Matthew Henry's Complete Commentary
Matthew Henry · 1714
Matthew Henry 사후(1714) 공개 도메인. 디지털판 CC0-1.0.
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Matthew Henry · 1714
Matthew Henry 사후(1714) 공개 도메인. 디지털판 CC0-1.0.
Robert Jamieson, A. R. Fausset, David Brown · 1871
Commentary Critical and Explanatory on the Whole Bible (1871). CCEL expanded electronic edition states it is in the public domain.
Albert Barnes · 1834
Albert Barnes' Notes on Revelation Of St. John The Divine (New Testament, English original, public domain). Sourced from the Christian Classics Ethereal Library (CCEL). Public domain. Retrieval mirror: biblehub.com/commentaries/barnes.
Adam Clarke · 1831
Public domain English commentary by Adam Clarke, normalized from Wikisource book pages for scripture.how. Public domain. Retrieval mirror: biblehub.com/commentaries/clarke.
John Gill · 1763
John Gill(1697-1771), Exposition of the Old and New Testament(1746-1763). Public domain. Retrieval mirror: biblehub.com/commentaries/gill.
John Calvin · 1850
종교개혁 신학 원천 (영역본 PD, 대부분 — 전권 아님)
Matthew Poole · 1685
간결 절별 전권 개혁주의 주석
ed. H.D.M. Spence & Joseph S. Exell · 1890
전권 강해·설교·예화 풍부 (항목 대량)
Carl F. Keil, Franz Delitzsch · 1866
구약 학술 표준 — 히브리어·문헌비평·고대근동 배경
ed. Charles J. Ellicott · 1878
학술+가독 균형 전권 주석
Cambridge (다저자) · 1900
준전권 준학술 (권별 저자·연도 확인)
Marvin R. Vincent · 1887
신약 헬라어 단어 연구
A.T. Robertson · 1933
헬라어 시제·문법 해설 결정판 (KR PD / US 1931+ 권별)
ed. W. Robertson Nicoll (다저자) · 1910
헬라어 신약 학술 (권별 저자 PD 확인 필요)
Heinrich A.W. Meyer · 1880
신약 학술 정밀주해 (독일 — K&D 대응)
John Wesley · 1755
간결 실용 전권(NT 1755 / OT 1765) 웨슬리안
Joseph Benson · 1815
웨슬리안 전권 주석
Charles H. Spurgeon · 1885
시편 주석 고전 (설교 자료 풍부)
Alexander Maclaren · 1910
설교형 강해 명저 (전권, 절별 가공 필요)
B.W. Johnson · 1891
평이 절별 신약 해설 (일반신자·모바일)
Thomas Coke · 1803
감리교 전권 주석
John Trapp · 1660
청교도 전권 주석 — Henry/Gill 보완
Charles Hodge · 1860
프린스턴 조직신학 관점 신약 정밀 주석 (롬·고전후·엡)
この章は、イザヤ39:1-8の終わりまで続くイザヤ書の歴史的な部分の始まりである。主要な主題は、センナケリブとその軍勢の滅亡である。また、ヒゼキヤの病と回復、彼がその回復を祝って歌った歌、およびバビロン王の使者たちにその宝物を見せたときの彼の誇示についての記述も含む。2 Chronicles 32:32には次の記録がある。「ヒゼキヤのその他の行跡とその善行は、見よ、それらはアモツの子イザヤの幻のうちに書かれている」。そして、歴代誌の著者がほぼ確実に指しているのは、イザヤ書のこの部分である。
イザヤがセンナケリブの侵入と滅亡の記録を残したことには、明らかな妥当性があった。その出来事は彼の預言的告知のかなりの部分を占めており、彼がそれらの成就を見るまで生きたのであるから、彼がその出来事を記録することは適切であった。こうして、預言とその成就とを互いに比較することができる。また、預言が出来事の前に語られたという最も強い内的証しがあると同時に、この主題に関するすべての予告の最も驚くべき明確な成就もあるのである。
これらの出来事の並行した歴史は、2 Kings 17-20と2 Chronicles 32にも見られる。歴代誌の歴史は、同じ出来事の記述を含んではいるが、明らかに別の手によるものである。というのは、同じ出来事の記述を含むという以上の類似点を、それはこの記述とまったく持たないからである。しかし、ここの記述と列王記の記述との間には最も顕著な類似があり、主として同一の手によるものであることを示すほどである。イザヤが元の著者であったのか、それとも彼が列王記に見出した歴史を書き写したのか、それとも彼と列王記の著者との両方が、今は失われたある元の文書から書き写したのか、それとも、バビロン捕囚からの帰還後の預言書の編集者たちが、そのような歴史はイザヤの預言を適切に説明するであろうと判断して、ある歴史記録からこの記述を書き写し、彼の預言の中に挿入したのか、ということが問いの対象とされてきた。最後のものがローゼンミュラーの意見である——歴史的証拠をすべて、実に確率らしきものすべてを明らかに欠いている意見である。最も明白で公正な想定は、疑いなく、この歴史がイザヤによってここに挿入されたか、あるいは彼が2 Chronicles 32:32の記述に従ってこの記録を作った、ということである。ゲゼニウスもまた、本質的にローゼンミュラーと一致して、この歴史は列王記の歴史の練り上げたものであること、またバビロン捕囚の後にイザヤ書を収集し編集した誰かによって現在の形にまとめられたものであると想定する。ヴィトリンガは、列王記とイザヤ書の両方の記述が共通の歴史的文書に由来し、列王記の著者とイザヤによって採用され、いくらか省略され修正されたと想定する。
この主題に関して真実を決定することは今や不可能であり、またそれほど重要でもない。この主題がより詳しく論じられているのを見たいと望む者は、ヴィトリンガ、ローゼンミュラー、ゲゼニウスを参照するとよい。ゲゼニウスの見解が主として価値があるのは、彼がイザヤ書の記述と列王記の記述との比較に踏み込んでいるからである。以下の注記は、私が述べることが望ましいと思われるすべてであり、私がこの主題について形成し得た結論を表わしている。
二つの記述は共通の起源を持ち、実質的には同一の手による産物である。これはそれらの外観そのものから明白である。同じ叙述の順序が追われ、同じ表現が現われ、同じ作文の様式が見出される。確かに、聖霊が、同じ出来事を記録するにあたって同じ様式と表現を採るよう二人の異なる著者たちに感動をお与えになったことはあり得るが、これは聖書の他の箇所で見られる方式ではない。すべての聖なる著者は、自分自身の叙述の方法を追い、自分自身の様式と仕方で自分を表現することが許されているのである。
二つの記述がより完全な叙述から省略されたという証拠はない。そのようなことはあり得るし、その想定に何の不都合もない。しかし、それは歴史的裏づけを欠いている。今は失われた歴史書がユダヤ人たちの間に存在したこと、また、現在われわれが持っている歴史書の著者たちが情報を汲み取った源泉となった公の記録が存在したことは、旧約聖書を読む者なら誰も疑えない。こうして、ガドの書、先見者イドの書、ナタンの書、シロ人アヒヤの預言、預言者エフの書についての記述がある(2 Chronicles 9:29、2 Chronicles 20:34、1 Kings 16:1)。これらはすべて、旧約聖書の歴史書と預言書に組み込まれている限りにおいてを除き、今は失われている。それゆえ、これらの記述がそのような共通の記録から省略された可能性はあるが、その事実への歴史的証言はない。
イザヤ書のこれらの章が、エズラによって、あるいは聖書を収集しバビロンからの帰還後にその改訂版あるいは版を出版した他の霊感された人々によって挿入されたという証拠はない。エズラとその同時代人たちによってそのような仕事が行われたことは、すべてのユダヤ人歴史家たちの証言である(アレクサンダー博士の「聖書正典について」を参照)。しかし、彼らがこのようにして以前の歴史書から完全な歴史的叙述をイザヤの書に導入したこと、あるいは彼らがここに挿入されるべきこの歴史を書き上げたことへの歴史的証拠はない。そのようなことは他のどこでも行われていない。そしてもしこの機会に行われたのであれば、成就した他のすべての預言の成就の歴史的記録をも彼らが挿入したであろうと考える理由が、われわれにはあったはずである。したがって、イザヤの予告の成就の証明として、ダマスコとシリヤの没落、サマリヤ、モアブ、バビロン、ツロの滅亡の歴史的記述を期待したことであろう。センナケリブの滅亡の記述が選び出されて他のものに優先して挿入される理由があり得ようがない。そしてこれは特にバビロンに関して真である。イザヤ書13章、14章の預言は最も顕著で明確であり、その成就もまた最も驚くべきものであった。エズラとその同時代人たちの関心は、センナケリブの滅亡においてよりもその事がらにおいてはるかに深かったに違いない。それゆえ、もし彼らがセンナケリブに関するこの叙述を挿入したのであれば、その主題に関する預言の成就を示すものとして、バビロンの転覆と彼らの救出についての完全な記述をもわれわれに与えなかったことは、説明がつかない。
列王記の著者は不明である。これらの書、ならびに歴代誌および旧約聖書の他のいくつかの歴史書が、預言者たちによって書かれたこと、あるいは少なくとも預言者たちによって書かれた歴史素描から、ある霊感された人によって編集・配列されたことについては、信ずべき理由がある。そのような素描あるいは叙述には、書物自体の中で頻繁に言及が見られる。こうして、預言者ナタンとシロ人アヒヤと先見者イドはソロモンの行跡を記録し(2 Chronicles 9:29)、同じ先見者イドと預言者シマヤはレハベアムの行跡を記録した(2 Chronicles 12:15)。こうしてヨシャパテの行跡はエフの書に書かれ(2 Chronicles 20:34)、またイザヤはウジヤ王の行跡を(2 Chronicles 26:22)、ヒゼキヤの行跡をも書いた(2 Chronicles 32:32)。これらの歴史的素描あるいは断片の多くはわれわれに伝わっていない。しかし、われわれに不可欠であったものはすべて、疑いなく聖なる叙述の中に組み込まれ、現代に伝えられている。これらの歴史の多くは、単なる断片あるいは公文書、一つの治世の、あるいは治世の中のある重要な事実の叙述や素描にすぎず、後に改訂されてより広範な歴史に挿入されたのであるから、結局のところ、われわれが現在所有している歴史書に、これらの断片のすべて、あるいはほぼすべてが組み込まれているのかもしれない。
イザヤがこのように王たちの歴史のいくつかの部分を書いたことが知られているのであるから、彼の歴史は、その記録が誰によってまとめられるにせよ、王たちの記録に組み込まれていたであろうことが起こり得る。実際、列王記全体の構成は多くの著者たちによってイザヤに帰せられてきたが、グロティウスや他の何人かはそれをエレミヤに帰している。しかし、一般的で確からしい意見は、列王記がエズラによって現在の形に整理されたということである。それゆえ私は、イザヤが列王記におけるセンナケリブの侵入に関する章を書き、列王記の編集者が——それが誰であれ——その断片を自らの歴史の一部として採用し、ここにイザヤ書においてわれわれが持っている部分は、彼の預言の書にそれを導入するにあたっての目的に適合するよう、改訂され、ある箇所では省略され、ある箇所では拡大された同じ断片である、と考えることが起こり得る。しかし、これが推測であることは認められる。それでも、あらゆる考察が、これがイザヤの仕事であると考えるようわれわれを導かねばならない(緒論第5節を比較せよ)。
これらの章に含まれる歴史の部分は、いくつかの点で列王記の記録と異なる。歴史的事実に関しては差異はないが、その差異は叙述の完全さといくつかの語の変更に関係している。最も本質的な差異は、列王記に見られるいくつかの文と文の構成部分がイザヤ書では省略されていることである。これらの相違は説明の中で注意が向けられるであろうし、ここで特にそれらに言及する必要はない。
第36章は次の部分、あるいは主題を含む。
センナケリブはユダの要塞の大部分を取った後、ラブシャケに大軍を率いさせてエルサレムを包囲し、降伏を促すために遣わした(イザヤ36:1-2)。
ヒゼキヤは、明らかに彼を都から退かせるために、ラブシャケに会うための使節を遣わした(イザヤ36:3)。
ラブシャケはこの使節に向かって、高ぶった、無礼であざける言葉で語りかけ、彼らがエジプトに信頼を置いていることとその弱さをとがめ、センナケリブがヤハウェの命令によってこの都に攻め上ってきたことを保証した(イザヤ36:4-10)。
ユダの使節は、城壁の上の一般の民が聞かないようにと、ラブシャケにアラム語、すなわちシリヤ語で話すよう求めた(イザヤ36:11)。
これに対して彼は、彼らが聞くために自分が来たのだと答え、ヒゼキヤへの信頼から彼らを引き離し、センナケリブに服従するよう促し、彼らを連れて行く地での豊かさを約束した(イザヤ36:12-20)。
これらすべてに対して、ヒゼキヤの使節は何も言わず、指示されていたとおりに、悲しみと嘆きの深い表現とともに都に戻った(イザヤ36:21-22)。
Sennacherib, king of Assyria, comes against Judah, and takes all the fenced cities, Isaiah 36:1. He afterwards sends a great host against Jerusalem; and his general Rabshakeh delivers an insulting and blasphemous message to Hezekiah, vv. 2-20. Hezekiah and his people are greatly afflicted at the words of Rabshakeh, Isaiah 36:21, Isaiah 36:22.
The history of the invasion of Sennacherib, and of the miraculous destruction of his army Which makes the subject of so many of Isaiah's prophecies, is very properly inserted here as affording the best light to many parts of those prophecies, and as almost necessary to introduce the prophecy in the thirty-seventh chapter, being the answer of God to Hezekiah's prayer, which could not be properly understood without it. We find the same narrative in the Second Book of Kings, chaps. 18, 19, 20.; and these chapters of Isaiah, 36, 37, 38, Isaiah 39:1-8, for much the greater part, (the account of the sickness of Hezekiah only excepted), are but a different copy of that narration. The difference of the two copies is little more than what has manifestly arisen from the mistakes of transcribers; they mutually correct each other, and most of the mistakes may be perfectly rectified by a collation of the two copies with the assistance of the ancient versions. Some few sentences, or members of sentences, are omitted in this copy of Isaiah, which are found in the other copy in the Book of Kings. Whether these omissions were made by design or mistake may be doubted. - L.
INTRODUCTION TO Isaiah 36
In this chapter we have an account of the king Assyria's invasion of Judea, and of the railing speech of Rabshakeh his general, to discourage the ministers and subjects of the king of Judah. The time and success of the invasion are observed in Isaiah 36:1 the messenger the former king sent to the latter, and from whence, and with whom, he conferred, Isaiah 36:2, the speech of the messenger, which consists of two parts; the first part is directed to the ministers of Hezekiah, showing the vain confidence of their prince in his counsels and strength for war, in the king of Egypt, and in his chariots and horsemen, and even in the Lord himself, pretending that he came by his orders to destroy the land, Isaiah 36:4. The other part is directed to the common people on the wall, he refusing to speak in the Syrian language, as desired, Isaiah 36:11, dissuading them from hearkening to Hezekiah to their own deception; persuading them to come into an agreement with him for their own safety and good; observing to them that none of the gods of the nations could deliver them out of his master's hands, and therefore it was in vain for them to expect deliverance from the Lord their God, Isaiah 36:13, to which neither ministers nor people returned any answer; but the former went with their clothes rent to Hezekiah, and reported what had been said, Isaiah 36:21.
Chapters 36–39
These chapters form the conclusion of the first part of the book of Isaiah. They contain narratives of three important historical events, each of which illustrates the commanding influence exercised by the prophet in the reign of Hezekiah. These are:—(1) the unsuccessful efforts of Sennacherib to obtain possession of Jerusalem by threats and blandishments (ch. 36, 37); (2) Hezekiah’s sickness and recovery ch. 38); and (3) the embassy of Merodach-Baladan to Hezekiah ch. 39). At a time when the books of Scripture circulated separately it was important that readers of the book of Isaiah should have before them all the information about the career of the great prophet that could be collected from authentic sources; and there is no reasonable doubt that these chapters are an excerpt from the canonical books of Kings (2 Kings 18:13 to 2 Kings 20:19). The view of Vitringa and others that Isaiah himself is the author, and that the passage was transferred from his pages to those of the historian, is not borne out by a comparison of the two texts. Not only is the text in Kings on the whole superior to that in Isaiah, but the narrative before us reveals its secondary character by a tendency towards abridgement and simplification; and in other respects shews “manifest traces of having passed through the hands of the compiler of Kings” (Driver, Introd., p. 215). Moreover, it is extremely unlikely that the death of Sennacherib (b.c. 681) recorded in Isaiah 37:38 happened within the lifetime of Isaiah. That the editor of the books of Kings drew in his turn upon an older document is probable; but there is no reason to suppose that the Isaianic editor used this work as an independent authority.
The only important differences between the two narratives are: (a) the omission in Isaiah of the account of Hezekiah’s submission (2 Kings 18:14-16); and (b) the addition of Hezekiah’s Psalm of Thanksgiving on his recovery (ch. Isaiah 38:9-20). The omission (a) can be explained by the author’s desire to pass over an incident which was not of immediate interest for the biography of Isaiah. (Other critical and historical questions raised by these verses do not concern us here; but see General Introduction, pp. xix ff.) The Song of Hezekiah must have been added from a separate source.
Ch. 36, 37 Hezekiah, encouraged by Isaiah, resists Sennacherib’s summons to surrender
We have here to all appearance the record of two successive attempts of the Assyrian king to extort the surrender of Jerusalem; in the first instance by a display of armed force (Isaiah 36:1 to Isaiah 37:8), and then by a threatening letter to Hezekiah (Isaiah 37:9-38). There is certainly some improbability in the view thus presented of Sennacherib’s conduct. The advance of Tirhakah no doubt rendered the possession of Jerusalem more than ever indispensable to his safety, and a second summons to Hezekiah after the first had failed is in these circumstances perfectly intelligible. But it is less easy to suppose that he could have expected Hezekiah, with Ethiopian succour at hand, and after having defied a detachment of the Assyrian army, to yield to a mere letter, and one that simply repeats the former arguments with no additional inducement to surrender. There is besides a close parallelism between the two incidents which suggests the possibility that the chapters may contain two versions of the same occurrence instead of a single narrative of two successive events. If this view be correct the first narrative breaks off in the middle of Isaiah 37:9 with the words “and when he heard it,” and is resumed and concluded in Isaiah 37:37-38. The duplicate version is given in the intermediate section (Isaiah 37:9 b – Isaiah 37:36). The assumption may not be quite necessary, but it has commended itself even to cautious critics like Dillmann and Kittel, and deserves consideration. Nor does it seriously affect the historic credibility of the record. The discrepancies are perhaps not greater than between parallel accounts in the four Gospels.
Jamieson-Fausset-Brown Commentary Critical and Explanatory on the Whole Bible
イザ 36:1-22。
センナケリブの侵入。神をけがす勧誘。ヒゼキヤはそれらを知らされる。
この章と第37章から第39章はイザヤの預言の第一部を閉じる歴史的付録をなす。アッシリアに関連する部分をより分かりやすくするために加えられた。
エレミヤ 52:1-34
も同様。
列王紀下 25:1-30 を比較せよ。
この部分はほとんど一言一句同じである
(列王紀下 18:13, 17-20; 19:1-37)。
ただし
列王紀下 18:14-16
は追加の事柄。ヒゼキヤの「書き物」もイザヤ書にあり、列王記にはない
(イザ 38:9-20)。
歴代誌下 32:32 から、イザヤがヒゼキヤの行いを書いたことがわかる。それゆえ、ここでの彼の記録
(イザ 36:1-39:8)
がその編者によって列王記に組み込まれた可能性が高い。アッシリア碑文によれば、センナケリブは侵入後20年以上生きた。しかしイザヤはヒゼキヤより長生きし
(歴代誌下 32:32)、
ヒゼキヤは侵入後15年以上生きたので
(イザ 38:5)、
センナケリブの死の記録
(イザ 37:38)
はこの部分がイザヤに由来することへの異議ではない。
歴代誌下 32:1-33
はおそらくイザヤの記述から引き出された要約。歴代誌記者自身が暗示するように
(歴代誌下 32:32)。
プルはおそらく古い王朝の最後であり、サルゴンは最高権力を手中に収め、新たな王朝を創始した有力な総督であった(
イザ 20:1 の注釈を参照)。
彼の力強い治世中、ユダによるアッシリアのくびきを振り払う試みはなかった。彼の息子センナケリブの即位は、長く払われてきた貢ぎ物を拒む好機とヒゼキヤによって考えられた。エジプトとエチオピヤはアジアの国境でアッシリアに対抗する同盟者を確保するため、援助を約束した。イザヤはアッシリアへの服従には反対したが、エジプトではなく主への依拠を助言した。しかし彼の助言は無視され、それゆえ紀元前712年にセンナケリブはユダに侵入した。彼は発掘された宮殿の中で最大のもの、コユンジクの宮殿の建設者であった。ヒンクス(HINCKS)が碑文に彼の名を解読した。彼の治世の第3年に、碑文は彼がシリヤを蹂躙し、シドンと他のフェニキヤの都市を奪い、次に南西パレスチナに進み、そこでエジプト人とエチオピヤ人を破ったと述べる
(列王紀下 18:21; 19:9 を比較せよ)。
彼の軍勢が神によって滅ぼされた後の彼の撤退は、もちろん碑文では隠されている。しかし碑文に記された他の詳細は聖書と著しく一致する。「ユダの堅固な町々」の陥落、国の荒廃と住民の追放。ヒゼキヤに課された増額された貢ぎ物——金30タラント——この正確な数が両方に与えられている。銀は碑文では800タラント、聖書では300タラントと記される。後者は実際に持ち去られた額であり、より大きい額は神殿の扉、柱等の銀を含むのかもしれない
(列王紀下 18:16)。
1. 第十四——センナケリブの治世の第3年。彼の最終目的はエジプト、ヒゼキヤの同盟者であった。それゆえ彼は軍の主力とともに
(歴代誌下 32:9)、
南西パレスチナのエジプトの国境に向かって進み、エルサレムには近づかなかった。
「ヒゼキヤの第十四年に」− 彼の治世の、紀元前709年である。
「セナケリブが」− セナケリブはアッシリヤの王シャルマネゼルの子であり後継者であって、A.M. 3290、すなわち紀元前714年に治世を開始し、カルメによればわずか四年、プリドーによれば八年、ゲゼニウスによれば十八年間治めた。ユダに対するこの戦争の直接の契機は、ヒゼキヤが、その父アハズと国民とがティグラテ・ピレセルあるいはシャルマネゼルの下でこれほど苦しんだアッシリヤのくびきを振り捨てたという事実であった(2 Kings 18:7)。ユダヤを再び服従させること、また征服をエジプトへ及ぼすことも、この名高い遠征の目的であったと思われる。彼は国を荒らし、堅固な町々と要塞を取り、それからエルサレム自体の包囲を準備した。しかしヒゼキヤは、セナケリブの軍勢がユダヤに入るやいなや、エルサレムを完全な防御態勢に置く準備をした。彼は相談者たちの助言により、都の近隣を流れ、包囲軍に潤いを与えうる水を止め、破れた城壁を築き上げ、泉の一つを城壁の内に囲み、侵略者を撃退するために盾と投げやりを豊かに備えた(2 Chronicles 32:2-5)。
セナケリブは、エルサレムを容易に取る望みが断たれたのを見て、明白に和議の条件に耳を傾ける気になった。ヒゼキヤは彼のもとに使者を遣わして和平を提案し、どんな条件で軍勢を退くかを尋ねさせた。彼は、父が定めた貢物を納めなかった自分の過ちを認め、今やセナケリブが要求するものは何でも支払う用意があるとした。セナケリブは銀三百タラントと金三十タラントを要求した。これはヒゼキヤによって、宝物庫を使い果くし、神殿からさえ金を剥ぎ取ることによって支払われた(2 Kings 18:13-16)。この条約において、セナケリブが軍勢を引き上げ、自分の国へ帰ることは明らかに了解されていた。しかしこの条約を彼は最終的に無視した(Isaiah 33:8 の注解を参照)。それでも彼はヒゼキヤにいくらかの猶予を与え、エルサレムへの攻撃をエジプトからの帰還まで延ばしたように見える。このエジプトとの戦争を、彼は当初大いに成功のうちに、またその国征服の見込みをもって進めた。
しかしペルシウムを包囲し、成功のないまま長い時間をその前に費やしたあげく、ついに包囲を解いて退却することを余儀なくされた。エチオピヤの王ティルハカが、エジプトの当時の君主セベコスを援助するために来て、ペルシウムの救援に進んだので、セナケリブは包囲を解いてユダヤへ退かざるを得なかった。ここで彼はラキシを取った後、ヒゼキヤとの協定を無視して、ラブシャケの下に一軍をエルサレムへ遣わし、都を包囲させた。これが、私たちの面前にあるこの箇所が言及している、セナケリブの歴史における時点である(プリドー『Connection』第1巻138〜141頁; ヨセフス『古代誌』第10巻1章; ゲゼニウス「同所」; ロビンソン版カルメを参照)。
「すべての堅固な町々を」− エジプトへ向かう途上の、またエルサレムの近隣にある、すべての町々である(Isaiah 10:28-32 の注解を参照)。
Now it came to pass in the fourteenth year of King Hezekiah,.... The following piece of history is inserted from the books of Kings and Chronicles, as an illustration of some preceding prophecies, and as a confirmation of them; see 2 Kings 18:13.
that Sennacherib king of Assyria came up against all the defenced cities of Judah; who in the Apocrypha:
"And if the king Sennacherib had slain any, when he was come, and fled from Judea, I buried them privily; for in his wrath he killed many; but the bodies were not found, when they were sought for of the king.'' (Tobit 1:18)
is said to be the son of Shalmaneser, as he certainly was his successor, who in the sixth year of Hezekiah, eight years before this, took Samaria, and carried the ten tribes captive, 2 Kings 18:10 he is called Sennacherib by Herodotus (c), who says he was king of the Arabians, and the Assyrians; who yet is blamed by Josephus (d), for not calling him the king of the Assyrians only of the Arabians, whereas he styles him both; and the same Josephus observes, that Berosus, a Chaldean writer, makes mention of this Sennacherib as king of Assyria; the same came up in a military way against the fortified cities of Judah, which were the frontier towns, and barriers of their country:
and took them; that is, some of them, not all of them; see Isaiah 37:8, he thought indeed to have took them to himself, this was his intent, 2 Chronicles 32:1, but was prevailed upon to desist, by a payment of three hundred talents of silver, and thirty talents of gold to him, by the king of Judah, 2 Kings 18:14.
(c) In Euterpe c. 141. (d) Antiqu. Jud. l. 10. c. 1. sect. 4.
預言者イザヤは、本章とそれに続く三章において歴史家となっている。なぜなら、聖書の歴史も聖書の預言と同様に、神の霊感によって与えられ、聖なる人々に書き記させたものだからである。前の諸章の多くの預言は、センナケリブがユダに侵攻しエルサレムを包囲したこと、そして彼がそこで受けた奇蹟的な敗北の中に成就した。それゆえ、この出来事の物語が、預言の解明と確証の両方のためにここに挿入されている。預言の鍵は歴史の中に見出される。そしてここでは、私たちがよりたやすく入れるように、それがまるで戸口に掛けられているかのようである。この預言の正確な成就は、その成就がずっと遠くにある他の預言に対する神の民の信仰を強めるのに役立ったであろう。この物語が列王記の書から取られてここに加えられたのか、それとも最初にイザヤによってここに書かれ、そこから列王記の書に入れられたのかは重要ではない。しかし物語はほとんど逐語的に同じである。そしてこれは非常に記憶すべき出来事であったので、二度記録されるに値した。すなわち列王記第二18:1-19:37とここに、またその要約が歴代志第二32:1-33にも。私たちはそこで詳しく説き開いたので、ここではこの物語についての観察はごく簡潔にする。本章には次の事柄がある。一、アッシリアの王がユダに向けて行った遠征、および彼がすべての堅固な町に対して挙げた成功(イザヤ36:1)。二、彼がヒゼキヤと持とうと望んだ会談、および双方の代表者たち(イザヤ36:2-3)。三、ラブシャケののしり冒瀆に満ちたことば。彼はこれによってヒゼキヤを脅して服従させ、無条件で降伏するように説得しようとした(イザヤ36:4-10)。四、民への彼の訴え、および彼らにヒゼキヤを見捨てさせ、それによって彼を降伏に追い込もうとする試み(イザヤ36:11-20)。五、ヒゼキヤの使者たちによって彼に報告されたこれらの事(イザヤ36:21-22)。