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Matthew Henry's Complete Commentary

Matthew Henry · 1714

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Matthew Henry's Complete Commentary

Matthew Henry · 1714

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Matthew Henry 사후(1714) 공개 도메인. 디지털판 CC0-1.0.

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Numbers 31章 서론 Matthew Henry's Complete Commentary

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この章は「主の戦争の書」に属する。おそらくそこに挿入されていたであろう。それは聖なる戦争、ミデヤンとの戦いの歴史である。ここに次のものがある。一、その戦いへの神的な命令(民31:1,2)。二、戦争の着手(民31:3-6)。三、その栄光ある成功(民31:7-12)。四、戦争からの凱旋。1. モーセが兵士たちに払った敬意(民31:13)。2. 女たちを生かしておいたことに対して彼が彼らに与えた責め(民31:14-18)。3. 自分自身とその持ち物を清めるために彼が与えた指示(民31:19-24)。4. 彼らが取った分捕り物の分配。半分を兵士に、もう半分を会衆に、そしておのおのから主への貢ぎ(民31:25-47)。5. 将校たちの自発的なささげ物(民31:48-54等)。

Numbers 31章 1-24 Matthew Henry's Complete Commentary

The Slaughter of the Midianites (1452 BC)

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ミデヤンびとの虐殺(紀元前1452年)

¹ 主はモーセに告げて言われた、 ² 「イスラエルの人々のためにミデヤンびとに復讐せよ。その後、あなたはあなたの民に集められるであろう」。 ³ モーセは民に告げて言った、「あなたがたのうちの幾人かを戦争のために武装させ、彼らをミデヤンびとに向かって進ませ、主のためにミデヤンに復讐せよ。 ⁴ イスラエルのすべての部族のうちから、おのおの部族千人ずつを戦争に遣わさなければならない」。 ⁵ そこでイスラエルの数千人のうちから、おのおの部族千人ずつ、すなわち一万二千が戦争のために武装して渡された。 ⁶ モーセは彼らを、おのおの部族千人ずつ、彼らと祭司エレアザルの子ピネハスとを戦争に遣わした。聖なる器具と、吹き鳴らすラッパを手に携えて。

ここに、一、万軍の主がモーセにミデヤンびとに対して戦争をするよう命じられる。そしてこのような命令がなければ同様の戦争を正当化することはできないが、彼の任命は疑いなくこの戦争を正当化した。ミデヤンびとはケトラから生まれたアブラハムの子孫であった(創 25:2)。その一部はカナンの南に定住し、その中にエテロが住んでいた。彼らは真の神の礼拝を保っていたが、これらの者たちはカナンの東に定住し、偶像礼拝に陥り、モアブびとに隣接し、彼らと同盟していた。彼らの地はイスラエルに与えられるよう定められておらず、もし彼らが自分たちの悪い女たちを彼らの中に送って姦淫と偶像礼拝に誘い込むことによって、彼らの憤りを買わなければ、イスラエルも彼らにかかわることはなかったであろう。これが挑発であり、これが争いの原因であった。このことのために(と神は言われる)イスラエルのためにミデヤンびとに復讐せよ(民 31:2)。1. 神はミデヤンびとが懲らしめられることを望まれた。彼らの国のうち、イスラエルの陣営に最も近い部分に侵攻がなされた。そこはおそらく、その悪事にモアブびとよりもかかわっていた部分であり、それゆえモアブびとは放置されたのである。神は私たちに、私たちを罪に誘い込む者を最悪の敵とみなし、それを避けることを望まれる。そしておのが欲望に引かれて誘惑されるのであり、これらこそが策略で私たちを陥れるミデヤンびとであるから、彼らに復讐すべきである。彼らと同盟を結ばないだけでなく、否定的な生活を送ることによって彼らに戦争を仕掛けるべきである。神は、ご自身の民がミデヤンびとの誘惑に屈したことについて彼らに復讐された。今や、誘惑を与えたミデヤンびとが清算されなければならない。惑わす者も惑わされる者も彼のもの(ヨブ 12:16)であり、ともに彼の裁きの座に答えるべき者であり、裁きが神の家から始まるとはいえ、そこで終わることはない(ペテロ一 4:17)。教会に誤りと腐敗を持ち込んだ者たちに復讐がなされる日が来る。人を惑わした悪魔は火の池に投げ込まれるであろう。彼らと戦ったアマレクに対するイスラエルの争いは、ずっと後になって復讐された。しかし彼らを堕落させたミデヤンに対する争いは、速やかに復讐された。彼らははるかに危険で悪意ある敵と見なされたからである。2. 神はこれをモーセの生前になすことを望まれた。その傷を深く憤った者が、それが復讐されるのを見る満足を持てるように。「神とイスラエルの敵に対してこの処刑がなされるのを見よ。そしてその後、あなたはあなたの民に集められるであろう」。これがモーセがさらにすべきこの種の奉仕の唯一のものであり、そうすれば彼は日雇い人として自分の日を全うし、安息に入るであろう。ここまで彼の有用性が及び、これより先には及ばない。カナンの戦いは別の手によって続けられなければならない。観察せよ。神は時に、私たちが欠かせないと思うような有用な人を取り去られる。しかし、彼らが彼らのために定められたわざを成し終えるまでは決して取り去られないということは、私たちを満足させるべきである。

二、モーセはこの遠征の準備のために民に命令を与える(民 31:3)。彼は陣営全体を動かすことを望まず、彼らに戦争のためにあなたがたのうちの幾人かを武装させよと言う。最も適した者、あるいは最も進んだ者たちである。そして主のためにミデヤンに復讐せよ。神はイスラエルのために復讐せよと言われたが、モーセは主のために復讐せよと言う。神とイスラエルの利益は結合しており、両者の大義は一つだからである。そしてもし神がそのなさることでイスラエルの誉れのために熱心であることを示されるなら、確かにイスラエルもそのなすことで神の栄光のために熱心であることを示すべきである。それが主の復讐に従事するのであればじめて、私たちは自分自身の復讐を正当化できる。いや、この理由のゆえに、私たちは自分で復讐することを禁じられている。神が復讐はわたしのもの、わたしが報復すると言われたからである。

三、この奉仕のために分遣隊が引き出される。おのおの部族から千人、合わせて一万二千人。彼らが送り得た数に比べて小さな数であり、また彼らが遣わされた敵の数に比べても小さな数であったと思われる。しかし神は彼らに、大いなる軍勢によって救うことも小数によって救うことも同じであることを教えようとされた(サムエル一 14:6)。

四、エレアザルの子ピネハスが彼らと共に遣わされる。この大いなるわざにおいてヨシュアについて言及がないのは不思議である。もしこれらの軍勢の将軍であったなら、なぜ彼が彼らを率いて出て行くのを見ないのか。もし彼が家に留まったなら、なぜ彼らの帰還時にモーセと共に彼らに会いに来るのを見ないのか。おそらく、各部族がそれぞれの千人隊の隊長を持っていたので、将軍はおらず、彼らは荒野での行軍の順序にしたがって進んだのであろう。ユダが最初に、他はそれぞれの持ち場で、民 31:48 で述べられているそれぞれの千人隊長の指揮下に。しかし、この戦争が聖なる戦争であったので、ピネハスが彼らの共通の長であった。将軍の地位を補うためではなく、神の神託によって戦争会議の決定を定めるためであり、千人隊長たちは皆それに服し、それにしたがって共同で行動したであろう。それゆえ彼は聖なる器具すなわち器を携えた。おそらく裁きの胸当てであり、これによってどんな緊急事態でも神に伺いを立てることができた。彼はまだ大祭ではなかったが、この特別の機会のためにウリムとトンミムを担うよう委託されたかもしれない(サムエル一 23:6 のように)。そしてこの遠征で議長を務めるためにピネハスを遣わす特別の理由があった。彼はペオルの事においてその無礼のゆえにミデヤンの首長の家の娘コズビを殺したとき、ミデヤンびとと彼らの呪われた策略に対するその熱心さによってすでに名を現していた(民 25:15)。特定の犯罪者に対して正義のつるぎをよく用いた者は、全国民に対して戦争のつるぎを導くのに最も適していた。あなたは少数の事に忠実であった。多くの事をあなたに任せよう。

⁷ 彼らは主がモーセに命じられたように、ミデヤンびとと戦い、すべての男を殺した。 ⁸ すなわち、殺された者のほかに、ミデヤンの王たちを殺した。すなわちエビ、レケム、ズル、フル、レバ——ミデヤンの五人の王。またベオルの子バラムを、つるぎをもって殺した。 ⁹ イスラエルの人々はミデヤンの女たちをすべて捕虜とし、その子供たちを捕虜とし、そのすべての牛と羊と財産とを分捕った。 ¹⁰ また彼らの住んでいたすべての町と、すべての良い城を火で焼いた。 ¹¹ すべての分捕り物と、人と獣の獲物とを取った。 ¹² 捕虜と獲物と分捕り物とをモーセと祭司エレアザルとイスラエルの人々の会衆とに、エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの平野にある陣営に携えて来た。

ここに、1. この少数のイスラエル軍が、神の任命と導きと指揮の下に、ミデヤンの国に対して行った襲撃がある。彼らはミデヤンびとと戦った。彼らがまず戦争の理由を示し、悪事の首謀者を引き渡すよう要求する宣言を発したことは大いにありそうなことである。後の日そのような律法があったからである(申 20:10)。またそのような慣行があった(士 20:12,13)。しかしミデヤンびとは自分たちのしたことを正当化し、それをした者たちを支持したので、イスラエルびとは火とつるぎと、神とその民への熱心さに鼓舞されたすべての信心深い憤りをもって彼らを攻撃した。2. この襲撃で彼らが行った処刑(軍事的処刑)。(1) 彼らはすべての男を殺した(民 31:7)。すなわち、彼らが行くところのすべての男である。彼らは彼らをすべてつるぎにかけ、容赦しなかった。しかし彼らが国中のすべての男を殺したのではないことは確かである。というのも、ギデオンの時代にミデヤンびとがイスラエルに対して力強く恐るべき敵として現れるのを見るからであり、彼らはこの国のミデヤンびとであった。というのも彼らは東の人々と共に数えられているからである(士 6:3)。(2) 彼らはミデヤンの王たちを殺した——民 22:4 でミデヤンの長老たちと呼ばれ、ヨシュア 13:21 でシホンの首長たちと呼ばれている者たち。これらの五人の君のうち一人はズルであり、おそらくその娘がコズビであったズルと同一人物であろう(民 25:15)。(3) 彼らはバラムを殺した。この時に何がバラムをミデヤンびとのうちにもたらしたかについて多くの推測がある。おそらくミデヤンびとはイスラエル軍の進軍の情報を得て、バラムを雇い、彼のまじないをもって彼らを助けようとしたのであろう。もし彼がイスラエルの軍勢をのろうことによって攻撃的に彼らのために働くことができないとしても、ミデヤンの国を祝福することによって防御的に働くことができるかもしれないと。彼がそこにいた機会が何であれ、神の支配する摂理が彼をそこにもたらし、そこで神の正しい復讐が彼を見出したのである。もし彼自身がイスラエルの幸いな状態について語ったことを信じていたなら、彼はこのようにイスラエルの敵と群れなすことはなかったであろう。しかし彼は正しい者の死を欲すると称しながら、悪人の死を死ぬことになり(義人のように死ぬことを欲すると称したにもかかわらず)、割礼なき者と共に殺されて穴に下るという自分の良心の確信に背く彼の不義は当然である。ミデヤンびとの策略はバラムの企みであった。それゆえ彼が彼らと共に滅びるのは当然であった(ホセア 4:5)。今や彼の愚かさがすべての人に明らかにされた。他人の運命を予言したが、自分の運命は予見しなかったのである。(4) 彼らは女と子供をすべて捕虜とした(民 31:9)。(5) 彼らはその町々と良い城を火で焼いた(民 31:10)。自分たちが住むつもりではなく(その国は彼らの領域外であった)、逃げた者たちが自国に避難し、そこに再び定住することをこのように防いだのである。ある者はこれを彼らの偶像の神殿と理解する。これらもこの復讐にあずかるのは当然であった。(6) 彼らは国を略奪し、すべての家畜と価値ある財物を持ち去り、非常に豊かな分捕り物を負ってイスラエルの陣営に帰った(民 31:9,11,12)。こうして(エジプトから出たときと同様に)彼らは敵の分捕り物によって富まされ、神が彼らを導き入れる良い地のための資産を与えられたのである。

¹³ モーセと祭司エレアザルおよび会衆のすべてのつさたちは、彼らを迎えるために陣営の外に出た。 ¹⁴ モーセは軍勢の将校たち、すなわち戦いから帰ってきた千人隊長、百人隊長に対して激しく怒った。 ¹⁵ モーセは彼らに言った、「あなたがたは女をみな生かしておいたのか。 ¹⁶ 見よ、これらの女たちは、バラムの言葉によって、イスラエルの人々をペオルの事に関して主に対して罪を犯させ、会衆の間に疫病をもたらした者たちである。 ¹⁷ だから今、子供のうちのすべての男を殺せ。また男と寝て男を知った女はみな殺せ。 ¹⁸ ただし、男と寝て男を知らない女の子はみな、あなたがたのために生かしておけ。 ¹⁹ そしてあなたがたは七日間、陣営の外に留まれ。人を殺した者、殺された者に触れた者はだれでも、三日目と七日目に、あなたがた自身も捕虜も清めよ。 ²⁰ またあなたがたの着物をすべて清めよ。皮で作られたすべての物、やぎの毛で作られたすべての物、木で作られたすべての物を。 ²¹ 祭司エレアザルは戦いに出た戦士に言った、「これは主がモーセに命じられた律法の定めである。 ²² すなわち、金、銀、青銅、鉄、すず、鉛、 ²³ 火に耐えるものはすべて、火を通せば清くなる。ただしそれは清めの水で清められなければならない。しかし火に耐えないものはすべて、水を通さなければならない。 ²⁴ 七日目にあなたがたは着物を洗い、清くなる。その後、陣営に入ることができる」。

ここに、ミデヤンとの戦争からのイスラエル軍の凱旋がある。

一、彼らは大いなる敬意をもって迎えられた(民 31:13)。モーセ自身、その年齢と威厳にもかかわらず、陣営を出て、彼らの勝利を祝し、彼らの凱旋の儀式に花を添えた。公の成功は、神の栄光と、国の大義のためにいのちを危険に晒した者たちの奨励のために、公に認められるべきである。

二、彼らは女を生かしておいたことについて激しく叱責された。モーセが彼らに女を殺すよう命じていたことは大いにありそうであり、少なくともこれはイスラエルのためにミデヤンびとに復讐せよという一般命令に含まれていた。ペオルの礼拝に彼らを誘い込んだという犯罪に照らしての処刑であったので、主な犯罪者である女たちを赦してはならないことは容易に結論できた。モーセは言う、なんという、あなたがたは女を生かしておいたのか(民 31:15)。彼は彼らを見て聖なる憤りを覚えた。これらはイスラエルの人々にこの罪を犯させた者たちである。それゆえ、1. 彼女たちが死ぬのは当然である。姦淫の場合の律法は、姦通する男と女は必ず殺されなければならないというものであった。神は疫病によってイスラエルの姦通者たちを殺された。今や、彼女たちが誘惑者であったこと、特にミデヤンの姦淫の女たちがつるぎによって殺されるのは当然であった。2. 「彼女たちを生かしておくのは危険である。彼女たちはなおもイスラエルを不潔に誘い、あなたがたの捕虜があなたがたの征服者となり、再びあなたがたを滅ぼすことになるであろう」。それゆえ、すべての成人の女が冷酷に殺され、女の子供だけが赦されるという厳しい命令が与えられた。

三、彼らは律法の儀式にしたがって自分自身を清め、清めが完了するまで七日間、陣営の外に留まることを求められた。というのも、1. 彼らはその手を血に染めていた。それによって彼らは道徳的な罪を負ったわけではないが——戦争は正当で合法であった——儀式的不潔の下に置かれ、清められるまで幕屋に近づくことができなかった。こうして神は彼らの心に殺人に対する恐れと忌み嫌う思いを保たれた。ダビデは神殿を建てることができなかった。彼が戦争の人であり、血を流したからである(歴代一 28:3)。2. 彼らは死体に触れずにはいられなかったはずであり、それによって彼らは汚され、清めの水で清められることが求められた(民 31:19,20,24)。

四、彼らは同様に、取った分捕り物——捕虜(民 31:19)とすべての財物(民 31:21-23)——を清めなければならなかった。火に耐えるものは火を通し、火に耐えないものは水で洗わなければならなかった。これらの物はミデヤンびとによって用いられていたが、今やイスラエルびとの所有となったので、その聖なる国民の奉仕とその聖なる神の誉れのために聖別されるのが当然であった。今や私たちにとっては、すべての物は神のことばと祈りによって聖別される。もし私たちが火と水の両方に例えられる御霊によって聖別されるなら。清い人には、すべての物が清いのです。

Numbers 31章 25-54 Matthew Henry's Complete Commentary

Distribution of the Spoil (1452 BC)

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分捕り物の分配(紀元前1452年)

²⁵ 主はモーセに告げて言われた、 ²⁶ 「あなたと祭司エレアザル、および会衆の父祖たちのかしらたちとで、人と獣の分捕り物を取って、その数を数えなさい。 ²⁷ そして分捕り物を二つに分けて、戦いに出た者と、全会衆の間に分けなさい。 ²⁸ そして戦いに出た戦士たちから主にささげる物を取りなさい。人、牛、ろば、羊のうち、五百に一つを取らなければならない。 ²⁹ すなわち彼らの半分のうちから、これを取って祭司エレアザルに与えなさい。これは主への捧げ物である。 ³⁰ またイスラエルの人々の半分のうちから、人、牛、ろば、羊、すべての獣のうち、五十に一つを取って、主の幕屋の務を守るレビびとに与えなさい」。 ³¹ モーセと祭司エレアザルは主がモーセに命じられたように行った。 ³² すなわち戦士たちが奪った分捕り物の残り、すなわち獲物は、羊六十万七千五百、 ³³ 牛七万二千、 ³⁴ ろば六万一千、 ³⁵ また人はすべて三万二千で、男と寝たことのない女であった。 ³⁶ すなわち戦いに出た者たちの半分たる分け前は、羊三十万七千五百、 ³⁷ そのうち主にささげる物は羊六百七十五、 ³⁸ 牛は三万六千、そのうち主にささげる物は七十二、 ³⁹ ろばは三万五百、そのうち主にささげる物は六十一、 ⁴⁰ 人は一万六千、そのうち主にささげる物は三十二人であった。 ⁴¹ モーセは主の捧げ物であるささげ物を、主がモーセに命じられたように、祭司エレアザルに与えた。 ⁴² またイスラエルの人々の半分のうちで、モーセが戦った人々から分けたものは、 ⁴³ (会衆の半分たる分け前は、羊三十万三千七百五百、 ⁴⁴ 牛三万六千、 ⁴⁵ ろば三万五百、 ⁴⁶ 人一万六千であった。) ⁴⁷ すなわちイスラエルの人々の半分のうちから、モーセは人と獣との五十に一つを取り、主がモーセに命じられたように、主の幕屋の務を守るレビびとにこれを与えた。

ここに、ミデアンに対するこの遠征で取られた分捕り物の分配がある。神ご自身がこれがどのように分配されるべきかを指示された。そしてモーセとエレアザルは指示に従って行った。こうして彼らの間の不幸な争いが防がれ、勝利が共通の利益に向けられた。獲物を与えた方がその処分を命じられるのは当然であった。わたしたちのすべては神からのものである。それゆえ神の御心に従わねばならない。

一、獲物は二つの部分に分けられるよう命じられた。一つは戦いを引き受けた一万二千人のために、もう一つは会衆のために。分けられた獲物は捕虜と家畜だけであったようである。器、宝石、その他の物品については、各人は自分が取ったものをそのまま持っていた(民 31:50-53に示唆される)。彼らが入って行く良い地の備えに役立つものだけが分配された。さて観察せよ。(一)獲物の半分が全会衆に与えられた。モーセは各部族にその分け前を割り当て、部族の頭たちにその分け前を家族ごとに分けることをゆだねた。戦いは全会衆のために行われた。もし命じられていたなら、彼らは皆「力ある者に向かって主を助けるために」進んで行ったであろう。そしておそらく彼らの祈りによって助けたであろう。それゆえ神は「家に留まる者が分捕り物を分ける」と定められる(詩 68:12)。ダビデはその時代に、「戦いに下る者の分け前と同様に、道具のそばに留まる者の分け前も同じである」ことを「イスラエルの定めとおきて」とした(サム一 30:24,25)。公の信託に用いられる者は、自身の労苦と危険によって自分自身を益することだけを考えてはならない。共同体内の利益を目指さねばならない。(二)しかしながら、戦いに行った一万二千人は、(彼らの五十倍の数であった)全会衆がその分け前として持つのと同じだけの分け前を持った。それゆえ軍人の各人は、家に留まった同胞の誰よりもはるかに良い分け前を持った。そして彼らがそうあるのは当然であった。わたしたちが神と世代の奉仕において、より大きな労苦を払い、より大きな危険を冒すほど、最終的な報いはより大いなるものとなる。なぜなら「神は不義な方ではなく、わざと愛の労とを忘れられることはないからである」。

二、神はこれから貢ぎ物を取られるべきであった。これは彼らに対する神の主権の一般的な承認として、また貢ぎ物が当然彼らに負われる王としての神、特にこの戦いとその利益に対する神の権利の承認としてであった。神が彼らに成功を与えたからである。また祭司たち、主の受け取り手が、その生活のための備えに何か加えられるように。覚えよ、わたしたちが何を持っていようと、神はその中から神に帰すべきものを受けていただかねばならない。そしてここでも(前と同様に)軍人は会衆の他の者たちよりも優遇されている。民の分け前からは五十に一つが要求されたが、軍人の分け前からは五百に一つだけであった。民は危険も疲労もなく、容易にこれを得たからである。個人的な奉仕によって神を誉れる機会が少ないほど、持ち物によって神を誉れることが期待される。軍人の半分から取られた貢ぎ物は祭司に与えられ(民 31:29)、民の半分から取られたものはレビ人に与えられた(民 31:30)。祭司はレビ人の中から取られたからである。これらの軍人が民の中から、特別で危険な奉仕のために取られたように。そしてその報酬はそれに応じて割り当てられた。

⁴⁸ ときに軍の千人の長、すなわち千人の長、百人の長たちがモーセのもとに来て、 ⁴⁹ モーセに言った、「しもべらは自分の指揮下にある戦士の数を調べましたが、ひとりも欠けておりません」。 ⁵⁰ それゆえわれわれはおのおの得た物、すなわち金の飾り物、鎖、腕輪、指輪、耳輪、珠飾りのうちから、主のために捧げ物を持ってきました。主の前にわれわれの魂のあがないをするために。 ⁵¹ モーセと祭司エレアザルは彼らから金を受け取った。すなわちすべて細工した飾り物を。 ⁵² すなわち千人の長たち、百人の長たちが主にささげた捧げ物の金はすべて、一万六千七百五十シケルであった。 ⁵³ (戦士たちはおのおの自分のために分捕り物を取っていたからである。) ⁴⁴ そしてモーセと祭司エレアザルは千人の長たち、百人の長たちから金を受け取って、これを会見の幕屋に携え入れた。イスラエルの人々のために主の前に記念とするためであった。

ここに軍の将校たちの敬虔と信心の大いなる模範がある。大佐に当たる「千人の長」と、下級将校であった「百人の長」たち。彼らは総司令官であるモーセのもとに来た。そして彼が今や舞台を去ろうとしているにもかかわらず、彼らは非常にへりくだって敬意を持って彼に向かった。自身を彼の「しもべ」と呼んだ。彼らが勝ち得た誉れは彼らを誇らせなかった。彼に対する義務を忘れるほどには。彼らの言葉の中に観察せよ。(一)彼らがこの最近の遠征における神の素晴らしい恵みに対して抱く、敬虔な気づき。自身の命だけでなく、その指揮下にあるすべての軍人の命を保たれたこと。それゆえ人員点呼をレビューした結果、ひとりも欠けていないことが分かった(民 31:49)。これは非常に例外的で、おそらくいかなる歴史にも並ぶものがないであろう。かくも多くの数千の命が野の高き所で危険にさらされ、敵のつるぎによっても、いかなる病気や災害によっても、ひとりも失われなかった。これは「主のわざ」であった。特に兵士の命が絶えず神の手の中にあることを考える者にとって、驚くべきこと以外の何物でもない。これらの指揮官たちが兵士たちに対して抱く、柔らかな感情の証拠である。彼らの命が彼らにとって非常に尊いことであった。その指揮下にある者のうちのだれも損なわれなかったことを自身へのあわれみとみなしたこと。与えられた者のすべての中から、ひとりも失わなかった。このようにキリストの民と兵士の血も彼にとって尊い(詩 72:14)。(二)彼らがこの恵みのためにささげる、敬虔な感謝。「それゆえわれわれは主に捧げ物を持ってきました」(民 31:50)。彼らが持ってきた捧げ物は「おのおのが得た」ものからであった。そしてそれは神の権威によって正直に得たものであった。このように各人は「神がどれほど繁盛させてくださったかによって」備えるべきである(コリ一 16:2)。神がその恵みの賜物において豊かに蒔かれる所では、わたしたちの信心と慈善の実においてそれに応じて刈り取ることを期待されるからである。幕屋は最初、神殿は後に、イスラエルの敵から取られた分捕り物によって美しくされ、豊かにされた。ダビデによって(サム二 8:11,12)、またその将校たちによって(歴代上 26:26,27)。わたしたちは、戦いにおいても商いにおいても、信仰をもってその一部を神に聖別できないものを自身のために取ってはならない。神は「燔祭のために強奪を憎まれる」からである。しかし神が目立ってわたしたちを保ち、繁盛させてくださった時、特別な感謝の返礼をなすことを期待される。この捧げ物について。(一)将校たちはこれを「自分たちの魂のあがないをするために」ささげた(民 31:50)。彼らは「ミデアンに主の復讐をする」ことによって良い奉仕をしたことへの報いを求めるため、あるいは自身の名を不朽のものとするために勝利の記念碑を立てるために、モーセのもとに来るのではなく、「自分たちの魂のあがないをするために」捧げ物を持って来た。自身の最善の奉仕においてさえ、最良の者がそうであるように、義務において欠けていたことを自覚して。彼らが戒められたあの実例(民 31:14)においてだけでなく、多くの他の点において。「地の上には善を行って罪を犯さない正しい人はいない」からである。(二)モーセはこれを受け入れ、これを「イスラエルの人々のための記念として」幕屋にたくわえた(民 31:54)。すなわち神の彼らに対する恵みの記念碑として。さらに進んだ戦いにおいて神に信頼するよう励まされるために。また神への感謝の記念碑として(犠牲は記念と言われる)。神が与えられた恵みに対するこの感謝の承認に満足されて、彼らに対するあわれみを継続し、繰り返されるように。