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Matthew Henry's Complete Commentary

Matthew Henry · 1714

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Matthew Henry's Complete Commentary

Matthew Henry · 1714

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Matthew Henry 사후(1714) 공개 도메인. 디지털판 CC0-1.0.

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Leviticus 15章 서론 Matthew Henry's Complete Commentary

無題

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この章には、らい病患者のようなからだの病気、あるいはいくつかの自然の出来事によって生じた他の儀式的な汚れに関する律法が記されている。 一、男において(レビ15:1-18)。 二、女において(レビ15:19-33)。 これらの古びた律法を説明するにあたって、われわれは少しばかり好奇心を持つ必要はない。その一般的な意図を観察すれば十分である。しかし、戒めによって罪がさらにいっそう罪深くなる機会を捉えられないよう、非常に注意する必要がある。情欲が神の祭壇からの火の火花によって燃え上がるとき、それは極めて罪深いのである。それを清めるべきものによって魂が腐敗させられるとき、その魂にとって事態は悪いのである。

Leviticus 15章 1-33 Matthew Henry's Complete Commentary

Ceremonial Purification (1490 BC)

翻訳あり 本文を開く

儀式的な清め(紀元前1490年)

¹ 主はモーセとアロンに語って言われた。
² イスラエルの人々に告げて言え。だれでもその肉に流出があるなら、その流出のゆえに汚れている。
³ これがその流出における汚れである。その肉が流出を伴って流れるにせよ、その肉が流出から閉ざされるにせよ、それは彼の汚れである。
⁴ その流出を持つ者が寝る寝床はみな汚れており、その者が座るものはみな汚れている。
⁵ その寝床に触れる者はみな服を洗い、水で身を沐浴し、夕方まで汚れている。
⁶ またその流出を持つ者が座ったものの上に座る者は、服を洗い、水で身を沐浴し、夕方まで汚れている。
⁷ またその流出を持つ者の肉に触れる者は、服を洗い、水で身を沐浴し、夕方まで汚れている。
⁸ もし流出を持つ者が清い者の上につばを吐くなら、その者は服を洗い、水で身を沐浴し、夕方まで汚れている。
⁹ またその流出を持つ者が乗る鞍はみな汚れている。
¹⁰ その下にあったものに触れる者はみな夕方まで汚れている。またそれらのものを運ぶ者は服を洗い、水で身を沐浴し、夕方まで汚れている。
¹¹ 流出を持つ者が水で手を洗わないで触れる者はみな、服を洗い、水で身を沐浴し、夕方まで汚れている。
¹² またその流出を持つ者が触れる土の器は、こわされなければならない。木の器はみな水で洗われなければならない。
¹³ また流出を持つ者がその流出から清められたなら、七日をその清めのために数え、服を洗い、流れ水で身を沐浴して清くなければならない。
¹⁴ 八日目に、彼は二羽の山鳩か二羽の家鳩のひなを取り、会見の天幕の入口の、主の前に来て、それらを祭司に与えなければならない。
¹⁵ 祭司はそれらをささげ、一つを罪のささげ物、もう一つを全焼のささげ物とする。祭司はその流出のために主の前で彼のために贖いをしなければならない。
¹⁶ また、もし男の交わりの種が彼から出たなら、彼はその全体を水で洗い、夕方まで汚れている。
¹⁷ また交わりの種のついたすべての衣や皮はみな水で洗われ、夕方まで汚れている。
¹⁸ また男が交わりの種を持って寝る女も、彼らは共に水で身を沐浴し、夕方まで汚れている。

ここには男の流出によって生じる儀式的な汚れに関する律法が記されている。欄外では(レビ15:2)「腎臓の流出」と呼ばれる。非常に重く忌まわしい病気であり、通常、みだらさと不清さ、放縦な生活の結果と帰結であった。若い時の罪で骨を満たし、最後に嘆かせる。その悪のすべての喜びが消え去り、腐った死体と傷ついた良心の痛みと苦悩だけが残るとき。そのとき罪人は恥じるべき十分な理由を持つそれらのものから、どんな果实を得るか(ロマ6:21)。慎みが「頭への恵みの飾り、首の鎖」であるように、貞潔は「へそのいやし、骨の髄」である。しかし不清さは「傷であり恥」、肉と体の消耗であり、しばしば他の何よりもそれ自体の罰である罪である。またそれは、ダビデがアブネルの殺害のゆえにヨアブの家族の上にのろいを祈ったことによって明らかであるように、時に他の罪のために神の義なる手によって下された。サム第二3:29、「ヨアブの家から流出を持つ者やらい病患者が絶えないように」。卑しい分にふさわしい卑しい病。さて、この病を持つ者はみな、

  1. 彼自身が汚れていた(レビ15:2)。聖所に近づいてはならなかった。もし近づけば危険であった。また聖なるものを食べてはならなかった。これは罪の汚さと、腐敗した性のすべての産物の汚さを意味した。それらは神の聖さに忌み嫌われ、神との交わりにまったく不適切にする。よく守られた純な心からはいのちの流出が出る(箴4:23)。しかし汚れた心からは汚すものが出る(マタ12:34,35)。
  2. 彼が触れた、あるいは彼に触れたすべての人と物を汚した(レビ15:4-12)。彼の寝床、椅子、鞍、彼に属するすべてのものは、儀式的な汚れを受けずには触れることができなかった。その汚れは日の入りまで自覚されなければならず、服を洗い、水で身を沐浴しなければ清められなかった。これは罪の伝染、汚れた者と交わることによって汚される危険、最も慎重さをもって「この曲がった世代から自分を救う」必要を意味した。
  3. 病からいやされたときも、犠牲なしには汚れから清められなかった。そのためには、その不調から完全に清くなった後、七日間の待機によって、また泉水での沐浴によって備えなければならなかった(レビ15:13-15)。これは信仰と悔い改めの大いなる福音の義務と、義認のためにキリストの血が魂に適用され、聖化のためにその恵みが適用されるという大いなる福音の特権を意味した。神は清い水をわれわしの上に振りまき、すべての汚れから清めることを約束された。また悔い改めによって洗い、自分自身を清くするよう命じられた。神は贖いの犠牲をも備え、信仰によってその犠牲に関わるよう求められる。「神の御子キリストの血がすべての罪から清める」からであり、それによって贖いがなされ、神の臨在に入り、神の恵みにあずかるためである。

¹⁹ また、もし女に流出があり、その肉の流出が血であるなら、彼女は七日間隔て置かれなければならない。彼女に触れる者はみな夕方まで汚れている。
²⁰ 彼女が隔離の間に寝るものはみな汚れており、彼女が座るものもみな汚れている。
²¹ またその寝床に触れる者は服を洗い、水で身を沐浴し、夕方まで汚れている。
²² また彼女が座ったものに触れる者はみな、服を洗い、水で身を沐浴し、夕方まで汚れている。
²³ もし寝床の上に、あるいは彼女が座るものの上にあって、それに触れるなら、夕方まで汚れている。
²⁴ もし男が彼女と寝て、その月のものが彼の上につくなら、彼は七日間汚れている。彼が寝る寝床はみな汚れている。
²⁵ また、もし女がその隔離の時期以外に多くの日数の間血の流出を持つか、隔離の時期を越えて流れるなら、その汚れの流出のすべての日は、彼女の隔離の日々と同様である。彼女は汚れている。
²⁶ 彼女がその流出の間に寝るすべての寝床は、彼女の隔離の寝床と同様である。また彼女が座るものはみな汚れており、彼女の隔離の汚れと同様である。
²⁷ またそれらのものに触れる者はみな汚れ、服を洗い、水で身を沐浴し、夕方まで汚れている。
²⁸ しかしもし彼女がその流出から清められたなら、七日を数え、その後彼女は清くなる。
²⁹ 八日目に、彼女は二羽の山鳩か二羽の家鳩のひなを取り、祭司のところに、会見の天幕の入口に持って来なければならない。
³⁰ 祭司は一つを罪のささげ物として、もう一つを全焼のささげ物としてささげなければならない。祭司はその汚れの流出のために、主の前で彼女のために贖いをしなければならない。
³¹ このようにあなたがたはイスラエルの人々をその汚れから隔離しなければならない。彼らが汚れのうちに死なないためである。その汚れのうちに彼らがわたしのうちにあるわたしの幕屋を汚さないためである。
³² これが流出を持つ者と、その種が出てそれによって汚される者の律法である。
³³ また月のものの病を持つ女と、流出を持つ者、男と女と、汚れている者と寝る者の律法である。

これは女がその流出から受ける儀式的な汚れに関する。規則正しく健康で、自然の摂理に従うもの(レビ15:19-24)と、時季はずれで、過度で、体の病であるものの両方。キリストの衣のふさに触れることで突然いやされたあの哀れな女の血の流出のようなものであった。彼女は十二年間その不調の下にあり、医者と薬に財産を無駄に費やしたのち。これによりこの病に苦しむ女は汚れ(レビ15:25)、彼女の触れるすべてのものを汚した(レビ15:26,27)。もしいやされ、七日間の試みによって完全に血の流出から解放されていることが分かったなら、二羽の山鳩か二羽の家鳩のひなのささげ物によって清められ、彼女のために贖いがなされなければならなかった(レビ15:28,29)。すべての悪い道、とりわけ偶像礼拝は、「隔離された女の汚れ」に例えられる(結36:17)。またこれになぞらえて、エルサレムについて言われる(哀1:9)、「その汚れはその裾にある」。それで(続くように、レビ15:17)月のものの女として避けられた。

一、これらの律法(われわしは非常にうまく省かれたと思うかもしれない)のために与えられた理由は(レビ15:31)にある。

  1. 「このようにあなたがたはイスラエルの人々をその汚れから隔離しなければならない」(これらの律法は彼らとそのしもべと改宗者にのみ関係した)。すなわち、(1) これらの律法によって彼らはその特権と誉れを教えられた。「神に潔められた特別の民」として、祭司の王国、聖なる国民として聖なる神によって意図された。それは他の者にはそうでないことが彼らにとっては汚れであったから。(2) 彼らはその義務も教えられた。それはその純さの誉れを保ち、すべての罪的な汚れから自分自身を守ることであった。もし自然の、避けられない、自発的でない、彼らの罪ではなく彼らの苦しみである汚れが、彼らを一時的に神とも人とも交わりを持つに適さないほどに忌まわしくしたなら、自然の光と律法に反して、酩酊、姦淫、欺きなど、心と良心そのものを汚す罪によって犯すなら、はるかに忌まわしく汚れていることは容易に推論できた。そしてもしこれらの儀式的な汚れが犠牲とささげ物なしには取り除かれなかったなら、魂を罪の汚れから清めるためには、より大きくはるかに価値ある何かが期待され、頼りにされなければならなかった。
  2. したがって、もしこれらの汚れのうちにある間に聖所に近づくなら、神の正義の手によって汚れのうちに死ぬことが防がれる。注。汚れのうちに死ぬことは危険なことである。そしてもしそうするなら、それはわれわし自身の過ちである。われわしには神の律法によって、われわしを汚すものに対する明確な警告が与えられているだけでなく、もしいつでも汚れるなら、福音によって清めのための恵み深い備えがなされているからである。
  3. これらすべての律法には、聖所の誉れへの特別の配慮があるようである。そこには汚れのうちには近づいてはならない。「わたしの幕屋を汚さないためである」。無限の知恵は、この不注意な民の心に、その聖所における神の栄光と臨在の現れに対する絶え間のない畏れと畏敬を保つために、この道を取られた。今や神の幕屋が人と共にあるとき、なじみが軽蔑を生みやすい。それゆえ律法は、頻繁に起こる多くのものを儀式的な汚れとし、聖所に近づくことの無能力を伴うもの(死を刑罰とする)とした。それは彼らが大きな注意と畏敬と真剣な備えなしに、ふさわしくないことが見つかる恐れなしに近づかないように。このように彼らは、その距離と危険に対する畏敬に満ちたへりくだった自覚と、その安全と受け入れのために必要とされるすべてのことを正確に守ることなしに、決して神に近づかないことを教えられた。

二、ではわれわしはこれらすべてからどんな義務を学ぶべきか。

  1. われわしがこれらの肉的な儀式のくびきの下にないことを神に賛美しよう。われわしを滅ぼすものがないように、われわしを汚すものは罪以外にはない。今や平安のささげ物を食べることを敢えなかった者たちでさえ、主の晩餐にあずかることができる。そしてわれわしの毎日の弱さの罪によって受ける汚れは、水で沐浴したり、天幕の入口にささげ物を持って来ることなしに、悔い改めと信仰の新たな行為によって隠れて清められる。
  2. われわしは良心を汚すものとして、すべての罪から、とりわけすべての肉の欲から慎しく遠ざかろう。「わたしたちの器を聖別と誉れにおいて所有し、不清さの欲のうちにではなく」。それは魂を汚すだけでなく、「魂に戦いをいどみ」、その滅びを脅かす。
  3. われわしはみな、真の聖さが将来の幸福にどれほど欠かせない必要があるかを見、信仰によって心を清められて、神を見るようにしよう。おそらくこれらの、汚れた者が聖所に近づくことを禁じた律法になぞらえて、「だれが神の聖所に立つことができるか」と問われるとき、「清い手と純な心を持つ者」(詩24:3,4)と答えられる。「聖さがなければ、だれも主を見ない」からである。