウロは、アブラハムが割礼がないときに義と認められたから、信仰によって義と認められたと証明する。ここでも同じである。3. 彼らはこの聖なる場所に強い嫉妬を持っていた。それはカナンの全地を指すかもしれない。というのは、それは聖なる地、インマヌエルの地と呼ばれ、聖なる家の破壊は聖なる地の破壊を含意したからである。「さて」ステパノは言う、「あなたがたはそれをそれほど誇る必要はない。なぜなら」(1) 「あなたがたは本来カルデヤのウルから出た。そこではあなたがたの父たちは他の神々に仕えた(ヨシュア24:2)。そしてあなたがたはこの国の最初の植民者ではない。それゆえあなたがたの切り出された岩と、あなたがたの掘り出された穴の聖なるものとを見よ。すなわち、そこに続くように、あなたがたの父アブラハムを見よ。わたしは彼ひとりを召した(イザヤ51:1,2)—あなたがたの始まりの卑しさを思い、あなたがたが完全に神の恵みに負っていることを思い、そうすれば誇りが永遠に排除されることを思いせよ。神が義人を東から起こし、彼を自分の足もとに召されたのは神であった(イザヤ41:2)。しかし、もしそのすじが退廃するなら、神がこの聖なる場所を破壊し、ご自身に別の民を起こすことができることを知らせよ。神は彼らに借りがないからである」。(2) 「神はアブラハムがカナンに近づく前、いやハランに住む前、はるか遠くのメソポタミヤで、ご自身の栄光のうちに彼に現れた。それゆえこの地に神のおとずれが限定されていると思ってはならない。いや。教会のすじをこれほど東の遠い国から連れて来た神は、望まれるなら、その実を西の遠い国へ運ぶことができる」。(3) 「神は彼をこの地に連れて来ることを急がず、途中で数年留まらせた。それは神がこの地にあなたがたほど心を留めていないことを示す。神の誉れも、その民の幸福も、それに結びついてはいない。それゆえ『それは破壊されるであろう』と言うことは、冒涜でも反逆でもない。」
[2] アブラハムがカルデヤのウルから召されてからのち、何世紀にもわたるアブラハムとそのすじの定住しない状態。神は確かにそれを所有として彼とその後の子孫とに与えることを約束した(使徒7:5)。しかし、第一に、彼には子がなかった。そしてその後長年、サラによる子もなかった。第二に、彼自身はその地では旅人であり寄留者にすぎず、神はそこで彼に、足の踏み場ほどもゆずられなかった。そこで彼は異国にあるように、常に移動しており、自分のものと呼べるものは何もなかった。第三に、彼の子孫は長いあいだその所有に至らなかった。四百年ののち彼らは出てきて、この場所でわたしに仕える。そしてそれまでは(使徒7:7)。いや、第四に、彼らがその地の所有に入る前に、多くの苦難と困難を経なければならない。彼らは奴隷にされ、異国で虐待されるであろう。そしてこれは、彼らが荒野をさまよったように、特定の罪の罰としてではない。彼らのエジプトでの奴隷状態についてそのような説明がなされるのを見たことがないからである。神がそのように定められ、そうでなければならなかったのである。そして四百年の終わりに、イサクの誕生から数えて、彼らが奴隷として仕えるその国民を、わたしはさばくであろうと神は言われた。さてこれはわたしたちに教える。1. 神の業はすべて前もって神に知られている。アブラハムには相続地も相続人もなかったとき、彼は両方を持つことを告げられた。一方は約束の地、他方は約束の子。それゆえ両方とも信仰によって持ち、信仰によって受けた。2. 神の約束は、遅くともその働きにおいては確かである。それらはその季節において成就する。おそらくわたしたちが期待するほど早くはないが。3. 神の民は一時的に苦しみや悩みにあるかもしれないが、神はついに彼らを救い出し、彼らを圧迫する者たちに報いられる。まことに地をさばく神がおられる。
しかしこれがステパノの目的にどう役立つかを見よう。1. 彼らがそれほど嫉妬したユダヤ民族は、その始まりにおいて非常に取るに足りなかった。彼らの共通の父アブラハムがカルデヤのウルの不明の中から連れ出されたように、彼らの部族とその頭たちもエジプトでの奴隷状態から連れ出された。彼らがすべての民のうちで最も少なかったとき(申命7:7)。そして彼らが罪によって自分自身に破滅をもたらすとき、その破滅が世界とその中の神のすべての関心事の破滅でなければならないかのように、これほどの騒ぎをする必要がどこにあるのか。いや。彼らをエジプトから連れ出した神は、彼らをエジプトに再び連れ戻すことができる。彼が脅されたように(申命28:68)。そして石からアブラハムへの子どもたちを起こすことができる間、何の損も受けない。2. アブラハムに与えられた約束が成就に向かって進んだ遅い歩みと、ここで注目された多くの見かけ上の矛盾は、それが霊的な意味を持っていたことをはっきりと示している。そしてそれによって伝えられ確保されることが主として意図された地は、より良い国、すなわち天の国であった。使徒がこのまさにこの論拠から、族長たちが約束の地に寄留者として、異国のように住んだことを示し、そこから基礎を持つ都を求めていたと推論するように(ヘブル11:9,10)。それゆえイエスはこの場所を破壊するであろうと言うことは冒涜ではなかった。同時に「彼はわたしたちを天のカナンに導き、わたしたちをその所有に入らせるであろう。地上のカナンはその型と象徴にすぎなかったが」と言うときには。
[3] アブラハムの家族の築き上げ、その上にある神の恵みの継承、そして創世記の残りを占めるそれに関する神の摂理の配慮。
第一に、神はアブラハムとそのすじの神となることを約束された。そしてそのしるしとして、彼とその男子のすじが割礼を受けることを定められた(創世記17:9,10)。彼は割礼の契約をお与えになった。すなわち割礼がそのしるしであった契約である。そしてそれに従って、アブラハムに子が生まれたとき、彼は第八日に割礼を施した(使徒7:8)。それによって彼は神の律法によって縛られるとともに、神の約束に関心を持つことになった。割礼は両方に関係していたからである。神の側の契約のしるし—わたしはあなたにとって全き神となる—であり、人の側の契約のしるし—わたしの前に歩み、全き者となれ—であった。そしてアブラハムのすじが主に仕えるすじとして確保するための効果的な配慮がなされたとき、彼らは増え始めた。イサクはヤコブを、ヤコブは十二人の族長たちを、すなわちそれぞれの部族の根を得た。
第二に、ヨセフは父の家の寵児であり祝福であったが、兄弟たちによって虐待された。彼らはその夢のゆえに彼をねたみ、エジプトへ売った。このようにイスラエルの子らは早くも、際立って他を抜きん出る者たちの中にいる者たちに恨みを抱き始めた。その彼らのキリストへの敵意は大きな例であった。キリストはヨセフのようにその兄弟たちのうちのナジル人であった。
第三に、神はヨセフの苦難において彼を所有された。彼と共におられた(創世記39:2,21)。その御霊の影響によって、彼の心には慰めを与え、彼が関わる者たちの心には彼らの目に恵みを与えることによって。そしてこうしてついに神は彼をその苦難から救い出し、パロは彼を王国の第二の者とした(詩篇105:20-22)。そしてこうして彼はエジプト人の間で大きな昇進に達しただけでなく、イスラエルの牧者また石となった(創世記49:24)。
第四に、ヤコブはききんによってカナンから追い出され、エジプトに下ることを余儀なくされた。それは飢きん(それは大きな苦難であった)で、カナンではわたしたちの先祖たちは食物が得られなかった(使徒7:11)。その実りの地は不毛に変えられた。しかしエジプトに穀物がある(自分の子の知恵によって蓄えられた)と聞いて、穀物を取りに行くためにわたしたちの先祖たちを初めて遣わした(使徒7:12)。そして彼らが行った二度目、最初は彼らによそよそしく振る舞ったヨセフは、彼らに自分を知らせ、彼らがヨセフの親族であり彼に依存していることがパロに通知された(使徒7:13)。そこでパロの許可を得て、ヨセフは父ヤコブと親族、家族一同、七十五人をエジプトに呼び寄せ、そこで養わせた(使徒7:13)。創世記では七十人と言われている(創世記46:27)。しかし七十人訳はそこで七十五人としており、ステパノあるいはルカはその訳に従っている。ルカ3:36のように、そこではカイナンが挿入されている。それはヘブル語本文にはないが七十人訳にはある。ある者たちは、以前からエジプトにいたヨセフとその子らを除外し(それで数は六十四になる)、十一人の族長の子らを加えて、数を七十五とする。
第五に、ヤコブとその子らはエジプトで死んだ(使徒7:15)が、カナンに運ばれて葬られた(使徒7:16)。ここに非常に大きな困難が現れる。彼らはシケムに運ばれたと言われているが、ヤコブはシケムではなく、ヘブロンの近くのマクペラのほら穴に、アブラハムとイサクが葬られたように葬られた(創世記50:13)。ヨセフの骨は確かにシケムに葬られた(ヨシュア24:32)。そしてこれによって(物語には記されていないが)他のすべての族長の骨も彼と共に運ばれたように思われる。彼らのおのおのが彼がしたと同じ命令をその骨について与えたのであろう。そして彼らについてこれを理解しなければならない。ヤコブ自身についてではない。しかしシケムの墓はヤコブが買ったものであり(創世記33:19)、それによって描写されている(ヨシュア24:32)。ではどうしてここでアブラハムが買ったと言われているのか。ホイットビイ博士の解決は非常に十分である。彼は次のように補う。ヤコブはエジプトに下り、彼自身もわたしたちの先祖たちもそこで死んだ。そして(わたしたちの先祖たちは)シケムに運ばれた。そして彼、すなわちヤコブは、アブラハムが銀若干で買った墓に葬られた(創世記23:16)。(あるいは、彼らはそこに、すなわちアブラハム、イサク、ヤコブはそこに葬られた。)そして彼ら、すなわち他の族長たちは、シケムの父ハモルの子らから買った墓に葬られた。
さてこれがステパノの目的にどう役立つかを見よう。1. 彼はユダヤ民族の卑しい始まりを彼らに絶えず思い出させる。それはその民族の栄光を誇る彼らへの戒めとして。そして彼らが無から今あるものに、それほど少数の者からこれほど大きな国民に立ち上げられたのは、あわれみの奇跡による。しかし、もしそのように立ち上げられたことの意図に応えないなら、破壊される以外は期待できない。預言者たちは彼らをエジプトから連れ出されたことを、神の律法への軽蔑を重くするものとして絶えず思い出させた。そしてここではキリストの福音への軽蔑を重くするものとして彼らに訴えられている。2. 彼は彼らの部族の族長であった者たちの悪さをも思い出させる。兄弟ヨセフをねたみ、エジプトに売ったこと。そして同じ霊がなお彼らの中に、キリストとその使徒たちに向けて働いている。3. 彼らがそれほど溺愛した聖なる地は、彼らの父たちが長くその所有から閉め出され、そこで飢きんと大きな苦難に会った。それゆえ、それが長く罪によって汚されたのち、ついに破壊されても不思議ではないと思ってはならない。4. カナンの地に葬られることを望んだ族長たちの信仰は、彼らが天の国に目を向けていたことをはっきりと示した。そしてその天の国に彼らを導くことがこのイエスの計らいであった。
¹⁷ しかし、神がアブラハムに誓われた約束の時が近づくと、民はエジプトで増え広がった。 ¹⁸ ヨセフを知らない別の王が立つまで。 ¹⁹ この王は私たちの同族に対して巧みに策略を用い、私たちの父祖たちを虐待して、その幼子を捨てて、生かしておかないようにした。 ²⁰ その時モーセが生まれた。彼は神に愛される美しい子であった。そして父の家で三か月間養われた。 ²¹ 彼が捨てられたとき、パロの娘が彼を拾い上げ、自分の子として育てた。 ²² モーセはエジプト人のあらゆる知恵を教え込まれ、ことばにもわざにも力があった。 ²³ 四十歳になったとき、彼の心に、自分の同胞であるイスラエルの人々を訪問したいという思いが浮かんだ。 ²⁴ そして、その一人が虐待されているのを見て、彼はその人をかばい、虐げられていたその人のために復讐して、エジプト人を打った。 ²⁵ 彼は同胞が、神が自分の手を通して彼らを救おうとしていることを理解するだろうと思っていた。しかし彼らは理解しなかった。 ²⁶ 翌日、彼らが争い合っているところに現れ、和解させようとして言った。「あなたがたは兄弟なのだ。お互いに傷つけ合ってはいけない。」 ²⁷ しかし、隣人を傷つけていた者は彼を押しのけて言った。「だれがあなたを私たちの上に支配者や裁判官としたのか。 ²⁸ きのうエジプト人を殺したように、私をも殺そうとするのか。」 ²⁹ このことばを聞いて、モーセは逃げ、ミデヤンの地で寄留者となり、そこでふたりの息子をもうけた。
ここでステパノは続けて次のことを語る。
一. イスラエルの民がエジプトで増し加わったことの驚くべき増加。それは摂理の不思議によって、彼らが短期間のうちに家族から民族へと進んだことである。1. それは約束の時が近づいたときであった。彼らが一つの民として形成されるべき時。アブラハムになされた約束の後の最初の二百十五年の間、契約の子たちはわずかに七十に増えた。しかし後の二百十五年の間に、彼らは戦う男六十万に増えた。摂理の動きは、中心に最も近づくときに最も速いことがある。神の約束の成就に向かっての進展の遅さに落胆してはならない。神は失われたように見える時間を贖う方法を知っておられる。そして贖われた者の年が近づくとき、一日で二倍のわざをすることができる。2. それはエジプトで、彼らが虐げられ、厳しく支配された所であった。彼らのいのちがこれほど苦くされたので、一人は子のない者として書かれることを望んだでろうに、それでも彼らは結婚した。神が時に応じて彼らを訪れるという信仰において。そして彼らを祝福された。生めよ、増えよと言って彼を尊んだのである。苦難の時は教会にとって成長の時となることがしばしばある。
二. 彼らがそこで受けた極度の困難(使 7:18,19)。エジプト人が彼らの数の増加を観察したとき、彼らは彼らの重荷を増した。ステパノはその中に三つのことを観察する。1. 彼らの卑劣な恩知らず。彼らはヨセフを知らない別の王によって虐げられた。すなわちヨセフがその民族にした良い奉仕を考慮しなかった。もしそうしていたなら、彼の親族や家族にこれほど悪い報いをしなかったであろう。善良な人々に害を与える者は非常に恩知らずである。彼らはその時代と場所の祝福だから。2. 彼らの地獄のような策略と方策。彼らは私たちの同族に対して巧みに策略を用いた。さあ、私たちは賢く扱おうと彼らは言った。それによって自分たちを確保しようとした。しかしそれは愚かに扱うことであったことが分かった。彼らはそれによって怒りを蓄積しただけだったから。兄弟たちに対して欺きや無慈悲に扱うとき、自分たちのために賢く扱うと思う者たちは大きな間違いにある。3. 彼らの野蛮で非人間的な残酷さ。彼らを効果的に根絶するために、彼らは彼らの幼子を捨て、生かしておかないようにした。彼らの幼子を殺すことは、幼い民族を打ち潰す非常に有望な方法であったように思えた。さてステパノはこれを彼らに観察させるようである。それは彼らが自分たちの始まりがいかに卑しかったかをさらに見るため。(おそらくエジプトで幼子が捨てられたことに目を向けて)助けのない捨てられた幼子の哀れな状態によって適切に表され(エゼ 16:4)、彼らがどれほど神の配慮に負っているかを。その配慮を彼らは失い、それにふさわしくない者となった。また彼らが現在幼いキリスト教会に対してしていることが、エジプト人が幼いユダヤ教会に対してしたのと同じくらい不敬虔で不当であり、結果として同じように実を結ばず効果がないであろうことを考えるため。「あなたがたは私たちへの悪い扱いにおいて巧みに策略を用いると思い、若い改宗者を迫害するにおいて、彼らが幼子を捨てたときのようにする。しかし、あなたがたの悪意にもかかわらず、キリストの弟子たちが増え広がることが、無駄であることが分かるであろう。」
三. モーセを彼らの救い主として立てられたこと。ステパノはモーセに対して冒涜のことばを語ったとして訴えられた。その訴えに答えて、彼はここで彼について非常に誉れ高く語る。1. モーセはイスラエルへのが最も激しかったとき、特に新生児の殺害という最も残酷な実例において生まれた。そのときモーセが生まれた(使 7:20)。そして彼自身、この世に来たとすぐに(救い主もベツレヘムでそうであったように)その血なまぐさい勅令の犠牲になる危険にあった。神はご自身の民の救いを準備しておられる。彼らの道が最も暗く、彼らの苦難が最も深いときに。2. 彼は非常に美しかった。彼の顔は生まれるとすぐに輝き始めた。神が彼に与えようとする誉れの幸先の良い予兆として。彼はasteios tō Theō――神に対して美しかった。彼は母の胎から聖別され、これが神の目に彼を美しくした。聖さの美しさが神の目に高価だからである。3. 彼はその幼子時代に不思議に守られた。まず、彼を三か月間自分たちの家で養った优しい両親の配慮によって。彼らができた限り。そして彼をパロの娘の腕に投げた好意的な摂理によって。彼女は彼を拾い上げ、自分の子として育てた(使 7:21)。神が特別に用いようと定めた者を、神は特別に世話する。そして彼は子どものモーセをこのように守ったのか。それなら彼に集まって来る敵に対して(使 4:27 にそう呼ばれる)彼の聖なる子イエスの益を、はるかに守られる。4. 彼は偉大な学者になった(使 7:22)。彼はエジプト人のあらゆる知恵を教え込まれた。当時エジプト人はあらゆる種類の文学的教養、特に哲学、天文学、および(おそらく彼らを偶像礼拝に導くのに役立った)ヒエログリフで有名であった。宮廷で教育を受けたモーセは、最良の書物、家庭教師、交わりによってすべての芸術と科学において自分を向上させる機会があり、それらの才能を持っていた。ただし私たちは彼が父祖の神をこれほど忘れて、エジプトの魔術師たちの不法な学問や実践に、それらを論破するのに必要な範囲を超えて親しんだとは考える理由はない。5. 彼はエジプトの首相になった。これが彼がことばにもわざにも力があったことで意味されているようである。彼は自己表現の準備の良い方法を持たず、どもったが、彼は素晴らしい良識を語り、彼の語るすべてが同意を命じ、その理性の確証と力を伴っていた。そして仕事においては、誰もこれほどの勇気、導き、成功をもって進まなかった。このように彼は人間的な助けによって、それらの奉仕のために準備された。結局のところ、それらは神的照明なしには徹底的に整えられなかったが。さてこれらすべてによって、ステパノは彼の迫害者たちの悪意ある示唆にもかかわらず、彼が彼らと同じくらい高い誉れ高いモーセの考えを持っていたことを示そうとする。
四. モーセがイスラエルを救おうとした試み。彼らはそれを拒み、受け入れなかった。ステパノはこれを強調する。それはこの物語(出エジプト 2:11-15)の鍵となる。使徒がそれに与えた別の解釈(ヘブル 11:24-26)と同様である。そこではそれは聖なる自己否定の行為として表されている。ここでは彼が召される公の奉職への、意図された前奏、あるいは入り口として(使 7:23)。彼が四十歳になったとき。エジプトの宮廷での昇進において彼の最盛期に。彼の心に(神がそれを置かれた)彼の同胞であるイスラエルの子たちを訪問したいという思いが来た。そして彼らに何らかの奉仕ができるかを見るために。そして彼は公の人格として、公の性格を持って自分を現した。1. イスラエルの救い主として。これの見本を彼は虐げられていたイスラエル人を復讐し、彼を虐待したエジプト人を殺すことによって与えた(使 7:24)。彼の同胞の一人が虐待されているのを見て、彼は苦しむ者への同情と、悪を行う者への正当な義憤に動かされた。公の立場にある者がそうあるべきように。そして彼は虐げられていたその人のために復讐し、エジプト人を打った。もしそれが私人であったなら、合法的にできなかったであろうが。しかし彼は天からの委託が彼を支えることを知っていた。そして彼は同胞(彼らはアブラハムになされた約束、彼らを虐げる民族を神はさばくということを知らなければならなかったのに)が、神がご自身の手を通して彼らを救おうとしていることを理解するだろうと思った。もし彼が神的権威を示す神的力を着せられていなかったなら、彼がしたことをする存在心の落ち着きも体の強さも持たなかったであろうから。もし彼らが時代のしるしを理解していたなら、これを彼らの救出の日が明けゆくと取ったであろうに。しかし彼らは理解しなかった。彼らはこれを、モーセを彼らの救い主として宣言するために、意図されたように、旗を揚げ、ラッパを鳴らすこととして取らなかった。2. イスラエルの裁判官として。これの見本を彼は翌日に、二人の争うヘブル人の間を調停しようとすることによって与えた。そこで彼は明らかに公の性格を取った(使 7:26)。彼は彼らが争っているところに現れ、威厳と権威の様子を帯びて、彼らを和解させようとした。そして彼らの君として彼らの間の論争を決定しようとした。「皆さん、あなたがたは兄弟です」。誕生と宗教の告白によって。「お互いに傷つけ合ってはどうしてなのか」。彼は(ほとんどの争いのように)両側に過失があったことを観察した。それゆえ平和と友情のために、相互の許しと謙譲がなければならない。モーセがエジプトからイスラエルの救い主となるべきとき、彼はエジプト人を殺し、彼らの手からイスラエルを救い出した。しかしモーセがイスラエルの裁判官と律法制定者となるべきとき、彼は鉄の杖ではなく金の笏で彼らを治めた。彼らが争ったとき彼らを殺しませんでしたではなく、彼らに優れた律法と定めを与え、彼らの訴えや上訴に判決を下した(出エジプト 18:16)。しかし最も間違っていた争うイスラエル人は彼を押しのけた(使 7:27)。正当で優しい戒めにも耐えられず、「だれがあなたを私たちの上に支配者や裁判官としたのか」と彼に噛み付こうとした。高慢で訴訟好きな霊は、検閲や統制に耐えない。これらのイスラエル人は、自分たちの体を監督によって厳しく支配されるよりも、救出され、自分たちの救い主によって理性で心を支配されることを望んだ。過ちを犯した者は与えられた戒めにこれほど激怒したので、彼らの民族になされた奉仕(エジプト人を殺したこと)でモーセを責めた。もしそれを喜んだなら、さらに大きな奉仕の保証であったのに。「きのうエジプト人を殺したように、私をも殺そうとするのか」(使 7:28)。それを彼の罪として彼に負わせ、それについて彼を告発すると脅した。それはエジプト人への挑戦の旗を掲げ、イスラエルへの愛と救出の旗印であった。これによりモーセはミデヤンの地に逃げ、四十年後までイスラエルを救うための試みをしなかった。彼はミデヤンに寄留者として定住し、結婚し、エテロの娘によってふたりの息子をもうけた(使 7:29)。
さてこれがいかにステパノの目的に役立つかを見よう。1. 彼らは彼をモーセを冒涜したとして訴えた。それに答えて、彼は彼らの父祖がモーセに加えた屈辱を彼らに投げ返す。彼らはそれを恥じ、へりくだるべきである。モーセの誉れへの熱心の口実の下で、彼らの誰と同じくらいモーセへの畏敬を持っていた者とこのように言いがかりをつける代わりに。2. 彼らはキリストとその福音を弁護して論じたことで彼を迫害した。それに対抗して彼らはモーセとその律法を掲げた。「しかし」と彼は言う、「あなたがたは最も注意した方がよい。」(1) 「これによって、神があなたがたのために起こされた支配者であり救い主を拒み、退けたあなたがたの父祖がしたようにしないように。もしあなたがたが故意に光に目を閉じないなら、神がこのイエスによって、エジプトの奴隷よりも悪い奴隷からあなたがたを救い出すことを理解できるであろう。それゆえ彼を押しのけず、あなたがたの上の支配者と裁判官として受け入れるように注意せよ。」(2) 「これによって、このために正当に奴隷のまま死ぬことを残されたあなたがたの父祖と同じ目にあわないように。救いは四十年後に来なかった。これがその結果となる。あなたがたが福音を自分たちから押しのけ、それは異邦人に送られる。あなたがたはキリストを望まず、あなたがたは彼を持たない。それがあなたがたの裁きとなるであろう。」(マタイ 23:38,39)。
³⁰ 四十年が満ちたとき、主の御使いが、シナイ山の荒野の燃える柴の炎の中に彼に現れた。
³¹ モーセがこれを見たとき、不思議に思いながら近づいて、よく見ようとした。すると主の声が彼に聞こえた。
³² 『わたしはあなたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』モーセは震え恐れて、もう見ようとしなかった。
³³ そこで主は彼に言われた。『あなたの足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる地である。』
³⁴ わたしは確かに、エジプトにいるわたしの民の苦しみを見た。彼らの呻きを聞き、彼らを救い出すために下って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう。』
³⁵ このモーセは、彼らが「だれがあなたを支配者や裁判官に立てたのか」と言って拒んだ者である。しかし神は、柴の中に現れた御使いの手を通して、彼を支配者また解放者として遣わされた。
³⁶ この方が、エジプトの地と紅海と、四十年にわたる荒野で、不思議なわざとしるしを行って、彼らを導き出したのである。
³⁷ このモーセこそ、イスラエルの子孫に向かって、『あなたがたの神である主は、あなたがたの同胞の中から、私のような預言者を立てられる。その方に聞き従え。』と言った者である。
³⁸ この方こそ、シナイ山で彼に語りかけた御使いと、私たちの父祖たちとともに、荒野の教会にいた者である。このモーセは、生けるみことばを受けて、私たちに渡したのである。
³⁹ 私たちの父祖たちはこの方に従おうとせず、彼を追い払い、心ではエジプトに引き返そうとした。
⁴⁰ アロンに言った。『私たちの前に進む神々を造ってください。エジプトの地から私たちを導き出したこのモーセがどうなったか、私たちは知らないからです。』
⁴¹ その頃、彼らは子牛を造り、その偶像に犠牲を献げ、自分たちの手の業を喜んだ。
ステパノはここでモーセに関する物語を続ける。そしてこれがモーセを冒涜する者のことばであるかどうかを、だれかに判断させよ。これほど名誉あることばは語られ得なかった。ここにあるのは、
一、柴における神の栄光の彼が見た幻(Ac 7:30)。「四十年が満ちたとき」(その間ずっとモーセはミデヤンに生きながら葬られており、今や年老い、もはや役に立たないと思われていた)。彼のすべての業が神の力と約束の産物であることが示されるために(イサクが年寄りの親から生まれたことによって約束の子であることが示されたように)、今や八十歳で、彼は四十歳での自己否定の報いとして、生まれた名誉の地位につくのである。注目せよ。
神がどこで彼に現れたか。「シナイ山の荒野において」(Ac 7:30)。そしてそこで彼に現れたとき、それは聖なる地であった(Ac 7:33)。ステパノはこれに注目する。それは、神殿という聖なる場所を誇る者たちへの戒めとしてであった。そこでなければ神との交わりを持てないかのように。しかし神はモーセに会い、シナイの荒野の遠く離れた目立たない場所でご自身を現された。神が場所に限定されると考えるなら、彼らは自分自身を欺いている。神はご自身の民を荒野に連れて行き、そこで快く語りかけることができるのである。
どのように彼に現れたか。「炎のうちに」(私たちの神は焼き尽くす火である)。しかしその火のあった「柴」は、燃えやすい物質であったのに、「燃え尽きなかった」。これはエジプトにおけるイスラエルの状態を表すものであった(彼らは苦難の火の中にいたが、燃え尽きなかった)。おそらくキリストの受肉と、神の性質と人の性質との結合の型とも見なされよう。肉において現された神は、柴の中に現された炎のようであった。
モーセがこれにどのように影響されたか。(1) 「彼はその光景を不思議に思った」(Ac 7:31)。それは彼のエジプトの学問をもってしても解決できない現象であった。最初はそれを探ろうとする好奇心を持った。「今、私は脇にそれて、この大きな光景を見よう」。しかし近づくほど、彼は驚きに打たれた。(2) 「彼は震え恐れて、もう見ようとしなかった」。しっかりと見つめる勇気がなかった。というのは、それが燃える流星ではなく「主の御使い」であることにすぐに気づいたからである。そして契約の御使い、神の子ご自身にほかならなかった。これが彼を震えさせた。ステパロはモーセと神を冒涜したとして告発された(Ac 6:11)。まるでモーセが小さな神であったかのように。しかし彼が「私たちと同じような情熱を持つ人間」であり、特に神の威厳と栄光の現れに対する恐れを持つ人間であったことがこれによって示される。
二、彼が聞いた神の契約の宣言(Ac 7:32)。「主の声が彼に来た」。信仰は聞くことによって来る。そしてそれは次のことであった。「わたしはイサクの神、ヤコブの神である」。そしてそれゆえ、
「わたしはかつてあった方である」。昔アブラハムと結ばれた神の契約は「わたしはあなたの神、全能の神となる」というものであった。今や神は言われる。「その契約は依然として完全に効力がある。取り消されても忘れられてもいない。わたしはかつてそうであったように、アブラハムの神である。そして今やそれをそうであると示そう」。なぜなら、イスラエルに与えられたすべての恵み、すべての誉れは、このアブラハムとの契約に基づき、そこから流れ出たからである。
「わたしは今ある方である」。アブラハム、イサク、ヤコブの死が、神と彼らとの契約関係を破ることができない(これによって破れないことが示される)なら、他の何ものもできない。そのとき彼は神となるであろう。(1) 彼らの魂に対して。今や体から離れている魂に対して。私たちの救い主はこれによって未来の状態を証明する(Mt 22:31,32)。アブラハムは死んでいる。しかし神は依然として彼の神である。それゆえアブラハムは依然として生きている。神はこの世で彼のために、彼の神となるという約束の真の意図と完全な範囲に答えることをしなかった。それゆえそれは彼のために別の世でなされなければならない。さてこれこそ、福音によって明らかにされたいのちと不滅であり、サドカイ人(それを否定した者)の完全な確信のためである。それゆえ福音を守り、それを広めようと努めた者たちは、モーセを冒涜するどころか、モーセと、柴での神の彼への栄光ある啓示に想像しうる最大の誉れを帰したのである。(2) 彼らの子孫に対して。神はご自身を彼らの父祖の神であると宣言することによって、彼らの子孫への恵みを示唆された。「彼らは父祖のゆえに愛される」(Ro 11:28, De 7:8)。さて福音の説教者たちはこの契約を説いた。「父祖たちに与えられた神の約束」。それに「十二部族」のうち神に仕え続けた者たちは「至ることを希望した」(Ac 26:6,7)。それなのに彼らは、聖なる場所と律法を支持するという名目の下に、アブラハムとその子孫、その霊的な子孫と結ばれた、律法が与えられる前、そして聖なる場所が建てられるずっと前に結ばれた契約に反対するのだろうか。神の栄光が永遠に高められ、私たちの誇りが永遠に沈黙させられなければならないので、神は私たちの救いを律法によってではなく、約束によるものとなさる。それゆえキリスト教徒を迫害したユダヤ人は、律法を冒涜するという口実の下に、自ら約束を冒涜し、その中に含まれる自分たちのすべてのあわれみを捨てたのである。
三、イスラエルをエジプトから導き出すために神が彼に与えた委託。ユダヤ人はモーセをキリストの競争相手として立て、ステパノがモーセを冒涜したとして告発した。しかしステパノはここで、イスラエルの解放者としてのモーセがキリストの顕著な型であることを示す。神がご自身をアブラハムの神であると宣言されたとき、進まれた。
モーセを敬意ある姿勢に導くこと。「『あなたの足から履物を脱ぎなさい。』低く、冷たく、普通の思いをもって聖なる事柄に近づいてはならない。『あなたの足を守れ』(Ec 5:1)。神に近づくにあたって軽率で性急であってはならない。慎重に歩め」。
モーセを非常に栄誉ある奉仕に導くこと。彼が命令を受ける準備ができたとき、委託を受けるであろう。彼はパロに対して、イスラエルがその地から出て行く許可を求め、その要求を執行するよう委託された(Ac 7:34)。注目せよ。(1) 神が彼らの苦難と彼らの苦難の感覚の両方に注目されたこと。「わたしは確かに彼らの苦しみを見た。彼らの呻きを聞いた」。神はご自身の教会の悩みと、迫害される民の呻きに対してあわれみの配慮を持たれる。そして彼らの解放は神のあわれみから起こるのである。(2) モーセの手によって彼らを贖うと神が定めたこと。「わたしは彼らを救い出すために下って来た」。神はすべての場所に臨在されるが、ここで彼らを救い出すために「下って来た」という表現を用いられるようである。なぜならその救いは、キリストがなさったことの型であったからである。「私たち人間のために、私たちの救いのために、天から下って来られた。昇られた方は、まず低い所に下られた」。モーセは用いられるべき人物である。「さあ、今あなたをエジプトに遣わそう」。そしてもし神が彼を遣わされるなら、彼を認め、成功をお与えになるであろう。
四、彼がこの委託に従って行動したこと。その中で彼はメシアの型であった。そしてステパノはここで、彼らが彼に与えた軽蔑、彼らが彼に与えた侮辱、彼らが彼に支配してほしくなかったという拒絶に、改めて言及する。それは彼らの解放における彼の働きを大いに高める傾向があるからである。
神は彼らが軽蔑した者に誉れを与えられた(Ac 7:35)。「彼らが拒んだこのモーセ」—その親切な申し出と善意を彼らが侮りをもって拒んだ者、「『だれがあなたを支配者や裁判官に立てたのか。レビの子よ、あなたは自分を大きく思いすぎている』」(Nu 16:3)と言った者—、この同じモーセを「神は、柴の中に現れた御使いの手を通して、支配者また解放者として遣わされた」。これは、彼に伴う御使いの 手を通して彼が完全な解放者となった、と理解することもできる。さて、この例によって、ステパノは最高議会に次のことをほのめかそうとした。「今あなたがたが拒んでいるこのイエスを—父祖たちがモーセに対してしたように—『だれがあなたを預言者や王としたのか。だれがあなたにこの権威を与えたのか』と言って、この同じ方を神は『君主また救い主、支配者また解放者』として高められた」。使徒たちが少し前に彼らに告げたように(Ac 5:30)。「家を建てる者たちが捨てた石が、隅の頭石になった」(Ac 4:11)。
神は彼を通して彼らに恵みを示された。そして彼は彼らが彼を追い払ったにもかかわらず、彼らに仕えることに非常に進んであった。神は正当にも彼の奉仕を拒否することができたし、彼も正当にもそれを辞退することができた。しかしすべては忘れられた。彼らはそれで責められることすらなかった(Ac 7:36)。「彼は彼らを導き出した」。『エジプトの地で不思議なわざとしるしを行った後』(その後も彼らの解放を完成させるために、事態が求めるに応じて続けられた)『紅海と四十年にわたる荒野において』。彼がモーセを冒涜するどころか、旧約教会の形成における神の 手の中の栄光ある器として称賛するほど遠い。しかし彼が単なる器であり、このイエス—ユダヤ人に今も近づき、その利益にはいろうと勧めるイエス—の輝きに劣るということは、彼の正当な誉れを少しも損なわない。彼らがモーセに従わなかったのと同様に、モーセの業を超える方である。
五、彼のキリストとその恵みに関する預言(Ac 7:37)。彼はキリストの型であっただけでなく(多くの者がそうであったが、おそらく彼の日を実際に予見していなかった)、モーセは彼について語った(Ac 7:37)。「このモーセこそ、イスラエルの子孫に向かって、『主あなたがたの神は、あなたがたの同胞の中から、私のような預言者を立てられる』と言った者である」。これは神が彼に与えられた最大の誉れの一つとして語られている(いや、他のすべてを超えるものとして)。すなわち、彼を通じて、神が世界に来るべき大きな預言者についてイスラエルの子孫に通知し、彼らの期待を高め、彼らに彼を受け入れるよう求められたことである。彼が彼らをエジプトから導き出したことが語られるとき、それは誉れの強調をもって語られる。「これこそそのモーセである」(Ex 6:26)。そしてここでも同様である。「これこそそのモーセである」。さてこれはステパノの目的に非常に適切である。イエスが儀式の律法の慣習を変えるべきであると主張することにおいて、彼はモーセを冒涜するどころか、むしろモーセに想像しうる最大の誉れを帰した。モーセの預言がどのように成就したかを示すことによって。そしてその預言は非常に明確であった。キリストご自身が彼らに告げられたように。「もしあなたがたがモーセを信じていたなら、私を信じたであろうに」(Joh 5:46)。
モーセは神の名において、満ちる時に彼らの中に預言者が立てられると告げた。彼らと同じ国民の者、彼のような者(De 18:15,18)。支配者であり解放者、さばきつかさであり立法者である彼のような者。それゆえ彼が与えた慣習を変え、「より良い望みの仲保者」として「より良い契約の仲保者」をもたらす権威を持つ者。
彼は彼らにその預言者に聞くよう命じた。彼の定めることを受け入れ、慣習に与える変更を認め、すべてにおいて彼に服するように。「そしてこれがあなたがたがモーセとその律法に与えうる最大の誉れとなる。モーセは『彼に聞け』と言った」。そしてキリストの変貌の際に「天からの声」によるこの命令の反復に証人として立ち、その沈黙によって同意を与えたのである(Mt 17:5)。
六、モーセがイスラエルをエジプトから導き出すのに用いられた後も、イスラエルの民に続けた顕著な奉仕(Ac 7:38)。これにおいても彼はキリストの型であったが、彼をはるかに超える。モーセが彼に与えた慣習を変える権威がある、と言うことは冒涜ではない。モーセの誉れは次のことであった。
「彼は荒野の教会にいた」。四十年の間、そのすべての事柄を主宰した。「エシュルンにおける王であった」(De 33:5)。イスラエルの宿営はここで「荒野の教会」と呼ばれている。なぜならそれは神の定章による法人化され、神の支配の下にあり、神の啓示に恵まれた神聖な社会であったからである。荒野の教会は教会であった。カナンに来たときのように完全には形成されていなかったが。「各人が自分の目に正しいと見えることを行っていた」(De 12:8,9)。モーセがその教会にいたことは彼の誉れであった。もしモーセが執り成すためにそこにいなかったなら、何度もそれは滅ぼされていたであろう。しかしキリストは荒野の教会よりもさらに優れ、栄光ある教会の主宰であり導き手であり、モーセがそうであった以上に、そのいのちであり魂としてそこにおられる。
「彼はシナイ山で彼に語りかけた御使いと、私たちの父祖たちと共にいた」。聖なる山に二度の四十日間、契約の御使い、私たちの君ミカエルと共に。モーセは直接神と交わったが、キリストが永遠からそうであったように、彼のふところに伏したことはなかった。あるいは次のように解することもできる。「モーセは荒野の教会にいた」が、「シナイ山で彼に語りかけた御使いと共に」であった。すなわち燃える柴のところである。それはシナイ山にあると言われたからである(Ac 7:30)。その御使いは彼の前に行き、彼の導き手であった。さもなければ彼はイスラエルの導き手にはなれなかったであろう。これについて神は語られる(Ex 23:20)。「わたしはあなたの前に御使いを遣わす」(Ex 33:2)。Nu 20:16 を見よ。彼は御使いと共に教会にいた。その御使いなしには教会に奉仕できなかった。しかしキリストご自身が、荒野の教会と共にいたその御使いであり、それゆえモーセ以上の権威を持つ。
「彼は生けるみことばを受けて、彼らに渡した」。十戒だけでなく、「主がモーセに語って仰せられたことの他の教え」「イスラエルの子孫に語れ」。(1) 神のことばは「神託」である。確実で誤りのなく、疑いようのない権威と義務を持つ。神託として相談されるべきであり、すべての論争はそれによって決定されなければならない。(2) それは「生ける神託」である。異邦人の口のきかない死んだ偶像のではなく、生ける神の神託だからである。神の語られることばは霊でありいのちである。モーセの律法がいのちを与えることができたのではなく、いのちへの道を示したということではない。「いのちにはいりたいなら、戒めを守れ」。(3) モーセは神からそれを受け、神から受けたもの以外は何一つ神託として民に渡さなかった。(4) 彼が神から受けた生ける神託を、彼は忠実に民に渡した。守られ、保たれるために。ユダヤ人の主要な特権は「神の神託が彼らにゆだねられたこと」であった。そしてそれがゆだねられたのはモーセの手によるのである。モーセが彼らにそのパンを与えなかったように、彼は天からその律法を与えなかった(Joh 6:32)。神が彼らに与えられたのである。そしてしもべモーセによってそれらの慣習を与えた方は、お喜びのときに、モーセよりも生ける神託を受けた御子イエスによって、慣習を変えることができたであろうことは疑いない。
七、その後、そしてこれにもかかわらず、民が彼に与えた軽蔑。ステパノをモーセに対して語る者として告発した者たちは、自分たちの父祖たちが何をしたかに答えるべきであった。彼らは父祖たちの足跡を踏んでいるのである。
「彼らは彼に従おうとせず、彼を追い払った」(Ac 7:39)。彼らは彼に対してつぶやき、彼に背き、彼の命令に従うことを拒み、時には彼を石打ちにしようとした。モーセは確かに彼らに優れた律法を与えた。しかしこれによって、「それはそこに来る者を完全にすることができなかった」(Heb 10:1)ことが示された。「彼らは心でエジプトに引き返し」、モーセの導きの下で持ったマナや、カナンで得ようと望んだ乳と蜜よりも、そこのニンニクや玉ねぎを好んだのである。注目せよ。モーセに対する彼らの秘密の反発と、エジプト主義へ、もしそう呼べるなら、の傾向を。これは事実上エジプトに引き返すことであった。心においてそれを行っていたのである。宗教の外形と告白を保つことによってカナンに向かって前進しているふりをしながら、同時に心においてエププトに引き返す者が多い。ロトの妻がソドムに向けてしたように。そして脱走者として扱われるであろう。神が見られるのは心だからである。さて、もしモーセが彼らに与えた慣習が彼らを変える力を持たなかったなら、キリストが来て慣習を変え、より霊的な礼拝の道をもたらすことを不思議に思ってはならない。
彼らは彼に代えて「金の子牛を造った」。これは神に対する冒涜のほかに、モーセに対する大きな侮辱であった。なぜなら彼らが子牛を造ったのは次の考えからであったからである。「『エジプトの地から私たちを導き出したこのモーセがどうなったか、私たちは知らない。それゆえ、私たちに金の神々を造ってください。』まるで子牛がモーセの欠落を補い、約束の地へ彼らの前を行くのに十分であるかのように。」「彼らは律法が与えられたその日に、子牛を造り、その偶像に犠牲を献げ、自分たちの手の業を喜んだ」。彼らは新しい神を誇り、「座して食べ、飲み、立って踊った」ほどであった。これらすべてによって、律法がなしえなかったことが多くあったことが示される。「肉によって弱かったからである」。それゆえこの律法はより良い 手によって完全にされる必要があった。そしてモーセに与えられた慣習をキリストが変えたと言った者が、モーセに対する冒涜者ではなかったのである。
⁴² そこで神は彼らを引き渡し、天の軍勢を拝む者にされた。預言者の書に、「イスラエルの家よ、あなたがたは荒野で四十年の間、屠られた獣といけにえとを私にささげたことがあったか」と書いてあるとおりである。
⁴³ あなたがたはモロクの幕屋と、あなたがたの神レムファンの星とを持ち運んだ。それは拝むために造った像である。それゆえ私はあなたがたをバビロンのかなたに移すであろう。
⁴⁴ わたしたちの先祖たちには、荒野にあかしの幕屋があった。それは、モーセに語りかけられたように、彼が見た型どおりに造るようにと定められたものである。
⁴⁵ わたしたちの先祖たちは、これをイエス(ヨシュア)とともに受け継いで、神がわたしたちの先祖の前から追い出された異邦人の地に入れた。これはダビデの時まで及んだ。
⁴⁶ ダビデは神の前に恵みを得、ヤコブの神のために幕屋を設けたいと願った。
⁴⁷ しかし、ソロモンが神のために家を建てた。
⁴⁸ けれども、いと高き方は、手で造った宮にはお住みにならない。預言者がこう言っている。
⁴⁹ 「天はわたしの御座、地はわたしの足台である。あなたがたは、どんな家をわたしのために建てるのか」と主は言われる。「わたしの憩いの場所とは、どこなのか。」
⁵⁰ わたしの手がこれらすべてを造ったのではないか。」
この数節には二つのことが記されている。
一、ステパノは彼らの父祖の偶像礼拝を責めた。その偶像礼拝とは、神が彼らを引き渡されたもの、すなわち金の子牛を礼拝して早々に神を捨てたことへの罰として与えられたものであった。これはあの罪に対して最も悲しむべき罰であった。異邦人の世界の偶像礼拝についても、「神は彼らを迷った心に引き渡された」のであった(ローマ1:28)。イスラエルが偶像に結びつけられたとき、金の子牛に結びつけられ、間もなくバアル・ペオルにも結びつけられた。そのとき神は、「彼らを放置せよ。彼らを行かせよ」と言われた(使徒7:42)。「そこで神は向きを変え、彼らを天の軍勢を拝む者に引き渡された」。神は彼らの危険を冒してこれを行ってはならないと特に警告し、行うべきでない理由を示された。しかし彼らがこれに固執したとき、「神は彼らを自分の心の欲望に引き渡し」、抑制する恵みを引き退けられた。それゆえ彼らは自分の企てに歩み、かつてのどの民よりも恥ずべき仕方で偶像に狂ったのである。申命記4:19、エレミヤ8:2と比較せよ。このために彼はアモス5:25の一節を引用する。というのは、旧約の預言者から彼らの[性質と運命]を語るほうが、角が立たないからである。その預言者は彼らを責めて言う、
1. 荒野で自分たちの神にいけにえをささげなかったこと(使徒7:42)。「あなたがたは荒野で四十年の間、屠られた獣といけにえとを私にささげたことがあったか」。否。その期間全体を通じて神へのいけにえは途絶え、彼らは第二年以降過越すら守らなかった。彼らが定住しない状態の間、神がこれを求めなかったのは神のへりくだりであった。しかし、神が神へのささげを免除していたのに偶像にささげることで、彼らが神にどれほど悪く報いたかを考えよ。これはまた、モーセが授けた習慣に対する彼らの熱心と、「このイエス」によってそれらが変えられる恐れに対する戒めでもある。彼らは救出された直後に、これらの習慣を不要なものとして四十年にわたり用いなかったのである。
2. カナンに入って後、ほかの神々にいけにえをささげたこと(使徒7:43)。「あなたがたはモロクの幕屋を持ち運んだ」。モロクはアモン人の偶像で、彼らは残忍にも自分の子供をこれにいけにえとしてささげた。これは彼ら自身やその家族に大きな恐怖と悲しみをもたらさずには行えないことであった。それでも、「神が彼らを天の軍勢を拝む者に引き渡された」結果、彼らはこの不自然な偶像礼拝に達したのである。歴代誌第二28:3を見よ。これほどまでに民が引き渡されたことほど強い惑わしは確かになく、不従順の子らにおけるサタンの力の最大の実例であった。それゆえここで強調して語られる。「しかも、あなたがたはモロクの幕屋を持ち運んだ」、あなたがたはこれにさえ従い、「あなたがたの神レムファンの星」の礼拝にも従った。レムファンを「月」を意味すると考える者もおり、モロクは「太陽」を意味するとする。また「サトゥルヌス(土星)」と解する者もある。シリア語とペルシャ語ではその惑星は「レムファン」と呼ばれる。七十人訳はより一般に知られた名として「キウン」を当てている。彼らは銀細工のダイアナ神殿のように、星を表す像を持ち、これを「拝むために彼らが造った像」と呼んだ。ライトフット博士は、彼らが星の天穹全体とすべての星座、惑星を表す図像を持っており、これらを「レムファン」――「高い表象」、すなわち天球儀のように――と呼んだと考える。偶像とするには貧弱なものであり、それでも金の子牛よりはましであった。このことのために、「わたしはあなたがたをバビロンのかなたに移す」と脅された。アモス書では「ダマスコのかなた」となっており、北の地バビロンを意味する。しかしステパノは、十部族の捕囚を念頭に置いてこれを変える。彼らは「バビロンのかなた、ゴザン川のほとり、メデアの町々」に連れ去られた(列王紀第二17:6)。それゆえこの場所の破壊を聞いても、彼らには珍しいことと思われるべきではない。彼らは旧約の預言者たちからこれを何度も聞いていたが、その預言者たちは悪い指導者たち以外には冒涜者として訴えられなかったのである。エレミヤの場合の議論でも観察されたように、ミカは「シオンは耕されて畑となる」と預言したが、訴追されなかった(エレミヤ26:18,19)。
二、彼は特に宮に関する訴状、すなわち彼が「この聖なる場所に対して冒涜の言葉を語った」という告発に対して答える(使徒7:44-50)。彼はイエスがこの聖なる場所を滅ぼすと言ったとして訴えられていた。「たとえ私がそう言ったとしても」とステパノは言う、「聖なる神の栄光はこの聖なる場所の栄光に縛られているのではない。もしここが塵に帰されても、神の栄光は損なわれずに保たれる」。なぜなら、1. 「定住した礼拝の場所を持つようになったのは、彼らがカナンへ向かう途中、荒野に入ってからのことに過ぎない。しかし大分前の族長たちは、自分の天幕に隣接して『露天下』の祭壇で神を喜ばれるように礼拝した。旧約教会の最初の、最も良く、最も純粋な時代に、聖なる場所なしで礼拝された方は、この聖なる場所が滅ぼされても、その栄光を少しも損なうことなく、そのように礼拝され、また礼拝されるであろう」。2. 聖なる場所は最初は幕屋に過ぎず、質素で移動可能であり、それ自体が短命であって、永遠に続くようには定められていないことを示していた。石で造られたこの聖なる場所が、垂れ幕で造られたものと同様に、品位をもってその終わりを迎え、より良いものの場を譲ってはならない理由があろうか。幕屋が宮に道を譲ったことが神への不名誉ではなく名誉であったように、物質的な宮が霊的な宮に道を譲ることも今や名誉であり、ついには霊的な宮が永遠の宮に道を譲るときも同様であろう。3. その幕屋は「あかしの幕屋」、すなわち証の幕屋であり、「来たるべき良いことの型」であり、「主がお立てになったのであって、人が立てたのではない真の幕屋」であった(ヘブル8:2)。これが幕屋と宮の栄光であった。すなわち、終わりの日に天に開かれる神の宮(黙示録11:19)と、キリストが地上に幕屋を張られたこと(言葉の通り、ヨハネ1:14)と、その体の宮とのあかしのために建てられたのである。4. その幕屋は神が定めたとおりに、正しく組み立てられ、「モーセが山で見た型」に従った。これはそれが来たるべき良い事を指し示していたことを明らかに示す。その起こりが天的であったゆえに、その意味と傾向もそうであった。それゆえ「手で造られたこの宮は滅ぼされ、『手で造られていない別の宮』が建てられる」と言うことは、その栄光を少しも損なうものではなかった。これがキリストの罪とされ(マルコ14:58)、ステパノの罪ともされた。5. その幕屋は最初、荒野に張られた。それはこの地の産物ではなく(あなたがたはここに永遠に縛られるべきだと思っているが)、次の世代の父祖たちによって、それを最初に建てた人々の後に続き、異邦人の所有地、すなわち長く「神がわたしたちの先祖の前から追い出された」奉献された民の地であったカナンに入れられた。それならば、神が物質的な幕屋を設けたように、今や異邦人の所有地となっているこれらの地域に、ご自身の霊的な宮を立ててよいではないか。その幕屋は「イエス」すなわち「ヨシュア」とともに入れられた。区別のため、また誤解を防ぐため、使徒7:45とヘブル4:8はそう読まれるべきであると私は考える。しかし「ヨシュア」(ギリシャ語では「イエス」)をここに挙げたのは、旧約のヨシュアがあの型の幕屋を導いたように、新約のヨシュア(イエス)が真の幕屋を異邦人の所有に導くべきであるという暗黙の示唆かもしれない。6. その幕屋は長い時代続いた。宮を建てるという考えが現れる前、「ダビデの時まで」四百年以上続いた(使徒7:45)。ダビデは「神の前に恵みを得た」ので、神のための家、すなわちシェキナー、あるいはヤコブの神の臨在のしるしのための、固定された幕屋、住処を建てる許可を得るという、さらに一つの恵みを求めた(使徒7:46)。神の前に恵みを得た者は、人々の間に神の国の利益を進めることに進んで身をささげるべきである。7. 神は彼らが熱心に守ろうとする宮やそのような聖なる場所に心を留めておられなかった。ダビデがこれを建てたいと願ったとき、神はこれを禁じられた。神は宮を急いでおられなかった(サムエル記第二7:7でダビデに告げたとおり)。それゆえ宮を建てたのは彼ではなく、その子ソロモンであった。ダビデは宮が建てられる前から、その詩篇に記された公の礼拝で神と甘い交わりをすべて享受していた。8. 神は手で造られた宮がご自身の喜びではなく、ご自身の安息と喜びの完全さに何も加え得ないことをしばしば宣言された。ソロモンは宮を献堂した際、神は「手で造られた宮には住まれない」と認めた。神はそれを必要とせず、それによって益を受けることはなく、それに限定されることもできない。全世界が神の宮であり、そこに神は至る所に臨在し、その栄光で満たしておられる。それなら神がご自身を現すために宮を必要とされるだろうか。実際、異邦人の偽の神々は手で造られた宮を必要とした。彼らは「手で造られた神々」であり(使徒7:41)、自分自身の宮以外に現れる場所を持たなかった。しかし唯一のまことの生ける神は宮を必要とされない。「天は御座であり、そこで神は憩き、地は足台であり、これを治められる」(使徒7:49,50)。それゆえ「あなたがたは、私のためにどんな家を建てるのか。私がすでに持っているものに比べられるか。あるいは、私の憩いの場所とはどこなのか」。神は休息するためであれ、ご自身を示すためであれ、家を必要とされるだろうか。「わたしの手がこれらすべてを造ったのではないか」。そして「これらは神の永遠の力と神性を示している」(ローマ1:20)。これらはすべての人にそれ自体を示すので、ほかの神々を拝む者は言い訳ができない。そして世界がこのように神が現される神の宮であるように、神が礼拝される神の宮でもある。地が神の栄光に満ちていて、それゆえ神の宮であり(イザヤ6:3)、地は神の賛美に満ちるべきであり(ハバクク3:3)、「地の果てのすべての人々が神を恐れる」(詩篇67:7)。これに基づいてそれは神の宮である。それゆえ「イエスがこの宮を滅ぼし、すべての国民が入れられる別の宮を立てる」と言うことは、彼らがどう受け取ろうと、この聖なる場所への何の非難でもなかった(使徒15:16,17)。そしてステパノがここで引用した聖書(イザヤ66:1-3)を考えた者にとって、それは珍しいことではなかったはずである。その聖書は、神がご自身の礼拝の外面的な部分を比較的に軽んじることを表すと同時に、不信仰なユダヤ人の拒絶と、砕かれた霊の異邦人が教会に迎えられることを明らかに預言していたのである。
⁵¹ かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たちよ。あなたがたはいつも御霊に抵抗しています。あなたがたの先祖がしたように、あなたがたもしているのです。 ⁵² 預言者の中で、あなたがたの先祖が迫害しなかった者がだれでしょうか。彼らは正しい方が来ることを前もって告げた者たちを殺しました。その方を、あなたがたは今、裏切り、殺したのです。 ⁵³ あなたがたは、御使いたちの定めによって律法を受けたのに、これを守らなかったのです。
ステパノはその説教を(その脈絡から見て)続けようとしていた。神殿と同様に、神殿の奉仕も終わりを迎えなければならず、両者がメシヤの王国に確立される、古い律法の壮大な儀式を捨てた、霊と真理における父への礼拝に道を譲ることが両者の栄光となることを示そうとして。そしてこれまでに語ったことをより密接に現在の目的に適用しようとしていたようである。しかし彼らがこれに耐えられないことを悟った。彼らは旧約聖書の歴史を語られるのを忍耐強く聞くことができた(それは彼ら自身が多く扱う学問の一部であった)。しかしステパノが彼らの権力と暴虐が倒れ、教会が聖さと愛、天に属する思いの霊によって治められなければならないと語り始めると、彼らは彼に聞くことさえしない。おそらく彼はこれを悟り、彼らが彼を黙らせようとしていることを悟った。それゆえ彼はその説教の途中で突然断ち切り、満たされていた知恵と勇気と力の霊によって、彼の迫害者たちを鋭く叱責し、彼らの真の性格を暴露した。彼らが福音の証を彼らに対して受け入れないなら、それは彼らに対する証となるであろうから。
一.彼らは先祖と同様に、かたくなで強情であり、神が彼らを回復し、改革するために取られたさまざまな方法によっても働きかけられなかった。彼らは先祖と同様に、神の言葉にも摂理にも屈しなかった。1.彼らはかたくなで(使 7:51)、神の支配の甘くて易しいくびきに首を服させず、これに引かず、くびきに慣れていない雄牛のようであった。あるいは彼らは自分の頭を、いや神ご自身にも下げず、神に敬意を払わず、神の前にへりくだらなかった。かたくなな首は頑な心と同じである。頑固で反逆的で、屈しようとしない——ユダヤ民族の一般的な性格(出エジプト 32:9、33:3,5、申命記 9:6,13、31:27、エゼキエル 2:4)。2.彼らは心と耳に割礼を受けていない。彼らの心と耳は神に献身し、明け渡されていなかった。割礼のしるしによって民のからだが告白においてそうであったように。「名前と外見の上では、あなたがたは割礼を受けたユダヤ人だ。しかし心と耳においては、まだ割礼を受けていない異邦人であり、あなたがたの神の権威に対して彼らがする以上の敬意を払わない」(エレミヤ 9:26)。あなたがたは打ち殺されていない欲望と腐敗の力の下にある。これがあなたがたの耳を神の御声に塞ぎ、あなたがたの心を最も命じるものにも最も感動的なものにもかたくする。彼らは手によらない割礼、肉の罪のからだを脱ぎ捨てる(コロサイ 2:11)を持っていなかった。
二.彼らは先祖と同様に、神が彼らを改革するために取った方法に影響を受けなかっただけでなく、これらに激怒し、怒った。*あなたがたはいつも御霊に抵抗している。*1.彼らは預言者たちによって語りかける御霊に抵抗した。彼らは預言者たちに反対し、矛盾し、憎み、嘲笑した。これは続く説明によって特に意味されているようである。預言者の中で、あなたがたの先祖が迫害しなかった者がだれでしょうか。御霊の霊感によって語る者たちを迫害し、黙らせることで、彼らは御霊に抵抗した。彼らの先祖は、神が彼らのために立てた預言者たちにおいて御霊に抵抗した。同様に彼らも、同じ霊によって語り、旧約の預言者たちよりも大いなる賜物の測りを持っていたキリストの使徒たちや奉仕者たちにおいて抵抗した。そして彼らはより多く抵抗した。2.彼らは自分自身の良心によって彼らと格闘する御霊に抵抗し、これらの確信と指示に服そうとしなかった。神の霊は古い世界と同じように彼らと格闘した。しかしむなしく。彼らはこれに抵抗し、確信に反して腐敗に与し、光に反逆した。私たちの罪ある心には常に御霊に抵抗するものがある。御霊に逆らって欲望をいだき、その促しに戦いを挑む肉がある。しかし神の選民の心には、時の満ちたときに、この抵抗は克服され、圧倒され、戦いの後、キリストの王座が魂に立てられ、これに逆らって高ぶったすべての思いがこれに虜にされる(コリント第二 10:4,5)。それゆえこの変化をもたらす恵みは、抗いがたい恵みよりも勝利の恵みと呼ぶほうがふさわしい。
三.彼らは先祖と同様に、神が義務へ召すために、また憐れみの申し出をするために遣わされた者たちを迫害し、殺した。1.彼らの先祖は旧約の預言者たちの残酷で絶え間ない迫害者であった(使 7:51)。預言者の中で、あなたがたの先祖が迫害しなかった者がだれでしょうか。多かれ少なかれ、いつかは、すべての者に打撃を加えた。最良の治世に生きた者たちに関してさえ、君主たちが彼らを迫害しなかったとき、国民の中に彼らを嘲笑し、虐待する悪意ある党派があった。そして彼らの大部分はついに、法の色合いあるいは民衆の激怒によって、死刑にされた。そして預言者たちを迫害する罪を悪化させたのは、彼らがこれほど意地悪くした預言者たちの務めが、正しい方の来臨を前もって示すことであった。時の満ちたときにメシヤを彼らの中に遣わすという、神のその民に対する親切な意図を告げることであった。このような福音の使いである者たちは、もてなされ、愛され、最良の恩人としての特権を持つべきであった。しかしその代わりに、彼らは最悪の重罪人としての扱いを受けた。2.彼らは正しい方ご自身の*裏切り者であり殺人者であった。*ペテロが彼らに告げたように(使 3:14,15、5:30)。彼らは裏切りのためにユダを雇い、ピラトに彼を罪定めさせることを事実上強いた。それゆえ彼らが彼の裏切り者であり殺人者であると彼らに負わされる。このように彼らは、彼の来臨を預言した預言者たちを殺した者たちの正統な種子であった。そして彼を殺すことで、彼らはもし当時生きていたら彼らもしたであろうことを示した。このように、救い主が彼らに告げたように、彼らはすべての預言者の血の咎を自分たちに招いた。神の子ご自身に敬意を払わなかった者たちに、どの預言者に敬意を示したであろうか。
四.彼らは先祖と同様に、神の啓示を軽蔑し、これによって導かれ、治められることをしなかった。そしてこれが彼らの罪の悪化要素であった。神が、その先祖には律法を、彼らには福音を、むなしく与えたこと。1.彼らの先祖は律法を受け、これを守らなかった(使 7:53)。神は彼らにその律法の大いなることを、最初に語った後、書き記された。しかしそれは彼らによって、自分たちが関わらない奇妙な、あるいは外国のこととして数えられた。律法は御使いたちの定めによって受けたと言われる。というのも御使いたちが、律法を与える荘厳さに用いられたからである。雷と稲妻、ラッパの音の中で。これは御使いたちによって制定された(ガラテヤ 3:19)と言われる。神は一万の聖徒を伴って律法を与えるために来られた(申命記 33:2)と言われ、それは御使いたちによって語られた言葉であった(ヘブル 2:2)。これは律法にも律法の授与者にも誉れを与え、両者に対する私たちの畏敬を増すべきである。しかしこのように律法を受けた者たちは、これを守らず、金の子牛を造ることで、主要な点で直ちにこれを破った。2.彼らは今、御使いたちの定めではなく、御霊の定めによって——ラッパの音ではなく、さらに奇妙なことに、異言の賜物において——福音を受けた。しかしそれでも彼らはこれを受け入れなかった。彼らは先祖がした以上に、最も平易な実証に服そうとしなかった。彼らは神の律法においても福音においても神に服することを決意しなかったからである。
ステパノにははるかに多く語ることがあり、彼らが許すなら語ったであろうと考える理由がある。しかし彼らは邪悪で不合理な人々であった。彼は彼らと関わりを持った。彼らはこれを語るのと同じく、これに聞くことができなかった。
Acts 7章 54-60 Matthew Henry's Complete Commentary
⁵⁴ 人々はこれを聞いて、はらわたが引き裂かれるように思い、彼に向かって歯ぎしりした。
⁵⁵ しかし彼は聖霊に満たされて、天を見つめていた。そして神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見た。
⁵⁶ そして言った。「見よ。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
⁵⁷ すると人々は大声で叫び、耳を塞ぎ、心を一つにして彼に襲いかかり、
⁵⁸ 彼を町の外に追い出し、石打ちにした。証人たちはサウロという名の若者の足もとに自分の上着を置いた。
⁵⁹ 彼らがステパノを石打ちにしている間、ステパノは祈って言った。「主イエスよ、私の霊をお受けください。」
⁶⁰ そしてひざまずいて、大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、彼は眠りについた。
ここにはキリスト教会の最初の殉教者の死が記されている。この物語には、迫害者たちの暴行と激怒の生き生きとした例がある(キリストのために苦しむように召されたなら、私たちも出会うと期待しうるもの)。また、そのように召された迫害される者たちの勇気と慰めがある。ここには火と暗やみにおける地獄と、光と輝きにおける天とがある。そしてこれらは互いを引き立てる。「反照」として。ここでは彼の事案について議会の投票がなされ、過半数によって彼が有罪と認められ、そして律法に従って神を汚す者として石打ちの刑に処せられるように命じられたとは言われていない。しかし多分そうであった。そして議会の命令なしに民衆の暴力によって彼が殺されたのではない。というのも、ここには正規の処刑の通常の儀式があるから。彼は町の外に投げ出され、証人たちの手が最初に彼の上に置かれた。
ここで彼の敵と迫害者たちの霊の素晴らしい混乱と、彼の霊の素晴らしい落ち着きを観察しよう。
一、ステパノの迫害者たちにおける腐敗の強さを見よ。完成された悪意。地獄そのものが解き放たれた。人間が受肉した悪鬼となった。蛇の子孫がその毒を吐く。
「彼らはこれらのことを聞いて、はらわたが引き裂かれるように思った」(Ac 7:54)。dieprionto(鋸で引かれた)。Heb 11:37 で用いられ、「彼らは鋸で引かれた」と訳されたのと同じことば。彼らはかつて殉教者たちが体において受けたのと同じほどの拷問を心において受けた。彼らはステパノが彼らの確信のために強いた答えようのない論拠に憤慨した。そして彼らはそれに対して言うべき何も見いだせなかった。彼らは Ac 2:37 の者たちのように悲しみをもって心を刺されたのではない。彼ら自身がそうであったように、Ac 5:33 のように、激怒と憤りをもって心を切られた。ステパノは彼らを鋭く戒めた。パウロが表現するように(Tit 1:13)apotoMōs(切るように)。彼らが戒めによって心を切られたからである。注目せよ、福音の拒絶者とその反対者は、実は自分自身を苦しめる者である。神への敵意は心を切るもの。信仰と愛は心をいやす。彼が弁論を始める前に「御使いのように」見えた者が、終える前に御使いのように、天からの使いのように語るのを聞いて、彼らは「網の中の野牛」のようであった。「主の憤りに満ちて」(Isa 51:20)。そのように勇ましく弁護された大義を追い落とすことをあきらめ、それに屈服しないと決意した。
「彼らは彼に向かって歯ぎしりした。」これは、(1) 彼に対する大きな悪意と激怒を示す。ヨブは彼の敵が「彼に向かって歯ぎしりした」(Job 16:9)と訴えた。この言葉は、「彼の肉を食べてやりたい」ということであった(Job 31:31)。彼らは「彼に齿をむいた」。怒った犬がするように。それゆえにパウロは割礼の者たちに注意して「犬に気をつけよ」(Php 3:2)と言う。聖徒への敵意は人を獣に変える。(2) 彼ら自身の内なる大きな苛立ちを示す。彼らは彼の中に神の力と臨在の明らなしるしを見て苛立ち、心が痛んだ。「悪者はそれを見て怒り、歯ぎしりして衰え果てる」(Ps 112:10)。歯ぎしりは、地獄に落ちた者の恐怖と苦しみを表すのによく用いられる。地獄の悪意を持つ者は、それと共に地獄の苦痛のいくらかを持たずにはいられない。
「彼らは大声で叫んだ」(Ac 7:57)。互いに刺激し、挑発するために。また自分自身と互いの良心の声の騒ぎをかき消すために。彼が「天が開けているのを見ます」と言ったとき、彼らは大声で叫んだ。彼の語るのが聞こえないように。注目せよ、義なる大義、とりわけキリストの宗教の義なる大義が、騒ぎと叫びによって追い落とされようとすることは非常に一般的である。理性に欠けているものは騒動で補われる。「愚かな者たちの間で治める者の叫び」に対して、「知恵ある者のことばは静かに聞かれる」。彼らは戦いに臨む兵士のように大声で叫んだ。この絶望的な戦いのためにすべての精神と活力を奮い立たせた。
「彼らは耳を塞いだ。」自分自身の騒々しさが聞こえないように。あるいはおそらく、彼の冒涜に耐えられないという口実の下に。キリストが「これからのち、人の子が栄光の中に座っておられるのを見るであろう」(Mt 26:64,65)と言われたとき、カイアパが衣を引き裂いたように。ここでもステパノが「今、人の子が栄光の中に立っておられるのを見ます」と言ったとき、彼らは「耳を塞いだ」。両者とも語られたことが忍耐をもって聞かれるべきでないと見せかけた。彼らの耳を塞いだことは、(1) 彼らの意志的な頑固さの明らかな標本であった。彼らは自分たちを確信させる傾向のあるものを聞かないと決心した。それは預言者たちがしばしば訴えたこと。「彼らは耳の遠いまむしのようだ。魔力を使う者の声を聞こうとしない」(Ps 58:4,5)。(2) それは神が彼らを引き渡される司法的なかたくなさの致命的な前兆であった。彼らが耳を塞いだので、神は義なるさばきの道において彼らを塞がれた。これが今、不信心なユダヤ人たちの中でなされているわざであった。「この民の心を鈍くし、その耳を重くしなさい。」このようにステパノの彼らの特徴に対する答えがなされた。「心と耳に割礼を受けていないあなたがた。」
「彼らは心を一つにして彼に襲いかかった。」—民と民の長老たち、裁判官、告発者、証人、観衆が、獲物に向かう獣のように彼に飛びかかった。彼らがいかに暴力的であったか、またどんな急ぎであったかを見よ。彼らは彼に走りかかった。彼が彼らを追い越す危険はなかったのに。そして彼らがこの悪い事においていかに一致していたかを見よ。彼らは「心を一つにして」彼に襲いかかった。一人残らず。それによって彼を恐怖させ、混乱に陥れることを望んだ。彼の霊の落ち着きと慰めをねたんで。彼はこの騒ぎの中で驚くほど自分を楽しませていた。彼らは彼を動揺させるためにできるすべてをした。
「彼らは彼を町の外に追い出し、石打ちにした。」まるで彼がエルサレムに住む価値がないかのように。いや、この世に生きる価値がないかのように。ここにおいてモーセの律法を執行すると見せかけた(Le 24:16)。「主の御名を汚す者は必ず殺される。全会衆は必ず彼を石打ちにしなければならない。」そして彼らはキリストをこのようにして殺した。この同じ法廷が彼を冒涜の罪に有罪としたとき。しかし彼の大きな恥辱のために、彼らは彼が十字架につけられることを望んだ。そして神は聖書の成就のためにそれを導かれた。彼らが処刑を管理した激しさは、これに示唆される。彼らは彼を町の外に投げ出した。まるで彼の姿を見ることに耐えられないかのように。彼らを彼を「アナテマ」、すべてのものの「かき捨て」として扱った。彼に対する証人たちが処刑の指導者であった。律法に従って(De 17:7)。「証人たちの手が最初に彼の上にあり、彼を死なせる」。とりわけ冒涜の場合には(Le 24:14, De 13:9)。このように彼らはその証言を確認すべきであった。さて、人を石打ちにすることは骨折りのいる仕事であるので、証人たちは上着を脱いだ。それが邪魔にならないように。「そして彼らはサウロという名の若者の足もとにそれらを置いた」。今やこの悲劇の満足した観衆である。彼の名前が言及されるのはこれが最初である。それが「パウロ」に変えられ、彼が迫害者から説教者に変えられたとき、私たちはそれを知り、愛するようになるであろう。ステパノの死における彼のこの小さな関与を、彼は後になって残念をもって回想した(Ac 22:20)。「私は彼を殺した者たちの衣を番していた。」
二、ステパノにおける恵みの強さと、彼に対する神の恵みのみわざと、彼のうちになされるわざの素晴らしい实例を見よ。彼の迫害者たちがサタンに満ちていたように、彼は「聖霊に満ちていた」。普通以上に。戦いのために新たな油で油注がれた。「日がそのようにであるように、力もそのように。」この点において、「義のために迫害される者は幸いである」。「神の栄光の御霊が彼らの上に安らぐ」(1Pe 4:14)。彼が公けの奉仕に選ばれたとき、彼は「聖霊に満ちた人」として描写された(Ac 6:5)。そして今や殉教に召されても、同じ特徴を持つ。注目せよ、聖霊に満ちた者は何にでも適している。キリストのために行動するにも、キリストのために苦しむにも。そして神がご自身の名のために困難な奉仕に召す者には、その奉仕にふさわしい資格を与え、聖霊に満ちることによって彼らを快く通り抜けさせる。キリストのための患難が豊かになるように、キリストにおける慰めがさらに豊かになるように。「これらのことは彼らを動かさない。」さてここに、この祝福された殉教者と祝福されたイエスとの、この危機的な瞬間における顕著な交わりがある。キリストの従者たちが彼のゆえに「一日中殺され、屠られる羊として数えられる」とき、これは彼らをキリストの愛から引き離すか。彼は彼らをより少なく愛するか。彼らは彼をより少なく愛するか。いや、決してそうではない。そしてこの物語によってそれが現れる。その中で私たちは次のことを観察できる。
(1) 彼は「聖霊に満ちて、天を見つめていた」(Ac 7:55)。[1] このように彼は迫害者たちの力と激怒を超えて目を向け、彼らを事実上軽蔑し、あざけった。シオンの娘のように(Isa 37:22)。彼らは彼に目を固定していた。悪意と残酷さに満ちて。しかし彼は天を見上げ、彼らを気にも留めなかった。今や見通せる永遠のいのちにそれほど心を奪われていたので、今や危機にある自然ないのちには全く関心がないかのようであった。彼がどちらの方向に危険があるか、またはどちらの方向に逃げられるかを見るために周りを見る代わりに、彼は天を見上げた。そこからのみ彼の助けが来る。そしてそちらへの彼の道はまだ開いている。彼らが四方から彼を取り囲んでも、彼らは天との交わりを中断できない。注目せよ、神と上の世界に対する信仰の眼差しは、人の恐れを超えて私たちを置くのに大いに役立つ。その恐れの影響の下にある限り、私たちは「私たちの造り主である主を忘れる」から(Isa 51:13)。[2] このように彼は自分の苦しみを神の栄光、キリストの誉れに向けた。そして事実上、それらについて天に訴えた(「主よ、あなたのゆえに私はこれを受けます」)。そして自分の体においてキリストが大きくされるという彼の切実な期待を表現した。今やささげられる準備ができて、彼は天をしっかりと見つめた。自分自身をささげようとする者のよう。[3] このように彼は自分の目と共に魂を天の神に向けた。敬虔な短い祈りにおいて。この試練を正しい仕方で通り抜けるための知恵と恵みを神に求めて。神は彼のために苦しむように召すしもべと共におられることを約束された。しかしそれについては神に求められなければならない。彼は彼らの近くにおられる。しかしそれは「彼らが呼び求めることにおいて」である。「だれか苦しんでいる者はいますか。彼は祈るべきである。」[4] このように彼は天の国を慕い求めた。彼の迫害者たちの激怒がまもなく彼を送るであろう場所を見た。死にゆく聖徒たちが天をしっかりと見つめることは良いこと。「あそこが、死が私のより良い部分を運ぶ場所です。それなら『死よ、あなたのとげはどこにあるのか』。」[5] このように彼は自分が聖霊に満ちていることを示した。恵みの御霊が住み、働き、治める所ではどこでも、御霊は魂の目を上に向けるから。聖霊に満ちた者は天をしっかりと見つめる。そこに彼らの心があるから。[6] このように彼は次に続く神の栄光と恵みの現れを受ける姿勢をとった。もし私たちが天から聞くことを期待するなら、私たちは天をしっかりと見つめなければならない。
(2) 彼は神の栄光を見た(Ac 7:55)。「彼は見た」。これのために、「天が開いているのを見た」(Ac 7:56)。ある者は彼の目が強められ、超自然的な力によってその視力が自然の水準以上に引き上げられ、たとえそれほど遠くにあっても、第三の天を見たと考える。モーセの視力がカナンの全土を見るために広げられたように。他の者は、それが前にイザヤやエゼキエルにされたように、神の栄光の表現が彼の目の前に置かれたと考える。天が事実上彼に下って来た。Re 21:2 のように。天は、彼が向かっている幸福の眺めを彼に与えるために開かれた。それによって彼はその予想において、快く死を通過できるように。そのように大きな死を。もし私たちが信仰によってしっかりと見つめるなら、キリストの執り成しによって、垂れ幕が裂けて、至聖所への新しい生ける道が開かれた天を見るかもしれない。天は神と人との間の交わりの確立のために開かれている。神の恵みと祝福が私たちに下り、私たちの祈りと賛美が神に上るために。私たちは神がご自身のことばで啓示された限りにおいて、神の栄光を見ることもできる。そしてこの眺めは私たちを苦しみと死のすべての恐怖を通して運ぶであろう。
(3) 彼は「イエスが神の右に立っておられるのを見た」(Ac 7:55)。「人の子」—Ac 7:56 のように。イエスは人の子として、私たちの性質を天に携え、そこで体を着せられているので、肉体の目で見ることができた。そしてステパノは彼を見た。旧約の預言者たちが神の栄光を見たとき、それは御使いを伴っていた。イザヤの幻におけるシェキナ、神的臨在はセラピムを伴い、エゼキエルの幻においてはケルビムを伴った。両者とも御使い、神の摂理の奉仕者を意味する。しかしここでは御使いについては何の言及もない。たとえ彼らが御座と小羊を取り囲んでいても。その代わりに、ステパノは神の右にいるイエスを見た。神の恵みの偉大な執り成し手。聖なる御使いたちのすべての奉事よりも、神により多くの栄光が還元される方。神の栄光はイエス・キリストの顔に最も明るく輝く。そこに神の恵みの栄光が輝くから。それは神の栄光の最も輝かしい实例である。神は何百万の御使いをその周りに置くよりも、イエスがご自身の右に立っておられることで、より栄光あるものとして現れる。さて、[1] ここに父の右手へのキリストの高挙の証拠がある。使徒たちは彼の昇天を見た。しかし彼らが座るのを見なかった。「雲が彼を彼らの目から消し去った」。彼が神の右に座ったことを告げられる。しかし彼はかつてそこに見られたか。はい、ステパノは彼をそこに見た。そしてその眺めに豊かに満足した。彼は神の右にいるイエスを見た。これは彼の際立った尊厳と主権的な支配の両方を示す。彼の制御できない能力と普遍的な働き。神の右が私たちに与えるもの、私たちから受けるもの、または私たちに関してなすものは何であれ、それは彼によってである。彼が神の右の手だから。[2] 彼は通常そこに「座って」いると言われる。しかしステパノは彼がそこに「立って」いるのを見た。現在のところ、彼の苦しむしもべに普通以上の関心を持つ者として。彼はさばき手として立ち上がり、彼の迫害者たちに対して彼の事を弁護した。「彼はその聖なる住まいから立ち上がり」(Zec 2:13)、「罰するためにその場所から出て来る」(Isa 26:21)。彼は彼を受け入れ、冠を与える準備ができて立ち、その間に彼に彼の前に置かれた喜びの予想を与える。[3] これはステパノの励ましのために意図された。彼はキリストが自分のためにいるのを見る。それなら誰が彼に反対しようとも問題ではない。私たちの主イエスが苦悶のうちにあったとき、御使いが彼に現れ、彼を強めた。しかしステパノはキリストご自身が彼に現れるのを持った。注目せよ、死にゆく聖徒にとってこれほど慰めとなるものはなく、苦しむ聖徒にとってこれほど力づけるものはない。神の右にいるイエスを見ること。そしてほむべきかな、神は。信仰によって私たちは彼をそこに見ることができる。
(4) 彼は自分の回りにいる者たちに自分の見たことを告げた(Ac 7:56)。「見よ。私は天が開けているのを見ます。」彼にとっての慰めであったものは、彼らにとっての確信であり、注意であるべきであった。天がこのようにほほえむ者に対して進めるのをやめることに注意するために。それゆえに彼は自分の見たことを宣言した。彼らがそれをどう用いようと。もしある者がそれによって憤慨しても、他の者はおそらく、彼らが迫害しているこのイエスについて考え、彼を信じるようにと働きかけられるかもしれない。
(1) ここに自分自身のための祈りがある。「主イエスよ、私の霊をお受けください。」このようにキリストはご自身の霊を直接父の手にゆだねられた。私たちはここに、執り成け手としてのキリストに、そして彼を通して父に推薦されるように、私たちの霊をゆだねることを教えられる。ステパノはイエスが父の右に立っておられるのを見た。そして彼にこう呼んだ。「祝福されたイエスよ、あなたがすべてのあなたの者のためにそこに立ってなさることを、今私のためにしてください。私の去りゆく霊をあなたの手にお受けください。」注目せよ、[1] 魂が人であり、私たちの大きな関心事は、生きているにせよ死ぬにせよ、自分の魂についてであるべきである。ステパノの体は悲惨にも打ち砕かれ、石の雨に圧倒される。この幕屋の地上の家は暴力的に打ち倒され、乱用される。しかしそれがどうなろうとも、「主よ、私の霊を安全にしてください。私の貧しい魂が良くなりますように。」このように、私たちが生きている間、私たちの配慮は、体が飢えまたは裸にされても、魂が養われ、着せられるように、体が痛みのうちにあっても、魂が安らかに住むようにすべきである。そして死ぬとき、体が軽蔑された壊れた器、喜びのない器として投げ捨てられても、魂が誉れある器としてささげられるように。神が心の力であり、その分け前であられるように。たとえ肉が衰えても。[2] 私たちの主イエスは神であり、私たちが求めるべき方、生きているにせよ死ぬにせよ、信頼し、慰めを見いだすべき方である。ステパノはここでキリストに祈る。そして私たちもそうすべきである。すべての人がこのように「父に敬意を払うように、子にも敬意を払うこと」が神の御心だから。私たちが自分自身をゆだねるべきキリストは、私たちが彼にゆだねるものを「その日まで」保つことができる唯一の方。死ぬときにキリストに目を向けることは必要である。彼の導きの下でなければ、もう一つの世にはいる冒険はない。死に際の慰めは彼から引き出される以外にないから。[3] キリストが死に際に私たちの霊を受け入れることが、私たちが注意すべき、そして自分自身を慰めるべき大きなことである。私たちは生きている間、これについて注意すべきである。キリストが私たちの死ぬときに私たちの霊を受け入れてくれるように。もし彼がそれらを拒み、認めないなら、それらはどこへ向かうであろうか。彼らは咆哮する獅子の餌食になるのをどう免れることができようか。それゆえに私たちは毎日彼らを彼に委ねるべきである。治められ、聖別され、天にふさわしくされるように。そしてそのとき、そしてそうでなければ、彼はそれらを受け入れるであろう。そして、もしこれが私たちの生きている間の配慮であったなら、それは私たちの死ぬときの慰めとなりうる。私たちは永遠の住処に受け入れられるであろう。
(2) ここに彼の迫害者たちのための祈りがある(Ac 7:60)。[1] この祈りの状況は観察に値する。それは前のものよりもいくらか荘厳さをもってささげられたようであるから。第一に、彼は「ひざまずいた」。これは祈りにおける彼の謙遜の表現であった。第二に、彼は「大声で叫んだ」。これは彼の切実さの表現であった。しかし、なぜ彼は前の祈りよりもこの願いにおいてより多くの謙遜と切実さを示したのか。なぜなら、自分自身のための祈りにおいて真剣であることを誰も疑わない。それゆえにそこではそのような外的表現を用いる必要がなかった。しかし敵のための祈りにおいては、それが腐った性質の穀物にそれほど反するので、彼が真剣であることの証拠を与えることが必要であったから。[2] 祈り自体。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」ここにおいて彼は彼の死にゆく師の模範に従った。師は迫害者たちのためにこのように祈られた。「父よ、彼らをお赦しください。」そしてキリストの大義において従うすべての苦しむ者に、彼らを迫害する者のために祈るという模範を残した。祈りは説教することができる。これはステパノを石打ちにする者たちにそうした。そして彼はひざまずいた。彼らが彼が祈ろうとしていることに気づくように。そして大声で叫んだ。彼らが彼の語ったことに気づき、学ぶように。第一に、彼らのしたことが罪であり、大きな罪であり、もし神のあわれみと恵みが防がなければ、彼らの永遠の混乱のために彼らに負わされることを。第二に、彼らの彼に対する悪意と激怒にもかかわらず、彼は彼らと愛においてあり、神が彼らの上に彼の死の復讐をすることを望むどころか、それが少しでも彼らに負わされないようにという神への心からの祈りであったことを。それについては悲しい清算があるであろう。もしそれらが悔い改めなければ、確実に負わされるであろう。しかし彼は、自分の分としては、その嘆かわしい日を望まなかった。彼らにこれに注意させよう。そして彼らの思いが冷えたとき、確かに彼らは、これほどたやすく自分たちを赦せる者を死に至らしめたことを、たやすく自分自身を赦さないであろう。「血を流す者は正しい者を憎む。しかし正しい者はその魂を尋ね求める」(Pr 29:10)。第三に、たとえその罪が非常に重くても、彼らはその悔い改めの上にその赦しをあきらめてはならない。もし彼らがそれを心に留めるなら、神はそれを彼らに負わされないであろう。「あなたがたは」と聖アウグスティヌスは言う、「パウロがステパノがこの祈りを祈るのを聞いたと思うか。彼は聞いたであろう。そして当時はそれをあざけった(audivit subsannans, sed irrisit—軽べつして聞いた)。しかし後に彼はその益を得た。そしてそのために良くされた。」
主イエスがご自身の使徒たちを召し出して、ご自身のために奉仕と苦しみに用いられたとき、彼らに告げられた。「しかし、最後の者が先になり、先の者が最後になる」と。これはステパノとパウロにおいて著しく成就した。彼らは二人とも、使徒たちに比べれば遅い回心者であったが、奉仕においても苦しみにおいても、彼らより先んじた。というのも、神は誉れと恵みを与える際、しばしば手を交差されるからである。この章には、キリスト教会の最初の殉教者であり、その栄光の軍勢の先陣を切ったステパノの殉教が記されている。それゆえ、彼の苦しみと死は、彼のように血に至るまで抵抗するよう召されたすべての人々の指導と励ましのために、他のだれのものよりも詳しく記されている。ここには次の事柄がある。一、彼が告発された事柄に答えて、議会の前で自分を弁明したこと。その趣旨は、神殿が破壊され、儀式の律法の習わしが変えられると言うことは、神に対する冒瀆でも、その御名の栄光に対するいかなる傷害でもないことを示すことであった。1. 彼は旧約聖書の歴史を概観することによってこれを示す。神がその恵みをその場所やその儀式の律法に限定しようとは決して意図されなかったこと、また彼らがそうあることを期待する理由もないことを。というのも、ユダヤの民は常に神を怒らせる民であり、その特別な民としての特権を失っていたから。いや、その聖なる場所とその律法は、来るべき良いものの型にすぎず、それらがより良いものに道を譲らなければならないと言うことは、決してそれらの価値を損なうものではない(使徒7:1-50)。そして 2. 彼はこれを、彼を訴え、彼をさばいて座に着いていた者たちに適用し、彼らがその場所と国民の破滅を自ら招いたその悪によって鋭く彼らを責め、それについて聞くことさえ忍び得ない者たちであったことを指摘する(使徒7:51-53)。二、彼を石打ちにして死に至らしめたことと、その苦しみに対する彼の忍耐強く、快活で、敬虔な服従(使徒7:54-60)。