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Matthew Henry's Complete Commentary

Matthew Henry · 1714

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Matthew Henry's Complete Commentary

Matthew Henry · 1714

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Matthew Henry 사후(1714) 공개 도메인. 디지털판 CC0-1.0.

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Joshua 6章 서론 Matthew Henry's Complete Commentary

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ヨシュアはエリコの包囲戦をもって軍事行動を始めた。この町は、民の勇気を頼みとして攻勢に出、イスラエルの上陸と陣敷きを阻むために軍勢を送ることはせず、むしろ城壁の堅固さを頼みとして守りに徹し、降伏も、平和の条件を求めることもしなかった。

ここにその攻略の物語がある。 一、 主の軍勢の大将がこれについて与えた指示と確約(ヨシュア記6:1-5)。 二、 六日間にわたって町の周りを歩くという、民の忍耐ある従順の試み(ヨシュア記6:6-14)。 三、 七日目にこれを彼らの手に渡された奇跡的な解放。聖別されたもの(呪われたもの)としてこれを扱うよう命じた荘厳な命を伴う(ヨシュア記6:15-21, 24)。 四、 ラハブとその身内の保護(ヨシュア記6:22-23, 25)。 五、 この町を再建しようとする者に宣告された呪い(ヨシュア記6:26-27)。

この物語の要旨は、信仰の戦利品の中に見出される(ヘブル人への手紙11:30)。「信仰によって、エリコの城壁は、七日のあいだ回られたのち、倒れた」。

Joshua 6章 1-16 Matthew Henry's Complete Commentary

The Siege of Jericho (1451 BC)

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エリコの包囲(紀元前1451年)

¹ さて、エリコはイスラエルの人々のゆえに固く閉ざされており、出る者も入る者もなかった。 ² 主はヨシュアに仰せになった。見よ、わたしはエリコとその王、またその勇猛な勇士たちをあなたの手に渡した。 ³ あなたがたは戦士をすべて率いて町を囲み、町を一周せよ。六日の間このようにせよ。 ⁴ 七人の祭司が七つの雄羊の角笛を携え、主の箱の前を進むべきである。七日目には町を七度回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。 ⁵ 雄羊の角笛が長く響き、あなたがたが角笛の音を聞くとき、民はみな大きな叫び声を上げなければならない。そうすれば町の城壁が崩れ落ち、民はおのおのまっすぐに前進して上って行くであろう。

ここに、神とエリコの人々との間の争いと、それぞれの異なる決意が記されている。どちらの言葉が勝つかは、容易に言うことができる。

Ⅰ. エリコは、イスラエルがその主にはならないと決意した(ヨシュア記6:1)。それはイスラエルの人々のゆえに固く閉ざされていた。それは閉ざした、かつ閉ざされていた(余白ではそう記されている)。すなわち、人工と天然の要害によって強固に守られそれ自体閉ざし、また決して降伏せず、講和の合図すら送らないことに同意した住民の頑なさと決意によって閉ざされていた。脱走兵として出る者も、和平を求めて出る者もなく、和平を申し出る者として中に入る者もなかった。このように彼らは惑わされ、その心は自らの滅びのためにかたくなになった。これこそ、全能者に逆らって自らを強くするすべての者の悲惨なありさまである(ヨブ記15:25)。

Ⅱ. 神は、イスラエルがその主になることを決意され、しかも速やかにそうされる。ここで主と呼ばれている主の軍の将は、エリコがいかに強固に要塞化され、いかに厳重に守られているかに気を留め、ヨシュアがそれを陥落させようとする思い悩みや、おそらくはそこで不名誉を被り、敷居でつまずくのではないかという恐れをもご存じであり、ここで彼に、成功しうるかぎりの確証をことごとく与えられた(ヨシュア記6:2)。見よ、わたしはエリコをあなたの手に渡した。「わたしはする」ではなく、「わたしはした」である。それはことごとくあなたのものであり、すでにあなたの所有にあるのと同じように確かである。カナンの初穂であるこの町は、神に完全にささげられ、ヨシュアもイスラエルもこれによって一銭も富むことのないように定められていたが、それでもここでは彼らの手に渡されたと言われている。なぜなら、神に栄光を帰し、神の奉仕に用いる機会を持つものこそ、わたしたちが最も自分のものとみなすべきであるからである。さて、1. 主の軍の将は、町をどのように包囲すべきかを指示された。塹壕を掘ることも、砲台を築くことも、破城槌を引き出すことも、いかなる軍事準備も必要でなかった。ただ神の箱が、祭司たちによって一日一回、六日間にわたって町の周りを運ばれ、七日目には七度、戦士たちが沈黙のうちに随行し、その間祭司たちは雄羊の角笛を吹き続けなければならなかった(ヨシュア記6:3,4)。彼らがなすべきことはこれですべてであった。2. 彼は、七日目の夜になる前に、彼らが必ずや町を手中に収めることを保証された。合図が与えられたなら、彼らはみな叫び声を上げ、直ちに城壁が崩れ落ちるであろう。それは住民たちを露出させるだけでなく、彼らをひるませ、いかなる抵抗もできないようにするであろう(ヨシュア記6:5)。神がこの方法を定められたのは、(1.) ご自身の力を輝かせるためであった。すなわち、器の力ではなく、ご自身の力によって高く上げられるためであった(詩編21:13)。神はこれによって、さらにご自身の全能の腕を現し、イスラエルを励まし、カナン人に恐怖と混乱をもたらそうとされたのである。(2.) ご自身の箱、すなわち神の臨在の定められたしるしに誉れを帰し、民がそれを最も深い畏敬と敬意をもって仰ぎ見るよう求める律法の根拠を示すためであった。こののち長く経って、箱が神の命令なしに陣営に運び込まれたとき、それは箱を汚すものとみなされ、民はその思い上がりのために高い代価を払った(サムエル記上4:3等)。しかしそれが神の任命によって行われた今、それは神の箱に誉れを帰し、イスラエルの信仰に対する大いなる励ましとなった。(3.) また、この機会に箱を担ぎ、角笛を吹くよう任命された祭司たちにも誉れを帰すためであった。本来祭司たちは戦争を免除されていたが、律法が彼らに与えた他の誉れや権限とともに、この特権が恨まれないように、彼らがこの奉仕において主要な役割を果たし、それによって彼らが民衆にとってどれほどの祝福であるか、また彼らに与えられたあらゆる特権にどれほど値するかを民が悟るようにされたのである。(4.) 民の信仰、従順、忍耐を試みるためであった。人間の策には愚かな従順と思われるような定めを守るかどうか、人間の確率としては不可能と思われる約束を信じるかどうかを試みるためである。彼らはまた、敵のそしりに耐え忍び、主の救いを待ち望むことができるかどうかも試された。こうして力によらず、信仰によってエリコの城壁は落ちたのである。(5.) 彼らの前にある残された困難に関して、イスラエルの希望を励ますためであった。カナンの町々は天にまで届く城壁があるため決して征服できないという悪い斥候たちの言葉(申命記1:28)は、これによって永遠に沈黙させられるであろう。最も強く最も高い城壁も全能者に抵抗することはできない。彼らは戦う必要がなかった。それゆえ恐れる必要もなかった。神が彼らのために戦われたからである。

⁶ ヌンの子ヨシュアは祭司たちを呼んで言った。契約の箱を担ぎなさい。七人の祭司が七つの雄羊の角笛を携え、主の箱の前を進め。 ⁷ そして彼は民に言った。前進して町を回りなさい。武装した者たちが主の箱の前を進め。 ⁸ ヨシュアが民に語り終えると、七つの雄羊の角笛を携えた七人の祭司が主の前を進み、角笛を吹き鳴らした。そして主の契約の箱が彼らの後ろに従った。 ⁹ 武装した者たちは角笛を吹く祭司たちの前を進み、後衛は箱の後ろに従い、祭司たちは進みながら絶えず角笛を吹き鳴らした。 ¹⁰ さて、ヨシュアは民に命じて言った。あなたがたは叫んではならない。声を立ててはならない。一言葉も口から出してはならない。わたしが叫べと命じる日まで。そのときあなたがたは叫ぶがよい。 ¹¹ こうして主の箱が町を一周し、彼らは陣営に戻り、陣営に泊まった。 ¹² ヨシュアは朝早く起き、祭司たちが主の箱を担いだ。 ¹³ 七つの雄羊の角笛を携えた七人の祭司が主の箱の前を絶えず進み、角笛を吹き鳴らした。武装した者たちが彼らの前を進み、後衛は主の箱の後ろに従い、祭司たちは進みながら角笛を吹き鳴らした。 ¹⁴ 二日目にも彼らは町を一度回り、陣営に戻った。彼らは六日間このようにした。 ¹⁵ 七日目になると、彼らは夜明けの曙時に立ち上がり、同じ仕方で町を七度回った。七日目にだけ彼らは町を七度回ったのである。 ¹⁶ 七度目に、祭司たちが角笛を吹き鳴らしたとき、ヨシュアは民に言った。叫べ。主があなたがたに町を与えられたからである。

ここに、イスラエルがエリコの周りに行った行列、ヨシュアが主から受けたとおりに彼らに与えた命令、および彼らのその命令の厳密な遵守の記録がある。彼が、神が町を彼らの手に渡されると彼に与えられた明示的な確証を民に伝えたとは見あたらない。しかし彼は、事が良く終わるという一般的な確信のうちに、彼らが命令に従うかどうかを試みたのであり、わたしたちは彼らが神にもヨシュアにもよく従っていたのを見る。

Ⅰ. 箱の行くところどこでも、民はそれに随行した(ヨシュア記6:9)。武装した者たちがその前に進んで道を備えた。彼らは戦士であっても、神の箱の先駆けとなることを侮りと思わなかった。もし町の周りを歩く際に(彼らはそうせねばならなかったが)町に通じる道を横断するのに障害があれば、彼らはそれを取り除いたであろうし、敵が何らかの抵抗を試みるなら、彼らはそれに立ち向かったであろう。それは祭司たちの箱を担いでの行軍が容易で安全であるようにするためであった。最も偉大な人々にとっても、箱に何らかの奉仕をし、自国における宗教の利益に仕えることは誉れである。後衛は、別の武装部隊であったか、あるいは荒野を最後に行軍したダンの部隊であったか、あるいはある人々の考えるように、武装も訓練も受けていない一般の群衆(その中の多くは進んで)が箱に従ったものであって、箱への敬意を示し、荘厳さを添え、なされた事の証人となるためであった。忠実で熱心なすべてのイスラエル人は、箱を担ぐ祭司たちと同じ疲労を耐え忍び、同じ危険を冒すことを喜んだであろう。

Ⅱ. 七人の祭司が、角笛を手にして絶えず吹き鳴らしながら箱の直前を進んだ(ヨシュア記6:4,5,9,13)。祭司たちは神の奉仕者であった。そしてこのように御名によって、1. 彼らはカナン人への戦いを宣言し、彼らに恐怖を与えた。彼らの霊に対する恐怖によって彼らは征服され、服従させられるべきであったからである。このように神の奉仕者たちは、すべての不敬虔と不義に対する神の怒りの厳粛な宣告によって、シオンに角笛を吹き鳴らし、聖なる山に警報を発して、シオンの罪人たちを恐れさせなければならない。彼らは神の伝令官として、そのそむきのうちに進み続けながら「進み続けても平和があるだろう」と言うすべての者に戦いを宣告する。2. 彼らはイスラエルと共にいる神の恵みの臨在を告げ知らせ、彼らに生気と勇気を与えた。彼らが戦いに出るとき、祭司たちが神が共にいるという確信をもって彼らを励ますよう定められていた(申命記20:2-4)。とりわけ、彼らの角笛を吹き鳴らすことは、戦いの日に彼らが彼らの神、主の前に覚えられるための民へのしるしとされた(民数記10:9)。それはアビヤを励ました(歴代誌第二13:12)。このように神の奉仕者たちは、自由と勝利を告げ知らせる永遠の福音のヨベルの角笛を吹き鳴らすことによって、霊の戦いにおけるイエス・キリストの良き兵士たちを励まさなければならない。

Ⅲ. 彼らが用いた角笛は、日常の奉仕のために作るよう定められた銀の角笛ではなく、ある人々の考えるように、その目的のために空洞にくり抜かれた雄羊の角で作られた角笛であった。これらの角笛は最も卑しい材質、最も鈍い音色、最も目立たない見ばえであった。それは力の卓越性が神に属するためであった。このように、雄羊の角笛の響きに巧みに比喩された説教の愚かさによって、悪魔の国は打ち倒される。そしてわたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、肉の目には何ごとも成就しそうに見えなくとも、神によって堅固な城を打ち倒す強い力なのである(コリントの信徒への手紙二10:4,5)。ここでの言葉はヨベルの角笛であり、これはすなわちヨベルの年に彼らが吹いていたような角笛を意味する。多くの解釈者はそう理解しており、それはイスラエルが今もたらされた完全な自由と、カナンの地をその正当な所有者の手に渡すことを示すものとされる。

Ⅳ. 民はみな沈黙を命じられ、一言葉も語ってはならず、何の音も立ててはならなかった(ヨシュア記6:10)。それは彼らが、今や彼らの中にある神の声とみなすべき聖なる角笛の音に、より慎重に注意を払うためであった。神が語っておられるとき、わたしたちが語るのはふさわしくない。それはまた事の成り行きに対する彼らの畏敬に満ちた期待を暗示する。ゼカリヤ書2:13、主の前に、すべて肉なる者よ、沈黙せよ。出エジプト記14:14、神が戦われ、あなたがたは沈黙していなければならない。

Ⅴ. 彼らは六日間一日一回、七日目には七度これを行うこと、そして彼らはそのとおりに行った(ヨシュア記6:14,15)。神はエリコの城壁を彼らが最初に囲んだときにでも崩れさせることはできたが、城壁が崩れる前に彼らは十三回も回らねばならなかった。それは彼らが忍耐して主を待ち望むよう保たれるためであった。彼らはつい最近カナンに入ったばかりで、その時間は非常に貴重であった(彼らの前に多くの働きがあったからである)のに、彼らは何日もエリコの周りで足踏みし、何もしていないか、事が少しも進んでいないかのように見えねばならなかった。約束された救いは神のみわざにおいて期待されるように、神の御時に期待されねばならない。信じる者は急がない。神が彼に急がせようとされる以上の急ぎをしてはならない。何か希望的なものが現れる前に、さらに七度行け(列王記上18:43)。

Ⅵ. これらの日の一つは必ず安息日であったはずであり、ユダヤ人はそれが最後の日であったと言うが、これは確かではない。しかし、他の安息日に彼らに休むよう定めた方が、この日に歩くよう定めたのであれば、それだけで彼らを正当化するのに十分であった。神は決してご自身の律法によってご自身を縛る意図をもたれず、望みのときにはそれらを免じることができたのである。あの無力な人はこの原理に立って論じた(ヨハネによる福音書5:11)。わたしをいやした方(それゆえ神の力を持つ方)がわたしに言われた、床を取り上げよと。そして今のこの場合、わたしたちの時間を週に分ける安息日に誉れを帰するため、ちょうど七日がこの働きに費やされ、七つの角笛を吹くために七人の祭司が用いられたのである。この数は他の多くの場合と同様にこの機会にも、六日の創造のわざとそれに続く七日目の安息を記念して、注目すべきものとされた。そのうえ、安息日の律法は、わたしたち自身の、すなわち奴隷的で世俗的な働きを禁じるが、彼らの行ったことは宗教的な行為であった。安息日の休息の制度された目的である安息日のわざを行うことは、決して安息日の休息を破ることではない。そして安息日のわざとは、箱のすべての動きに伴うことではないか。

Ⅶ. 彼らは定められた期間、そして七日目には七度これを続けた。何の効果も見なかったが、ついにこの幻は語り、偽らないと信じた(ハバクク書2:3)。もしわたしたちが義務の道に忍耐強く留まるなら、長い目で見てそれによって何も失うことはない。彼らはおそらく、敵の矢の届かず、敵のあざけりも聞こえないほどの距離を保って歩いたであろう。あの奇妙な出来事が最初は包囲された人々を当惑させたであろうと推測できるが、七日目までには彼らは何の害も受けなかったことを感じて安心しきっていた。おそらく彼らは一種の呪術とみなしていたのであろう。彼らはおそらく、ネヘミヤ記4:2に記された人々のように包囲軍を冷やかしたであろう。この弱弱しいユダヤ人は何をしているのか。わたしたちがこれほど恐ろしいと思ったのはこの民ではないか。これが彼らの攻撃の方法か、と。このように彼らは平和と安全を叫び、それによって滅びが来たときにいっそう恐ろしいものとなるようにした。悪人たちは(ホール主教は言う)神が彼らのさばきのために備えられているとき、神を冗談と思う。しかし遅すぎてから自分の誤りを悟ることになる。

Ⅷ. ついに彼らは叫ぶように命じられ、そうした。すると直ちに城壁が崩れ落ちた(ヨシュア記6:16)。これは支配を得るための叫び、勝利の叫びであった。彼らの中に王の叫びがある(民数記23:21)。これは信仰の叫びであった。彼らはエリコの城壁が崩れることを信じ、この信仰によって城壁は打ち倒された。それは祈りの叫びであり、神が彼らを覚えてくださると約束した角笛の音への応答であった。彼らは心を一つにして一人の人のように天に助けを求め、助けが来た。ある人々はこれに言及して、わたしたちが自分自身の腐敗に対する完全な勝利を、最後の日の夕暮れまでは決して期待してはならないことを示している。そのときわたしたちはそれに打ち勝って勝利の叫びを上げるであろう。わたしたちが完成の数と尺度に達するときに、ホール主教が表現するように。良き心は(彼は言う)自分の弱さを覚えてうめき、それから逃れたいと願い、努め、祈る。しかしすべてがなされても、七日目の終わりまでは不可能である。そのときにはさばきが勝利に導かれるであろう。そして時の終わりに、わたしたちの主が叫び声と角笛の音とともに天から下られるとき、サタンの国は完全に滅ぼされる。それまではなく、そのときにこそ、すべての反対する支配と権威と力は有効かつ永遠に打ち倒されるのである。

Joshua 6章 17-27 Matthew Henry's Complete Commentary

Jericho Destroyed; Preservation of Rahab (1451 BC)

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エリコの壊滅とラハブの保存(紀元前1451年)

¹⁷ 町は、それとその中のすべてとともに、主のために聖絶のものとなる。ただ遊女ラハブと、家に彼女と共にいるすべての者は生かされなければならない。彼女がわたしたちの遣わした使者たちを隠したからである。 ¹⁸ あなたがたは、何としても聖絶のものを避けよ。聖絶のものを取って自分自身を聖絶のものとし、イスラエルの陣営をのろい、悩ませることがないように。 ¹⁹ ただし、銀と金、青銅と鉄の器はみな主に聖別されたものであり、主の宝物倉に納められなければならない。 ²⁰ こうして、祭司たちが角笛を吹き鳴らしたとき、民は叫んだ。民が角笛の音を聞き、民が大きな叫び声を上げると、城壁は崩れ落ち、民はおのおのまっすぐに前進して町に上り、町を取った。 ²¹ 彼らは町の中のすべてを、男女の別なく、若者も老人も、牛も羊もろばも、剣の刃をもって聖絶した。 ²² さて、ヨシュアはその地を偵察した二人の者に言った。あの遊女の家に入り、あなたがたが彼女に誓ったように、その女と彼女に属するすべての者を連れ出せ。 ²³ 偵察をした若者たちは入り、ラハブとその父、母、兄弟、および彼女に属するすべての者を連れ出し、彼女の親族をすべて連れ出して、イスラエルの陣営の外に置いた。 ²⁴ 彼らは町とその中のすべてを火で焼いた。ただ銀と金、青銅と鉄の器だけは主の家の宝物倉に納めた。 ²⁵ さて、ヨシュアは遊女ラハブとその父の家族と彼女に属するすべての者を生かしておいた。彼女がヨシュアがエリコを偵察するために遣わした使者たちを隠したので、ラハブは今日までイスラエルの中に住んでいる。 ²⁶ そのとき、ヨシュアは彼らに誓わせて言った。立ってこのエリコの町を再建する者は、主の前にのろわれる。彼はその基礎を据えるときに長子を失い、その門を立てるときに末の子を失うであろう。 ²⁷ 主はヨシュアと共におられ、その名声は全地に鳴り響いた。

民はエリコの包囲について与えられた命令を信仰的に守った。そしてついにヨシュアは彼らに告げた(ヨシュア記6:16)。主があなたがたに町を与えられた。入ってこれを所有せよ。したがって以下の節で、次のことが記されている。

Ⅰ. 彼らが所有にあたって守るべき規則。神が彼らにこれを与えられたのであるから、それをどのような用途と目的に向け、どのような但し書きと制限を付けるかを、神はご自身の適切と思われるとおりに定めることができる。これはカナンのすべての町のうちの最初の、おそらくは最悪の町として、神にささげるために彼らに与えられたのである。1. 町は焼かれなければならず、その中のすべての命は容赦なく神の正義にささげられなければならなかった。これがすべて、ヨシュア記6:17の言葉に含まれていることを彼らは知っていた。町はヘルム、聖絶のもの、その中のすべてとともに主のためのものとなる。その中のいかなる命も、いかなる条件でも贖うことはできなかった。彼らはみな確実に死に処されねばならなかった(レビ記27:29)。被造物として命を受けたのも、罪人として命を失ったのも、その同じ方からであった。そしてだれがその判決を争いうるか。神がこのように復讐されるのは不当か。そのような思いを抱くなど、断じてあってはならない。エリコの攻略には、カナンの他のいかなる町よりも神の働きが現れていた。それゆえそれは他のいずれよりも神にささげられねばならなかった。そしてこの町に対する厳しい取り扱いは、他のすべての町に恐怖を与え、彼らの心をさらにイスラエルの前に溶かすことであろう。ただし、この厳しさが命じられるとき、ラハブとその家族は除外された。彼女と共にいるすべての者は生かされなければならない。彼女はイスラエルに示した親切によって隣人たちと自らを区別した。それゆえ、その親切が速やかに報いられることによって、彼らと区別されるであろう。2. その中のすべての宝、金銀、器、価値ある品々は幕屋の奉仕のために聖別され、献納物の蓄えに納められねばならなかった。ユダヤ人は、この町が安息日に取られたからだと言う。こうして神はご自身の幕屋を美しくし、豊かにすることによって誉れを受けられた。またご自身の奉仕の特別な費用の備えがなされ、イスラエル人はこの世の富に心を向けたり、自分たちのためにそれを多く蓄えることを目指してはならないことを教えられた。神は彼らに、銀や金に富む地ではなく、乳と蜜の流れる地を約束された。それは彼らがそこに快く住み、喜んで神に仕えるためであった。遠い国々と交易したり、後のために蓄えたりすることを貪るためではなかった。神はまた、幕屋が豊かになることを自分たちが豊かになることとみなすよう、神の家に納められたものを、自分の家に納められたのと同じように真の誉れと富とみなすよう求められた。3. 禁じられた戦利品に関わらないようにとの特別な警告が与えられた。神にささげられたものを自分の用に供しようとすれば、それは彼らにとってのろいとなることが明らかであったからである。それゆえ(ヨシュア記6:18)何としても聖絶のものを避けよ。それに手を伸ばしたくなるであろうが、自分を制し、それと少しも関わらないよう自分を恐れさせよ。彼がこの警告の理由としてイスラエルの陣営をのろい、悩ませることがないようにと言ったとき、彼は次の章に記されているアカンの罪を予見していたかのように語っている。事実アカンはそのとおりにしたのである。

Ⅱ. 城壁が突然崩れ落ちることによって彼らのために開かれた、町への入口。あるいは少なくとも、彼らが叫んだときに彼らの正面にあった城壁の部分が(ヨシュア記6:20)。城壁は崩れ落ちた。おそらく多くの人々、すなわちその上で歩哨に立っていた衛兵や、回りを歩くイスラエル人を見ようとして集まった他の人々を押し潰したであろう。城壁の崩落で数千人が死んだことが記されている(列王記上20:30)。彼らが防御のために頼んだものが滅びとなった。城壁の突然の崩落は、疑いもなく住民を恐怖に陥れ、いかなる抵抗をもする力も気力も失わせた。彼らはイスラエルの剣の容易な獲物となり、主が彼らの頭の上におられる民に向かって門を閉ざしても無駄であることを悟った(ミカ書2:13)。注意せよ。天の神は、ご自身とご自身の教会の敵のすべての反対する力を容易に打ち破ることができ、必ず打ち破られる。青銅の門と鉄の閂は、御前では藁と腐った木に過ぎない(イザヤ書45:1,2)。だれが私を堅固な町に導き入れようか。神よ、あなたではないか(詩編60:9,10)。このようにサタンの国は倒れる。神に向かって自らをかたくなにする者は栄えない。

Ⅲ. この聖絶の町に関する命令の執行。息のある者はすべて剣に処された。武器を執る男たちだけでなく、女、子ども、老人も。彼らが助けを求めて叫び、どんなに切に命乞いをしても、あわれみの余地はなく、同情は忘れられねばならなかった。彼らはすべてを聖絶した(ヨシュア記6:21)。もし彼らが奇跡の印によって確証された神の命令なくしてこの処断を行ったのであれば、それは正当化されなかったであろうし、今日このような命令が出せないことが確かである以上、現在これが同様の事を正当化することもできない。しかし天と地の義なる裁き主が、復讐されることに不義のない方から、これを行うよう任命されたのだから、彼らはその正義の忠実な執行者としてこれを行ったことで称賛されるべきである。その当時、神のためのわざは血を流すわざであった。そして剣を血から留めて、そのわざを偽りて行う者はのろわれる(エレミヤ書48:10)。しかし福音の霊は非常に異なっている。キリストは人の命を滅ぼすためではなく、救うために来られたからである(ルカによる福音書9:56)。キリストの勝利は別の性質のものであった。家畜も持ち主たちと共に、神の正義への追加のいけにえとして殺された。イスラエル人の家畜は祭壇で殺されるとき彼らのためのいけにえとして受け入れられたが、これらのカナン人の家畜は彼らと共に殺されるいけにえとして要求された。彼らの咎はいけにえと供え物によって清められるべきではなかったからである。いずれも神の栄光のためであった。2. 町は火で焼かれ、その中のすべてとともに焼き尽くされた(ヨシュア記6:24)。イスラエル人は、広くしっかりと建てられたエリコを取ったのち、これを本拠地にしようと期待したかもしれない。しかし神は彼らになお天幕に住まわせようとされ、それゆえ彼らがそこに巣くわないように、この巣に火を放たれた。3. すべての銀と金、そして火によって清められることのできる器は、主の家の宝物倉に納められた。神がそれを必要としたからではなく、万軍の主として、とりわけ彼らの軍勢の主として、それによって誉れを受けようとされたからである。勝利を与えられた神は、戦利品を要求しうるお方であった。ここではすべてを、時には十分の一を(ヘブル人への手紙7:4)。

Ⅳ. 遊女、あるいは宿屋の女主人であったラハブの保存。彼女は信じなかった者たちと共に滅びなかった(ヘブル人への手紙11:31)。二人の斥候は公的な立場で彼女の安全を公的に約束していた。それゆえ、町を取ったときの混乱が疑いもなく非常に大きかったにもかかわらず、ヨシュアは彼女の保存のために効果的な配慮をした。彼女が安全に隠したのと同じ人々が、彼女を安全に連れ出すために用いられた(ヨシュア記6:22,23)。彼女とその家を知っていた者たちが最もよくそれを行うことができた。そして彼らがそれを行うのに最もふさわしかった。彼女が彼らに示した親切のゆえに、彼女がこのように区別され、その命を獲物として与えられたことが明らかになるためであった。彼女の親族は皆彼女と共に救われた。ノアのように彼女は自分の家を救うために信じた。このようにキリストへの信仰は家に救いをもたらす(使徒言行録16:31)。ある人々は、城壁の上にあったとされる彼女の家(ヨシュア記2:15)が、どうして城壁と共に崩れ落ちなかったのかと尋ねる。しかし彼女とその親族がその中で安全であった以上、それが助かったことは確かである。城壁に近く寄り添ってその上にあると言われながらも、城壁と共に、あるいはその下に崩れ落ちないほど離れていたか、あるいはむしろ彼女の家が建っていた城壁の部分は崩れ落ちなかったのであろう。こうして生かされたのち、1. 彼女は異邦の迷信から清められるため、また改宗者として受け入れられる準備をするため、しばらくの間陣営の外に置かれた。彼女はその迷信を捨てねばならなかった。2. 彼女は定めの時にイスラエルの教会に組み入れられ、彼女とその子孫はイスラエルの中に住んだ。彼女の家族はその後長く注目すべきものであった。わたしたちは彼女がユダの君サルモンの妻、ボアズの母であり、わたしたちの救い主の先祖のうちに名を記されているのを見る(マタイによる福音書1:5)。イスラエル人の名によってイスラエル人を受け入れたので、彼女はイスラエル人の報いを受けた。ピアソン主教は、ヨシュアが遊女ラハブを救い、イスラエルに迎え入れたことは、キリストが取税人や遊女たちをご自身の国に受け入れ、そこでもてなされることの型であると観察している(マタイによる福音書21:31)。あるいはこれは異邦人の回心に適用することもできよう。

Ⅴ. エリコは永遠の荒廃に定められ、以後いつでもこれを再建しようとする者にのろいが宣告された(ヨシュア記6:26)。ヨシュアは彼らに誓わせた。すなわちイスラエルの長老たちと民に、彼ら自身とその子孫がこの町を二度と再建しないことに同意させたばかりでなく、ここに付された厳しい刑罰のもとに、神ご自身がこれを禁じられたのである。1. 神はこれによって神ののろいの重さを示そうとされた。それが留まるところでは、それに抗することも、その下から逃れることもできない。それは回復のない破滅をもたらす。2. 神はこれを廃墟のまま残し、カナン人の咎が満ちたときに彼らに臨んだ神の怒りと、民がカナンに定住する時が来たときの神のあわれみの、持続する記念碑としようとされた。敵の荒廃は彼らに対する神の恵みの証人であり、彼らのためにこれほど多くをされた神に対する彼らの恩知らずさを責めるものとなろう。町の位置は非常に快適であり、おそらくヨルダンに近いことも有利であって、人々を同じ場所に建てるよう誘惑したであろう。しかしここで、もしそうするなら危険であると告げられている。人は子孫のために建てる。しかしエリコを建てる者には、その建てたものを楽しむ子孫がないであろう。その長子は工事を始めるときに死に、もしその打撃によって思いとどまることをせず、思い上がって続けるなら、その工事の完成は末の子の葬儀を伴うであろう。その他の子らも皆その間に断たれたと考えねばならない。こののろいは理由のないのろいではなかったので、長くのちにエリコを再建した者(列王記上16:34)に実際に臨んだ。しかし、それが再び建てられたとき、その場所を悪くしたり、そこに住む人々に害を与えたと考えてはならない。わたしたちはエリコがのちに、エリヤとエリシャという二人の大預言者の臨在だけでなく、祝福されたわたしたちの救い主ご自身の臨在によっても誉れを与えられたのを見る(ルカによる福音書18:35; 19:1、マタイによる福音書20:29)。注意せよ。神が滅ぼされるべきものを建て上げようとするのは危険なことである。マラキ書1:4を見よ。

最後に、これらはすべてヨシュアを輝かせ、その評判を高めた(ヨシュア記6:27)。それは彼をイスラエルに受け入れられる者としただけでなく、カナン人に恐るべき者とした。神が真実に彼と共におられることが現れたからである。カルデア訳は主の言葉が彼と共にあったとする。すなわちモーセと共におられたのと同じキリストご自身が彼と共におられた、ということである。神の臨在の証拠が共にあることほど、人の評判を高め、真に偉大であることを示すものはない。