Matthew Henry's Complete Commentary
Matthew Henry · 1714
Matthew Henry 사후(1714) 공개 도메인. 디지털판 CC0-1.0.
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Matthew Henry · 1714
Matthew Henry 사후(1714) 공개 도메인. 디지털판 CC0-1.0.
Robert Jamieson, A. R. Fausset, David Brown · 1871
Commentary Critical and Explanatory on the Whole Bible (1871). CCEL expanded electronic edition states it is in the public domain.
Albert Barnes · 1834
Albert Barnes' Notes on Revelation Of St. John The Divine (New Testament, English original, public domain). Sourced from the Christian Classics Ethereal Library (CCEL). Public domain. Retrieval mirror: biblehub.com/commentaries/barnes.
Adam Clarke · 1831
Public domain English commentary by Adam Clarke, normalized from Wikisource book pages for scripture.how. Public domain. Retrieval mirror: biblehub.com/commentaries/clarke.
John Gill · 1763
John Gill(1697-1771), Exposition of the Old and New Testament(1746-1763). Public domain. Retrieval mirror: biblehub.com/commentaries/gill.
John Calvin · 1850
종교개혁 신학 원천 (영역본 PD, 대부분 — 전권 아님)
Matthew Poole · 1685
간결 절별 전권 개혁주의 주석
ed. H.D.M. Spence & Joseph S. Exell · 1890
전권 강해·설교·예화 풍부 (항목 대량)
Carl F. Keil, Franz Delitzsch · 1866
구약 학술 표준 — 히브리어·문헌비평·고대근동 배경
ed. Charles J. Ellicott · 1878
학술+가독 균형 전권 주석
Cambridge (다저자) · 1900
준전권 준학술 (권별 저자·연도 확인)
Marvin R. Vincent · 1887
신약 헬라어 단어 연구
A.T. Robertson · 1933
헬라어 시제·문법 해설 결정판 (KR PD / US 1931+ 권별)
ed. W. Robertson Nicoll (다저자) · 1910
헬라어 신약 학술 (권별 저자 PD 확인 필요)
Heinrich A.W. Meyer · 1880
신약 학술 정밀주해 (독일 — K&D 대응)
John Wesley · 1755
간결 실용 전권(NT 1755 / OT 1765) 웨슬리안
Joseph Benson · 1815
웨슬리안 전권 주석
Charles H. Spurgeon · 1885
시편 주석 고전 (설교 자료 풍부)
Alexander Maclaren · 1910
설교형 강해 명저 (전권, 절별 가공 필요)
B.W. Johnson · 1891
평이 절별 신약 해설 (일반신자·모바일)
Thomas Coke · 1803
감리교 전권 주석
John Trapp · 1660
청교도 전권 주석 — Henry/Gill 보완
Charles Hodge · 1860
프린스턴 조직신학 관점 신약 정밀 주석 (롬·고전후·엡)
この短い章は、イザヤ書の歴史的な部分を完成させる。同じ記録が、いくらかの小さな変更とともに、2 Kings 20:12-21にも見られる。イザヤ36の緒論を比較せよ。この章は次の部分から成る。
バビロンの王が、ヒゼキヤの回復を祝うために使節をヒゼキヤに遣わしたという記述(イザヤ39:1)。この使節はまた、日時計に関する奇蹟についての報告の真実を確かめることも意図していた(2 Chronicles 32:31)。
ヒゼキヤは、誇示的で不適切な仕方で、その宝物をみな彼らに見せた(イザヤ39:2)。これは、彼が試みられ、自分の心の中にあるすべてを知り、高ぶらず、自分の義の確信をもたないようになるために許されたのである(2 Chronicles 32:31)。
イザヤは、彼が何をしたのか、またそれらの使者たちは誰であったのかを尋ねるためのメッセージをもって、ヒゼキヤのもとに遣わされる(イザヤ39:3-5)。
彼は、エルサレムが取られ、その住民のすべてとその宝物のすべてが、バビロン——それらの使者たちが来た場所——に運び去られるであろうという、神の荘厳なメッセージを伝えるよう命じられる(イザヤ39:5-7)。
ヒゼキヤは、神の正しい宣告とご計画への従順と、それが自分の代に起こらないことへの感謝を表わす(イザヤ39:8)。
The Babylonish monarch sends letters of congratulation and a present to Hezekiah, on account of his recovery from his late dangerous illness, Isaiah 39:1. The king of Judah shows the messengers of Merodach-baladan all the treasures of his house and kingdom, Isaiah 39:2. The prophet takes occasion from this ostentatious display of the king to predict the captivity of the royal family, and of the people, by the Babylonians, Isaiah 39:3-8.
Hitherto the copy of this history in the second book of Kings has been much the most correct; in this chapter that in Isaiah has the advantage. In the two first verses two mistakes in the other copy are to be corrected from this: for הזקיהו hizkiyahu, read ויחזק vayechezek, and was recovered; and for וישמע vaiyishma, he heard, read וישמח vaiyismach, he rejoiced.
INTRODUCTION TO Isaiah 39
This chapter gives an account of Hezekiah's fall into sin after his recovery, and the correction he had for it. The king of Babylon sent messengers to him to congratulate him upon his recovery, Isaiah 39:1. Hezekiah received them with great joy, and in the pride of his heart showed them all his treasures, Isaiah 39:2. Isaiah the prophet examined him about it, which he readily owned, Isaiah 39:3 upon which the Babylonish captivity is foretold, when all his riches and his children too should be carried into that land, Isaiah 39:5, to which sentence he quietly and patiently submitted, Isaiah 39:8.
Ch. 39 The Embassy of Merodach-Baladan
Merodach-Baladan (in Babylonian Marduk-habal-iddina) was king of Babylon for twelve years (721–709) in the reign of Sargon, and again for six months (circa 704) in the reign of Sennacherib. He was originally the Chaldæan ruler of Bit-Yakin, a small state in southern Babylonia; and his long and finally unsuccessful struggle for the throne of Babylon is interesting as foreshadowing the future ascendancy of the Chaldæans in the dynasty of Nabopolassar and Nebuchadnezzar. That he was able so long to hold his own against a powerful monarch like Sargon was largely due to his practice of forming alliances with the enemies or disaffected subjects of the Assyrian Empire, a policy of which this chapter furnishes an illustration. Since his final overthrow by Sennacherib took place before the latter’s invasion of Palestine, it is quite certain that ch. 39 (and consequently 38) is to be dated before ch. 36 f. There is, however, a difference of opinion as to whether this embassy belongs to the earlier and longer period of his reign or to the brief interval of power at the beginning of Sennacherib’s reign. The vague date “in those days” at the beginning of ch. 38 seems of course to favour the latter view. On the other hand it might be urged that six months was barely long enough for the tidings of Hezekiah’s recovery to reach Babylon and for the messengers to reach Palestine. But the question is really not to be settled from internal evidence; and the chief reason for deciding for the earlier period is that it appears to afford the best solution possible of the chronological difficulties connected with the reign of Hezekiah. We shall assume therefore that this incident actually occurred in or soon after the fourteenth year of Hezekiah (i.e. about 714). This was the period preceding Sargon’s chastisement of Philistia (see on ch. 20), when, as he himself informs us, Judah along with the neighbouring states, while “bringing presents to Asshur my lord” was “speaking treason.” That Judah was spared on this occasion must have been due to a timely submission on the part of Hezekiah. And indeed the narrative before us produces the impression that while the king was greatly flattered by the attention shewn to him, he yet did not commit himself to a formal treaty, but left himself free to be guided by the development of events. It follows of course from this view that the events of ch. 38 f. have no connexion with those of ch. 36 f. and that the date of ch. 36 is wrongly placed.
Jamieson-Fausset-Brown Commentary Critical and Explanatory on the Whole Bible
イザ 39:1-8。
ヒゼキヤがバビロンの使者にその富を示した際の過ち。
1. メロダク・バラダン——メディア人キュアクサレス(Cyaxares)によるニネベの打倒の150年前、ナボナッサル(紀元前747年)の時から、主にアッシリアの総督である一連の支配者がバビロンを治めた。その日付は「ナボナッサルの紀元」と呼ばれる。プルすなわちパルクハ(Phallukha)はその時追放され、ティグラテ・ピレセルの下でニネベに新たな王朝が立てられた。プルの妻セミラミスはその時、息子ナボナッサルとともにバビロンに退いた。ニネベの古い系統の打倒後、バビロンの王位へのナボナッサルの即位が新たな時代を画した。時にバビロンの総督は一時的にアッシリアから独立した。この時メロダク・バラダンはユダヤでの戦役におけるアッシリアの災難に勢いづけられてそうした。彼は以前にもそうしており、センナケリブの治世の第1年に敗北した。その君主のコユンジクの宮殿の楔形文字に記されている。ナボポラッサルが最初に永続的に独立を確立した。彼の息子ネブカデネザルはバビロンをかつてニネベが占めていた位置に高めた。しかし下ユーフラテスの近くに石がないため、日干し煉瓦で造られたバビロンの建築物は、ニネベのように時代の摩損に耐えなかった。
メロダク——偶像。戦の神すなわち惑星マルスと同じ
(エレ 50:2)。
しばしば王たちは特にその守護の下にあるかのように、神々から名を取った。ベルシャツァルがベルから取ったように。
バラダン——「ベルはその主である」を意味。エウセビオス EUSEBIUS の年代記はベロッソス BEROSUS の断片を含み、アッシリアの総督アキセス(Acises)がバビロンで最高指揮権を簒奪したと述べる。メロダク(またはベロダク)・バラダンは彼を殺害し、王位に就いた。センナケリブはメロダク・バラダンを征服し、息子エサル・ハドンをバビロンの総督として残した。メロダク・バラダンは当然ヒゼキヤの同盟を求めるであろう。ヒゼキヤは彼と同じくアッシリアの王のくびきを振り払い、アッシリアに対するバビロンの同盟を同様に喜ぶであろうから。それゆえ彼が簒奪者に払った過度の注意が生じた。
病気——追加の理由が与えられる
(歴代誌下 32:31)。
「バビロンの君たちが、その地で行われたしるしについて尋ねるために送った」。すなわちアハズの日時計の影の後退。カルデヤの天文学者にとって、日時計がバビロンで発明されたものであるため、そのような事実は特に興味深いものであった。
「そのころ」− すなわち、彼の回復の後間もなく、あるいは彼が莫大な富を蓄え、繁栄のしるしに囲まれていた後のことである(2 Chronicles 32:27-31)。
「バビロンの王バラダンの子メロダク・バラダン」− 2 Kings 20:12 の平行箇所では、この名はベロダク・バラダンと書かれており、一字の違いがある。おそらくこの名は両方の形で書かれ、発音されていたのであろう。メロダクはバビロン人の偶像である(Jeremiah 50:2「バビロンは取られ、ベルは恥じ、メロダクは恥じた」)。ゲゼニウスによれば、この偶像はおそらく火星、すなわち戦争の神マルスであった。古代のセム系諸民族は、この神に、またサトゥルンに、人身御供を献げていた(ゲゼニウスの辞書および注釈の該当箇所を参照)。「バラダン」という語も複合語であり、「ベルは彼の主である」を意味する。この偶像メロダクの名は、王たちやその他の人々の固有名によく組み込まれていた。それゆえ、エビル・メロダク、メシ・モルダクス、シシモル・ダクス、マルドケンテスなどの名が存在する。この節におけるイザヤの記述に関して、注解者たちは少なからぬ困難を感じてきたが、この困難が除かれたのはつい最近のことであり、それは、聖書の記述が全体として、また細部に至るまで正確であることの、さらに新たで最も顕著な実証を提供する仕方でなされたのである。困難はいくつかの事情から生じていた。
バビロンのこの王は、聖なる歴史記録のどこにもほかには言及されていない。
アッシリヤ帝国はなお栄えており、バビロンはその従属国の一つであった。
なぜなら、わずか九年前、アッシリヤの君主シャルマネゼルがバビロンの住民を他の地方に移したと言われており(2 Kings 17:24)、またそれから多くを経ずして、マナセがアッシリヤの王によってバビロンに捕え移されたからである(2 Chronicles 33:11)。これらの実例は、ヒゼキヤの時代にバビロンがアッシリヤの諸王に従属していたことを疑いなく証明している。では、このバビロンの王メロダク・バラダンはいったい誰だったのか、と問われる。もしその都市の総督であったのなら、自分の宗主と交戦中のユダの君主に、祝賀のための使節を遣わすことがどうしてできたのか。プトレマイオスのカノンはこの名の王を載せておらず、その年代記も聖書の歴史と調和するようには見えない。
「この暗闇と疑惑の中に」とワイゼマン博士は言う、「私たちはとどまり続けたことであり、この箇所と他の箇所との見かけ上の矛盾は説明のつかないまま残ったであろう。もし近代の東洋研究の進歩が、最も由緒ある古代の文書を明るみに出さなかったならば。それはほかならぬベローソスの断片であり、エウセビウスの年代記の中に保存されている。この興味深い断片が告げるのは、セナケリブの兄弟がアッシリヤの副王としてバビロンを統治した後、アキセスが不正に最高指揮権を手中にしたということである。三十日後、彼はメロダク・バラダンに殺害され、メロダク・バラダンは六か月間王権を簒奪したが、やがて彼もまた殺され、エリブスが後を継いだ。しかし三年の後、セナケリブは軍勢を集め、簒奪者と戦ってこれを打ち破り、捕虜とした。そしてバビロンをふたたび服従させると、聖書のエサルハドンである自分の息子アッソルダンをその都市の総督として残した」。
この記述、あるいはこの断片と聖書の記述との全体的な一致に対する唯一の反論は、イザヤがセナケリブの殺害とエサルハドンの即位を、メロダク・バラダンのエルサレムへの使節より前に述べていることである。しかしこれに対してゲゼニウスは、預言者はもはやこの主題とこれ以上の関係を持たないアッシリヤの君主の歴史を完結させるために、ふたたび戻ることがないように、この配列に従ったのだ、と適切に答えている。
またこの順序によって、彼の殺害に関する預言は、その成就の歴史とより密接に結び付けられる(Isaiah 37:7。Isaiah 37:38 を比較せよ)。そして、セナケリブのニネベ帰還とその死との間にいくらかの期間が経過したと想定するこの解決は、本文の言葉自体によってもっともらしいものとされる。「彼は行き、帰って、ニネベに住んだ。そして…」等(Isaiah 37:37-38)。
こうして、バビロンが実のところアッシリヤ帝国の一地方都市であった時代に、そこに一人の王、というより一人の簒奪者がいた仕組みが確実に説明される。メロダク・バラダンが王座を奪い取ったのなら、自分がそむいた支配者の敵たちと同盟と友好とを結ぼうと努めたであろうことは、何よりもありそうなことだった。彼と同様にアッシリヤのくびきを脱し、エジプトの王と強力な同盟関係にあったヒゼキヤは、彼にとって最初の頼み先となったであろう。他方、共通の敵を間近に控え、その敵の王国のまさに中心での反乱によって自分に有利な分裂が生じるのを見て喜ぶであろうユダの君主にとって、これほど歓迎される使節は他になかった。ここから、簒奪者の使節たちに彼が払った過度の注意が生じたのであり、そのことがイザヤを、というより神を怒らせ、神はその結果としてバビロン捕囚を警告されたのである(ワイゼマン博士の『科学と啓示宗教に関する講演』369-371頁、And. 版 1837年を参照)。
「手紙を遣わした」− セプトゥアギンタは、καὶ πρέβεις kai presbeis――「また使節たち」――を付け加えている。
「また贈り物を」− ある王が何らかの目的で他の王に使節を遣わすとき、価値ある贈り物を送ることは、当時も今も、東洋の諸民族の間での慣習であった。2 Chronicles 32:31 には、彼らの来訪の一つの目的が「その地で行われた奇跡」について尋ねることであった、すなわち、アハズの日時計の上での影の後退に関する奇跡について尋ねることであったと記されている。バビロン人とカルデヤ人が最も初期の時代から天文学への関心によって卓越していたことはよく知られている。実際、科学としての天文学が最初に耕されたのはカルデヤの平野においてであり、そこでのその科学の知識は、古代の諸国民のいずれによってもほとんど凌駕されていなかった。それゆえ、彼らがこの奇跡について聞いた報告は、天文学上の事実として彼らにとって深い関心事であり、彼らはその報告の確かな真実性を確かめるために尋ねに来たのである。
At that time Merodach-baladan - This name is variously written in the MSS. Berodach, Medorach, Medarech, and Medurach.
"And ambassadors" - The Septuagint add here και πρεσβεις; that is, ומלאכים umalachim. and ambassadors; which word seems to be necessary to the sense, though omitted in the Hebrew text both here and in the other copy, 2 Kings 20:12. For the subsequent narration refers to them all along, "these men, whence came they?" etc.; plainly supposing them to have been personally mentioned before. See Houbigant.
本章の物語も、前に列王記第二20:12以下で読んだ通りである。これは非常に記憶すべき有益な箇所であるだけでなく、バビロン捕囚の預言で結ばれているため、ここで繰り返されている。本書の前半の預言がセンナケリブの侵略とその敗北に頻繁に言及しており、それゆえその歴史が非常に適切に付け加えられたのと同様に、本書の後半はユダヤ人のバビロン捕囚とその救い出しについて多くを語っており、それゆえその最初の予告が、その機会とともに非常に適切に前置きされている。ここには次の事柄がある。一、彼の回復を祝うために遣わされたバビロンの王の使節たちに自分の宝を示したヒゼキヤの高ぶりと愚かさ(イザヤ39:1-2)。二、神の御名においてこれについてのイザヤによる彼の尋問、および彼の告白(イザヤ39:3-4)。三、そのことに対して彼に下された判決。すなわち彼のすべての宝が時が経つにつれてバビロンに運ばれるであろうこと(イザヤ39:5-7)。四、この判決に対するヒゼキヤの悔い改めと忍耐強い服従(イザヤ39:8)。