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Matthew Henry's Complete Commentary

Matthew Henry · 1714

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Matthew Henry's Complete Commentary

Matthew Henry · 1714

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Matthew Henry 사후(1714) 공개 도메인. 디지털판 CC0-1.0.

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Deuteronomy 2章 서론 Matthew Henry's Complete Commentary

無題

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モーセはこの章で、カナンへの道におけるイスラエルに関する神の摂理の繰り返しを続ける。しかし紅海へ戻る彼らの退屈な行軍の間に起こったことの記録は保存せず、その間に彼らはほぼ三十八年を費やしたが、それを暗い時として沈黙のうちに過ぎ越し、彼らがカナンの方を向いたとき(申 2:1-3)に再び彼の物語を始める。そして人が住んでいる国々に近づいた。これについて神は彼らに次の指示を与える。一、どの国々にいかなる扰乱も与えてはならないか。1. エドム人にはいけない(申 2:4-8)。2. モアブ人にはいけない(申 2:9)。その国の古い歴史について、エドム人のものと共にいくらか記す(申 2:10-12)。そしてここに彼らがゼレデ川を渡ったことの記録が入る(申 2:13-16)。3. アモン人にはいけない。その国についてここにいくらか記される(申 2:17-23)。二、どの国々を攻め、征服すべきか。彼らはアモリびとの王シホンから始めなければならない(申 2:24,25)。そしてそれにしたがって、1. 彼らは彼との争いの公正な機会を持った(申 2:26-32)。2. 神は彼らに彼の上の完全な勝利を与えた(申 2:33-37等)。

Deuteronomy 2章 1-23 Matthew Henry's Complete Commentary

The Seed of Esau and Lot Spared (1451 BC)

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エサウとロトの子孫が赦される(紀元前1451年)

¹ そこでわれわれは向きを変え、主が私に語られたように、紅海への道を通って荒野へ旅立った。そしてわれわれは長い間セイル山を迂回した。 ² 主は私に語って言われた、 ³ 「あなたがたはこの山を迂回するのに十分長くした。北に向かえ。 ⁴ そして民に命じて言え。『あなたがたは、セイルに住んでいる兄弟、エサウの子らの領土を通過しようとしている。彼らはあなたがたを恐れるであろう。それゆえ、よく気をつけよ。 ⁵ 彼らにかかわってはならない。わたしは彼らの地を、一足の幅ほどもあなたがたに与えないからである。わたしはセイル山をエサウに所有として与えたからである。 ⁶ あなたがたは彼らから金で肉を買い、食べなければならない。また彼らから金で水を買い、飲まなければならない。 ⁷ あなたの神、主はあなたの手のわざすべてにおいてあなたを祝福されたからである。あなたがこの大いなる荒野を歩くのを神は知っておられる。この四十年の間、あなたの神、主はあなたと共におられた。あなたは何一つ欠けたことがなかった』。

ここに次の事がある。一、荒野でのイスラエルの長い滞在の短い記録。われわれはセイル山を長い間迂回した(申 2:1)。ほぼ三十八年の間、彼らはセイルの荒野をさまよった。おそらくある休息地では数年留まり、動かなかった。神はこれによって彼らのつぶやきと不信仰を懲らされただけでなく、1. 罪によって彼らをへりくだらせ、その欲望を殺し、神に従い、神のうちに慰めを見出すことを教えることによって、彼らをカナンのために備えた。魂を天にふさわしいものとするには時間を要するわざであり、長い訓練の連続によってなされなければならない。2. 神はカナン人を滅びのために備えられた。この間ずっと、彼らの不義の量りは満たされていた。そして彼らが悔い改めのための期間としてこれを用いることができたとはいえ、彼らは自分たちの心をかたくするためにこれを乱用した。さてイスラエルの軍勢が一度撃退され、その後このように長く荒野に絡みつき、見たところ失われたように見えたので、彼らは安心し、その方面からの危険は過ぎたと思った。それはイスラエルの彼らに対する次の攻撃をいっそう恐ろしいものにするであろう。

二、カナンに向かうよう命じられたこと。神は長く争われても、永遠には争われない。イスラエルが救いや拡大のために長く待たされるとしても、それはついに来る。幻は定められた時のためであり、終わりに語り、偽らない。

三、エドムびとを悩ませてはならないという命令。

  1. 彼らは敵として彼らに敵意を示してはならなかった。彼らにかかわってはならない(申 2:4,5)。(1) イスラエルの接近に際して彼らが陥る恐れを利用してはならなかった。「彼らはあなたがたを恐れるであろう。あなたがたの強さと数、そしてあなたがたのために向けられた神の力を知っているから。しかし彼らの恐れが彼らを容易な獲物にするからといって、あなたがたが彼らを獲物にしてよいとは考えない。いや、自分たちに気をつけよ」。優位を持つ相手を傷つけないように自分自身を保つためには、大きな注意と自分の霊の厳格な支配が必要である。あるいはこの警告はつさたちに与えられた。彼ら自身エドムびとにかかわらないだけでなく、兵士の誰も彼らにかかわることを許してはならない。(2) 彼らはエドムびとがその国を通るのを拒んだ侮辱に復讐してはならなかった(民 20:21)。このように、神がイスラエルをカナンの敵を滅ぼすために導く前に、神は彼らにエドムの敵を赦すことを教えられた。(3) 彼らはその地の一部が所有として与えられることを期待してはならなかった。セイル山はすでにエドムびとに定められており、彼らは神の契約と導きという口実の下に、手の届くものすべてを自分たちのものと考え、奪ってはならなかった。支配は恵みに基づくものではない。神のイスラエルはよく置かれるであろうが、地のただ中に独り置かれることを期待してはならない(イザヤ 5:8)。

  2. 彼らは隣人として彼らと取引し、肉と水を彼らから買い、買ったものに対して支払わなければならなかった(申 2:6)。宗教は決して不正の隠れ蓑にされてはならない。与えられた理由(申 2:7)は、「神はあなたを祝福され、これまであなたは何一つ欠けたことがなかった。それゆえ」、(1)「あなたは乞う必要はない。全能の神に依り頼むとき、エドムびとに恩義を受けることを軽蔑せよ。あなたは求めるものに支払う手段を持っている(神の祝福に感謝せよ!)。それゆえ持っているものを用い、喜んで用い、エドムびとにたかってはならない」。(2)「それゆえ盗んではならない。あなたは自分に関する神の摂理の配慮を経験した。その継続への信頼と、その十分さの確固たる信仰において、将来の供給のために決して間接的な方法を用いてはならない。剣によってではなく、信仰によって生きよ」。

⁸ そうしてわれわれはセイルに住んでいる兄弟、エサウの子らから離れ、エラテとエジオン・ゲベルからの平野の道を通って過ぎ去り、モアブの荒野の道に向きを変えて過ぎた。 ⁹ 主は私に言われた、「モアブびとを悩ませてはならない。彼らと戦ってはならない。わたしは彼らの地を所有としてあなたに与えないからである。わたしはアルをロトの子らに所有として与えたからである。 ¹⁰ エミムびとが昔そこに住んでいた。数多く、背の高い民で、アナクびとと同じように。 ¹¹ 彼らもまた、アナクびとと同じように巨人とみなされていたが、モアブびとは彼らをエミムびとと呼んでいた。 ¹² ホリびともまた昔セイルに住んでいたが、エサウの子らが彼らをその前から滅ぼし、彼らに代わってそこに住むようになった。主が彼らに与えられたイスラエルの所有の地でしたのと同じように。 ¹³ さあ立って、ゼレデ川を渡れ。われわれはゼレデ川を渡った。 ¹⁴ われわれがカデシュ・バルネアから出発してゼレデ川を渡るまでの期間は三十八年であった。主が彼らに誓われたように、戦争の人々のその世代がみな、軍勢から絶たれるまで。 ¹⁵ 実に主の手が彼らに向けられ、彼らが消え尽きるまで、軍勢から彼らを滅ぼされた。 ¹⁶ こうして戦争の人々がみな消え尽きて、民の中から死んだとき、 ¹⁷ 主は私に語って言われた、 ¹⁸ 「あなたは今日、モアブの領土アルを通って渡ろうとしている。 ¹⁹ そしてあなたがアンモンの子らの近くに来たとき、彼らを悩ませず、彼らにかかわってはならない。わたしはアンモンの子らの地を何もあなたに与えないからである。わたしはそれをロトの子らに所有として与えたからである。 ²⁰ (そこもまた巨人の地とみなされていた。昔巨人がそこに住んでいた。アンモンびとは彼らをザムズミムびとと呼んでいた。 ²¹ 数多く、背の高い民で、アナクびとと同じように。しかし主が彼らの前から彼らを滅ぼされたので、彼らは彼らに代わってそこに住んだ。 ²² セイルに住んでいたエサウの子らについて、主がその前からホリびとを滅ぼして彼らに代わわらせ、今日までそこに住ませたのと同じように。 ²³ またハゼリムに住んでいたアビムびとについては、カフトルから出たカフトルびとが彼らを滅ぼし、彼らに代わって住んだ)。

ここで注目すべきは、モーセがエドムびとについて語るとき(申 2:8)、彼らを「私たちの兄弟、エサウの子ら」と呼んでいることである。彼らがその国を平和に通過することを拒否してイスラエルに不親切であったにもかかわらず、彼は彼らを兄弟と呼ぶ。というのも、私たちの親族がその義務において失敗したとしても、私たちはその関係の感覚を保ち、機会がある限り彼らへの義務において欠けてはならないからである。さてこれらの節には次の事がある。

一、モーセがここで言及する機会のあった国々——モアブびと、エドムびと、アンモンびと——の起源についての説明。私たちは彼の歴史の他の部分から、彼らが誰の子孫であるかをよく知っている。しかしここで彼はイスラエルが彼らを見出した国々に彼らがどしてはいったかを教える。彼らは原住民、すなわち最初の定住者ではなかった。1. モアブびとは、エミム(すなわち恐るべき者たち)と呼ばれる無数の巨人の種族に属していた国に住んでいた。アナクびとと同じほど背が高く、おそらくはるかに激しかった(申 2:10,11)。2. エドムびとは同様にホリびとをセイル山から追い払い、その国を取った(申 2:12、および再び申 2:22)。これについては創世記 36:20 で読む。3. アンモンびともまた、かつてザムズミムびと——狡猾な人々あるいは悪い人々(申 2:20,21)——と呼ばれる巨人が住んでいた国の所有を得た。おそらく創世記 14:5 でズジムと呼ばれている者たちと同じ。彼はこれらの注釈を、これらのいずれよりも古い事例によって説明する。カフトルびと(ペリシテびとと同族、創 10:14)がアビムびとをその国から追い出し、それを所有した(申 2:23)。学識あるパトリック主教は、ここから追放されたこれらのアビびとがアッシリアに定住し、その名の下で読む人々と同じであると推測する(王二 17:31)。さてこれらの革命は記録されている。(1) 洪水の後、世界がいかに速やかに人で満たされたかを示すため。一族が数を増したとき、すでに定住している者たちを追い出さなければ、定住する場所を見つけることができないほど(少なくともその世界のその部分では)よく人で満たされていた。(2) 駆ける者に競争はなく、強い者に戦いはないことを示すため。巨人は普通の身長の者たちによって追い出された。というのも、おそらくこれらの巨人たちは、洪水の前の者たち(創 6:4)と同様に、不信心と圧迫で悪名高く、それが彼らの大きな力では防げなかった神の裁きをもたらしたからであろう。(3) 世的な所有がどれほど不確かなものであるか、そしてそれらがどれほどしばしば持ち主を変えるかを示すため。昔からそうであり、永遠にそうであろう。家族は衰え、そこから財産は増える家族に移される。これらの事にはこれほどの一定性や継続性はない。(4) 今やカナンを所有しようとしているイスラエルの子らを、彼らが出会う困難に対して奨励するため。またアナクの子らを恐れた者たちの不信仰を示すため。ここで征服されたと言われている巨人たちは彼らと比較されている(申 2:11,21)。もし神の摂理がモアブびととアンモンびとのためにこれをしたなら、ましてや神の約束は神の特別な民イスラエルのためにするであろう。

二、イスラエルのカナンに向けた前進。彼らはモアブの荒野の道を通って過ぎ(申 2:8)、次いでゼレデの谷を渡った(申 2:13)。そこでモーセは、シナイ山で数えられた者たちのだれも神が約束された地を見ないという、神が彼らについて語られたことばの成就に注意を向ける(民 14:23)。その宣告にしたがって、今や彼らがカナンに顔を向け、それを目にし始めたとき、彼らがみな滅ぼされ尽き、一人も残されていないことが注目される(申 2:14)。普通の摂理は、およそ三十八年で新しい世代を起こすと観察できる。それでその間に古い世代の残る者は少ない。しかしここでは完全に新しく、カレブとヨシュア以外はだれも残らなかった。実に主の手が彼らに向けられていたからである(申 2:15)。神の手が彼らに向けられている者たちは、消え尽きるまで衰えずにはいられない。観察せよ。イスラエルは、苦労に慣れ、エジプト人から戦争の術を学んだベテラン連隊である戦争の人々がみな民の中から消え尽きて死ぬ(申 2:16)まで、カナン人と戦うよう召されなかった。これはカナンの征服が新しく起こされた軍勢、荒野で訓練された軍勢によって成し遂げられることで、力の卓越性がいっそう明らかに人ではなく神のものであることが示されるためであった。

三、モアブびとやアンモンびとにかかわってはならないという警告。彼らの所有を奪ってはならず、その所有において彼らを煩わせてもならなかった。彼らを悩ませず、彼らと争ってはならない(申 2:9)。モアブびとはイスラエルを滅ぼすことを企てた(民 22:6)が、イスラエルは彼らを滅ぼすことを企ててはならなかった。もし他の者が私たちに害を意図するとしても、それは私たちが彼らに害を意図することを正当化しない。しかしなぜモアブびとやアンモンびとにかかわってはならないのか。1. 彼らはロトの子らであったから(申 2:9,19)。ソドムでその誠実を保った義なるロト。観察せよ。子らはしばしばこの世において、その先祖の信心のゆえに良く扱われる。直ぐなる者の子孫は、退化するとはいえ、世的な良いもので祝福される。2. 彼らが所有していた地は神が彼らに与えたものであり、神はそれをイスラエルのために意図されなかったから。悪人でさえその世的な所有に対する権利を持ち、不当に扱われてはならない。毒麦は畑においてその場所を許され、収穫まで引き抜かれてはならない。神は悪人に外的な祝福を与え、保たれる。これらが最良のものではなく、神はご自身の子らのためにさらに良いものを蓄えておられることを示すためである。

Deuteronomy 2章 24-37 Matthew Henry's Complete Commentary

History of the Moabites (1451 BC)

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モアブびとの歴史(紀元前1451年)

24 立って、旅立ち、アルノン川を渡れ。見よ、わたしはヘシュボンの王、アモリびとシホンとその地をあなたの手に渡した。始めてこれを獲よ。彼と戦え。
25 きょうわたしは、全天の下の国々の民に、あなたに対する恐れとおののきを始めて置く。彼らはあなたについてのうわさを聞き、あなたのゆえに震え、苦しむであろう。
26 そしてわたしはケデモテの荒野からヘシュボンの王シホンに平和の言葉をつかとして送り、言った、
27 わたしにあなたの国を通らせよ。わたしは大路を行き、右にも左にも曲がらない。
28 あなたは食べ物を金で売って、わたしが食べられるようにせよ。水をも金で与えて、わたしが飲めるようにせよ。ただ足で歩いて通るだけである。
29 セイルに住むエサウの子孫や、アルに住むモアブびとがわたしにしたように。ヨルダンを渡って、われわれの神、主が与えられる地にはいるまで。
30 しかしヘシュボンの王シホンはわれわれを通らせようとしなかった。あなたの神、主が彼の霊をかたくなにし、その心を強情にされたからである。今日見るように、彼をあなたの手に渡すために。
31 主はわたしに言われた、見よ、わたしはあなたの前にシホンとその地を与え始めた。始めてこれを獲よ。それはあなたがその地を獲るためである。
32 その時シホンはわれわれに向かって出て来た。彼とそのすべての民はヤハズで戦うために。
33 われわれの神、主は彼をわれわれの前に渡された。そしてわれわれは彼とその子らとそのすべての民を撃った。
34 われわれはその時、彼のすべての町を取り、男も女も幼な子も、すべての町の者を聖絶した。残した者はひとりもなかった。
35 ただ獲物として家畜と、われわれが取った町のぶんどり物を取った。
36 アルノン川のほとりにあるアロエルから、川のほとりの町から、ギレアデに至るまで、われわれに強すぎる町は一つもなかった。われわれの神、主はすべてをわれわれに渡された。
37 ただアモンびとの子らの地には近づかなかった。ヤボク川のすべての場所にも、山の町々にも、われわれの神、主が禁じられたすべての場所にも。

神がモアブびとやアモンびとにかかわることを禁じることによってその民の自己否認を試みられ、彼らが静かにそれらの豊かな国々を通り過ぎ、数において勝っていても彼らを攻撃しなかったので、ここで神は彼らの従順に報い、アモリびとの王シホンの国の所有を彼らに与えられる。もし私たちが神が禁じるものを控えるなら、神が約束されるものを受け取るであろう。そして従順によって最後には損をしない。現在は損に見えるかもしれないが。他者を損なわず、神はあなたを正されるであろう。

一、神はヘシュボンの王シホンの国を占領するよう彼らに委任される(申 2:24、25)。これは当時神が王国を処分される方法であったが、そのような特定の授与は今や期待されず、主張されもしない。この委任において観察せよ。1.神が地が彼らのものになることを保証されたが、彼らは自ら努め、敵と戦わなければならなかった。神が与えられるものを私たちは獲得に努めなければならない。2.神は彼らが戦う時、彼らのために戦うことを約束される。「あなたはこれを獲ち始めよ。わたしは彼らの上にあなたの恐れを置き始める。」 神は敵の気勢をそぎ、こうして彼らを滅ぼし、イスラエルを大きく示し、こうして彼らが委任されたすべての者に恐れを与えるであろう。出 15:14を見よ。

二、モーセはシホンに平和の言葉を送り、ただその国を通ることを願い、国に騒動を与えないこと、しかしすぐに支払う金で取引する利益を約束する(申 2:26-29)。モーセはこれによって神に従わず——神はシホンと戦えと命じられた——シホンを欺いたのではない。おそらく神の導きによって彼はこれを行った。シホンが言い訳の余地のない者とされるためであった。神が彼の心をかたくなにされたにもかかわらず。これは、神が福音を与えられるが、それを信じる恵みを与えられない者たちへの神の扱いの方法を例示するかもしれない。

三、シホンは戦争を始めた(申 2:32)。神が彼の心を強情にし、彼の平和のために属するものを彼の目から隠された(申 2:30)。彼をイスラエルの手に渡すために。神の民にかかわる者は自分の損害にかかわる。そして神は時折ご自身の敵を彼ら自身の決意によって滅ぼされる。ミカ 4:11-13、黙 16:14を見よ。

四、イスラエルは勝利した。1.彼らはすべてのアモリびと——男、女、子ども——を剣にかけた(申 2:33、34)。これは彼らが神の怒りの執行者として行った。今やアモリびとの不義の尺度は満ち(創 15:16)、満ちるのに時間がかかればかかるほど、最後の精算はいっそう厳しかった。これは聖絶の民の一つであった。彼らはイスラエルの敵としてではなく、神の正義への犠牲として死んだ。その犠牲のささげ物においてイスラエルは祭司の王国として用いられた。それゆえ事例は例外的であり、軍事執行の前例に引き出されるべきではない。それは区別をせず、容赦を与えない。「あわれみを示さない者は、あわれみなしのさばきを受けるであろう。」 2.彼らはすべてのものの所有を取った。彼らの町々(申 2:34)、彼らの財産(申 2:35)、彼らの地(申 2:36)。罪人の富は正者のために蓄えられる。なんと新しい世界にイスラエルは入ったことであろう! 彼らのほとんどは生まれ、生涯のすべての日を広大な、うめき声を上げる荒野で過ごした。そこで彼らは野や町が何であるかを知らず、住む家もなく、種まきも刈り入れもしなかった。そして突然、これほど良く建てられ、これほど良く耕された国の主人となる。これは彼らの長い待機の埋め合わせとなった。しかしそれはさらに大いなるものの保証に過ぎなかった。聖なる魂がこの世の荒野からより良い国、すなわち天の国、基礎のある町に移る時に経験する変化は、はるかに喜ばしいものであろう。