Matthew Henry's Complete Commentary
Matthew Henry · 1714
Matthew Henry 사후(1714) 공개 도메인. 디지털판 CC0-1.0.
- 翻訳進捗
- 4,537 / 4,537
- 原文言語
- en
学習資料
複数のパブリックドメイン注解書と scripture.how の韓国語訳を、書巻と章ごとに閲覧できます。注解書を切り替えながら、訳文だけでなく原文と訳文を並べて読むこともできます。
現在の注解書
すべての注解書
23件の注解書
全項目
307,288
翻訳 81,431 件
ライセンス
出典ごとに表示
注解書ごとに原資料、著者、翻訳進捗、ライセンス情報を分けて表示します。scripture.how の韓国語訳・編集物は原文資料とは別に管理されます。
Matthew Henry · 1714
Matthew Henry 사후(1714) 공개 도메인. 디지털판 CC0-1.0.
Robert Jamieson, A. R. Fausset, David Brown · 1871
Commentary Critical and Explanatory on the Whole Bible (1871). CCEL expanded electronic edition states it is in the public domain.
Albert Barnes · 1834
Albert Barnes' Notes on Revelation Of St. John The Divine (New Testament, English original, public domain). Sourced from the Christian Classics Ethereal Library (CCEL). Public domain. Retrieval mirror: biblehub.com/commentaries/barnes.
Adam Clarke · 1831
Public domain English commentary by Adam Clarke, normalized from Wikisource book pages for scripture.how. Public domain. Retrieval mirror: biblehub.com/commentaries/clarke.
John Gill · 1763
John Gill(1697-1771), Exposition of the Old and New Testament(1746-1763). Public domain. Retrieval mirror: biblehub.com/commentaries/gill.
John Calvin · 1850
종교개혁 신학 원천 (영역본 PD, 대부분 — 전권 아님)
Matthew Poole · 1685
간결 절별 전권 개혁주의 주석
ed. H.D.M. Spence & Joseph S. Exell · 1890
전권 강해·설교·예화 풍부 (항목 대량)
Carl F. Keil, Franz Delitzsch · 1866
구약 학술 표준 — 히브리어·문헌비평·고대근동 배경
ed. Charles J. Ellicott · 1878
학술+가독 균형 전권 주석
Cambridge (다저자) · 1900
준전권 준학술 (권별 저자·연도 확인)
Marvin R. Vincent · 1887
신약 헬라어 단어 연구
A.T. Robertson · 1933
헬라어 시제·문법 해설 결정판 (KR PD / US 1931+ 권별)
ed. W. Robertson Nicoll (다저자) · 1910
헬라어 신약 학술 (권별 저자 PD 확인 필요)
Heinrich A.W. Meyer · 1880
신약 학술 정밀주해 (독일 — K&D 대응)
John Wesley · 1755
간결 실용 전권(NT 1755 / OT 1765) 웨슬리안
Joseph Benson · 1815
웨슬리안 전권 주석
Charles H. Spurgeon · 1885
시편 주석 고전 (설교 자료 풍부)
Alexander Maclaren · 1910
설교형 강해 명저 (전권, 절별 가공 필요)
B.W. Johnson · 1891
평이 절별 신약 해설 (일반신자·모바일)
Thomas Coke · 1803
감리교 전권 주석
John Trapp · 1660
청교도 전권 주석 — Henry/Gill 보완
Charles Hodge · 1860
프린스턴 조직신학 관점 신약 정밀 주석 (롬·고전후·엡)
Jamieson-Fausset-Brown Commentary Critical and Explanatory on the Whole Bible
はじめに(INTRODUCTION)
本書のヘブル語の題名は『テヒリーム』(「賛美」あるいは「讃美歌」の意)である。その内容の主要な特徴が賛美にあるためであるが、この語が題名に記されるのはわずか一つの詩篇(第百四十五篇)にすぎない。ギリシャ語の題名(紀元前二百年に訳された七十人訳聖書における)は『プサルモイ』であり、ここから英語の "Psalms" が来ている。これはヘブル語の『ミズモール』に相当し、六十五篇の詩篇がその銘句においてこの語で designation されている。またヘブル語に似た言語であるシリア語は、この語を本書全体に対して用いている。この語は、ギリシャ語の名称と同様に、楽器(特に琴)の伴奏を伴って歌われる ode あるいは歌を意味する(比較せよ。
1Ch 16:4-8; 2Ch 5:12, 13)。
ある詩篇には、ヘブル語の『シール』(「歌」)が前置されている。パウロはこれらすべての語を念頭に置いていると思われる。
Eph 5:19,
「……詩と賛美と霊の歌とをもって、歌ひ」と。
銘句(TITLES)。―百篇以上の詩篇に銘句が前置されており、そこには次の事項の一つあるいは複数(一つの case 〔詩篇第六十篇〕ではすべて)が記されている。すなわち、楽師への指示、著者あるいは楽器の名、音楽や詩の様式、主題や機会である。これらの銘句の権威は、ある著述家たちによって疑われている。彼らは、七十人訳やシリア訳といった最古の翻訳者たちが、その権威を軽視していることを指摘する。すなわち、あるものは適切な翻訳から逸脱し、あるものは改変し、さらに幾つかの事例ではヘブル語には題名のない詩篇に題名を付与している。また、銘句に記された詩篇の主題が、しばしばその内容と矛盾するとも主張される。しかし、それらの翻訳者たちは、権威があることで誰もが一致している聖書の多くの箇所においても、正しい翻訳から逸脱している。そして前述の矛盾は、より精密な調査の結果、実存しないことが示されうる。他方、これらの銘句の認められた古さ、さらにはその不明瞭さでさえも、それらを支持する推定を生じさせる。そのような作品への序文は、当時のその地域の慣行に合致する(比較せよ。
Isa 38:9)。
「聖歌長」(The Chief Musician)とは音楽の監督者であった(比較せよ、「監督する」、
1Ch 15:21,
余白)。これに前置された "to" は、彼の職務的性格において「〜に関する」を意味する。この銘句は五十三篇の詩篇に見られ、ハバククの祈りにも付されている。
(Hab 3:1-19)
同じヘブル語の前置詞が著者の名に付されて "of" と訳される。「ダビデの詩」「アサフの」というように。ただし「コラの子ら」に対しては "for"(〜のための)と訳されているが、これは明らかに誤りである。通常の指示「聖歌長に」(to the chief musician)が与えられており、他の著者名は示されていないからである。この最後の言及に対する見かけ上の例外については、下記および
Ps 88:1
の銘句の注解を参照せよ。銘句における他の事項の説明は、その都度与えられる。
著者(AUTHORS)。―本書はしばしば「ダビデの詩篇」と呼ばれる。彼が新約聖書において言及される唯一の著者であり
(Lu 20:42)、
かつ彼の名が他のいかなる著者よりも多くの銘句に現れるからである。そのように現れる詩篇のおよそ半数に加えて、第二篇と第九十五篇も彼に帰される。
(Ac 4:25 および Heb 4:7)。
彼はおそらく、名前のない多くの詩篇の著者でもある。彼は聖所の礼拝を美しくするために大きな努力を払った。彼が歌と楽器の演奏のために任命した二百八十八人のレビ人のうちに、「コラの子ら」が挙げられている。
(1Ch 9:19);
ヘマンを含み
(1Ch 6:33-38);
またアサフも
(1Ch 6:39-44);
そしてエタンもいる
(1Ch 15:17-19)。
神はこれらの人々にご自身の霊の霊感を授けることを喜ばれたに違いない。それによって彼らは、音楽という近親芸術との結びつきが彼らに修得させた詩的才能を、その王であり後援者であった人物の作品と同様の作品の制作に用いたのである。アサフには十二篇が帰され、コラの子らには十一篇(第八十八篇を含む。これはヘマンにも帰されている。それが「子」(あるいは子孫)の名が記される唯一の事例である)、そしてエタンには一篇が帰されている。ソロモンの名は第七十二篇と第百二十七篇の前に現れ、モーセの名は第九十篇の前に現れる。著者に関する特別な問題は、生じる都度説明される。
内容(CONTENTS)。―本書は百五十の独立した作品を含むため、いかなる論理的分析にも供しえない。ユダヤ人は本書を五つの書(第一、詩篇一〜四十二。第二、四十三〜七十二。第三、七十三〜八十九。第四、九十〜百六。第五、百七〜百五十)に分けており、これはモーセの五書に対応する。この分割に何らかの批判的あるいは実践的価値を見出そうとする多くの試みがなされたが、無駄であった。主題によって詩篇を分類する試みもさまざまになされた。Angus' Bible Hand Book がおそらく最も有用であり、巻末に付されている。
それでも、詩篇にはそれ独自の形式と性格がある。様式と主題における個々の多様性はあるが、それらはすべてその形式に同化し、ともに道徳的真理の一貫した体系を構成する。それらはすべて詩であり、ヘブル語の詩を特徴づける特有の並行法(参照せよ、
詩的諸書の緒言)
に属する。それらはすべて抒情的、すなわち楽器に合わせて歌われる歌であり、しかも宗教的抒情詩、すなわち聖所の礼拝において用いられるために作られたものである。
詩篇を特徴づけるのは、その祈りの性格である。その材料が教訓的であれ、歴史的であれ、預言的であれ、実践的であれ、それは祈り、あるいは賛美、あるいはその両方の根拠あるいは主題とされる。神学の教理と純粋な道徳の訓戒がここに説かれる。神の性質、属性、完全性、そして創造・摂理・恵みのみわざが展開される。最も高められた詩句の最も崇高な概念において、天と地と地獄の権威に対するご自身の栄光ある主権、そしてすべての物質的・非物質的働きに対する神の聖く、知恵ある、力ある統治がたたえられる。贖い主という根本的な約束に基づく恵みの大契約(これも神の尽きることのないあわれみの備えである)は、御霊による新生、罪のゆるし、神への悔い改め、イエス・キリストへの信仰という教理に関して提示される。その栄光ある結果は、「地の果てから」の人々の救いを含み
[Ac 13:47]、
信じる予言的な祈りと感謝の賛美の中で宣言される。著者たちの個人的歴史、特にその霊的側面におけるダビデの歴史は、一般的に神の民の歴史である。伝記は、神のことばと御霊が生み出すような、経験において具体化された真理としてのみ、霊的に有益である。それは人工的に作り上げられ、信憑性が疑わしいかもしれない。しかしここでは、真に敬虔な者の経験が、神の感化の下に、「聖霊が教えられたことば」において
[1Co 2:13]
詳しく述べられている。敬虔な人の内の生活の全体が明らかにされ、すべての時代のクリスチャンは、自らの霊的経験と照合すべき材料をここに見出す。一方には誘惑、戦い、困惑、疑い、恐れ、悔いる呻き、圧倒的な悲しみがあり、他方にはゆるすあわれみの喜びと希望、不誠実な追従者の誘惑に対する勝利、サタンの力からの救出がある。ここにはまた、切なる祈りにおいてしばしば求められ、見いだされたときには恍惚の喜びをもってしばしば歌われた、その主権的あわれみの実がある。逆境における忍耐、繁栄における節度、神の栄光への熱心、人への愛、虐げられる者への正義、高ぶる者への聖なる軽蔑、敵への寛大さ、友人への誠実、シオンの繁栄における喜び、そしてその拡大と永続を信じて祈ることにおいて示される。
詩篇の歴史的要約は豊かな教訓を含む。族長たちに対する神の選び、エジプトにおけるイスラエル人の苦しみ、彼らの出エジプト、神への試み、荒野での反逆と災い、カナンへの定住、背教と改革は、神の民に対する神の摂理的統治の、個人的・集団的な例証を提供する。それはご自身の慕うべき恵みを高め、人間の誇りを低くする傾向がある。しかし、これらの要約に結びつけられた、また詩篇の他の場所で提示される約束と預言は、はるかに広い及び範囲を持ち、約束と預言の大主題に対する本書の関係を示す。
メシアとその王国(THE MESSIAH AND HIS KINGDOM)。―ダビデは神に選ばれたしもべであり、神の民を治めるため、国家と教会の長として、神の慕うべき御子の肉による直系の先祖であり
[Ac 2:30; Ro 1:3]、
苦難と勝利の両面においてその職務の関係における型であった。一般に、不敬虔な者によるダビデの試練はキリストの試練を描き出し、彼の最終的な成功はキリストの王国の成功を描き出す。典型的に、彼はご自身の感情を描写する言葉を用いるが、それはキリストの感情においてのみその十分な意味を見出す。そのように、それは新約聖書において引用され適用される。さらに、詩篇でたびたび言及される、彼とその子孫への大いなる約束
(2Sa 7:12-16)
を考慮して、ダビデは霊感を受けた。地の王国は滅びるとしても、その霊的王国はキリストの王国の力、慈愛、栄光において永遠に続くことを知っていた。彼はその約束を繰り返し拡大する中で、単に型として語るだけでなく、「預言者として、神が彼に誓いをもって、肉によれば彼の腰の実からキリストを立ててその王座に着かせると知っていた」ので、「キリストの苦難とそれに続く栄光とを予告した。その受肉、卑しめられる悲しみ、迫害、残酷な死は、絶望的な苦しみ手の嘆きの叫びの中に示される。その復活と昇天、その永遠の祭司職、その王としての尊厳、その預言者の務め、御霊の賜物の購入と付与、諸国民の回心、教会の設立・増大・永続、時代の終わり、そしてシオンのこの王を認める義人の幸福と、この王を拒絶する悪者の滅亡が、確信と喜びの言葉をもって予告される。」これらの大主題は、神の民に祈りの言葉をまとった、宗教的経験とクリスチャンの道徳に関する大衆的神学と導きを提供してきた。そしてほぼ三千年の間、あらゆる信条と教派の敬虔な者たちがその祈りと賛美を注ぎ出してきた霊感による礼拝式を備えてきた。キリストの来臨以前の敬虔なユダヤ人は、その古代の王の言葉をもってシオンの逆境を嘆き、あるいはその未来の栄光をたたえた。われらの救い主は、弟子たちとともに、裏切られた夜にこれらの讃歌の一つを歌われた
[Mt 26:30]。
ある詩篇から、ご自身の魂の恐るべき悲しみを表す言葉を取り
[Mt 27:46]、
他の詩篇の言葉を口にして死なれた
[Lu 23:46]。
獄中のパウロとシラス
[Ac 16:25]、
隠れた礼拝所における初期のクリスチャンたち、後の時代の立派な教会堂、中世の暗闇と誤りが広まる中で散在し弱いクリスチャンの群れは、これらの慰めの歌によって信仰を養い、愛を温めた。今や、クリスチャン世界の至る所で、数えきれない版本・意訳・模倣の形において、カトリック教徒とプロテスタント、監督派と長老派、会衆派、バプテスト、メソジスト―あらゆる国・あらゆる信条の人々が、公私の礼拝において、これらの尊い詩篇に表された感情において神を礼拝し続けている。それらの前半を貫く悲しみと苦しみの調べから、われわれは交互の戦いと勝利、嘆きと目覚める信頼の中を次第に運ばれていく。終わりに近づくにつれ、悲しみの調べは弱まり、賛美の調べは強く高くなる。ついに最後の詩篇の歓喜の調べにおいて、地の合唱が、天の聖所数えきれないほどの大群衆のハレルヤに交わる。
特定の主題に関する詩篇を見つけるための導きとして、Angus あるいは Bickersteth の配列が有益に用いられうる。それは以下のように少し修正されている。
(1) 善人と悪人:詩篇 1, 5, 7, 9-12, 14, 15, 17, 24, 25, 32, 34, 36, 37, 50, 52, 53, 58, 73, 75, 84, 91, 92, 94, 112, 121, 125, 127, 128, 133。
(2) 神の律法:詩篇 19, 119。
(3) 人の生活の空虚:詩篇 39, 49, 90。
(4) 支配者の義務:詩篇 82, 101。
(1) イスラエルへの一般的な神の善良さについて:詩篇 46, 48, 65, 66, 68, 76, 81, 85, 98, 105, 124, 126, 129, 135, 136, 149。
(2) 善人へ:詩篇 23, 34, 36, 91, 100, 103, 107, 117, 121, 145, 146。
(3) 個人へのあわれみ:詩篇 9, 18, 22, 30, 40, 75, 103, 108, 116, 118, 138, 144。
(4) 一般的な属性について:詩篇 8, 19, 24, 29, 33, 47, 50, 65, 66, 76, 77, 93, 95-97, 99, 104, 111, 113-115, 134, 139, 147, 148, 150。
(1) 悔い改め:詩篇 6, 25, 32, 38, 51, 102, 130, 143。
(2) 悩みの中の信頼:詩篇 3, 16, 27, 31, 54, 56, 57, 61, 62, 71, 86。
(3) 希望を伴う悲しみ:詩篇 13, 22, 69, 77, 88。
(4) 深い苦悶:詩篇 4, 5, 11, 28, 41, 55, 59, 64, 70, 109, 120, 140, 141, 143。
(5) 宗教的特権を奪われた時の感情:詩篇 42, 43, 63, 84。
(6) 助けを求める願い:詩篇 7, 17, 26, 35, 44, 60, 74, 79, 80, 83, 89, 94, 102, 129, 137。
(7) とりなし:詩篇 20, 67, 122, 132, 144。
歴史的。詩篇 78, 105, 106。
預言的。詩篇 2, 16, 22, 40, 45, 68, 69, 72, 97, 110, 118。
注。―以下の注解の編者は、注解をいたずらに煩雑にするとして、著者へのすべての言及を省いた。彼は CALVIN, SCOTT, POOLE, AINSWORTH, COBBIN, GEICE, VATABLUS, THOLUCK, J. H. MICHAELIS, ROSENMULLER, ALEXANDER の著作を参考とした。とりわけ最後の二人には、平行箇所について特に負っている。彼はこれらの著者たちが提示した見解を自由に用い、簡潔さと説明の十分さが結合していること以外、この著作におけるいかなる功績も主張しない。これを試みる者はだれでも、長い注解を書く方が短い注解を書くよりもはるかに容易であることが分かるであろう。
詩篇の緒言
第1節 「詩篇の書の表題」
ヘブライ語における詩篇の書の総表題は תהלים Tehilliym、すなわち「詩篇(賛美の歌)」であり、より完全な形では תהלים ספר Sêpher Tehilliym「詩篇の書」となる。ときにはより短い表題 תלים Tilliym も用いられる。このほか、個々の詩篇に応じた語、すなわち מזמורים mizmôriym あるいは שׁירים shîyriym(歌)が、また単数形では מזמור mizmôr および שׁיר shîyr(一つの歌)が用いられることもある。ただしこれら後者の表題は全体のコレクションに対してではなく、個々の詩篇に対して与えられている。前者の表題 מזמור mizmôr は、Psalm 3:1-8; Psalm 4:1-8; Psalm 5:1-12; Psalm 6:1-10; Psalm 8:1-9; Psalm 9; Psalm 12:1-8; Psalm 13:1-6; Psalm 15:1-5; Psalm 19:1-14; Psalm 20:1-9; Psalm 21:1-13; Psalm 22; Psalm 23:1-6、ならびに他の39篇(その最後は Psalm 143:1-12)に与えられており、一様に「詩篇」と訳されている。後者の表題 שׁיר shîyr は Psalm 30:1-12; Psalm 45; Psalm 46:1-11、および他の27篇(その最後は Psalm 134:1-3)に見られ、一様に「歌」と訳されている。ただしこの語は、ときには מזמור mizmôr(詩篇)という語と結び付けられ、「歌と詩篇」と訳されることもある(Psalm 48:1-14; Psalm 65:1-13; Psalm 66; Psalm 67:1-7; Psalm 68; Psalm 69; Psalm 75:1-10; Psalm 83; Psalm 87:1-7; Psalm 88 参照)。また Psalm 122:1-9; Psalm 123:1-4; Psalm 124:1-8 では、「都上げ(段階)」という語と結び付けられ、「都上げの歌」となっている。
תהלים Tehilliym という語は、動詞 הלל hâlal(賛美する)に由来する。「ハレルヤ、ヤハウェを賛美せよ」という語におけるがごとくである。この名称が全体のコレクションに与えられているのは、賛美こそが他の何にもましてこの書の特徴であること、またこのコレクションが、神に対する公の賛美、すなわち礼拝に用いられることを目的として編まれたと見られることによる。これらはすべて、おそらくヘブライ人の礼拝においてそのように用いられたものである。
このコレクションに適用された「詩篇(Psalms)」という語は、われわれがギリシャ語訳から受け継いだものであり、複数形の ψαλμοὶ psalmoi、すなわち「psalmos」(一篇の詩)および「psalmoi」(詩篇)である。この語は ψάλλω psallō、すなわち「触れる、ひねる、引き抜く――髪や髭のように」に由来し、次いで、弦に触れるあるいはひねる、すなわち「かき鳴らす」、指あるいは「プレクトルム」(πλῆκτρον plēktron――琴の弦を打つための道具、羽根軸のようなもの)によって弦に触れて振動させることを意味するようになった。Cic. N. D., 2. 59.(キケロ『神々の本性について』)。したがってこの語は、まず賛美に用いられる楽器に適用され、次いで賛美の行為一般に適用されるようになった。名詞 ψαλμός psalmos(「詩篇」)は、本来「触れること、かき鳴らすこと」――弓の弦、あるいは弦楽器のかき鳴らし――を意味し、次いで弦楽器に伴って歌われる歌を、さらに特定の意味において神への賛美の詩あるいは歌を意味するようになった。このように、動詞 ψάλλω psallō は、新約聖書において「賛美の歌を歌う」ことを表すものとして、次の諸箇所で用いられている。すなわち Romans 15:9「わたしは……あなたの名を告白し、あなたの名に向かって歌います」、1 Corinthians 14:15「わたしは霊で祈り、また知性で祈ろう。わたしは霊で歌い、また知性で歌おう」、Ephesians 5:19「心から主に向かって、賛美の歌と詩篇とを歌いなさい」、James 5:13「あなたがたのうちに喜んでいる者があれば、詩篇を歌いなさい」。
この動詞は新約聖書の他の箇所には現れない。名詞 ψαλμός psalmos は、新約聖書において詩篇一般を指すものとして次の諸箇所で用いられている。すなわち 1 Corinthians 14:26「あなたがたはそれぞれ詩篇を持っています」、Ephesians 5:19「詩篇と賛美と霊の歌とをもって、自分に語りかけなさい」、Colossians 3:16「詩篇と賛美と霊の歌とをもって互いに教え、戒め合いなさい」。また、以下の諸箇所では、賛美の歌のコレクションとして考えられた詩篇の書そのものに適用されている。すなわち Luke 20:42「ダビデ自身が詩篇の書の中で言っています」、Luke 24:44「モーセの律法と預言者の書と詩篇とにわたしについて書いてあることは、すべて必ず成就しなければならなかったのです」――この箇所の注解を参照せよ――、Acts 1:20「詩篇の書にこう書いてある」、Acts 13:33「第二の詩篇にもこう書いてある」。この語は新約聖書の他の箇所には現れない。
第2節 「詩篇の作者たち」
このように一冊の書に集められた詩篇は、決して一人の詩人、あるいは一つの時代の産物ではない。それらは、確かにモーセの時代からバビロン捕囚からの帰還の時代に至るまで――おそらくはそれ以後にも――ユダヤ史の長い期間に及んでおり、それぞれの作者の個性、個人的および国民的な歴史、また作曲された時代に付随するあらゆる相違によって特徴づけられている。しかし、そのうち非常に多くがダビデの作であるため、それらを慣用に従って「ダビデの詩篇」と呼ぶのが通例である。ただし、コレクション中の詩篇のうち彼の書いたものは、半分強を少し超える程度にすぎないと見られる。ヘブライ語写本の数え方によれば、コレクションを構成する150篇のうち、彼に帰せられるのはちょうど半分に満たない。すなわち、デウェッテ(DeWette)は74篇、ケニコット(Kennicott)は66篇、デロッシ(DeRossi)は67篇、ローゼンミュラー(Rosenmuller)とアイヒホルン(Eichhorn)は71篇、ヘンステンベルク(Hengstenberg)は80篇と数える。しかし、表題に名前が記されていない詩篇の一部――それがどれほどの部分を占めるかは今や判定できないが――は、ダビデの作である可能性がおそらくある。それでもなお、彼の作であることが知られているものは非常に多く、また彼は詩人としてきわめて卓抜であったため、それらが親しみをこめて「ダビデの詩篇」と呼ばれる際にしばしば用いられる表現は正当化されるのである。
次の人物たちが、詩篇の作者として表題の中に記されている。
(1) 一篇、すなわち Psalm 90 はモーセに帰せられている。これをモーセの作と見なすべきかどうかという問題については、同詩篇の注解を参照せよ。コレクションの中で彼に帰せられる他の詩篇はないが、彼の詩の少なからぬ作例がモーセ五経の中に保存されている。なぜこれが彼の他の著作と共に収められなかったのか、また、詩篇の書の中に恒久的な場所を得るまで、これがどのように保存されていたのかは、今では判定できない。
(2) ダビデは、コレクション中の多くの詩篇の作者として際立った位置を占めているが、上述のとおり、彼に帰すべき正確な数については批評家たちの意見が分かれている。詩篇のヘブライ語の表題では、68篇が彼に帰せられている。この数と、デウェッテ(DeWette)、ケニコット(Kennicott)、デロッシ(DeRossi)、ローゼンミュラー(Rosenmuller)、アイヒホルン(Eichhorn)、ヘンステンベルク(Hengstenberg)らの見解に関して上述した数との差異は、次の諸点から生じている。すなわち、これらの表題に関する写本間の相違、諸批評家がこれらの表題に付す価値づけの違い、ヘブライ語では表題を持たないいくつかの詩編が、ダビデの作であることがあまりに確実であるため彼に帰せるのが適切であると考えられるという事実、さらに、彼に帰せられた詩篇の一部は、彼の時代より後のユダヤ史の時期に属すると異なる著述家たちによって考えられており、その結果、ダビデに帰する表題が誤りであると見なされているという事実である。現在表題を持たない詩篇の一部がダビデの作であると考えるべきあらゆる理由が存在するが、詩篇自体の表題においてなぜ彼に帰せられていないのかは知られておらず、今や知ることはできない。これらの事実の結果として、詩篇のうちいくつがダビデに帰せられるべきかを正確に判定することは今や不可能であるが、その数が疑いなく非常に大きい以上、彼はこのコレクションの主要な作者と見なされるべきである。
(3) 12篇の詩篇、すなわち Psalm 50; Psalm 73; Psalm 74; Psalm 75:1-10; Psalm 76:1-12; Psalm 77; Psalm 78; Psalm 79:1-13; Psalm 80; Psalm 81; Psalm 82:1-8; Psalm 83 は、アサフに帰せられている。これらが、Psalm 63-83 の範囲の中で(Psalm 1:1-6 を例外として)共に一つの場所を占めていることは、見てのとおりである。このような配列の理由は今や知ることができない。デウェッテ(DeWette, Einleitung, III. iii.)は、Psalm 1:1-6 と Psalm 73 とを例外として、これらはアサフに帰せられるのが不正確であると考える。というのは、彼の見解では、これらはユダヤ史の後の時代に属するからである。すなわち Psalm 74 と Psalm 79:1-13 は神殿と都の破壊に、Psalm 80 は捕囚に、といった具合である。
それらの詩篇の緒言の注解を比較せよ(Psalm 74; Psalm 79; Psalm 80)。
(4) 11篇の詩篇、すなわち Psalm 42:1-11; Psalm 44; Psalm 45; Psalm 46:1-11; Psalm 47:1-9; Psalm 48:1-14; Psalm 49; Psalm 84:1-12; Psalm 85:1-13; Psalm 87:1-7; Psalm 88 は、作者として「コラの子たち」に帰せられるか、あるいは「コラの子たちのためのもの」とされている。Psalm 42:1-11 の緒言の注解を参照せよ。これらが「コラの子たち」によって作曲されたのか、それとも「コラの子たち」のために、すなわち神殿における音楽の指導が委ねられていた楽師の組のために作曲されたのかは確かでない。しかし、これらが「コラの子たち」によって作曲されたという意味であるとすれば、このことは詩篇の個々の作者が誰であるかについて何の情報も与えないことを指摘しておこう。それらが彼らのうちの誰によって作曲されたのか、また一人以上によってかは、このような一般的な表題からはもちろん示されない。デウェッテ(DeWette)は、これらの詩篇の大部分は捕囚の時代あるいはそれ以後の時期に属すると考える。これらの詩篇の性格には特に変わったところはなく、ダビデやアサフによるものよりも、むしろ帰せられている当人たちによって作られたと結論させるような内的な根拠は何もない。
(5) 二篇の詩篇、すなわち Psalm 88 と Psalm 89 は、「エズラ人」と呼ばれる人物に帰せられている。その一方 Psalm 88 は「エズラ人」に、他方 Psalm 89 は「エズラ人エタン」に帰せられている。前者はまた、「コラの子たち」に属する詩篇の中にも数えられている。しかしエタンとヘマンは、おそらくは別人のであり、「エズラ人」という名が何らかの理由でその各人に適用され得たのであろう。1 Kings 4:31 では、彼らは知恵によって卓越した人物たちのうちに挙げられている。「ソロモンはすべての人よりも知恵があり、エズラ人エタン、ヘマン、カルコル、ダルダ、マホルの子たちに勝っていた」。1 Chronicles 2:6 では、彼らは「ゼラの子たち」として言及されている。「ジムリ、エタン、ヘマン、カルコル、ダラ」。1 Chronicles 6:33 では、ヘマンが「コハテ人の子たち」の一人として言及されている。「歌うたいであるヨエルの子ヘマン」。同様に 1 Chronicles 15:17 では、彼はエタンと共に言及されており、そこではエタンはクシヤフの子であるとされている。また 1 Chronicles 15:19 では、彼はアサフおよびエタンと共に組み合わされて言及されている。「こうして、歌うたいヘマン、アサフ、エタンは青銅のシンバルを打ち鳴らすために任じられた」。1 Chronicles 25:1 では、ヘマンがエドトンと共に、その子らが「琴、立琴、シンバルによって預言する」者たちとして挙げられている。そこで彼はアサフと共に組み合わされている。2 Chronicles 5:12; 2 Chronicles 29:13-14; 2 Chronicles 35:15 を比較せよ。エタンは二度言及されている。すなわち 1 Kings 4:31 では上述のとおり知者として、1 Chronicles 2:6 では上述のとおりである。Psalm 88 と Psalm 89 の緒言の注解を比較せよ。
(6) 二篇の詩篇、すなわち Psalm 72 と Psalm 127:1-5 は、ソロモンに帰せられるか、あるいは「ソロモンのためのもの」とされている。それらの詩篇の表題に関する注解を参照せよ(Psalm 72; Psalm 127)。これらの詩篇が彼の作なのか、それとも彼に関して、あるいは彼のために作曲されたものなのかを積極的に判定することはできない。詩篇の内容から判定し得る限りにおいて、Psalm 72 については後者の方がよりありそうな見解であるように思われる。とはいえ、この二篇を彼に作者として帰せることを絶対に妨げるものは何もない。
(7) 15篇の詩篇、すなわち Psalm 120-134 は、「都上げの歌」という表題を持つ。そのうち四篇はダビデに、一篇はソロモンに帰せられている。残りの作者の名は言及されていない。Psalm 120:1-7 の注解の緒言を比較せよ。これらが一つにまとめられているのは、詩篇自体の中に何か特別なものがあるためというよりも、特定の特別な機会に用いられたためであるように見える。
(8) 詩篇の中には、七十人訳(セプトゥアギンタ)においてエレミヤ、エゼキエル、ハガイ、ゼカリヤに帰せられているものがある。ヘブライ語の表題にはこれに対応するものが何もないので、これはもちろん単なる推測あるいは伝承にほかならなかったに違いない。
(9) なお相当な数の詩篇が、その作者の名を記されていないまま残っている。したがって、その作者が誰であるかという問題を今決定する手段はない。そのようなものが s. 150 である。これらは本書の中に不規則に散在しているが、大部分はその終わりの近くに置かれていることがわかる。
個々の詩篇の表題の起源と権威については、第4節を参照せよ。
第3節 「詩篇の書の編纂と配列」
ユダヤ人のタルムード(Cod. Berachot, 1, 9)は、詩篇の書すなわち詩篇の書の編纂をダビデに帰している。これが正しい見解であり得ないことは言うまでもない。多くの詩篇が、疑いなくダビデの時代より後のものだからである。キリスト教教父たちの大部分、および近代の多くの批評家たちは、この書の編纂と配列をエズラに帰せており、これが今や最もありそうな見解と見なされている。もしそうなら、このコレクション全体はキリスト前約450年ごろに編まれたことになる。しかし、現在の形での全体の完成に関してはこれを正しい見解と見なすことができるにせよ、詩篇自体の中には、最終的に全体のコレクションが形成される以前に作られた、より小さなコレクションの存在を示す証拠がある。それらの小さなコレクションが誰によって作られたかは今や知られておらず、全体のコレクションが形成された際に、それらの中にどのような変更が加えられたかを確かめることもできない。
この書は、ヘブライ語本文において五つの小さな書あるいはコレクションに分けられている。それは性格において十分に区別され、それぞれの終わりにそのように表示されているため、これらがいわば異なる「書」として「出版」されたか、あるいは後のものが最初のコレクションないし巻への追加であったと考えることをあらゆる点で可能ならしめている。この区分は七十人訳にも見られる。この事実は、この区分が早くも紀元前200年には存在していたことを証明する。これらの部分は、全体のコレクションが形成された時点で恣意的に設けられた区分ではなく、異なる人々による独立した別個のコレクションであることを示すしるしを帯びている。その分類は厳密には正確ではない。すなわち、第一の部分である「ダビデの詩篇」Psalm 1-41 には、ダビデの詩篇のすべてが含まれているわけではなく、表題において彼に帰せられていないものもいくつかある。しかしそれでも、このコレクションが作られた当時としては、その編纂の目的との関係において、彼の詩篇のコレクションと見なすのが適切であるほどに完全なものであった、おそらくはそうであった。
第一の書は最初の41篇を含み、おそらくはダビデの詩篇をそのようなものとして集めたコレクションであった。ただし、彼の書いたものすべてを含んではおらず、おそらくは編纂の時点で現存していたものすべてをも含んではいない。この「書」の「終わり」は、「アーメン、アーメン」という言葉によって示されている(Psalm 41:13)。このコレクション中の詩篇はすべて、Psalm 1:1-6; Psalm 2:1-12; Psalm 10; Psalm 33 を例外として、明示的にダビデに帰せられており、すべてが彼によって作られたと考えることがあらゆる点でありそうなことである。多くの写本において、また七十人訳およびラテン語ヴルガートにおいては、第一の詩篇は第二の詩篇と結合されている(全体のコレクションの他の部分においても、Psalm 42:1-11 と Psalm 43:1-5、また Psalm 116 と Psalm 117:1-2 が同様に結合されている)。このコレクションは早い時期に作られたものであろう。ただしデウェッテ(DeWette)は、Psalm 14:1-7 と Psalm 44 が捕囚以後に作られたと考えるため、それは捕囚以後でなければあり得ないことを示そうと努めてきた。しかし、これには何の証拠もない。もちろん、このコレクションが誰によって作られたかを判定することは不可能である。ヒゼキヤの時代ほど早い時期に、彼の指揮の下で準備されたと考える者もいる。ソロモンの箴言を集めて書きしるすことを彼が命じたことが知られており(Proverbs 25:1)、また 2 Chronicles 29:30 では、彼が「レビ人たちに、ダビデの言葉をもって主に賛美を歌うよう」命じたからである。(キットー Kitto, Encyclopedia)
全体のコレクションにおける第二の書は Psalm 42-72 を含む。このコレクションは、「コラの子たち」の詩篇(Psalm 42-49)、アサフの詩篇一篇(Psalm 50)、ダビデの詩篇19篇、作者の名の記されていない二篇、そして「ソロモンに」すなわち「ソロモンのために」と記された一篇(Psalm 72)から成り立っている。このコレクションの終わりには Psalm 72:20 において次の注記が与えられている。「エッサイの子ダビデの祈りは終わった」。そして、これが Psalm 1-72 という一つの書あるいはコレクションとして、これに先立つ詩篇全体の終わりであったと考える者もいる(カルプツォフ Carpzov, Introduction ii. 107.)。しかし、これが別個のコレクションであったこと、すなわち異なる人々によって二つのコレクションが作られたことは、Psalm 53:1-6 が Psalm 14:1-7 と同じであり、わずかな相違を除いて一致しているという事実から明らかであるように思われる。その相違は主として、後者において神の御名として יהוה Yahweh の代わりに אלהים 'Elohiym という語が用いられているという点にある。同一のコレクションの中で、編纂者が同じ詩篇をそのような変化を加えて用いたとは考えられない。同様に Psalm 70:1-5 も Psalm 40:13-17 の単なる繰り返しであり、同様の変更が加えられているにすぎない。
この二つのコレクションがその後「結合」され、より一般的なコレクションが作られる以前に一つを成していたのではないかと「示唆」することもできよう。そうすれば、このコレクションの自然な「終わり」は、第一のコレクション(Psalm 41:13)と同様に、「アーメン、アーメン」という言葉で終わることになったであろう(Psalm 72:19)。そして結合された二つから成る「全体の」コレクションに対しては、この言葉が付加されたのかもしれない(Psalm 72:20)。「エッサイの子ダビデの祈りは終わった」。これは、ダビデの詩篇の完全で完全なコレクションが、結合された「二つ」の中で「今や」作られたこと、あるいは「その時点で公の礼拝において用いられることを意図されていたものと同数の詩篇が、その礼拝のためにまとめられた」ことを意味する。この考えは、当時実際にダビデの他の詩篇が存在していた可能性や、それらが「他の」コレクションにおいて後に神の礼拝へ取り入れられた可能性という想定を妨げるものではない。
第三の書 Psalm 73-89 は、部分的には(Psalm 73-83)アサフの詩篇から、部分的には(Psalm 84-89)コラの子たちの詩篇から成り、その中にダビデの一篇(Psalm 86)を含む。この書には Psalm 86 を例外としてダビデの詩篇が含まれていない。それゆえ、第二の書の終わりに(Psalm 72:20)「エッサイの子ダビデの祈りは終わった」という注記が与えられているのである。その書の「終わり」において、編纂者は次の書にダビデの詩編を一つも入れないという意図を明らかに持っていた。おそらくは、公の礼拝の目的のためにもはやダビデの詩篇をこれ以上集めないという意向であったのであろう。デウェッテ(DeWette, Einleitung, p. 21)が示唆するように、第三の書におけるコレクションの作者は、別の種類のコレクションを作る意図を持っていたため、ダビデの詩篇はそこで終わるという注記を第二の書の終わりに置いたのかもしれない。このコレクションがいつ作られたかは知られていない。Psalm 85:1-13 から判断すると、それはバビロン捕囚からの帰還の時期まで遅くとも作られた可能性があるように思われる。その詩篇は「コラの子たち」と呼ばれた組の一人によって書かれたのかもしれず、あるいは聖所における彼らの用のために作られたのかもしれない。このコレクションは前の二つと同様に、力強い「アーメン、アーメン」によって閉じられる(Psalm 89:52)。
第四のコレクション Psalm 90-106 は、モーセに帰せられた Psalm 90 と、ダビデに帰せられた Psalm 101:1-8 と Psalm 103 とを例外として、 完全に匿名の詩篇から成っている。これらの詩篇は、局所的な言及や暗喩をほとんど含まず、その大部分は、世界のいかなる国においても、いかなる時代にも作られ得たものであり、その構造と暗喩においては、作者についても、作曲に至った事情についても何の指示も与えない。上に述べた三つの場合を除き、それらの作者は今や確かめられない。また、それらを十分に理解し評価するためには、この問題を決定する必要もない。それらは明らかに公の礼拝のために意図されたものであり、おそらくそのように用いられることを目的として書かれたものである。この書は Psalm 106:48 において「アーメン。ハレルヤ」という表現をもって閉じられる。
第五の、最後の書 Psalm 107-150 は、性格において雑多であり、公の礼拝に適切でありながら他のコレクションの中に場所を見出せなかった、散在するすべての詩篇を集めたコレクションであることを意図していたように見える。一部(Psalm 108:1-13; Psalm 109; Psalm 110:1-7; Psalm 122:1-9; Psalm 124:1-8; Psalm 131:1-3; Psalm 133:1-3 ―― この最後の四篇は「都上げの歌」に属する ―― Psalm 138:1-8; Psalm 139; Psalm 140:1-13; Psalm 141:1-10; Psalm 142:1-7; Psalm 143:1-12; Psalm 144:1-15; Psalm 145)はダビデに帰せられている。一部(Psalm 120-134)は「都上げの歌」から成る。残り(Psalm 107; Psalm 111:1-10; Psalm 112:1-10; Psalm 113:1-9; Psalm 114:1-8; Psalm 115; Psalm 116; Psalm 117:1-2; Psalm 118; Psalm 119; Psalm 135; Psalm 136; Psalm 137:1-9; Psalm 146:1-10; Psalm 147; Psalm 148:1-14; Psalm 149:1-9; Psalm 150:1-6)は匿名である。この最後のコレクションが誰によって、いつ作られたかは知られていない。しかし、蓋然性を損なわない範囲で、次のように想定することはおそらく可能である。すなわち、すでに存在していた「書」全体を一つに集めることを引き受けた人物(エズラ?)によってそれが作られたのであり、この人物は、先行する諸書の編纂者たちによっては含められなかった多くの詩篇を見出し、それゆえ、これらすべてを一つの書にまとめ、すでに分類され配列されていたものに付け加えて全体のコレクションに加えるべきものとしたのである。
第4節 「個々の詩篇の表題」
詩篇はすべて、34篇を除いて、現在ヘブライ語において表題すなわち頭書を持っている。ただし、例外は25篇にすぎないと数える者もいる。彼らの見解によれば、いくつかの詩篇の冒頭に現れる「ハレルヤ」「主を賛美せよ」という句が、表題あるいは頭書と見なされるからである。しかし、より正しい見解は、疑いなく、その句を詩篇の一部と見なすことであろう。これらの例外の一つ一つについて、タルムードは「孤児の詩篇(Orphan Psalms)」という名を与えている。
(a) これらの表題の「作者」は不明であり、今や確かめることはできない。それらはヘブライ語本文の中に見られる。しかし、詩篇の作者の「名」に関すること、あるいは作者を示すことを意図する限りにおいて、それらが作者自身によって詩篇の前に付されたと考えるべきではない。詩篇は書簡や歴史書の性質のものではなく、作者が単なる詩や賛歌に自分の名を付すとは考えられない。したがって、蓋然的には、それらは詩篇が一般に用いられるようになったときに、あるいは諸々の書の編纂者たち、あるいは書全体の編纂者によって、作者の問題および作曲の機会についての通説を示すものとして、あるいはその作者と目的についての霊感による記録として、詩篇の前に付されたのであろう。それが「誰によって」付されたのかという問題は、しかし、今や決定できない点である。それを確かめることが可能ならば、それらの権威と価値を決定する上で大いに役立つであろうが、それらの価値の評価は、今やこれとは別の何らかの方法によって決定されなければならない。
(b) これらの表題はきわめて古い時代に属する「古文書」である。それらがヘブライ語写本の中に見られるという事実がこれを証明する。いかに古い写本にも、これらを欠いたものは存在しないからである。それらは若干の相違とともに七十人訳の中にも見られ、それゆえ、その翻訳が作られる以前から存在していたことは確かである。この点はまた、七十人訳の翻訳者たちが、いくつかの場合においてヘブライ語の語を翻訳しようとせずにギリシャ文字で写したという事実、また他の場合には、彼らの用いている表題がヘブライ語の語の翻訳であり、それらがヘブライ語原典から作られたに違いないことを示すという事実によっても確認される。しかしこれらの事実は、それらが作者自身によって付されたと想定することを必ずしも必要としないし、詩篇が集められた時期より前に付されたと想定することもまた必要ではない。
すなわち、個々の書が編まれる以前に、あるいは全体のコレクションが形成される以前に付されたと想定する必要もないのである。
(c) これらの表題の「目的」は、詩篇の作者を示すこと、あるいはそれが作られた機会を示すこと、あるいはそれが献げられ、適切な音楽を付すことが委ねられたと見られる主任の歌い手(聖歌隊の指揮者)を示すこと――すなわち詩篇の公の使用のために音楽を編成すること――、あるいは詩の様式を示すこと、あるいは用いられるべき楽器を示すこと、あるいは歌われるべき「曲調」を示すことのいずれかである。表題の中には、ダビデに帰せられたものの多くに見られるように、単に作者を示すだけのものがある。また Psalm 18; Psalm 30:1-12; Psalm 51; Psalm 52:1-9; Psalm 56:1-13 などに見られるように、書かれた機会を詳しく描写するものがある。さらに、作者、機会、詩の様式、用いられる音楽などを組み合わせたものもある(Psalm 52:1-9; Psalm 53:1-6; Psalm 54:1-7; Psalm 55; Psalm 56:1-13)。これらの表題の中で最も長く最も完全なものは Psalm 60:1-12 に付されたものである。そこには、聖歌隊の指揮者への献呈、作者の名、詩の様式、詩篇の目的、用いられる楽器、および詩篇が作られた歴史的機会が記されている。
(d) これほどの時代を隔てて、これらの表題の多くの「意味」を説明することはきわめて困難であり、この問題についての推測には批評家たちの間で非常に大きな相違がある。この困難は、相当な程度、神殿の音楽および用いられた楽器についてのわれわれの無知に起因する。この困難は、今から二、三千年後に、神への公の礼拝において現在日常的に用いられている音楽の「曲調」と楽器への言及を含んだ、今日よく知られた一冊の本を説明する場合に存在するであろう困難と同じである。用いられた楽器を将来の時代に理解可能なように正確に描写することは、不可能ではないにせよ、困難かもしれない。また、現に常用されている多くの「曲調」の「名」――たとえば「Mear」「Martin's」「Russia」「Windham」「Lenox」――を満足に説明することは、明らかに不可能であろう。上述のとおり、この困難は七十人訳が作られた時代にすでに感じられていた。この訳の作者たちは、いくつかの場所において表題を翻訳することすら試みず、ヘブライ語に対応するギリシャ文字で表記しているからである。1535年に聖書を翻訳したカヴァーデール(Coverdale)は、この困難があまりに大きいと感じ、作者の名を除いてほとんどすべての表題を省略した。これらの注解においては、現在与え得る満足な、あるいは蓋然的な説明の限りにおいて、個々の詩篇の解説の中でそれを提示することとする。
(e) これらの表題の「権威」に関しては、意見の大きな相違が存在してきた。少なからぬ近代の批評家たち、とりわけドイツの批評家たちは、それらを権威のないものと見なし、詩篇の作者や、それらが作られた時期と機会について、ヘブライ語にそのような表題が存在しないかのように論じている。古代の批評家たちの大部分は、それらを真正のものと見なし、詩篇自体と等しい権威を持つものと考えていた。それらは第四世紀の末に、古代の解釈者たちの中で最も有能かつ最も思慮深い一人であったモプスエスティアのテオドロス(Theodore of Mopsuestia)によって完全に退けられた(ローゼンミュラー Rosenmuller, Hist. Interp. Librorum Sacrorum, P. III, p. 256.)。トルック(Tholuck)とヘンステンベルク(Hengstenberg)はその権威を認める。表題の権威に対する「反対論」は、おおよそ次のようなものである。
(1) 新約聖書における書簡の末尾の付記(subscriptions)は現在歴史的価値を持たないものと見なされているのであるから、詩篇の前に付された表題についても、なぜ同じ結論を採用してはならないのか、というものである。
(2) 古代の諸訳、とりわけシリア語訳とギリシャ語訳は、それらを大きな相違とともに示しており、しばしばヘブライ語本文を変更し、ヘブライ語には表題のない箇所に見出しを付している。もしその表題が詩篇自体と同様に聖なるものと見なされていたなら、これらの古代の翻訳者たちはこのような自由を用いたであろうか、という問いが発せられる(キットー Kitto)。この点に関してさらに、次のように付言される。「もしエズラがそれらを確定したのだとしたら、その後の諸訳および諸写本における相違は、それらを疑わしいものとする方向に作用してきた」(アイヒホルン Eichhorn, Einleitung, III, p. 490.)。
(3) 表題は詩篇の内容と矛盾していると論じられる。こうして、ときには作者の名が誤って与えられていると主張される。「たとえば、捕囚に関係する詩篇の上にダビデの名が記されている」ように、Psalm 14:1-7; Psalm 25; Psalm 51; Psalm 69 のごときである。また、Psalm 139 はアラム語的表現を含んでいるがゆえに、ダビデのものであり得ないとも主張される。さらに、詩篇が作られた機会が常に正確に示されているわけではないとも言われる(Psalm 30:1-12)。
しかし、次のことを観察すべきである。これらの著述家たちは、しばしば、より早い時期に作られたという想定の下で説明することが可能である詩篇について、捕囚の時代を指すものと前提して論じている。また、詩篇の内的証拠から表題に反対する議論を組み立てることは、常に安全であるとは限らない。批評家は自分自身の解釈を詩篇に付し、それをその起源に関する議論の基礎として採用する。ところが、しばしば――おそらくすべての場合に――表題が正しいと想定されるなら、公正な解釈の規則によって、その想定に従って詩篇を説明することは困難ではないのである。
全体として見れば、私にとって、これらの頭書は霊感による記録の一部と見なされるべきであり、霊感の権威を持つものと見なされるべきであるように思われる。それらがヘブライ語本文の中に見られること、ヘブライ語本文について何らかの知識を持ち得る最も早い諸時代にまでさかのぼり得ること、それらがその本文とともにわれわれに伝えられてきたこと――これらは、それらを本文の一部と見なすべきこと、および、ヘブライ語本文の他の部分が退けられるべきでないのと同様に――すなわち、筆写者の過ちによって誤りが本文に混入したことが証明される場合にのみ――それらも退けられるべきでないことを示す、今や覆すことのできないように思われる証拠である。
第5節 「詩篇の書の一般的性格」
詩篇はその大部分が叙情詩(リリック)である。すなわち、琴あるいは竪琴に適合し、器楽と結びついて用いられ、「読まれる」のではなく「歌われる」ための詩である。このような詩は古代人において一般的であったように、近代人においても同様である。アナクレオン(Anacreon)、アルカイオス(Alcaeus)、ステシコロス(Stesichorus)、サッフォー(Sappho)、ホラティウス(Horace)は古代における「叙情」詩人として卓抜しており、近代における膨大な「歌」の作者たち――聖なるものも世俗のものも――も同じ部類に数えられるべきである。ただし今日では「叙情詩」という句は、しばしば「詩人個人の感情を直接に表現する」種類の詩に適用される(Webster)。
叙情詩は、その大部分が深い感情の表現であり、感情あるいは情動に基礎を持つ。それは理解の果実というよりも心の果実であり、想像力の創造というよりも深い個人的感情の吐露である。その目的と本性において、それはあらゆる種類の感情を包摂し、作者の感情あるいは機会に応じて、喜ばしいものにも、物憂いものにも、落胆したものにも、勝利のものにもなり得る。というのは、これらすべての吐露は歌われ得るし、音楽に合わせられ得るからであり、音楽の変化する音調はそれらすべてを表現するのに適合しているからである。したがって、総数150篇で、かなり多様な個人々によって、多くの異なる機会に作られた詩篇の中には、苦難、痛み、恐れ、望み、喜び、信頼、感謝、神への献身、罪に対する悔い、赦しの歓喜という多様な感情――動かされた心が、竪琴の旋律あるいは声の音楽的音調に適合した言葉の中にその感情の出口を見出す――が見出されるのである。これらの感情は極めて多様な様式あるいは形式で表現されており、音楽は疑いなく、これらの多様な感情に応じたものであったと意図されていた。それゆえ詩篇は、次のような種類ないし部類の構成を含む。
(1) 神への賛美が主要かつ主導的な目的である讃歌。たとえば、
(a) 一般に、神が自然と人間の神として賛美されるもの。Psalm 8:1-9; Psalm 104; Psalm 145。
(b) 神が自然とヘブライ民の神として賛美されるもの。Psalm 19:1-14; Psalm 29:1-11; Psalm 33; Psalm 65:1-13; Psalm 93:1-5; Psalm 135; Psalm 136; Psalm 147。
(c) 神がもっぱらヘブライ民の神として賛美されるもの。Psalm 47:1-9; Psalm 66; Psalm 67:1-7; Psalm 75:1-10。
(d) 神がその民の助け手また救い手として賛美されるもの。Psalm 46:1-11; Psalm 48:1-14; Psalm 75:1-10; Psalm 76:1-12; Psalm 18; Psalm 30:1-12; Psalm 138:1-8。
(2) ヘブライ民族に関する詩篇。すなわち、その歴史、そのために神が介入されたこと、およびヤハウェとのその関係に関するもの。Psalm 78; Psalm 105; Psalm 106; Psalm 114:1-8。
(3) 神殿の詩篇、あるいはシオンの歌。Psalm 5:1-12; Psalm 15:1-5; Psalm 24:1-10; Psalm 87:1-7; Psalm 132。
(4) 試練、災い、苦悶に関する詩篇。個人のものに関する場合も、国民のものに関する場合も同様である。これらは数多く存在する。Psalm 7; Psalm 22; Psalm 55; Psalm 56:1-13; Psalm 109; Psalm 44; Psalm 74; Psalm 79:1-13; Psalm 80; Psalm 137:1-9; Psalm 69; Psalm 77; Psalm 102; Psalm 10; Psalm 12:1-8; Psalm 14:1-7; Psalm 36:1-12、その他多数。
(5) 宗教的および道徳的な詩篇。Psalm 90; Psalm 139; Psalm 23:1-6; Psalm 91; Psalm 121:1-8; Psalm 127:1-5; Psalm 128:1-6; Psalm 42:1-11; Psalm 43:1-5; Psalm 101:1-8; Psalm 131:1-3; Psalm 1:1-6; Psalm 133:1-3; Psalm 119。
ヘブライ叙情詩の独自性は、他の古代諸民族の叙情詩から、また近代の叙情詩の大部分から区別される点において、その「宗教性」にある。それは宗教に関わる主題についての叙情詩であり、宗教において用いられるための叙情詩である。すなわち、宗教的感情を表現し、またそのような感情を喚起し育成するために意図されたものである。それは心と情感を神へと高めるため、人々の思いを地から引き上げるため、神に対する信頼を吹き込むため、苦難の時に神から来る慰めをもたらすため、悲しみと苦難の道をより良い住まいへと向かう旅路において人を元気づけ慰めるためのものである。その多くは、聖書自身から取られた表現によって最もよく特徴づけることができる。すなわち、その美しさにおいても真実性においても同様に注目すべき表現、「夜の歌」(Job 35:10)である。それは苦悶と悲しみの時に人の魂の中に湧き上がり得る喜びを示す歌であり、この世の闇の中にも喜び「が」存在することを示す歌であり、宗教の力と価値を例証する歌であり、人々が墓に向かう旅路においておのれと互いを元気づける歌であり、赦しの確信の中で悔いへと軟化し感謝に満ちた心から罪人自身が注ぎ出すことすらできる歌である。
この豊かな詩がパレスチナに湧き上がり、かつその地に限られていたということは、実に注目に値する。それは、その土地が他の土地よりも叙情詩に適していたからではない。この点において、それは他の多くの国々、とりわけギリシャと有利に比較し得るものではなかったからである。それは、彼らの歴史の出来事がこの種の作品を特に着想させるようなものであったからではない。琴あるいは音楽に適合した詩は他の場所、とりわけギリシャに豊富に存在したからである。それは、ヘブライ人が他の諸民族よりもより詩的な想像力を持っていたからでもない。この点において彼らのものはギリシャの天才を超えてはおらず、彼らの精神の性格における詩的想像力に属するものは何であれ、アラビアやペルシャにおいても同じ豊かさで見出されたからである。また、彼らの言語がこの種の詩に特に有利であったからでもない。非常に多くの点において、それはこの点でギリシャ語にはるかに劣っており、アラビア語やペルシャ語に対して確かな優位性を持ってもいなかったからである。
彼らの詩がこの方向を取ったという事実、彼らの持つすべてが宗教的であったという事実、彼らの言語には舞踏に、祭りの娯楽に、バッコス的な乱宴に、陽気さ、軽薄さ、虚栄の場面に合わせて意図され適合された詩が文字通り存在しなかったという事実、ヘブライ人の叙情詩全体の中に、この点に関して、ギリシャ叙情詩の多くの部分に、ホラティウスの多くの部分に、バーンズの多くの部分に、またパレスチナを除くすべての国々の叙情詩に並べて置き得るものが文字通り何もないという事実は、新しい宗教がそこに勝利していたという観念にのみ帰せられ得るのであり、それらの詩の作者たちが、あらゆる時代に真の献身の感情を表現し、神への賛美において永続的に用いられ得るものを準備し後世に伝えるために霊感を受けた、という想定によって最もよく説明され得るのである。これらの「甘美な歌い手たち」が聖霊によって霊感を受けたことを認めない者は、そのような詩がパレスチナにのみ見出されるという事実を説明することに失敗し、その真の性質を正しく評価することにも失敗するであろう。
ヘブライ詩の一般的性格については、ヨブ記の注解の緒言第5節を参照せよ。ヘブライ人における「叙情詩の起源と洗練」に関しては、ここにデウェッテ(DeWette)の『詩篇注解』(Commentar ueber die Psalmen, Einleitung, II, pp. 6-12)から次の論述を引用しておくのが適切であろう。私は『聖書学報』(Biblical Repository, Vol. III, pp. 450-456)に掲載された、トーレー(John Torrey)教授によるデウェッテ緒言の優雅な翻訳から転載する。
「詩篇の表題と通説とに従うなら、われわれは、ヘブライ人の叙情詩も、詩篇自体の最大部分と同様、ダビデとその同時代人たちの産物と想定しなければならない。ダビデ以前に見出される叙情的作品のわずかな作例は、彼自身の時代の豊饒と比べれば考慮に入るほどのものではない。より古い歴史においては、詩の声が聞かれるのは、紅海におけるモーセの歌、デボラの歌、ハンナの歌のように、折々にすぎない。これほどわずかな叙情詩の試みの後に、これほど完成され多作な詩人が、他の数人を伴って、突如として現れるのを見るとき、われわれは驚かされる。このほど急速な進歩は、何らかの十分な機会と、何らかの準備的な段階を前提とする。さて、ダビデの時代に直前に先行する時代の歴史に目を向けるとき、われわれはこの困難を説明するように思われる一つの現象に直面する。
それはサムエルの預言者学校である。ヘルダー(Herder)、アイヒホルン(Eichhorn)、ナハティガル(Nachtigall)、ローゼンミュラー(Rosenmuller)ら多くの者は、詩篇の作曲がこの養成所において培われ完成に至ったと考える。この推測はもっともらしく見えるが、歴史的事実とはほとんど調和し難い。ダビデが油注ぎ以前にサムエルと何らかの関係を持っていたことは示唆されていない。ダビデは父の群れの世話をしている。実際、サムエルは彼に油を注ぐために来たとき、ダビデを知らなかったように見える(1 Samuel 16:6 ff.)。ところがダビデはすでに熟練した琴の奏者であり、その技で名を得ていた(1 Samuel 16:18)。したがって彼は、少なくとも音楽においてはサムエルの弟子ではなかった。しかしよく知られているとおり、この時代には音楽と歌とは分離していなかった。それゆえ、ダビデはすでに詩人であり、そのようなものとして知られ称賛されていたと想定しなければならない。確かに、その後しばらくして、われわれはダビデがサムエルの預言者学校の中にいるのを見出すが、それはサウルからの逃亡の機会においてでしかない(1 Samuel 19:18 ff.)。
サムエルが油注ぎ以前にダビデと何らかの面識を持っていた可能性はあり得るかもしれない。もっとも、その出来事の記述(1 Samuel 16)にはそのことへの言及はない。しかし彼は、厳密な意味で預言者の弟子となることなく、預言者の注意の対象であったかもしれないし、あるいはおそらくこの青年は自分自身の教師であったのであろう。生来の能力と絶え間ない実践との結合は、少なくとも同じ程度の才能を、預言者学校に存在したと想定し得るような人工的な教授体系と同様に生み出し得たであろう。同時に、叙情詩があたかも地から生え出たかのように、ヘブライ人の間で一挙に生じたと考えるのは誤りであろう。ダビデの同時代人たち、すなわちゴリアテに対する彼の勝利を歌と喜びをもって祝った女たちは、粗野で未熟ではあったが、その種において真に叙情的な性格を持つ詩を実践していた。
彼女たちの短い詩はすでに詩的並行法の形式を備えており、独創的で卓越した精神は、このような始まりから容易に最高度の卓越へと前進し得たであろう。
サウルは千人を打ち殺し、
ダビデはその万人を打ち殺した、
さらにわれわれは、モーセ、デボラ、ハンナの例に加えて、より早い時期から、とりわけ女たちの間における音楽と舞踏の慣行を見出す。そして歌は確かにそこから排除されてはいなかった。エフタの娘は、タンバリンと踊りをもって父を迎えに出て来る(Judges 11:34)。シロでは、娘たちが踊りを伴う年ごとの祭りを開いていた(Judges 21:21)。サムソンは琴の奏者ではなかったかという疑問が生じ得る。というのも、彼はペリシテ人の前で演じるために呼び出されているからである(Judges 16:25)。これは普通、舞踏を指すものと理解されているが、歌および器楽の伴奏を排除するものではない。しかし、厳密に言って彼が音楽家また歌い手でなかったとしても、われわれは彼において最初の「マシャル(格言詩)」の詩人に出会う。同じ時代からヨタムの見事な寓話も得ているからである。このような事実は、孤立したものではあるが、一つの民の間にかなり高度の教化、あるいは少なくとも詩的能力を前提とさせる。
実に、デボラの歌だけでも、詩の技芸がすでにダビデの詩の起源を説明するのに十分な進歩の段階に達していたことを証明する。ある時代が一篇の見事な詩を生むか、それ以上を生むかは、文化の状態の結果というよりも機会の問題である。そのうえ、士師たちとサムエルの時代はヘブライ人の英雄時代を成しており、詩の最初の始まりと漸進的な改善に特に有利な時期であった。「そのような時代は」とアイヒホルン(Eichhorn)は言う、「いかなる風土の下でも詩的である」。しかし私は彼と共に、次のように付け加えることはできない。「詩はこの場合、国民と同様に野性的で英雄的であり、戦いのラッパにおいてのみ息し、勇気と勝利とその付随する行列の野以外に修行の場を知らない」と。ヘブライの詩人たちを最初に呼び覚ました機会は、おそらく十分に戦争と結びついていた。しかし詩はいったん生命の中へと躍り出ると、そのような狭い限界に自分を閉じ込めることはなく、さらに他の対象をその円内に引き入れる。勝利の祝宴、犠牲、舞踏、その他の儀式が結び合わされており、これらは容易に歌をいくぶん柔らかな性格の音調に和らげ得たであろう。戦いの歌でさえ、より穏やかな情感を許容する。そしてデボラの歌は愛すべき感情の筆致に富んでいる。彼らがラッパに合わせて歌ったと言われるとき、われわれはこれを文字どおりの意味に理解すべきではない。琴、笛、タンバリンの音楽は、戦いの歌の伴奏ですらあったのであり、これらの楽器は最も柔らかな音調に適合しているのである。それゆえわれわれは、ダビデの詩篇の甘美で愛すべき詩の起源を、もっぱらサムエルの預言者学校にまでさかのぼる必要はないのである。
「不幸にして、われわれはサムエルの預言者学校について、それが詩の培養にどのような影響を与えたかを決定できるだけのことを、はるかにしか知らない。それに関係する聖句は 1 Samuel 10:5; 1 Samuel 19:19-20 である。このうち第一の箇所では、預言者たちの弟子たちの間に音楽があったことが疑いなく含意されている。また彼らの『預言すること』(התנבא hitenabê')は、根拠なくはなしに歌の意味に理解されてきた。というのも、נביא nâbîy' という語はときに詩人を意味し(Exodus 15:20)、נבא nibâ' は歌うことを意味するからである(1 Chronicles 25:1 ff.)。とはいえ、この音楽は単に預言の伝達の支えおよび伴奏として用いられたと想定してよいであろう。預言者たちは、少なくともより早い時代には、おそらく音楽と、舞踏に近い激しい動作および朗唱と結びつけて、そのメッセージを伝えたのであろう。2 Kings 3:15 ff. の箇所は注目に値する。預言者エリシャは、ヨシャパテのある問い合わせに対する主の答えを告げようとしている。しかし彼はその前に、琴の奏者を求める。そして後者が琴をかき鳴らすとき、『ヤハウェの手が彼の上に臨み』、彼はその答えを述べるのである。
ここでの事情は、確かに異なっている。預言者自身が演奏し歌うのではなく、他者の演奏に身を任せるのである。それでも、この箇所は音楽と預言の職務との不断的な結びつきを示している。また、上記の諸箇所においても、預言者たちの組が自分たちで「歌った」とは明確に主張されてはいない。そこで用いられている התנבא hitenabê' という語は、おそらく「歌う」ことを意味しないかもしれない。というのも、サウルとサウルの使者たちも、準備も練習もなしに、音楽を聞くや否や預言した(התנבאוּ hitenab'û)からである。彼らの預言は、おそらく激しい動作、舞踏、身振り以上のものではなかった。サウルが裸で倒れ伏したという事情からもそれがわかる。せいぜい彼らは、預言者たちの組と共に合唱の歌に加わったかもしれない。そのような合唱の聖歌はおそらくサムエルの学校で歌われたが、それはただ献身と霊感の目的のためだけのものであった。そしてこの学校の本来の目的は、若者たちを預言の職務のために教育すること、すなわち神政的統治の下にある民に主からの勧告を与えることであった。
サムエルは預言者であり、歴史は彼の詩的作品のいかなる残滓も保存していない。彼が自分の弟子たちを同じく預言の職務のために教育しようとしていたと考えるのが最も蓋然的ではなかろうか。なるほど、ヘブライ人は叙情詩と預言的雄弁との間に正確な区別線を引かなかった。しかし両者は、とりわけ伝達の様式において常に異なっている。叙情詩はおそらく歌われたのに対し、預言のメッセージはただ朗誦されたにすぎないからである。そこで、サムエルが弟子たちを預言的詩人あるいは語り手として形成することに携わっていたと想定するなら、そのうちの何人かが天才と性向によって叙情詩へと引き寄せられ、その分野で自己を完成させることに成功したのではないかと考えるよりも自然なことがあろうか。とはいえ、それは預言者学校の計画の外にあり、まったく偶発的なことであった。それゆえ、サムエルの預言者学校を単に歌と詩の培養のための機構と見なすことは、ほとんど正しくない。
「歌と詩、とりわけ宗教的な種類の叙情詩の培養を促進する上で、この預言者学校よりもさらに重要で決定的な影響を持ち得た他の諸機構が存在した。私はとりわけ、記述(1 Chronicles 15:16 ff.)によればダビデが公の礼拝を助けるために設立したそれらの音楽学校のことを言っている。とはいえ、私はこれらの、および歴代誌における類似の物語についてかつて下した不利な意見を撤回することはできない。むしろ私はそれを確認しなければならない。そこで挙げられた理由のほか(繰り返すことはしない)、次の事情が特に疑いを喚起するように思われる。すなわち、歴代誌が幕屋の献納の時および同様の機会に歌われたと伝える詩篇および詩篇の断片は、ダビデの筆によるものとはほとんど考えられず、むしろ後代の、より純粋でない神殿詩の様式に属するということである。1 Chronicles 16:8 ff. で歌われる詩篇は Psalm 105 と Psalm 96:1-13 から構成されているが、両者とも後代様式の産物である。もし歴代誌がこの機会に、2 Samuel 1 によってわれわれが知り得るあの哀歌のような、真正のダビデの歌を提示してくれていたなら、この事情はその権威に重みを加えるのに少なからず貢献したであろう。しかし、これらの断片の挿入は、付随する物語全体に疑いを投げかけるのである。また、1 Chronicles 16:41 その他で引用されている、主に感謝をささげるために任じられたレビ人たちに関する句、『その恵みはとこしえまである』は、後代の神殿の詩を暴露している。その一例は Psalm 136 に見られ、そこではこの句が規則的な繰り返し句を成している。また Psalm 106; Psalm 107; Psalm 118 でも、この句が現れており、これらは後代の詩の様式に属するように見える。
「ダビデのような巨匠が、詩の技芸において仲間と助手を欠いていたとは考えられないであろう。そして実際、ダビデの同時代人の数人が、詩篇の作曲者として表題の中に挙げられている。しかしこれらの記載は必ずしも良い権威ではない。
歴史の証言によれば、ソロモンは叙情的創造のそのような豊かさと、彼に独特の格言的様式とを自らのうちに結び合わせていたので、彼の時代には叙情詩が非常に高度の完成に達していなければならないのである。「ソロモンは三千の格言を語り、その歌は一千五つであった」(1 Kings 4:32)。しかし特異なことに、まったく不確実な二篇を例外として、ソロモンの詩篇は現在のコレクションの中に保存されていない。またソロモン以後の時代に属する作者の名を持つ詩篇も見出されない。その時代の歴史の特定の出来事に確実かつ必然的に帰せられ得るものは一篇もない。それでも、ヒゼキヤやハバカルクの叙情詩のようなものは、この期間中に叙情的作曲の培養が決しておろそかにされていたのではないことを明らかに示している。
むしろ逆に、われわれは、健全な批評的解釈のほぼ普遍的に認められた結果によれば、捕囚の時代および捕囚の後に置かれるべき多くの詩篇を持っている。そしてこれらの詩篇は、言語の純粋さ、構想の崇高さ、美しさ、新鮮さにおいて最高の部類に位置し、ダビデとその同時代人たちの詩にいかなる点においても劣らない。たとえば Psalm 45; Psalm 74; Psalm 79:1-13; Psalm 107、および都上げの詩篇の多く(すべてではないにせよ)である。ここでわれわれは、特異な現象に直面している。ダビデの時代に培われ完成に至ったヘブライ人の叙情詩は、豊富な実りをもたらした後、ほぼ500年間の休眠に入り、それから突如として、国家の最も悲惨な時期に再び立ち上がり、もう一つの黄金時代を生き延び、第二の収穫をもたらした。これは出来事の通常の経過にはほとんど対応しない現象である。しかし、詩篇のコレクションが、ダビデから捕囚に至る期間に属する、匿名の、あるいは誤って名づけられたいくつかの断片を含んでいると想定するとき、この特異性は消え去る。実に、叙情的作曲が預言的詩と並んで栄え、預言者たち自身の多くが現在のコレクションに寄与し、ダビデや他の者たちから自分の作品を取り戻し得たであろうということは、きわめて蓋然的である。実際、預言者たちの何人かは、七十人訳によって詩篇の作者として実際に挙げられている。」
第6節 「詩篇におけるのろいの言葉」
詩篇におけるのろいの言葉、いわゆる「のろいの詩篇」と呼ばれるものについて述べられてきたものは数多い。そしておそらく、聖書のどの部分も、この部分ほど読者に当惑と苦痛を与えるものはなく、詩篇が霊感を受けた人々の産物であるという信仰に対して、これらが時に吐き出しているように見える復讐の霊、および書き手たちが示しているように見える深く抱かれた悪意と不和の霊ほど、もっともらしい反対を構成するものはないであろう。このように当惑している人々の心を楽にし、この霊が新約聖書の教えおよび真の宗教の要求とどのように調和し得るかという問題に全く満足な解決を与えた説明は、おそらくこれまで一つもない。困難を偽装し隠そうとする試みは無益であり、提起された説明の大部分は困難をそのままのところに残すにすぎないことを認めてよいであろう。おそらく、われわれがこのような困難をすべて取り除くこと、あるいは答え得ない問いが発せられないようにこの主題を提示することは不可能であろう。実際、精神哲学、自然科学、道徳、神学のうちで、人間の諸能力がまだ答える力を持たない問いが発せられ得ない主題が何であろう。一本の草の葉の成長に関してでさえ、いかなる化学者も――いかなる人も――答えられない問いを発することができるのである。
詩篇におけるのろいの言葉に関しては、まずこのような詩篇のいくつかの作例を挙げて、困難がどこにあるのかを知ることが適切であり、しかるのちに、この困難が――解決し得るとして――どのような方法で解決され得るかを考察することとする。
以下は、その部類の詩篇に属するものとして挙げられるであろう聖句の中のものである。確かに、選び得るすべてというわけではないが、それらは公正な作例であり、これらの中に見出されない困難を含む他のものは存在しない。
Psalm 5:10「神よ、彼らを滅ぼしてください。彼らを自分の計画によって倒させてください。彼らの背きの数が多いゆえに、彼らを追い出してください。彼らはあなたに逆らったからです。」
Psalm 10:15「悪者と不法の者の腕を折ってください。悪がもはや見つけられないまで、その悪を捜し出してください。」
Psalm 18:40-42「また、あなたは私の敵のうなじを私に与えられました。私を憎む者を私が滅ぼせるように。彼らは叫んでも、救う者はなく、主に向かって叫んでも、主は彼らに答えられませんでした。そのとき私は彼らを風の前のちりのように打ち砕き、通りのかわらけのように彼らを投げ出しました。」
Psalm 28:4「彼らに、その行いに従い、その企ての悪に従って報いてください。彼らの手のわざに従って彼らに報い、その仕業に応じて彼らに返してください。」
Psalm 31:17「主よ、私を恥じさせないでください。私はあなたを呼び求めましたから。悪者を恥じさせ、彼らを墓の中で黙らせてください。」
Psalm 35:3-8「また、やりを抜き、私を追う者たちの道をふさいでください。私のたましいに『私はあなたの救いである』と言ってください。私のいのちを求める者たちを当惑させ、恥じ入らせてください。私に害を企む者たちを退け、混乱に陥れてください。彼らを風の前のもみがらのようにしてください。主の使いに彼らを追わせてください。彼らの道を暗く、滑らかにしてください。主の使いに彼らを追い迫らせてください。彼らは理由もなく私のために網を穴に隠し、理由もなく私のたましいのために穴を掘りました。滅びが気づかれないうちに彼の上に来ますように。彼が隠した網が彼自身を捕えますように。そのまさに滅びの中に彼は落ちますように。」
Psalm 40:14「私のいのちを滅ぼそうと求める者たちを、共に恥じ入らせ、当惑させてください。私にわざわいを願う者たちを退け、恥じ入らせてください。」
Psalm 55:9「主よ、彼らを飲み込み、彼らの舌を分裂させてください。私は都の中に暴虐と争いを見ているからです。」
Psalm 55:15「死が彼らを襲いますように。彼らが生きたままよみに下りますように。悪事が彼らの住まいの中に、彼らのただ中にあるからです。」
Psalm 58:6-10「神よ、彼らの口の中の歯を折ってください。主よ、若獅子の大歯を打ち砕いてください。絶えず流れ去る水のように、彼らが消えていきますように。彼が弓を構えて矢を射るとき、矢が切られたかのようでありますように。かたつむりが溶けていくように、彼らはみな過ぎ去りますように。女の流産の子のように、彼らが太陽を見ないように。あなたのなべがいばらを感じないうちに、主は生きたまま、また怒りのうちに、つむじ風をもって彼らを運び去ります。正しい者は復讐を見て喜び、その足を悪者の血の中で洗います。」
Psalm 59:12-15「彼らの口の罪、彼らのくちびるの言葉のために、彼らをその高ぶりの中で捕えてください。彼らののろうことと偽りとによって。怒りのうちに彼らを滅ぼし、彼らを滅ぼし尽くしてください。彼らがもはや存在しないように。そして、神が地の果てまでヤコブを治めておられることを彼らが知るように。夕べには彼らが帰り、犬のように吠え、都を巡り歩きますように。食物のためにさまよい歩き、満たされなければ夜を過ごしますように。」
Psalm 68:2「煙が追い散らされるように、彼らを追い散らしてください。火の前でろうが溶けるように、悪者が神の御前で滅びますように。」
Psalm 69:22-25「彼らの前にと、彼らの食卓が網となりますように。彼らの平安のためのものであったものが、わなとなりますように。彼らの目が暗くなり、見えなくなりますように。彼らの腰を絶えず震えさせてください。あなたの憤りを彼らの上に注ぎ、あなたの燃える怒りが彼らを捕えますように。彼らの住まいは荒れ果て、彼らの天幕には住む者がいませんように。」
Psalm 79:12「主よ、隣人たちがあなたをそしったそのそしりを、七倍にして彼らのふところに報い返してください。」
Psalm 83:9-17「彼らに、ミデアン人に対するようにしてください。キソン川でのシスラに対するように、ヤビンに対するように。彼らはエンドルで滅び、地の肥やしとなりました。彼らの君主たちをオレブのように、ゼエブのようにしてください。そうです、彼らの君主たちをみな、ゼバハのように、ザルムナのように。……私の神よ、彼らを車輪のように、風の前のもみがらのようにしてください。火が森を燃やし、炎が山々を燃やすように、あなたの暴風で彼らを追い、あなたのあらしで彼らを恐れさせてください。彼らの顔を恥で満たしてください。彼らがあなたの御名を求めますように、主よ。彼らがとこしえまでも当惑し、乱されますように。そうです、彼らが恥じに入り、滅びますように。」
Psalm 109:6-15「彼の上に悪者を立ててください。サタンが彼の右に立つようにしてください。彼がさばかれるとき、彼を有罪としてください。彼の祈りが罪となりますように。彼の日数を少なくしてください。彼の職務を他の者が取りますように。彼の子らを孤児に、彼の妻をやもめにしてください。彼の子らが絶えずさまよい歩き、物乞いをしますように。彼らの荒れ果てた所からパンを求めますように。ゆすり取る者が彼のすべての持ち物を捕え、よそ者たちが彼の労働の実をかすめ取りますように。彼に恵みを施す者がありませんように。彼の孤児となった子らをあわれむ者もいませんように。彼の子孫を断ち切り、次の世代において彼らの名を消し去ってください。彼の父祖たちの不義を主の前に覚えておいてください。彼の母の罪を消し去らないでください。それらが主の前に絶えずあって、主がその記憶を地から断ち切られますように。」
Psalm 137:7-9「主よ、エルサレムの日のエドムの子らを覚えてください。彼らは言いました。『それを破壊せよ、それを破壊せよ、その基礎まで。』滅ぼされるべきバビロンの娘よ。あなたが私たちに仕えたとおりにあなたに報いる者は幸いです。あなたの幼子たちを取って岩に打ちつける者は幸いです。」
これらが、いま考察している部類の詩篇の作例である。数はいくぶん増やし得るとしても、これらの例は説明が最も困難なものを含み、この部類の詩篇に見出されるすべての困難を包んでいる。これらよりも復讐的な霊を吐き出しているように見えるものを挙げることはできず、新約聖書の霊により対立するように見えるものもない。それゆえ、これらの聖句に関して満足な解決が示され得るなら、そのような解決の諸原理を詩篇中のすべての類似の聖句に適用することは容易であろう。
そこで、困難が――解決し得るとして――どのような方法で解決されるべきか、あるいはどのような説明が示され得るかという問いが生じる。
この主題について、次の論評がなされ得る。
(1) 存在するいかなる困難も、聖書自身が作り出したものである。この記録は、聖なる書き手たち自身が作ったものである。この事実は、少なくとも彼らの率直さの証拠であり、この記録の中に、真実に基づかないもの、実際に起こらなかったものは「何もない」という彼ら自身の意識の証拠である。すなわち、これらの感情が実際に彼らの心の中に存在したということである。書き手たちが、記録することを望まなかった感情、明らかにすることを恥じた感情にふけっていたと主張することはできない。実際、彼らは自分の力の限りのあらゆる方法を用いてそれらを知らせ、その記録を永久に存続させようとした。彼らはそれらを記録した――恒久的な形に置いた――だけでなく、それらを詩の中に組み込み、それは神の公の礼拝において用いられるべきもの、遠い未来の時代の人々の献身を導くために後の世代へと伝えられるべきものとなったのである。さらに、この霊に対する非難が聖書の中のどこかにあるなら――この霊に何か誤りがあるとしたら――その非難は、まさにこれらの表現が現れるその書物の中に見出されることを、われわれは覚えておかなければならない。というのも、これらの表現に対する反対が、聖書の一部として――いわゆる啓示の一部として――なされる限り、「聖書は一冊の書であり」、旧約聖書と新約聖書とは同じ神からの啓示の部分であることが前提となるからである。この記録を作った聖書は、少なくとも率直さの書――書き手たちの心の中を実際に過ぎ去っていたものを隠そうとする試みのない書――として認められるべきである。その記録がなされたことには、啓示の目的と矛盾しないと見なされる何らかの理由があったと推定され得るし、またこれらのことが、聖書が神からの啓示であるという主張と一致する説明を受け得るであろうことも前提されていたのである。
(2) 間違い、苛烈、復讐的として責められるもののうち、どれほどが、聖書が書かれ、これらの人々が生きた時代の精神に帰せられ得るかは、公正な探究の主題となり得る。この論評は、道徳と宗教の諸原理が一つの時代から別の時代へと変わるという想定、あるいは人間の状況によって修正されるという想定、あるいは同じことがある時代ある国においては道徳的に正しく、別の時代別の国においては道徳的に誤りであるという想定の上になされるものではない。真理と聖、正と誤りは変わらず、人類の気まぐれや慣習に依存しない。それでも、「何が意図されたのか」を正確に知るためには、言葉がどれほどを表現しているか、用いられた言葉によって伝えようと意図された正確な観念が何であるかを知るために、われわれは自分をその状況の中に置き、その言葉を用いた民の流行の慣習と習慣を理解することが必要である。われわれはこれらの原理を、ホメロスを読むとき、騎士道の記録を読むとき、あるいは歴史のより早い諸時代の民の詩を理解しようと努めるときに、それとは気づかぬうちに絶えず適用している。
聖約者(コヴェナンター)あるいは清教徒が用いた言葉は、われわれが用いるであろうより穏やかな言葉によって表現されるものと、それ以外の内的感情を何ら表現しなかった可能性がある。教育を受けていない者や一般の人々が用いる荒い言葉は、より高い階層の人々の滑らかな音調や洗練された句において思想が伝えられるときに存在すると見出される感情と、何ら異なる感情を表現しないかもしれない。絹とサテンの下には、野獣の皮で作られた衣の下と同様に多くの苦々しい感情があり得る。宮殿の中にもウィグワムの中と同様にあり得る。世界のより早い諸時代に生きた人々が、しばしば用い、われわれには非常に苛烈で、復讐的で、野蛮に見える言葉によって、実のところ、われわれがより穏やかな音調において、そして文明とキリスト教が要求すると現在われわれが考えるものにおいて表明する以上の何ものをも意図していなかった可能性はあり得る。少なくとも、未来の人々が、スコットランドとイングランドの聖約者や清教徒の言葉の中に、あるいはダビデの時代の詩的所産の中にわれわれが認めるのと同程度に、彼らの洗練、文明、純粋な宗教の霊という観念と一致させて説明することが困難であると感じるものを、われわれの文学と慣習の記録の中から受け取るということは、想定し得る事態である。彼らを責める前に、われわれは彼らが何を意図したのか、またわれわれ自身の霊がどの点で彼らのものより優れているのかを正確に理解していることを確かめようではないか。
(3) これらの聖句の一部は、疑いなく預言的なものと見なされ得る。すなわち、そのようなことが起こるであろうことを表現しているのであって、詩篇の作者がそのようなことが起こることを望むという願いを示しているのではない。いくつかの場所において、これらの聖句は、ヘブライ語の法則や解釈の適切な原理に違反することなく、命令法ではなく未来形で訳され得たかもしれない。メシアに適切に適用され得るこの種の聖句のいくつかは、疑いなくこの性質のものであり、これらの聖句は、言語の法則がそのような解釈を許す場合には、罪人が受けるに値するもの、および彼らの上に臨むであろうものを表現するものとして解釈されるべきであり、それがそのようになることを望む作者の何らかの願いを示すものとして解釈されるべきではない。
しかし、この考察は決してすべての困難を取り除くものではなく、実際にはそれを減じすらしないことを認めなければならない。この解決が詩篇のすべての聖句に適用され得ると主張できる者は、ヘブライ語を熟知する者としてはいない。
すなわち、この解決を、困難が存在するそれらの場合のすべてに適用することはできないのであり、この規則の下に包含され得ない場合に応えるためには、なお別の説明が必要なのである。霊感を主張する書において、反対論は、そのような聖句が一つしかない場合にも、多くある場合と同様に、実質的に大きい。本質的な困難は、それを霊感の主張と一致させて説明することそのものである。
さらに、この説明は、最も困難な聖句に関しては認められ得ないものであることを認めるべきである。それらがすべて単なる未来の預言であることを示し得る者は誰もおらず、これらの聖句に含意されているすべてが、罪が受けるに値するもの、あるいは違反者に科されるべきものの単なる表現であることを証明できる者もいない。疑いの余地なく、多くの場合、感情――あるいは欲求――あるいは願いの表現が存在する。そこで用いられている言葉は、呼び求められた災いが書き手の敵の上に臨むならば、あるいは刑罰が悪者に科されるならば、満足――充足――喜びがあるであろうことを含意している。これらの災いが来ること、悪者が暴かれ、逮捕され、処罰されることを求める、祈りの性質を持つものが存在する。われわれは、いかなる正直な原理によっても、これを認めることなしにこれらの詩篇を解釈することはできない。そして反対者は、この感情がいかにして正当化され得るのか、それがいかにしてキリスト教の霊と和解し得るのか、詩篇が聖霊によって霊感を受けたという信仰と一致することをいかにして示し得るのかと問う権利を持つ。これは問うべき公正な問いであり、聖書の霊感を信じる者が答えるべきものとされる問いである。
(4) 挙げられた表現の一部は、他者たちの感情の単なる記録である。すなわち、復讐が最も野蛮で残虐な仕方でなされる場合でさえ、罪ある者に復讐が科されるのを見て彼らが感じるであろう満足の記録である。そのような場合、霊感を受けた書き手、あるいは霊感の御霊が責任を負うのは、記録の公正さ、すなわち、復讐を行う者たち、あるいはそれを見て満足を経験する者たちが抱き、表明するであろう感情の正確な言明を与えたということだけである。人は、アメリカの野蛮人の行為――婦女子の頭皮を剥ぎ、拷問し、ゆっくりと殺すこと――や、人肉嗜食者の行為を描写しても、その際の野蛮人たちの感情に対して何らの責任も負わない。また歴史家は、暴君がその臣民を虐げる際に抱く野蛮な喜びの感情のすべてに対して、また復讐をもって逃げる犠牲者を追う激怒と憎しみに対して、確かに責任を負うものではない。ヤコブの子らの残虐行為(Genesis 34:25-29; Genesis 49:6-7)、あるいはラバの民を引き出し、「のこぎりと、鉄の重い道具と、鉄のおのの下に置き、れんが窯を通らせた」というダビデの行為(2 Samuel 12:31)、あるいはヨアブ、アヒトフェル、アブサロム、ネブカデレザル、アハブあるいはイゼベルの行為の記録を作った霊感を受けた書き手たちは、彼らが示した感情や彼らが行った行為に対して責任があるとはされず、記録を作ったことに際して彼らが行われたことを承認したと推論するのも公正ではない。書き手たちが責任を負い得るのは、記録の正確さだけである。
この種の一例が Psalm 137:8-9 に見られる。「滅ぼされるべきバビロンの娘よ。あなたが私たちに仕えたとおりにあなたに報いる者は幸いです。あなたの幼子たちを取って岩に打ちつける者は幸いです」。これを、バビロンに復讐を行う者たちが実際に感じるであろう実際の感情――喜び――満足――の言明と見なすことを妨げるものは何もない。その観念は、また、見える限りのことから実際にそうであるが、バビロンの高ぶりと傲慢がそのようなものであり、彼女が他の諸民に行った不正がそのようなものであり、彼女の残虐と虐げの行為がそのようなものであったので、彼女を打ち破り、征服し、滅ぼす者たちは、人々が通常野蛮で残虐と見なすこれらの形態においてさえ、彼女に受けるに値する刑罰をもたらすことに意識的な満足と喜びを持つであろう、というものであり得る。このことには、詩篇の作者がそれを承認するであろうこと、あるいは彼自身がそれを行ったであろうことを必然的に含意するものは何もない。仮にこの箇所が、国がこれほど多くの、これほど長い苦しみをその下で被った敵の滅びを見てのヘブライ民の一般的感情を示すものであると想定されるとしても、それはやはり事実としてのその感情の単なる記録であってよく、霊感の御霊が責任を負うのは、実際に存在するであろう感情の公正な説明だけである。
これまでに示された方法の一つによって、いわゆる「のろいの詩篇」の一部に関する困難は完全に取り除かれ得る。しかし、これらの解決はそれらすべてに適用できるものではない。そして、数がどれほど少なくとも――一つでも残っているなら――これらの解決を適用できないものがあるならば、実際の困難がなお残ることを認めなければならない。というのも、詩篇は一冊の書を成すものと見なされるべきであり、それらが霊感を受けたという観念の中に公正に含意されているとおり、一人の作者――聖霊――を持つからである。また、聖書を霊感の書と見なすすべての者が保持しなければならない原理として、公正に解釈された一つの聖句はいかなる教理の真理を確立するにも十分であるというのと同様に、公正に解釈された一つの聖句に対する根拠ある反対は、その性質の聖句が多くあるかのごとくに、実際に霊感の問題に影響を及ぼすことを認めなければならない。それゆえ、この場合の真の困難を取り除くためには、何らかの別の解決が見出されなければならない。
(5) それゆえ、復讐あるいは悪者への刑罰の呼び求めとして考えられたこれらの聖句における祈りに関して、第五の論評が示され得る。真の問いは、いかなる事情の下でも、そのような祈り――そのようなのろい――が正であり得るかどうか、また、かつて正であるとしても、詩篇における事情はそれらを適切なものとするようなものであったかどうかである。
これに関する正当な見解を得るために、いくつかの論評がなされなければならない。
(a) ダビデは行政官であり、王であった。彼は神の任命によって、国民の民事的および軍事的統治者であった。彼の権威は簒奪された権威ではなく、彼の行為も単なる一私人、個人的に害を受けた人間のものではなかった。王として――行政官として――彼は秩序を保ち、法を維持し、正義を行い、罪ある者を暴き、起訴し、処罰するために任命されていた。行政官として、彼は国家を、法の威厳を、正義の利益を代表していた。行政官として、行われた行為――犯された違犯――共同体における犯罪は、彼を一人の人間として――一個人として――ではなく、政府を運営し国家を守るために任命された者として関係したのである。ダビデが国家に対してこの関係を保ち、法を維持し運用する義務が彼に最も重くあったことを、誰も否定できない。また、見える限り、ここでなされる論評は、詩篇において「のろい」が見出されるそれぞれの場合に当てはまる。それゆえ問いは、国の法律を定め執行するために任命された者の職務と機能の中に、そのようなのろいを正当化するものが何かあるかどうかである。
(b) 刑罰は正しい。法律に刑罰が付されることは誤りではなく、法律の刑罰が科されることは誤りではなく、苦痛、職の剥奪、投獄、そしていのちそのものの喪失が犯罪の遂行に続くことは誤りではない。すべての法律はそのように定め、すべての国民はそのように判断してきた。ここで重要なのは、これが恣意的な事柄ではなく、個人的あるいは局地的感情の問題でもないと論評することである。それはわれわれの本性そのものの中に据えられている。それはすべての国民の中に見出される。それはすべての民の間で実践されている。
「われわれの本性そのものの中には――それをいかに説明しようとも――適切に科されるときの刑罰を承認する何かがあり、犯罪に対する刑罰の定めを承認する何かがある」。もしこれが誤りなら、それはわれわれの本性そのものの中の誤りであり、普遍的な誤りであり、すべての法律の制定の中に入り込んだ誤りである。というのも、すべての法律は刑罰を持つからである。刑罰のない法律はあざけりと笑劇であろう。人が、法の正当な判決に従って罰金を科され、投獄され、処刑されるとき、われわれはそれを承認する。われわれはそれがなされるべきことだと感じ、この感情においてわれわれは何の誤りをも意識しない。われわれは、罪ある者を断罪する判決を承認することに対しても、無実の者を無罪とする判決を承認することに対しても同様に、責められるべきでないことを意識している。この感情の基礎は人間の本性そのものの中に据えられており、したがってそれは悪であり得ない。正当な法の判決を承認している自分に気づくとき、そのように責められるべきだと感じる者は誰もいない。自分の本性のこの原理が抵抗され、あるいは反転されるべきであり、反対の感情を意識するなら自分はより良き人間になるだろうと感じる者は誰もいない。
(c) この原理に従って、すべての共同体の中には、犯罪を暴き処罰するための諸制度が存在する。犯罪を定義しその正当な刑罰を指定する法律が作られ、罪ある者を逮捕して裁判に引き出すための制度が設けられ、処罰されるべき人間がいるであろうことを予期して監獄が建てられる。違反者を裁くという明確な目的のために裁判所が組織され、法律によって異なる階級の犯罪に刑罰が付され、法の書物の中には法律違反で告発された者を逮捕し、起訴し、拘置し、尋問し、裁くための手続が定められている。違反者を暴き逮捕することを職務とする一階級の人々がおり、彼らを裁くことを職務とする一階級がおり、彼らに刑罰を科することを職務とする一階級がいる。それゆえ、われわれは刑事警察――違反者を探し出すことを天職とする人々――を持ち、警官、陪審員、裁判官の一大陣容を持ち、保安官、監獄看守、死刑執行人を持つ。これらの制度はこの世界において必要である。社会はそれなしにはやっていけない。それなしに安全である共同体はない。それなしに自分のいのち、財産、家族が安全だと感じる者は誰もいない。それらは地上に存在する社会の構造そのものの中に入り込んでいる。そして、もしこれらが廃止されたなら、世界はまもなく無政府状態、流血、犯罪で満たされるであろう。
(d) これらは合法的で、適切で、名誉ある職業である。刑事官、警官、保安官、陪審員、裁判官の職務は、農夫、鍛冶屋、学校教師、医師、聖職者のそれと同様に合法的である。刑事裁判所の裁判官であるにせよ、裁判官ほど名誉ある地位を占める者はおらず、違反者を暴き、犯罪を起訴し、国の法律を運用することを日々の職務とする者ほど、その国により価値ある奉仕をなしている者はいない。警官と裁判官は、農夫や商人と同様に、名誉ある仕事に従事しているという自覚的な感情をもって自分の仕事に赴くことができる。犯罪で告発された男が有罪と認められたことを宣告する陪審員の首席者、法の判決を言い渡す裁判官、そしてその判決を執行する者は、昼間ずっと畑に種をまき、収穫を取り入れ、病人に薬を与え、福音を説教していた者と同様に、夜それぞれ自分の寝床に安らかに臥すことができる。その一日を通して、前者は後者と同様に、同胞に対する何の悪意も、何の復讐心も持たなかったと自覚し得るのである。それぞれの胸の中にあったのは、自分の義務を果たしたいという単純な願いの意識だけであり得る。
(e) そのような者――刑事官、警官、陪審員、裁判官、監獄看守、死刑執行人――が祈ることは合法的かつ適切である。そのような者が祈ることは、他のいかなる者にとってと同様に適切である。彼は密室でまた家族の中で祈ることができる。違反で告発された者を捜すとき、彼に対する証言を聞くとき、彼を裁く座に着くとき、あるいは法の刑罰を科すときに、心の祈りを吐き出すことができる。彼は他の人々と同様に、「仕事において勤勉」でありますように、「霊に燃えて」いますように、その召命において「主に仕える」ことができますようにと祈ることができる。彼は、自分の任された務めに忠実であるため、行動において堅固であるため、「任命されたことを成し遂げる」ための恵みを与えられるようにと祈ることができる。しかしこれは何であろうか。それは、悪者――罪ある者――が処罰に引き出されること、彼らが処罰されること、彼らがその行いに対する当然の報いを受けることである。それは個人に対する悪意ではなく、復讐の欲望ではなく、何らかの私的感情の満足ではなく、最も広い慈愛と不一致な行いでもない。正義の諸官は、人々を処罰に引き出すまさにその仕事に従事している。それならば、なぜ彼らが従事しているその仕事の成功のために「祈って」はならないのか。正義の大義を愛し、共同体の安全と良き秩序を望む者なら誰でも、悪者がその進路において妨げられ――逮捕され――拘禁され――処罰されますようにと、なぜ祈ってはならないのか。人々がそのことを行うことに合法的に従事しているのであれば、それを行う際に神の祝福が助けてくださるようにと、なぜ合法的に祈ってはならないのか。
さらに、このような祈りをささげる行政官は、不法な職業に従事している者とは非常に異なる感情を持つであろうということを論評しておかなければならない。酩酊させる飲み物の製造と販売に従事している者は、いかにして「祈る」ことができようか。いかにして自分の仕事の成功を求めることができようか。そうすることは、自分の隣人、近くにせよ遠くにせよ同胞たちが、彼らの益とならないもののために財産を費やし、時間を浪費し、健康を損ない、いのちを縮め、魂を滅ぼしますようにと祈ることであろう。彼らが冒涜的で、粗野で、人を怒らせ、獣のようになりますように。彼らが共同体の害悪となり、犯罪に導かれ、済貧院、監獄、精神病院に家を見出しますように。彼らの家族が物乞いとなり、かつて平和であった家庭が地獄となりますように。若い者、力強い者、希望に満ちた者、美しい者、徳ある敬虔な者たちの子息たちが、早くから飲んだくれの墓に下りますように。妻、母、姉妹、娘たちの心が、夫、父、兄弟が飲んだくれとされたために、押し潰され砕かれますように――と。
しかし、このような祈りにはどれほど悪魔的な悪意があろうか! それゆえ、そのような者たちは自分の仕事への神の祝福を求めはしない。しかし行政官は祈ることができ、しかも祈るべきである。彼は自分の職務を遂行することにおいて、正義を行うことにおいて、犯罪を起訴することにおいて、法の判決を言い渡すことにおいて、成功しますようにと祈ることができる。実際、彼の祈りは、単純に、すべての人に正義が行われますように、処罰に値するときに刑罰が科されますように、そして自分が神の手の中の道具とされ、犯罪を暴き処罰することに用いられますようにというものである。同時に、これは復讐心と憎悪の霊とはかけ離れたものであり得て、彼自身が共同体の中で最も親切で慈悲深い人々の一人であり得、法の判決を言い渡すとき、彼は法廷の中でただ一人涙する者であり得るのである。絞首台を宣告された心の硬化した悪漢がまったく動じない間にも、彼は法の判決を言い渡しながら涙を速やかに流すかもしれない。ワシントンが有能なアンドレの死刑命令書に署名したことは、感情の欠如や悪意ある霊を少しも示さなかった。彼は涙をもってそれを行ったからである。
同じように、同じ霊をもって、人は、国が侵略されたとき、あるいは国の一部が合法な政府に反逆して立ち上がったとき、その防衛のために出て行くことができる。国を防衛するために召集された兵士は祈ることができ、軍の指揮官は祈ることができる――いや、祈るべきである。しかし、そのような者の祈りは、その義務の線に沿った、引き受けたことの成功のためのものであり得、そうであるべきである。それは彼の国の敵が打ち破られ服従させられますようにという祈りであろう。
彼の国の敵が風の前のもみがらのように散らされますように、彼らの計画が愚かさに変えられますように、彼らを服従させることに自分が成功しますように、と祈るとき、そこには何の悪意も、何の個人的感情も、何の復讐の霊も示されない。それは義なる大義の勝利のための祈りである。そして、兵士としての彼のあらゆる行為が国の敵の破壊に向かうのであり、彼が実際に彼らを服従させる努力に従事しており、彼のあらゆる計画がそれを熟慮しており、それなしには彼が成功し得ないのであるから――その職業そのものが正しいのであれば、彼がその中の成功のために祈ることが誤りであるはずはない。すなわち、彼の敵が彼の手に渡されますように、また神が彼らに打ち勝ち、散らし、服従させる力を彼にお与えになりますようにということであり、これが誤りであるはずはないのである。この事実観において、自由と法と正義の防衛者たちが Psalm 149:1-9 の言葉を自分たちに適用するとき、そこには必然的に、最も純粋な慈愛と不一致な感情は何もない。「彼らの口には神をたたえる高い賛美を、その手には両刃の剣を。国々に復讐を、諸民に懲らしめを執行するため、彼らの王たちを鎖で、その貴族たちを鉄のかせで縛るため、記されたさばきを彼らの上に執行するために」(Psalm 149:6-9)。
(f) ここで示唆された点に関連して付け加えるべきことはただ一つ、いわゆる「のろいの詩篇」と呼ばれる詩篇の中に、刑事官、警官、保安官、陪審員、王室法律顧問、検察官、裁判官、監獄の看守、あるいは死刑執行人が、毎日自分の職務を遂行するために赴くとき、またその密室で、あるいは家族の中で、朝の献身の際に、その日一日公的義務の遂行において忠実でありますように、成功しますようにと「祈る」ときの心の中にある以上の悪意、あるいは復讐の霊が存在することを「実証」することはできない、ということである。というのも、これらの義務のうちいずれにおける成功も祈りの線に沿うものであり、祈りへの応答であり得るからである。刑事官が夜盗や偽造犯を探し当てることに成功するならば、行政官が彼を正義に引き出すことに成功するならば、陪審員が彼を有罪と認める正直な評決を下すならば、検察官が罪ある者を有罪判決に至らしめることに成功するならば、裁判官が正当な判決を言い渡すならば、また監獄の看守が罪ある者に重い格子と閂を閉めるならば――夜、彼らが自分の仕事を振り返るとき、彼らは、その日の合法的義務における自分の成功を、敬虔な農夫の祈りへの応答としての実りの波打つ黄金の収穫、あるいは東洋の豊かな産物を満載し、堂々と港へ滑り込む船が敬虔な商人の祈りへの応答と見なされるべきであるのとちょうど同じように、人間生活の正当な営みにおける現実の祈りへの応答と見なすことができるのである。そして、詩篇作者の言葉に含意されていたのがこれ以上のものではなかった可能性があることが証明されるまでは、のろいの詩篇が復讐的な霊を吐き出している、あるいは人間の心の最も純粋で最も慈悲深い感情に反していると想定すべきではない。
(6) この困難に対しては、示唆されてきたもう一つの解決が存在する。それは実質的に、これらの表現は「詩篇作者の心の中に実際に起こったことの単なる記録」であり、部分的に聖化された人間の本性の例解としてわれわれに保存されている、というものである。この説明によれば、われわれは、いかなる正当な霊感観によっても、それらの感情を正当化することも、そのような感情が霊感を受けた人間の場合に起こり得なかったと主張することも求められていない。詩篇の主要な目的の一つは、この世における善良な人々の心の中に実際に存在するところの宗教を例解することである。それらの人々は絶対的に完全な者ではなく、その最良の宗教的感情も多くの不完全さと混ざり合っている。この見解によれば、霊感の御霊は、詩篇作者のこれらの感情に対して、ダビデ、アブラハム、ヤコブ、あるいはペテロの行為に対する以上の責任を負わない。感情――行為――はあるがままのものであり、霊感の御霊が責任を負うのは、これらの行為と感情に関する正しい記録あるいは言明、すなわち歴史的かつ正確に真である記録である。いくつかの論評がこれをさらに説明し得るであろう。
(a) それゆえ、ダビデが完全な人間ではなかったことは認められた事実であり、詩篇の書き手たちすべてについても同じことが疑いなく真であった。聖書は彼らが完全であったと一度も主張していない。聖書は彼らの過ちの公正な記録を作っており、絶対的に罪のない者はいないという一般原理を示している(1 Kings 8:46; Ecclesiastes 7:20; James 3:2; 1 John 1:8; Job 9:20)。聖書の至るところで、誰一人絶対的に完全ではないと宣言されており、また、たとえばダビデが、ウリヤの場合のように、誤った行為を犯したことが認められているのであるから、同じ理由によって、人々が、最良の人々でさえ、行いにおいてのみならず、思いとことばにおいても罪を犯しやすいことを認めるべきである。
(b) 霊感の適切な概念は、霊感を受けた人々が絶対的に罪がなかったと保持することをわれわれに求めない。霊感を受けることと、人格的に完全であることとの間には、明白かつ歴然たる違いがあり、なければならない。真の本性における霊感は、真実な記録を保証するが、絶対的な聖化を必ずしも保証しない。実に、霊感は聖化とは必然的な結びつきを持たない。通説に従えば確かに、バラムがメシアに関する真の預言を語ったと考えられるが、その事実からバラムが悪人以外の何かであったと主張する義務を感じる者は誰もいないのと同様である。リウィウス(Livy)、ギボン(Gibbon)、ヒューム(Hume)、ロバートソン(Robertson)は完全な人々ではなかったが、それでも彼らが記録すると称する出来事について正確な説明を与えていることは真であり得る。また、彼らが忠実な歴史家であったからといって、それゆえに彼らが完全な人々であったとか、起こったとおりに正確に記録されたなら絶対的な人格の完全性という観念と不一致であるはずのことを、彼らが決して行わずまた語らなかったとかを、われわれは論じない。それゆえ、「霊感は正しい記録を保証するのであって、人格的聖化を含意しあるいは保証するものではない。そして、もし正しい記録を保証するのなら、それに関する責任の限界はそこまでで達せられる」ということは、きわめて重要な原理である。確かに、Psalm 51 においてダビデがウリヤの場合に関する自分の罪深さについて真の記録を作ったという事実は、その記録の主題であるその行為において彼が正しかったこと、あるいは無実であったことを証明しない。また、行いの代わりに感情の記録である場合も、その正確さはそのような感情を正当化しあるいは是認するものではない。
(c) 世界の必要に応えるためには、神からの啓示において、宗教が人間の心と接触するときのあり方の真の表現が、実際に人間の生活の中で例解され現されるようなあり方で――傷のない天使の生活の中にあるかもしれないようなあり方ではなく――存在することが重要かつ必要であった。聖書が至るところで前提しているように、人間は堕落しており、腐敗した悪い傾向を持ち、生来制御できない情念を持っており、宗教の目的はそれを制御し統治することを彼に教えることであるとすれば――われわれの必要とするのは、そのような心と接触するときの宗教の例解である。もし聖書が完全な存在の感情と行動のみを描写していたなら、それは人間には明らかに不適切であったろう。というのも、人の状態に適合していなかったはずだからである。人間が不完全で罪深い以上、絶対的な完全性のあるところにしか真の敬虔はないという印象を残すような宗教の表現は、人を落胆させ気落ちさせるためだけに適合しているであろう。というのも、それは彼の心の前に、彼が到達し得ないと感じるものを掲げることになり、自分の不完全さについての自覚は、彼に真の宗教を持っていないという痛ましい結論に導くであろうからである。
それゆえ、聖書においては、救い主というただ一つの例を除いて、完全な聖者の生活の記録は存在しない。われわれが持っているのは、人の生活の中に常に見出されなければならない敬虔の描写、すなわち、弱く、戦い、疑い、葛藤する敬虔の描写である。
すなわち、それは悪い情念と戦う敬虔の描写、光と闇、善と悪、幸福と悲しみ、快活さと落胆が混ざり合った戦いの生活の描写としてである。悪がしばしば突き出てくるが、絶えざる努力がそれを抑制するために求められ、そのように見える多くのものの中にあっても、魂は完全へと向かって絶えず前進している――この生涯において得ることのできない完全、ただ天においてのみ完成されるべき完全へと。そのような記録だけが人間に適っている。そのような記録だけが、現在の状態にある人間を正しく表現し描写するであろう。もう一つの世界において――天において――贖われた人間の真の記録は、不完全のない宗教の記録となるであろう。今の御使いたちにとってそうであるように。
事実として、われわれは今、聖書の至るところに不完全な人々の生活の記録を持っている。行いにおいて不完全な、感情において不完全な、ことばにおいて不完全な人々である。われわれは、アブラハム、イサク、ヤコブ、エリ、ダビデ、ヒゼキヤ、モーセ、アロン、ヨシヤ、ヤコブ、ヨハネ、ペテロの伝記を持っている。彼らはすべて不完全であったが善良な人々であり、その胸の中には善と悪の原理の戦いがあり、その生活においては悪の原理が絶えず突き出ており、一時的にはそれが勝利したように見えた人々である。それゆえ、聖書における敬虔についての、痛ましいが正直な記録が存在するのである。同様に、人間の本性と結びついて見出されるところの真の敬虔が何であるかを見て理解するために、われわれが詩篇の中に実際に見出すような例解――善良な人の心を通過したことの正直な記録、神の人と特徴づけることが適切である場合でさえ、不完全な人が実際にしばしば感じることの記録――が存在することが重要であったのかもしれない。おそらく、たとえ敬虔の最も高い形の影響の下にあっても、自分の心の中を常に通過していること――願い、欲求、感情、敵、迫害者、そしる者たちに対する感情――の正直な記録を作るとしたなら、詩篇の言葉が、彼らが他のどこで見出し得るいかなる言葉よりも、この点における彼らの感情をよりよく表現するであろうことが分からなかったような者は、ほとんどいなかったであろう。アウグスティヌス(Augustine)、ルター(Luther)、カルヴィン(Calvin)、ノックス(Knox)、エドワーズ(Edwards)のような人々でさえ、非キリスト教的な感情が彼らの心の中で優勢を得たように見えた時々に、情念に負けようと強く誘惑されたとき、あるいは実際にそれに負けたとき、このような感情を持つ者たちが真の宗教を持っているだろうかと疑いに導かれ得たときに、彼らのものとまさに同じ感情が、詩篇を作った霊感を受けた人々の心の中に湧き上がり、彼らがそこで、魂の中を実際に過ぎ去ったことの正直な記録、ほとんど彼ら自身が経験したことの実際の書き起こしを作ったという事実に慰めを見出したのではないかという考えは、無理な、あるいは根拠のない考えであろうか。これがこの問題の真の見方であるとすれば、われわれはこれらの情念の表現を正当化しようと試みる義務はない――ウリヤの件におけるダビデの行為や、主を否んだペテロの行為を正当化しようと試みる義務がないのと同様に――ということは、ほとんど言うを要しない。
(d) この見解によれば、この記録の中で用いられている表現は、われわれの模倣のために提示されているのではない。善良な人々の生活において起こったものとして記録されているという単なる事実は、それらが正しいこと、あるいはわれわれが従うべきことの証拠ではない。贖い主の生活において起こったことは「すべて」正しく、われわれの状況に適用し得る限りにおいてわれわれがそれを模倣するようにとのために記録された。上述の論評が正しいなら、この記録は、これらの感情を表明した人々の行動を模倣するべきという目的以外のために作られたのである。また、そのような感情が善良な人々の心の中に実際に存在したという事実、あるいはこれらの「のろい」が彼らの書き物の中に見出されるという事実を、あたかも宗教がそれらを生み出す傾向があるかのように宗教に帰させてはならない。それは、ダビデの姦淫と殺人の行為や、ペテロの冒涜的な否認が、宗教が人の心と生活の中に生み出すものに適応していることの例解として引き合いに出されるべきではないのと同様である。宗教はこれらのものに責任を負わない。責任はわれわれの腐敗した本性にある。
(e) もしそのようなことがこの問題の正当な見方であるなら、「霊感」が責任を負うのは、これらの感情の存在に関する「記録」の正確さだけである。すなわち、詩篇の作者たちは、自分自身の心の中を過ぎ去っていたことを実際に「記録」したのである。彼らは内的感情のはけ口を与えた。彼らは自分自身が持っていた実際の感情を言明した。人間の本性が同じままである限り、不完全な人の心の中に、いかなる場所でも、いかなる時にも湧き上がり得る感情である。彼らは他の人々が実際に感じることを記録しており、その記録を作る際に、彼らは単に自分自身の心を通過したことを表明しているだけである。彼らはそれをわびず、それを正当化するために立ち止まらず、それを軽減する一言も提供しない。他の聖なる書き手たちが、族長たち、ダビデ、ペテロの生活における過ちについての事実を記録したときにそうしなかったのと、まったく同様にである。
これらの方法のいくつかによって、詩篇における「のろい」に関するすべての困難は取り除かれ得るであろう。詩篇の霊感を否定する者たちは、これらがこの困難の適切な説明ではないこと、あるいはそれらがいかなる正当な霊感観とも一致しないことを示すことができなければならない。
第7節 「詩篇の書の実践的価値」
宗教的信心者たちの評価において、詩篇が、キリスト教の経綸の時代のより明確な光の下でも、比較的暗いヘブライの礼法の下で占めていたのと実質的に同じ場所を占めていることは、少なからず注目に値する。キリスト教の啓示の下で与えられてきたすべての追加の光をもってしても、詩篇は取って代わられていないのである。「キリスト者」は、古代のユダヤ人と同じほどの強い関心をもって詩篇に目を向ける。そして、個人的な宗教的経験の表現としても、礼拝の手引きとしての目的のためにも、キリスト者は聖書全体の中から詩篇を選び出す。ユダヤ人がその所有する書物――旧約聖書――の中から選んだのと同様にである。そのようなものとして、詩篇は将来のすべての時代においてその価値を保ち続けるであろう。また、実践的敬虔の行使と結びついたものとしての相対的な位置を失うような宗教の光、経験、知識における進歩が、この世界に起こることは決してないであろう。
この事実が、詩篇の作者たちが霊感を受けたという証拠とみなされるべきである程度、すなわち、彼らに、宗教文化の最も進んだ時期に所有されるであろうものと同等の水準にまで、自分の時代に先んじた真の敬虔の原理と働きについての知識が伝えられたということ、そして詩篇を作詞するにあたって彼らの心に、単なる詩的天才から得られるものを超えた何らかの影響がなければならなかったということは、すべての省察する精神に生じるに違いない問いである。詩篇の霊感を疑う者に提起すべき公正な問いは、詩篇の作者たちが他の天才たちと同様にのみ賦与された人々であったという彼の考え、そして彼らが世界における真理の見解が比較的暗い時代に生きていたという認められた事実と一致させて、この事実をどのように説明するのか、ということである。深い宗教的経験と知識の事柄において、一人のヘブライの吟遊詩人が、新しい啓示が世界にもたらされた後、そして宗教と人間の心の知識において人々がなし得たすべての到達の後にさえ、来たるべきすべての時代を通して人類の導き手となるほどの高みに、どのようにして自らを置いたのであろうか。
詩篇の特別な価値は、(a) 神の礼拝に適合しているという事実、(b) 深い宗教的経験の記録であるという事実から生じる。
(a) 神の礼拝に適合しているものとして。このために、それらの多くはその作詞において本来から意図されたものであり、これに全体の書が、コレクションを作った人々によって意図的に適合させられたように見える。
これらの聖なる歌がヘブライ人の叙情詩の全体を構成していると想定する必要はない。というのも、旧約聖書に言及されている書物のいくつかは、霊感を受けたものでありながら、その目的を果たし失われたことが知られているのであるから、ヘブライ人の叙情詩の一部についてもそうであったかもしれないからである。救い主の言葉の多くは、彼が語ったすべてが純粋な真理であったとしても――他の誰も語ったことのないような真理、神の御霊が与えるような真理であったとしても――記録されなかったことによって失われた(John 21:25)。同様に、書きしるされた真理も、その目的を果たして過ぎ去ったものがあり得る。しかし、われわれのもとに伝わってこなかったそのような作品があったとしても、それらが、生き残り、現在詩篇の書を構成しているものと同じ全般的な性格のものであったことを疑う理由はわれわれにはない。さて注目すべきは、ヘブライ人の詩が、他のあらゆる詩にまさって公の礼拝にこれほど適合しており、この国民の詩的天才がこれほど独占的に宗教的な方向を取ったことである。
この点において、ヘブライ叙情詩はそれ自体で独立しており、他のすべての国民のものとは異なる。ギリシャ人の中には、確かに神々への讃歌――神々の礼拝において用いられることを意図された讃歌――が存在する。しかしこれは決して彼らの叙情詩の一般的性格ではない。ペルシャ人、アラブ人、ローマ人、バビロン人の中にも、疑いなくそのような讃歌は存在した。しかしこれは彼らの叙情詩の支配的性格ではない。初期のスコットランド、フランス、スペイン、イタリア、およびイギリスの詩の中にもそのような讃歌はあるが、これは決してこれらの国民の初期叙情詩の排他的あるいは支配的な性格ではない。これらの国民の叙情的作品のうち、まことの神の礼拝において用いられ得るものはわずかであり、そのように用いられ得るものも、詩として常に最も崇高な性格のものとは限らない。詩篇と讃歌の作曲は独立した詩的技芸である。そして、これらの言語の讃歌の中に叙情的卓越の最高種の作例が存在するとはいえ、この種の文学の大部分は、宗教以外の主題に関係するものであったなら、おそらく「まともな」ものとさえ見なされないであろうことを認めなければならない。
しかしヘブライ人については、これが彼らのすべてである。彼らには他のいかなる詩も存在しない。ウェルギリウスの『牧歌』やバーンズの詩の多くと比較し得るような、単に恋愛的あるいは牧歌的なものは何もない。また、彼らの宗教的種類の詩は、すべて高次のものである。キリスト教のほとんどの教派の讃美歌集に見出される多くのものと同じ低い水準に置かれ得るものは一つもない――それらは非常に良く、非常に敬虔で、非常に感傷的で、献身の感情をかき立てるものとして想定されるのに非常に適合しているが、とはいえあまりに平坦で、あまりに弱く、あまりに非詩的であるため、単なる詩の一巻の中では、実際に場所を見出し得るとしたならせいぜい第三、第四の地位にしか入れてもらえないであろうようなものとである。詩篇の書に適用されるような「霊感」の観念を退ける者にとって、この事実を説明することは彼の課題である。
(b) 詩篇の書は深い宗教的経験の記録である。一般の宗教的人々の評価において、これこそが詩篇にその主要な価値を与えるものである。それは若い信者たちの導き手であり、信者が人生の多様な場面を進み、白髪が彼の上に訪れ、すべてのことの近づく終わりを前もって告げる虚弱さが彼を押し下げるとき、ますますその伴侶、慰め手、助言者となる。宗教的人間が、詩篇の中に自分の状況に適合する何かを見出さないような、ヘブライの聖なる吟遊詩人が宗教的経験の深さにおいて自分に先んじていなかったと見出さないような状況に置かれることは、たとえあったとしてもまれである。それゆえ、病において、喪失において、迫害において、老年において、死の床において、詩篇の書はこれほど不变かつ貴重な伴侶となるのである。それゆえ、便宜の問題としてではなく、人々の心における必要を満たすものとして、またその価値のしるしとして、詩篇と新約聖書がしばしば一冊に製本されるのである。それゆえまた、老人のために、病人のために、病いや年月によって視力が衰えた者たちのために、詩篇と新約聖書は大型活字で印刷され、便利な形に製本されて、天に向かって熟しつつある聖徒が、光が衰え、いのちが尽きようとするときにも、これらの書物に含まれる真理にまだ近づき得るようにされるのである。世界の終わりまで、宗教的経験における詩篇は今占めているのと同じ場所を占めるであろう。世界の終わりまで、詩篇は、過ぎ去った諸時代においてしてきたように、悩める者に慰めを、死にゆく者に平安を与え続けるであろう。
第8節 「詩篇の注解を準備するための資格」
詩篇の書の注解においては、聖書の他のいかなる書におけるよりも多くの失敗があったことは疑いない事実である。いまだキリスト教世界の必要を満たした注解は存在せず、いかなる期待が抱かれたにせよ、失望の感情なしに読むことのできるものは一つもない。この事実には原因がなければならず、その原因はおそらく、詩篇の注解を生み出すために必要とされるきわめて独特な資格の中に見出されるべきである。すなわち、同じ人物の中に結合して見出されることがまれな資格である。
そのような注解を準備するために必要な資格についてのいくつかの論評は、起こってきた失敗の原因を説明し得るであろうし、おそらくはまた、いま公衆に提出されるこの注解が、すでに存在する失敗への追加と見出されることになるであろう理由をも説明し得るであろう。詩篇の注解を準備する者は皆、おそらくその仕事の終わりに、自分が望んでいたこと、おそらく自分が為すと期待していたことについての失望の感情を覚え、このように世界に提出されるものが、聖書のこの部分の注解があるべき姿から非常に遠いものであるという読者たちの感情を完全に分かち合うであろう。
詩篇の注解を準備するための独特な資格は、おおよそ次のようなものである。
(1) ヘブライ語の知識、とりわけヘブライ人の間で行われた詩の法則によって影響を受けた形での知識。すべての言語には詩の特殊な規則があり、用いられる言葉の意味がそれによって影響され、思考の特殊な陰影がそれによって表現される。ほとんどの言語において、言葉は「詩的」な意味と「散文的」な意味を持つ。散文において用いられる言葉の意味を詩の一節に適用することは、詩人の心の中にあった観念を決して表現しないかもしれない。われわれは、慣れ親しんだ言語を読む際に、ほとんど無意識のうちに、説明できない場合でさえこの区別を正確に行うことを学ぶ。そして、詩篇、讃歌、叙情歌を、その意味を誤ることなく読む。しかし、自分の母語とは異なる言語で詩の書を読もうと試みる場合には、それは別のことである。イタリア人、フランス人、あるいはドイツ人が母語で詩を読む際に明白であることが、イギリス人がその詩を読もうと試みるときには、習得の困難な事柄となるのである。
同じことは死語を学ぶ際にも言える。ギリシャおよびラテンの詩人たちに関する独特な文学が存在することは言うを要しない。ヘロドトスやリウィウスを読める者は、ギリシャ語およびラテン語の十分な知識を持ち、それらの言語の詩を理解する資格があると想定してはならない。しばしば律動に、言葉の詩的形式に、あるいは詩に特殊な影像にこれほど多くのものが依存しているため、古典教育は、学生が言語の規則のこの最も困難な部分を習得するまでは完全ではなく、詩の言語の意味を把握し、その思想と影像の美しさを評価する資格がないのである。ヘブライ人も他の諸民族と同様にそのような規則と慣用を持っていたことは疑い得ない。それらはすべての言語に見出されるからであり、ヘブライ詩自体の中に、それらがユダヤ人の間に存在したことの豊富な証拠があるからである。
しかし、聖書の詩的諸部分の説明においてそれらを完全に適用し得るほどに、今やそれらの規則と慣用の知識を回復することが可能であるかどうかは疑わしい。言語の律動に関わる多くのこと、アクセントに関係する多くのこと、言葉の独特な用法に結びついた多くのことは、今や回復不可能かもしれない。詩篇の解釈への影響という点におけるこの主題の困難を示すため、またヘブライ詩の主題を例解するために、私はデウェッテ(DeWette, Einleitung, vii. pp. 37-76)の論述に言及しておく。その優雅な翻訳は『聖書学報』(Biblical Repository, vol. iii., pp. 478-514)に見出すことができる。
(2) 詩篇の解釈者となる資格を人に与えるためには、真の敬虔が不可欠である。これは実際、聖書のいかなる部分の解釈に関しても真である。聖書は宗教の書であり、宗教の本性、力、影響を描写することに用いられるのであるから、解釈者においては正しい宗教的感情、すなわち宗教に関する実践的な熟知が必要であることは明らかである。この原理は、実質的に、いかなる主題に関する書物の解釈においても要求されるのと同じものである。絵画、詩、彫刻、建築に関する論考には、これらの技芸について実践的知識を持つ者ほどよくは説明し得ない事柄が存在するであろう。また、そのような書物の解釈のための完全な資格の所有のためには、それらの技芸について語られることを評価する能力が不可欠と見なされなければならない。言葉についての単なる知識――文献学的知識――が要求されるすべてではなく、局所的な暗喩、法律、慣習、風俗、あるいは地理的・歴史的言及を説明するいかなる力も、要求されるすべてではないことは明らかである。これらすべてを超えて、書き手すなわち作者の心の中には、彼が表明しようと意図したものがあり、それは言語や慣習についての単なる知識では説明するのに十分ではない。書き手が何を意味したかを示すためには、彼を理解し得ること――彼が言おうとしたことを評価し得ること、彼の心の中にあったものを引き出し得ることが、明らかに必要であろう。彼が何を考え、何を感じ、何を表明しようと意図したかをである。それゆえ、詩篇に関する仕事が文献学的著作として、あるいは詩篇の作者とその作曲時の状況を例解するものとしてどんなに貴重であっても、作者の霊に入り込み、作曲における彼自身の感情を理解し評価する資格を持つのでなければ、われわれは主要なものに到達していないことは明らかである。
(3) 上述の理由により、詩篇の解説においては、敬虔の単なる所有以上のものがなければならない。「深い宗教的経験がなければならない」。最高の形の歓喜における敬虔と、落胆、闇、悲しみの最も深い淵における敬虔との両方についての熟知がなければならない。世界のどの書物にも、詩篇の書におけるほどに多様な敬虔の表現、これほどに多様な形の宗教的経験は存在しない。詩篇は世界のあらゆる時代のために、人生のあらゆる階級と状態にある人々のために、喜びと悲しみの季節のために、幼年、青年、壮年、老年のために、無学の者と学識ある者のために、病と健康の時のために、私的、社会的、家庭的、公的生活のために、行政官と私人のために、戦争と平和のために、ビジネスの行為と慈善の行為のために、生きている者と死にゆく者のために、また悲しむ者たちのために意図されたのであるから、それらはこれらすべての形と関係において宗教を例解する「手引き」を成すように、またあらゆる人が、人間存在のあらゆる多様な状態において、自分に適用可能な何かを見出す確信を持てる書となるように意図されたのである。もしそうであれば、詩篇の良い注解のためには――解説者が、自分が説明しようと引き受ける仕事の真の霊に入り込み得るためには――並々ならぬ敬虔が要求され、人類のごく少数にしか与えられない豊かで多様な宗教的経験が必要であることは明らかである。詩篇注解者のこの資格だけを見ても、何も望むところを残さないような注解が一度も現れなかったことを、われわれは不思議に思うのをやめてもよい。
(4) 詩的趣味は、詩篇の注解者における重要な必要条件である。詩篇は詩であり、それも最も繊細な種類の詩である。詩篇の美しさの多く、また人の必要への適合性の多くは、それらが詩であるという事実に依存している。これは、詩篇を作詞した人々に御霊の影響を吹き込まれた神の御霊が、そこに見出される感情が散文ではなく詩において表明されることを好まれた理由であり、それゆえこの媒体が選ばれたのである。人間の心の本来の賦与の中には、「詩」を幸福の手段の一つとして、真理を心に印象づけるものとして、魂を大いなる努力に立ち上がらせるのに適ったものとして、心を落ち着いた、平和な、純粋な、愛国的な、敬虔な情感で満たすために意図されたものとして観想するものがある。実際、人々によって(詩を生み出す力においても、それを評価する力においても)非常に異なる程度に所有されてはいるが、それは人間の賦与である。そしてそのようなものであるがゆえに、宗教は自らの目的を促進するためにそれを用いる。落ち着いた論証、厳格な論理、厳密な実証によって以外はほとんど動かされない者たちがおり、雄弁の崇高な訴えによってのみ立ち上がる者たちがおり、説得の声によって最も影響される者たちがおり、怒りの断罪によってのみ危険なまどろみから覚まされる者たちがおり、純粋で喜びに満ちた聖なる情感が詩によって最もよくかき立てられる者たちがいる。「歌」の本分は、そのようなものとして、人間の魂の中の最も純粋で献身的な敬虔の感情の多くを覚まさせることにある。そして詩篇の書は、この目的が恒久的な安排として達成されることが意図され期待されている、聖書の部分なのである。
それゆえ、自分自身において詩の美しさを評価する賦与を持たない者、この点において、一方では聖なる書き手の感情に入り込み、他方では詩によって感動するように造られた人々の心に入り込むことのできない者は、詩篇の注解者として完全に資格を持ち得ないことは明らかである。詩篇の良い注解を生み出すことの「失敗」の原因の一つは、この源にさかのぼり得る。単なる文献学者、正確な実証以外に価値あるものを見なさない者、散文的気質の人は、崇高で純粋な敬虔を持っているとしても、詩篇の真の霊に入り込み、聖書のこの部分において教化と慰めを求める人々の必要に応えるための重要な資格をなお欠いているかもしれない。
(5) 人間の心についての知識――人間の本性についての知識――は、詩篇の良い注解者にとって不可欠の条件である。詩篇は、聖書の他のどの書にもまして、心の働きの記録を含んでいる。実に、それらは大部分、心に関わるものである。それらは、ローマ人への手紙がそうであるように理解力のより高い諸能力に向けられておらず、イザヤの幻やパトモスのヨハネの幻がそうするように想像力に訴えもしない。詩篇において、心こそが、神の御霊と魂との間の伝達の媒介として際立っているのである。聖書のすべての部分の中で、人間の心を例解するものが最も多いのは詩篇である。人間の心の中にあるすべてのものが、何らかの仕方で、ほとんど無限に多様な状況においてそこに例解されている。喜び、悲しみ、悔い、感謝、賛美、落胆、憂い。愛――神への愛――人への愛。病気において、また病気からの回復において経験される感情。他者たちの感謝知らずから生じる苦悶、魂の苦々しさ。神の怒りに対する恐怖。死の恐れ。死の見通しにおいて宗教が与える平安。祈りの喜び。
切なる願い求めに応えて魂に入って来る光。神とその律法の性格についての敬虔な黙想から湧き出る平静。長い闇の後に魂の上に輝く光。思い出された罪の効果(Psalm 51 の場合のように)。神がわれわれをお見捨てになったように思われるときの絶望の感情。傷害を受ける際に心の中に湧き上がる感情。これらは、書き手たちの個人的経験において詩篇の中に例解されて見出される多くの主題の中のほんの一部であり、これらの主題について注解する者は、自ら人間の心の働きについての知識を持つのでなければ資格がないことは明らかである。
用いられる言葉を説明し得ること。詩篇の起源と作者、およびそれらが作られた機会を言明し得ること。本文の真正性と正確性を調査し、異読の価値を決定し得ること。詩篇において用いられる並行法、律動、アクセントを理解し説明し得ること。詩篇の詩を理解し評価し得ること。あるいはユダヤのラビたちとキリスト教の教父たちが書いたものを集めること、理性主義的な聖書観の下で生み出されたものをドイツから移植すること、あるいは最良の働きにおいて、また真の宗教の影響の下でドイツの精神が生み出したものを移植することさえも、われわれの国の人々の必要を満たす詩篇注解において、あるいは若者、病人、喪失した者、誘惑される者、老人、落胆した者という大衆にとって最も価値ある仕方で詩篇を例解する注解において要求されることすべてではなく、また主要なものでもない。この多様な仕方で、そこに例解されている人間の心の働きにおいて詩篇の書き手たちに共感をもって入り込むことのできない者は、この書の注解を準備するために完全に資格を持つ者ではない。ある目的のためには、確かに彼は貴重な書物を作ることができるかもしれないが、詩篇によって達成されることが意図された真の目的との関係において――あらゆる身分と状態にある信者たちの、人間生活のあらゆる多様な状況における、人間の心のあらゆる多様で複雑な働きにおける導き手また慰め手であるという目的との関係において――貴重な書物を作ることはできない。
(6) 付け加えるべきことは、詩篇の書が全体として、非常に平易で、読者大衆によって理解しやすく、内的感情と情動をこれほど表現しているために、注解の準備における困難を増大させるということである。詩篇はあまりに豊かで、意味に満ち、信者の必要にこれほど適合している。それらは神の民の多様な経験にこれほど応え、敬虔の例解にこれほど満ちている。それらは魂の中の感情の最も深い泉にこれほど触れる。それゆえ、これらの点のほとんどにおいては、追加の光源と考えられる「注解」は、太陽に追加の輝きを与えるものと考えられる蝋燭と実質的に変わらない。献身の書として詩篇を普通に読む際に人が深い経験的敬虔の主題について見出すものは、注解の中で通常見出すものをこれほど上回っているため、彼はそれらを説明しようとする試みから深い失望の感情をもって離れ、注解者が付け加え得るいかなるものよりも、自分の感情をよりよく表現し、必要を満たし、試練の中で慰めを与えるものとして、書物そのものへと立ち返るのである。彼は詩篇の書そのものを慰め手また導き手として歓迎する。そして、今これほど安い値段で売られている小さな一巻において、あるいはポケット版新約聖書に付けられて、聖書の一般の読者は、ヴェネマ(Venema)の大部の注解においてよりも、『クリティキ・サクリ(Critici Sacri)』の全集においてよりも、プール(Poole)の『シノプシス』においてよりも、グローティウス(Grotius)の『注解』においてよりも、またデウェッテ(DeWette)――その仕事が優雅であるとしても――、トルック(Tholuck)、あるいはヘンステンベルク(Hengstenberg)の学識ある解説においてよりも、自分の必要に適ったより多くのものを見出すのである。
詩篇注解を作ることにおけるこれらの困難が考慮されるとき――注解を書くために身を沈める者がその仕事に必要な資格を熟考するとき――そして、私がそうしてきたように、この聖書のこの部分の注解を準備するにおいて、これらの想念の影響の下で――その大きさを絶えず増し、十数年の歳月の労苦を通じて(とはいえ断続的ではあったが)彼にますます押し迫る想念の影響の下で――その企ての初めにどれほどの熱望や成功の自信を持っていたとしても、仕事が進むにつれて、これまでの詩篇注解を準備しようとする他の人々の努力が失敗であったことを不思議に思うのをやめるであろうし、また自分の労苦の結果を見るために寿命が延ばされるとしたら、彼がこれほど長く労し、彼が説明を引き受けた書物にいくぶんでも値するものとなることを望んだものを、世界が、詩篇の書の適切な解説を準備するという不成功な試みの長いリストにまた一つ加えるものにすぎないと見なすことを、驚くには当たらないであろう。
第一の詩篇には表題が付されていない。これは他の多くの詩篇、すなわち Psalm 10; Psalm 116; Psalm 117:1-2 などの場合も同様である。この省略の原因を探ろうと試みることは、今や無駄である。詩篇に付された表題の起源と権威については、緒言の第4節を参照せよ。この詩篇に表題が付されなかった理由は、一般的な表題「ダビデの詩篇」が書全体に付され、それがこの一連の最初の詩篇の作者を示すのに十分であったからだと考える者もいる。しかしこれは単なる推測であり、この理由は、この一般表題の下に来る他のいずれの詩篇の表題の省略を正当化するのと同程度にしか、第一の詩篇の表題の省略を正当化しないであろう。いくつかの写本(ロッシの2写本)では、この詩篇は数えられていない。他のいくつかの写本(ケニコットの4写本、ロッシの3写本)では、それは第二の詩篇と結合され、二つは一つとして数えられている。
しかし、これは第二の詩篇とは明らかに別個の作品である。第二の詩篇がそうであるように、それはそれ自身の統一性を持つ。そして全体のコレクションの中で、これら二つほどの適切さをもって結合され得ない二つの詩篇はほとんど存在しない。この詩篇の作者が誰であるかを今や確かめることは不可能であるが、ダビデによって作られたとする通説がおそらく正しいものであろう。しかし、それがどのような機会に書かれたかは、同様に今や発見不可能である。その中には、作者を確実に決定するものが何もないのと同様に、書かれた機会を決定し得る歴史的暗喩は存在しない。用いられている言葉は最も一般的な性格のものであり、その感情はすべての時代とすべての国に適用可能である。それは詩篇の書の一般的な緒言であるすべてのしるしを持ち、全体のコレクションの実質を少数の文で表現すること、あるいはその全体を通じて見出されるであろう大原理――義の生涯は繁栄と幸福に伴い、悪者の生涯は悲しみと滅亡に続く――を言明することが意図されたものである。これはユダヤ神政の大原理であり、真の宗教の本性と価値をこれほど完全に例解するように意図された書の冒頭に明確に言明されるに十分な重要性を持っていた。Deuteronomy 27-28 を比較せよ。
この詩篇は、義人の祝福あるいは幸福を描写することを目的としている。これは「文字通りにまた比喩的に、積極的にまた消極的に、直接的にまた対照によって、彼の性格と、今生および来世における彼の状態の両面に関して」なされる。――アレグザンダー(Alexander)教授。しかし、それはアレグザンダー教授が考えるような「真に幸せな人の絵図」ではなく、不義な者の状態と対照における義人の祝福の描写である。義人は確かに繁栄し幸せであり、これを示すことがこの詩篇の一つの目的である。しかし、詩篇作者の目にあるのは、幸福な人というようなものではなく、義人、および義であることの祝福なのである。
この詩篇は正当に二つの部分から成っている。すなわち、義人の祝福と、悪者あるいは不敬虔な者の、祝福なき状態――ドイツ語の言葉を用いれば「ungluck」(デウェッテ DeWette)である。
I. 義人の祝福(Psalm 1:1-3)。これもまた二つの小部分から成る。
(1) その性格(Psalm 1:1-2)。これもまた二つの形で描写される。すなわち消極的に、また積極的に。
(a) 消極的に。彼は悪者の助言に歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かない(Psalm 1:1)。
(b) 積極的に。彼は主の律法を喜び、その真理を絶えず黙想することに楽しみを持つ(Psalm 1:2)。
(2) 義であることの結果としての繁栄(Psalm 1:3)。彼の状態は、水の豊かな場所に植えられた木にたとえられる。その葉は常に青く、その実は決して絶えない。そのように、彼のすることが何であれ、栄えるのである。
II. 不義な者の状態、あるいは不義な者と義人との強い対照(Psalm 1:4-6)。彼らの状態と運命は三つの形で表現される。
(1) 彼らは風が吹き払うもみがらのようである(Psalm 1:4)。
(2) 彼らはさばきにおいて無罪とされず、義人の間に場所を持たない(Psalm 1:5)。
(3) 彼らは神に承認されず、滅びる(Psalm 1:6)。
Introduction to the Book of Psalms
Section I-- On the Names Given to this Book
This book is termed in Hebrew ספר תהלים Sepher Tehillim, which some learned men derive from הל hal or הלל halal, to move briskly, irradiate, shine; and translate, The Book of the Shinings forth, Irradiations, Manifestations, or Displays, namely, of Divine wisdom and love exhibited in God's dealing with his chosen people, or with particular. persons, as figures, for the time being, of what should be accomplished either in the person of Christ, or in his mystical body the Church. But as halal signifies also to praise, and praise arises from a sense of gratitude, is the expression of inward joy, and was often exhibited by brisk notes, sprightly music, etc., it may be well denominated The Book of Praises, as the major part of the Psalms have for their subject the praises of the Lord.
That the Psalms were sung in the Jewish service, and frequently accompanied by musical instruments, there is no doubt, for the fact is repeatedly mentioned; and hence the most ancient translation we have of the Psalms, viz., the Septuagint, as it stands in what is called the Codex Alexandrinus, is called Ψαλτηριον, The Psaltery, which is a species of musical instrument resembling the harp, according to the accounts given of it by some of the ancients. From this term came the Psalterium of the Vulgate, and our word Psalter, all of which are deduced from the verb ψαλλω, to sing, as the voice no doubt always accompanied this instrument, and by it the key was preserved and the voice sustained.
A Psalm is called in Hebrew מזמור mizmor, from זמר zamar, to cut off, because in singing each word was separated into its component syllables, each syllable answering to a note in the music.
General Division of the Book
The Hebrews divide the Psalms into five books, and this division is noticed by several of the primitive fathers. The origin of this division is not easily ascertained; but as it was considered a book of great excellence, and compared for its importance to the Pentateuch itself, it was probably divided into five books, as the law was contained in so many volumes. But where the divisions should take place the ancients are not agreed; and some of them divide into three fifties rather than into five parts; and for all these divisions they assign certain allegorical reasons which merit little attention.
The division of the Hebrews is as follows: -
Book I. From Psalm 1:1-6 to Psalm 41:1-13 inclusive.
Book II. From Psalm 42:1-11 to Psalm 72 inclusive.
Book III. From Psalm 73 to Psalm 89 inclusive.
Book IV. From Psalm 90 to Psalm 106 inclusive.
Book V. From Psalm 107 to Psalm 150:1-6 inclusive.
The First, Second, and Third Books end with Amen and Amen; the Fourth, with Amen and Hallelujah, the Fifth, with Hallelujah.
But the Psalms themselves are differently divided in all the Versions, and in many MSS. This is often very embarrassing to the reader, not only in consulting the Polyglots, but also in referring to theological works, whether of the Greek or Latin Church, where the Psalms are quoted; the Greek ecclesiastical writers following the Septuagint; and those of the Latin Church, the Vulgate. I shall lay a proper table of these variations before the reader, remarking first, that though they differ so much in the division of the Psalms, they all agree in the number one hundred and fifty.
A Table of the Differences in Dividing the Psalms Between the Hebrew Text and the Ancient Versions, Syriac, Septuagint, Chaldee, Arabic, Aethiopic, and Vulgate
In the above versions Psalm 9 and 10 make only Psalm 9. Hence there is one Psalm less in the reckoning as you proceed to
Psalm 114:1-8, 115, which make Psalm 113:1-9 in all those versions. Hence two Psalms are lost in the reckoning.
Psalm 116 is divided at Psalm 116:9, the versions beginning Psalm 115 at Psalm 115:10. Hence one Psalm is gained on the above reckoning.
Psalm 119 makes Psalm 118 in all the versions.
Psalm 147 they divide at Psalm 147:11, and begin Psalm 147 with Psalm 147:12. Here then the reckoning becomes equal, and all end alike with Psalm 150:1-6. '
In the Syriac, Septuagint, Aethiopic, and Arabic, there is what they call an extra-numeral Psalm, said to have been composed by David after his victory over Goliath. A translation of this will be found at the close of these notes.
The Hebrew MSS. agree often with the versions in uniting Psalms which the common Hebrew text has separated, and thus often support the ancient versions. These things shall be considered in the course of the notes.
On the Compilation of the Book, and the Authors to whom the Psalms Have Been Attributed
After having said so much on the name and ancient divisions of this important book, it may be necessary to say something in answer to the question, "Who was the author of the Book of Psalms?" If we were to follow the popular opinion, we should rather be surprised at the question, and immediately answer, David, king of Israel! That many of them were composed by him, there is no doubt; that several were written long after his time, there is internal evidence to prove; and that many of them were written even by his contemporaries, there is much reason to believe.
That the collection, as it now stands, was made long after David's death, is a general opinion among learned men; and that Ezra was the collector and compiler is commonly believed. Indeed all antiquity is nearly unanimous in giving Ezra the honour of collecting the different writings of Moses and the prophets, and reducing them into that form in which they are now found in the Holy Bible, and consequently the Psalms among the rest. See this subject treated at large in the preface to Ezra, etc.
In making this collection it does not appear that the compiler paid any attention to chronological arrangement. As he was an inspired man, he could judge of the pieces which came by Divine inspiration, and were proper for the general edification of the Church of God.
The writer of the Synopsis, attributed to St. Athanasius, says that the friends of King Hezekiah chose one hundred and fifty Psalms out of the number of three thousand which David had composed, and that they suppressed the rest: he says farther, that this is written in the Chronicles; but it is not found in the Chronicles which we now have, though it might have been in other Chronicles which that author had seen.
That some Scriptural collections were made under the influence and by the order of Hezekiah, we learn from Proverbs 25:1 : 'These are also proverbs of Solomon, which the men of Hezekiah, king of Judah, copied out." But whether these were employed on the writings of the father, as they were on those of the son, we cannot tell. The above authority is too slender to support any building of magnitude.
The only method we have of judging is from the internal evidence afforded by several the Psalms themselves, and from the inscriptions which many of them bear. As far as time and facts are concerned, many of them can be traced to the days of David, and the transactions which then occurred, and in which he bore so eminent a part. But there are others in which we find no note of time, and no reference to the transactions of David's reign.
As to the inscriptions, they are of slender authority; several of them do not agree with the subject of the Psalm to which they are prefixed, and not a few of them appear to be out of their places.
In one of the prologues attributed to St. Jerome, but probably of Eusebius, at the end of Vol. II. of St. Jerome's Works by Martinay, we find a table in which the whole Book of Psalms is dissected, showing those which have inscriptions, those which have none, and those to which the name of a particular person, as author, is prefixed. I shall give these in gross, and then in detail: Psalms without any name prefixed, 17; Psalms with an inscription, 133; in all 150.
These are afterwards divided into those which bear different kinds of titles, without names; and those which have names prefixed. I shall give these from the Quintuplex Psalterium, fol. Paris, 1513, as being more correct than in the edition of Jerome, by Martinay.
No Inscription 1, 2, 32, 42, 70, 90, 92, 93, 94, 95, 96, 97, 98, 99, 103, 115, 136, 147 18 David's 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11, 12, 13, 14, 15, 16, 17, 18, 19, 20, 21, 22, 23, 24, 25, 26, 27, 28, 29, 30, 31, 33, 34, 33, 35, 36, 37, 38, 39, 40, 50, 51, 52, 53, 54, 55, 56, 57, 58, 59, 60, 61, 62, 63, 64, 67, 68, 69, 85, 100, 102, 107, 109, 133, 137, 139, 140, 141, 142, 143, 144 70 Solomon's 71, 124 2 Sons of Korah 41, 43, 44, 45, 46, 47, 48, 83, 84, 86 10 Asaph 49, 72, 73, 74, 75, 76, 77, 78, 79, 80, 81, 82 12 Heman 87 1 Ethan 88 1 Moses 89 1 No Name SpecifiedA Song or PsalmA Song or PsalmA Psalm or SongA Prayer of the Afflicted 656691101 4 Hallelujah 104, 105, 106, 110, 111, 112, 113, 114, 116, 117, 118, 134, 135, 145, 146, 148, 149, 150 18 Psalms of Degrees 119, 120, 121, 122, 123, 124, 125, 127, 128, 129, 130, 131, 132 13 Grand Total 150 Supping that the persons already mentioned are the authors of those Psalms to which their names are prefixed, there are still fifty-three, which, as bearing no proper name, must be attributed to uncertain authors, though ii is very probable that several of them were made by David.
The reader will observe that as the preceding enumeration is taken from the Vulgate, consequently it is not exactly the same with ours: but the rules already given at page 200, will enable him to accommodate this division to that in our common Bibles, which is the same with that in the Hebrew text.
In order to make the preceding table as correct as possible, I have carefully collated that in the Benedictine edition of St. Jerome's Works, with professedly the same table in the Quintuplex Psalter, in both of which there are several errors. In the Works, though all the numbers are given at large, as primus, decimus, centesimus, &c, yet the sum total, under each head, rarely agrees with the items above it. This was so notoriously the table in Jerome's Works, that I thought best to follow that in the Psalter above mentioned, which had been carefully corrected by Henry Stephens.
After all, this table gives but small satisfaction, when we come to collate it with the Psalms in the Hebrew text, or as they stand in our common English Bible. That nothing might be wanting, I have made an analysis of the whole from our present text, collating this with the Hebrew where I was in doubt; and by this the reader will see how greatly these tables differ from each other; and that many Psalms must now come under different arrangement, because of their different titles, from that which they had in St. Jerome's time. For instance, in St. Jerome's time there were seventy, or, as in some copies, seventy-two Psalms that had the name of David in the inscriptions; at present there are seventy-three thus inscribed in the Hebrew text.
The blessedness of the righteous shown, in his avoiding every appearance of evil, Psalm 1:1. In his godly use of the law of the Lord, Psalm 1:2 This farther pointed out under the metaphor of a good tree planted in a good well-watered soil, Psalm 1:3. The opposite state of the ungodly pointed out, under the metaphor of chaff driven away by the wind, Psalm 1:4. The miserableness of sinners, and the final happiness of the godly, Psalm 1:5, Psalm 1:6.
INTRODUCTION TO PSALMS
The title of this book may be rendered "the Book of Praises", or "Hymns"; the psalm which our Lord sung at the passover is called an "hymn", Matthew 26:30; and the one hundred forty fifth Psalm is entitled "an Hymn of David"; and the psalms in general are called "hymns" by Philo the Jew (a), and songs and hymns by Josephus (b); and to these several names of this book the apostle manifestly refers in Ephesians 5:19, Colossians 3:16. The Jews divided the writings of the Old Testament into three parts: the first division is the Law, or five books of Moses; the second is the Prophets, former and latter; and the third, the "Hagiographa", or holy writings; to which division Christ has a regard in Luke 24:44; and because the book of Psalms stand first in the last division, the whole goes by its name. This book by the Apostle Peter is entitled as here, Acts 1:20; the title in the Syriac version is,
"the Book of the Psalms of David, King and Prophet,''
with which agrees the Arabic version. As to the divine authority of it, that it was written by inspiration of God, we have not only the testimony of David, who says, "the Spirit of God spake by me", 2 Samuel 23:2; but the testimonies of Christ and his apostles, Matthew 22:43; and, as Aben Ezra (c) observes the whole of it was spoken , "by the Holy Ghost". Concerning the penman or amanuensis, employed by the Spirit of God in writing it, there are different opinions. The Jews make mention of ten, which are differently reckoned by them. According to Jarchi (d), they were Adam, Melchizedek, Abraham, Moses, David, Solomon, Asaph, and the three sons of Korah. According to Kimchi (e), they were Adam, the first, Melchizedek, Abraham, Asaph, Heman, Jeduthun, Moses, and the three sons of Korah; Asir, Elkanah, and Abiasaph. Some ascribe all the Psalms to David (f), and think that those which are said to be a psalm of Asaph, or of Heman, &c. should be rendered "a psalm to Asaph", &c. and only signify that they were psalms delivered to them, to be sung in a public manner. But the truest opinion seems to be, that the greater part of them were written by David, and for the most part those that have no title; and the rest by those whose names they bear. Some were written at and after the Babylonish captivity, as Psalm 126:1 and Psalm 137:1. The manner or form in which they were written was metre (g), though some deny it that the Jews had metre: as appears by the different accentuation of them from other writings, and from their being sung vocally and on musical instruments. Josephus (h), the Jewish historian, says, that
"David being free from war, and enjoying a profound peace, composed songs and hymns to God, of various metre; some trimeter, and some pentameter;''
that is, some of three feet, and others of five feet: for the Psalms of David are thought to be of the "lyric" kind; and Gomarus, in his Lyra, has given many instances out of them, which are of the "iambic", "trochaic" kind, &c. though the Jews for many years have lost the knowledge of the sacred poetry. R. Benjamin (i) indeed says, that in his time there were at Bagdad R. Eleazar and his brethren, who knew how to sing the songs, as the singers did when the temple was standing. The subject matter of this book is exceeding great and excellent; many of the psalms respect the person, offices, and grace of Christ; his sufferings and death, resurrection, ascension, and session at the right hand of God; and so are exceeding suitable to the Gospel dispensation. The whole book is a rich mine of grace and evangelical truths, and a large fund of spiritual experience; and is abundantly suited to every case, state, and condition, that the church of Christ, or particular believers, are in at any time.
(a) De Mutat. Nom. p. 1062. (b) Antiquitat. l. 7. c. 12. s. 3.((c) Praefat. in Psalm. (d) Praefat. in Psalm. (e) Praefat. in ibid. (f) R. Hona in Midrash Tillim, fol. 2. 1. (g) Vid. Lowth de Sacr. Poes. Heb. Praelect. 3. s. 32, &c. (h) Ut supra. (Antiquitat. l. 7. c. 12. s. 3.) (i) Itinerar. p. 70, 71.
INTRODUCTION TO Psalm 1
This psalm, though without a title, may reasonably be thought to be a psalm of David; since the next psalm, which is also without a title, is ascribed to him, Acts 4:25; and since both are joined together as one psalm by the Jews (k); See Gill on Acts 13:33; and since this is the general preface to the whole book, which is chiefly of David's penning, it is entitled, in the metaphrase of Apollinarius,
"a Song of David, the Prophet and King.''
(k) T. Bab. Beracot, fol. 9. 2.
THE BOOK OF PSALMS.
The Psalms.
BY
THE REV. ARCHDEACON AGLEN, M. A.
INTRODUCTION
TO
THE BOOK OF PSALMS.
I. Preliminary.—The Psalms appear in the earliest classification we have of the Hebrew Scriptures, viz., that of the New Testament, as one of the three great divisions of sacred literature, side by side with the Law and the Prophets. In the more elaborate arrangement of the Talmudic Canon, they lose their distinctive title in the more general one of Hagiographa or sacred writings (in Hebrew, Kethubim),[1] at the head of which they stand, in the order adopted in the Hebrew Bibles.[2] In the Septuagint this threefold division, not having been settled at the time of that translation, does not of course appear, and the Psalms there are classed with the poetical and didactic books, as in our English Bibles. It is often assumed that the title Psalms in Luke 24:44 means the whole of the Hagiographa, the whole being named after its most important part. It is, however, more probable that the pre-eminence there given to the Psalms is due to another reason. The threefold division into Law, Prophets, and Psalms, was not a popular mode of designating the Scriptures as a whole, but an arrangement arising out of the use of the synagogue, where the Psalms supplied the lesson for the afternoon, as the Prophets did for the morning, of the Sabbath. The collection in its present form bears evidence of adaptation to the exigencies of the synagogue services.[3] It was, however, originally made for the (Second) Temple service, and for musical purposes. It was the Jewish hymnal. This appears in the names by which it was known. In Hebrew the book is that of the Tehillîm, or shortly, Tillîm,[4] that is, praises. The Greek name is in one Codex ψαλμοί, in another ψαλτήριου? (the Lyre), from which comes Psalter.[5] The Hebrew word for psalm (mizmôr), whatever be the root idea of the term, apparently denotes a composition, not merely lyric, like shir, and so capable of being sung, but one actually set to music and accompanied by music.
[1] This term, which simply means “writings,” no doubt came gradually into use after the Canon, as far as the Law and Prophets were concerned, was formed, and seems to indicate that the books included in it were at first held in less esteem.
[2] This arrangement is not universal in Hebrew MSS. The Spanish MSS. and the Masorah place the Chronicles at the head of this division. Ruth took the place of honour according to one Jewish Canon, and according to another Job preceded the Psalter, as in the LXX., Vulgate, and our Bible.
[3] Grätz has pointed out that the number of Psalms in the collection was not invariably a hundred and fifty, but sometimes only a hundred and forty-seven. This variation was due to the fact that, like the Pentateuch, the Psalter was read through in three years, and the number of Sabbaths that do not clash with a festival varies from a hundred and forty-seven to a hundred and fifty in different periods of three years.
[4] The full form was sepher tehillîm, which was gradually abbreviated to tehillîm, tillîm, tillîn, tillî.
[5] Comp. the frequent use of the words to denote books of poetry.
Another indication that the choral service of the Temple or the Synagogue was the object of the compilation of the Psalms, and indeed of the composition of many of them, is found in the titles prefixed to a great number of the hymns. The meaning of these titles, and their bearing upon the difficult questions of date and authorship, will be discussed in the individual psalms. Here it is only necessary to call the reader’s attention to the musical character of many of them. Some, for instance, convey directions to the choir or choir-master: in the Authorised Version,” To the chief musician” (Psalms 11, 13, &c.). To this is sometimes added the kind of instruments to be employed (Psalms 5, 6, 54, &c.), or the name of a musician or designation of a body of musicians (Psalms 62, 77). Others apparently indicate the tune to which the psalm is to be sung, or the compass of the voices for which it is suitable (Psalms 9, 22, 56, 6, 12). Others, again, bring the Psalter into close connection with the Levitical guilds or families, the Asaphites and the Korahites (Psalms 1, 73-83, 42-49), whose connection with the Temple worship is elaborately described in the Book of Chronicles.
But there is, besides, ample historical testimony which corroborates what the nature of many of the Psalms, as well as the titles of others, would lead us to conclude—that the whole collection was intended for public worship. That the use of the Psalter in the various branches of the Christian Church is a continuation of its original purpose and use in the Jewish Church, is proved by Talmudic directions,[6] and that the use had begun at an early time and continued unbroken through all the fortunes of Israel is shown by notices in the historical books, in the apocryphal books, and in the New Testament.
[6] Tradition, as embodied in the Talmud, has preserved the liturgical form in use in the Herodian Temple, and it is confirmed by notices in Josephus, who was an eye-witness. Psalms were sung by Levites to a musical accompaniment after the presentation of wine on the altar, when all the congregation were on their bended knees.
Its character as the Jewish hymnal once recognised, the Psalter will be found to answer, so to speak, frankly and openly the many questions that can and must be asked of its composition, arrangement, &c., even if on all points the answer cannot be so complete as we could wish. For instance we see at once from the analogy of hymn-books of modern churches that the collection is likely to turn out to be a compilation of works of different authors and different times, composed with various purposes, and on a vast variety of subjects, and only so far connected as being capable of use in the public worship of the Church; and this the most cursory glance at the Book of Psalms is sufficient to establish.
There is, however, this important difference between the Jewish and other hymn-books; it is rare that into one of the latter a poem not having a distinct religious end is introduced. We do not in Christian hymn-books light upon old battle pieces, or patriotic ballads, or village songs of harvest and vintage and it is rare that among the authors of church hymns we find a name of one recognised as great in poetry. In our own literature, though there is hardly one of our really great poets who has not written some poetry which we may call sacred, not one has contributed to the many collections of hymns. Even Milton left nothing, save translations of Psalms, that is sung in church; Wordsworth’s ecclesiastical sonnets have not found their way into hymn-books; nor are Coleridge’s hymns “To the Earth” or “In the Vale of Chamouni,” embodied in any church hymnal. The case was wholly otherwise in the hymnal of Israel. There, not to depart from the traditions embodied in the titles, we find historic pieces, records of personal adventure, songs of travel and tempest, of fight and festival, and at least one song of love; and these, or many of them, are, according to tradition, from the pens of some of the greatest bards the country produced. The reason of this difference is of course the acknowledged fact that poetical and religious inspiration were in Israel one and the same. With the one exception of the Song of Solomon, nothing has been preserved which was not religious either in tone or intention. Rarely could the muse of Hebrew song find a voice till moved by religious feeling and fervour: rarely was the religious purpose absent. There are many pieces of poetry actually preserved in the Canon which were not made use of by the collectors of hymns. and yet the same sacred character marks them. Such, for instance, is David’s elegy over Saul (2Samuel 1:17-27), and such his last words (2Samuel 23:1-7). Deborah’s magnificent ode (Judges 5) is another example, and the many hymns scattered up and down the prophetical books. To form the hymnal of the Jewish Church, then, it was not necessary to bespeak hymns for this or that occasion, for a temple dedication, a thanksgiving for victory, for the marriage of a king, for harvest or vintage festival. Enough were there ready to the collector’s hand, sung at the village gathering, chanted by exulting soldiers, carolled forth at high festival with accompaniment of harp or horn. Some, no doubt, had a distinctive liturgical origin, but more were adapted for liturgic use. Many were put together entirely from older songs, to serve better than the originals for the Temple service; but more were taken just as they were, or, as hymn collectors have always allowed themselves a license in this respect, with slight alterations and additions. Having thus the whole poetic wealth of the nation from which to draw, the psalm collectors eagerly ransacked it. Indeed, the Psalter has sometimes been described as an anthology of Hebrew poetry. This it is not, for there is certainly as much of poetical matter in the rest of Scriptures as in the Psalms, but there is, it may be said with equal certainty, as truly great and noble poetry within the collections as we find in any of the other books. We cannot say that Isaiah contributed any of the Psalms, or the author of the Book of Job. Moses only by a suspicious title and Jeremiah only by the conjectures of critics, have a place in these collections. But there are psalms worthy of the pen of the greatest of these. And so truly is the Psalter representative of Hebrew poetry, that there is not one of the styles in which the bards of Israel made either successful or tentative efforts of which specimens are not to be found in it. Not only does it supply the greatest examples of lyric song, but of the best that Israel else produced. That which was almost its peculiar creation—Didactic or Gnomic poetry—that species of poetry which its distinguishing genius, prophecy, made its own, the nearest approach it ever made to the Epos, and even what steps it took in dramatic art, are all worthily represented in the books arranged for public worship. It can hardly be doubted that some at least of the power which the Psalter has exercised, and still exercises, is due to this poetic character.[7] And if poetically the psalms compare so favourably with modern hymns in that which forms their chief and most important characteristic, they not only compare to advantage with ancient literature, but present themselves as unique at the time of their origin. Even among other nations of a Semitic origin there was nothing like them. Hymns to the gods of Greece have been preserved, but how vast is their difference from the Psalms. Let the reader compare one of those translated by Shelley, with any song out of the Psalter. Pretty compliments, and well turned flatteries intended to propitiate, he will find, set, indeed, in melodious verse that celebrates the birth of gods and demi-gods; but no wrestling in prayer with tearful eyes and downcast head, and the full assurance of faith, such as has made the Psalms for all time the expression of the devotional feelings of men.
[7] The distinguished commentator on the Psalms, Grätz (Kritischer Commentar zu den Psalmen nebst Text und Uebersetzung Von Dr. H. Grätz, Breslau, 1882), says that, taken as a whole, the Psalms lack the qualifications of poetry of the highest order, viz., unity, depth of imagination, loftiness of speech, and an elegant rhythm. He probably stands alone in his opinion. For the poetical form see below, § 5. The only unity possible in a collection of separate lyric pieces is one of purpose and spirit, and the religious history of the Psalter, the hold it has taken on the heart of the world, is sufficient evidence of the existence of such unity, as the influence it has had on the poetry of Christendom is sufficient proof of the depth of its imagination and the power of its speech.
II. Contents and formation of the Psalter.—BOOK I., Psalms 1-41, all ascribed to David, except Psalms 1, 2, 10, 33, where the omission of an inscription is easily accounted for. The name Jehovah is principally, but not exclusively, used throughout this book.
BOOK II., Psalms 42-72, comprising the following groups: Psalms 42-49, Korahite; 43, which is anonymous, is properly part of 42; Psalms 1., Asaphic; Psalms 51-65, Davidic; Psalms 66, 67, anonymous; Psalms 68-70, Davidic; Psalms 71, anonymous; Psalms 72, Solomonic. The use of the name Elohim is characteristic of this book.
BOOK III., Psalms 73-89, comprising: Psalms 73-83, Asaphic; Psalms 84, 85, Korahite; Psalms 86, Davidic; Psalms 87, 88, Korahite, the latter having a supplementary inscription “to Heman the Ezrahite,” Psalms 89 ascribed to Ethan. Though used an almost equal number of times, the name Jehovah is plainly not so congenial to this book as Elohim.
BOOK IV., Psalms 90-106, comprising: Psalms 90, ascribed to Moses; Psalms 91-100, anonymous; Psalms 101, Davidic; Psalms 102, “A prayer of the afflicted;” Psalms 103, Davidic; Psalms 104-106, anonymous. The divine names are used here and in the next book indifferently.
BOOK V., Psalms 107-150, comprising: Psalms 107, anonymous; Psalms 108-110, Davidic; Psalms 111-119, anonymous Psalms 111, 112, 113, have Hallejuhah in the place of an inscription; Psalms 120-134 “Songs of degrees” (of these Psalms 122, 124, 131, 133 are in the Hebrew Bible, but not in the LXX., ascribed to David, and Psalms 127 to Solomon); Psalms 135-137, anonymous; Psalms 135 being inscribed “Hallejuhah, a psalm of praise;” Psalms 138-145, Davidic
Psalms 146-150, anonymous, each beginning with “Hallejuhah.”
This arrangement does not correspond with that of the LXX. and Vulg., which put together Psalms 9, 10, 114, 115, and separate Psalms 116, 147 into two. There are also considerable variations in the titles. The LXX. ascribe seventeen to David, which have no author named in the Hebrew, one to Jeremiah (Psalms 137), four to Haggai and Zechariah (Psalms 138, 146-148) making at the same time the omissions noticed above, while other less important variations show themselves.
The complete absence of any perspicuous method in this table is the first point that strikes us. It is told that in the first century of our era an ambitious scribe wished to classify the Psalms and arrange them on some more intelligible plan, but was met by the objection that it would be impiety to meddle with what David had left in such confusion. Modern scholars have not been so scrupulous, and many attempts at classification have been made, none, perhaps, with complete success, but even the worst with this result—to show how entirely without plan the last compiler of the Psalter worked, or rather to suggest that he made no attempt at classification, but found certain collections or groups already formed, and merely attached others to them so as to serve for the purpose of public worship, without either endeavouring to improve on a previous system or invent one of his own. That such collections previously existed there can hardly be a doubt. Just so much plan appears in the arrangement of the whole as to show it, for surely no collector would have taken the trouble to bring all the Davidic psalms which occur in the first and second books together, unless he were intending to make, as far as he could, a complete collection of such psalms. Indeed, the compiler of Books I. and II. himself declares he has effected this object by the statement, “The prayers of David the son of Jesse are ended,” which can mean nothing else than that there were, in the writer’s knowledge, no more to be found. We may even perhaps assume that before the bulk of the others bearing the inscription “of David” were discovered, not only Books I. and II., but also III. and IV., had taken their present shape, or surely the last redactor would have placed those occurring in Book V. nearer the others of the same reputed authorship.
The position of groups called from their titles Asaphic and Korahite psalms in Books III. and IV., points to the same conclusion. Unless the last compiler had found them already spread over two books, he surely would have grouped them together. Another distinct group, which seems to owe its arrangement to some previous hand, appears under the title “songs of degrees.”
The groups, too, known as the Hallel psalms, were evidently formed for purposes of public singing, and not on any system affecting the whole collection of psalms.
The general conclusion is, that the Psalter owes its shape chiefly to what we may call the accidents of growth. Whenever the last redaction was made, individual psalms, nay, whole groups of psalms, may have been inserted, or added; but the addition was made without regard to any definite system, either chronological or artistic. The previous grouping may even have been interfered with, and to some extent disordered, by the latest hand that touched the Psalter.
On the other hand, so much of chronological sequence as naturally must show itself in a collection of compositions which has grown with time, may have been so far recognised and continued as that most of the very late psalms occur towards the end, while the earlier Books I. and II. were—except in one particular—but very slightly, perhaps from the same motive, interfered with.
This one particular relates to Psalms 1, 2. That these were by the Rabbis regarded as one composition, and were placed at the head of the collection with a purpose (see Introduction, Psalm 1:2) can hardly now be questioned. It is also probable that they owe their position to the latest, or, at all events, a very late hand. The collector of the Davidic psalms of Book I. would hardly have begun his collection with an orphan psalm, as the Rabbis call those wanting inscriptions; whereas a late compiler, who had already under his hand many such, would not pay any regard to a point of the kind. Wishing to strike at once the key-note of the whole collection, and to place at the opening of the Psalms a composition presenting the covenant relation in both its aspects, as affecting the individual towards ungodly individuals and the nation towards uncovenanted nations, and at the same time to bring into prominence the dignity of the written law, and the glory of the Messianic hope, he would select the two hymns most strikingly suiting his purpose, and weld them into one inaugurating psalm.
III. The titles of the Psalms.—Preliminary to any attempt at discussion of the authorship of the Psalms or the date of the composition and collection, the titles or inscriptions found at the head of so large a number of them claim notice, as being apparently the only guide followed in the arrangement of the Psalter as it has come down to us.
In the Hebrew Bible 116 psalms have inscriptions of some kind. The rest, 34 in number, are called by the Rabbis “orphan” psalms. In the Greek Bible no psalm has been left without a heading, except the first and second. An indication of the difference of opinion as to the value of these headings is supplied by the numbering of the verses. When the text of the Hebrew Bible received its present shape they were evidently regarded as an integral part of the Psalms, forming in many cases the first verse, to the great inconvenience in reference, since in all versions they have been treated as prefatory and not as part of the composition. That this opinion was not as old as the ancient versions is shown by the liberties the translators took with the inscriptions. They evidently did not, like the Fathers and later Jews, regard them as of equal importance with the text of the Psalms; and this very fact prepares the way for that criticism to which they have been in modern times subjected.
On the other hand, the fact that the LXX. found the inscriptions in their copies, proves that they were not the invention of those who incorporated them with the Psalms. Nay, it is often argued that because the translators were so perplexed by some of the musical directions as to have made hopeless nonsense of them, these at least, and by implication the titles generally, must be of an antiquity considerably greater than the version of the LXX., lapse of time having rendered these musical terms obscure. They may, however, have been obscure not from antiquity but from novelty. Newly-invented technical terms offer as much difficulty to a translator as obsolete words, and the musical system of Palestine was not improbably quite unknown at Alexandria long after it had come into use. On the other side it must be noticed that the translators allowed themselves considerable license with the titles even when they understood them, both changing and supplementing them, and generally treating them not as authoritative, but merely as convenient, finding them in many points defective, and often capable of improvement. This mode of treatment is not confined to the LXX. The Syriac allows itself the same freedom, and in one case prefixes a most interesting, but at the same time most tantalising heading, “from an ancient document.”
Since such was the point of view of the old versions, it may justly be claimed by modern scholarship, that the inscriptions are open ground, coming to us with no kind of external authority, and to be judged in each separate case on their merits. They may here embody a tradition, here merely represent a clever guess, but whether due to popular tradition or Rabbinical adventure, the value of each inscription depends on the support it receives from the contents of the Psalm to which it has been affixed, and not to any authority from its age or position.
The meaning of the many obscure and perplexing musical inscriptions will be discussed as they present themselves. But one inscription, since it designates a whole group of psalms calls for notice here. It is that prefixed to the fifteen Psalms , 120-134, “a song of degrees.” This translation comes through the Vulgate, canticum graduum; but song of steps or ascents would more nearly represent the Hebrew. The inscription was plainly intended to describe either the purpose for which the Psalms were composed, or some use to which they were adapted, for we may dismiss the theory that it describes a peculiarity of rhythm, a step-like progression, which is indeed audible in some of them, but only very faintly or not at all in most.[8]
[8] The peculiarity is really nothing more than a variety of Hebrew verse, not confined to these Psalms (Comp. Psalms 93, 96; Isaiah 17:12, seq. Isaiah 26:5, seq.; and especially Judges 5:3; Judges 5:5-6, &c.) in accordance with which the sense is carried to a climax by the repetition of some prominent word, eg., in Psalm 121:3-4.
He will not suffer thy foot to move,
Thy keeper will not slumber,
Behold slumbereth not and sleepeth not
The keeper of Israel.
This device is hardly apparent in Psalms 120, 127, 129, 131, and not at all in Psalms 128, 132.
Three accounts have been given of these psalms.
(1). They were composed to celebrate the return from the Captivity, and the title means “songs of going up.” This view, however, must be abandoned. Some of the poems may very probably have been composed in honour of this event, but others of them (Psalms 120, 122, 134) have nothing to do with the march homewards from exile. Nor does the inscription really refer to that event. It is true that the verb from which the noun is formed is the usual word for journeying from the Babylonian low country to Palestine, and in Ezra 7:9 the very noun in the singular is used of the return, but the plural cannot well refer to it.
(2). They are pilgrim songs which were chanted by the caravans as they journeyed to Jerusalem to the yearly feasts. This view is more natural, but against it is the fact that some of the hymns seem in no way suitable for such a use, and there is no historical authority (though strong probability) that any such custom prevailed. The form of the noun is also, in the opinion of many scholars, against this theory.
(3). They were psalms chanted by the Levites at the feast of Tabernacles as they stood during the water-drawing on the steps leading from the court of the men to that of the women. They are in fact literally “step songs.” In favour of this view there is the fact that the number of the steps so occupied was fifteen, corresponding with the number of the Psalms. It is gathered also from the Talmud that these very Psalms were actually sung in this position. The inscription “songs of steps” not only exactly suits this explanation, but is what we should expect a rubrical title to be. (Comp. the Graduale of the Romish Church). This is also the explanation given by the Rabbinical authorities, on which we have to rely for our knowledge of Jewish ritual.
IV. Authorship and Date of the Psalms.—The discovery that little historical value was to be attached to the titles, at once opened up the difficult question as to the authorship and date of every part of the collection, and, unfortunately, without knowing the principle on which the collectors worked in prefixing the titles, we are without the benefit of profiting by their errors. That they thought they were working on materials extending through the whole possible period of the nation’s literature, is shown by the ascription of one Psalm (90) to Moses. That, however, they did not work with the intention of making their collection representative of all the different ages of greatest literary vigour in that long period, is evident from the exclusion of the Song of Deborah, and the Psalm of Hannah, which would have served as examples of the times of the Judges. Nor are more than two Psalms allotted to the prolific age of Solomon (Psalms 32, 127), and none at all to the revivals under Hezekiah and Josiah.
Apparently the first purpose was to collect and edit only Davidic psalms. Others, of Levitical origin, were soon added. But the tendency to attribute more and more of the hymns to David becomes evident as the collection goes on, and shows itself more decidedly still in the LXX.[9] By the time of Christ the whole Psalter had acquired the name of the royal poet and in the phraseology of the Eastern and Western churches alike, it is simply called “David,” while the Æthiopic version closes with the words “David is ended.” Modern criticism has gone as far or even farther in the opposite direction. Ewald refers to David and his time only seventeen psalms; Grätz, a more recent commentator on the Psalms, grudgingly allows him part of one, the xviiith. The question of authorship, in so far as data exist for it, must be discussed with every individual psalm. Doubtless a very large part of the collection is due to the Lévites. The inscriptions point that way, as well as the musical associations of the psalter. Within this body not only were the rites of the national religion preserved and continued, but its best spirit, as we know from the histories, was kept alive by them. In times when even the priests were carried away by the idolatrous influences of the court, Levites were found more “upright in heart,” to struggle against the corrupt tendencies of the times, or throw themselves into any movement for reform (2Chronicles 29:34; 2Chronicles 34:8-13). Professionally a religious body, they were certain to be the first victims of religious persecution, and we cannot doubt that they were generally among that better part of the community whose voice is so constantly lifted up in the psalms, now in plaintive prayer, now in fierce denunciation against the prevailing idolatries and apostacies. Add to this that they often suffered from negligence in paying the tithes, and were therefore literally among those poor afflicted ones, whose constancy to the Theocratic ideal is to be rewarded as in Psalms 22, 37, which console the true seekers of God with the hope of temporal as well as spiritual blessings.[10]
[9] The LXX. allot to David Psalms 10, 33, 43, 67, 71, 91, 93-99, 104, 137. On the other side it omits the Davidic inscription in 122, 124, 131, 133 (The numbers refer to the Hebrew Bible.)
[10] Grätz has worked out this theory fully, and even goes so far as to adopt from the Hebrew (anavîm) a name for this class of Psalm-writing Levites. He justly observes that while poor in material things, they were intellectually and morally far above the rest of the nation.
The task of discovering individual authors for the Psalms must be given up; that of ascertaining the date of composition is hardly less difficult since so many have no strongly marked individuality, and greatly resemble one another. Critics have, however, placed the largest number of the Psalms in four periods of history.
(1). Before the Captivity.
(2). During the Captivity.
(3). From the Captivity to the Maccabees.
(4). In the Maccabean (or subsequent) age.
Still, within limits so large it is often next to impossible to decide on the precise date of a psalm. Certain general features, however, present themselves as tests, and these have been followed here, and will be found noticed in the particular introductions.
The most important question with regard to these periods relates to the Maccabean age. In the controversy as to the existence of psalms of this period, critics of the greatest eminence are found on each side. If (see below) it can be proved that the Canon, as far as regards the Psalter, was not closed till after the reign of the Asmonean Queen Alexandra (Salome) then there is no external argument against Maccabean Psalms, while there is in many cases strong internal evidence in their favour. Nay, there is the strongest a priori probability that times so stirring, and marked by such a striking revival of patriotic and religious sentiment, should have given birth to poetry.
The question of the close of the Psalter has received a new light from the discovery of Grätz, that, according to tradition embodied in the Talmud, the night service, alluded to in Psalms 134, did not become part of Jewish ritual before the re-inauguration of the Water Libation during the Feast of Tabernacles by Queen Alexandra. This, if certain, brings the composition of that psalm, and, by implication, others of the “songs of degrees,” down to the middle of the first century before Christ, and gives for the whole range over which the Psalter extends, counting from David, a period of eight hundred years.
V. Nature of the verse.—Of quantity and metre, in the sense a Greek would have used the words, Hebrew poetry knows nothing.
It is even doubtful whether any regard was paid to the number of syllables in a line, as distinguished from words. Nor did rhyme lend its charm to Hebrew verse† Its music is heard [11] rather in the succession of sentences than the succession of words. Single lines show no certain indication of a rule of quantity or accent, guiding and regulating the flow of thought, but when two or more are taken together, there is found to be a rhythmical proportion or symmetry between them, which has received various names, but is most usually, after Bishop Lowth’s terminology, called Parallelism[12] This term, though mathematical rather than poetic, serves well to express the essential peculiarity of Hebrew verse, in which the lines are so balanced one against the other, that thought corresponds to thought, in repetition, amplification, contrast or response. We might make a rough analogy by comparing the rhythmic movement of verse to the time beats of a clock or watch. Other languages divide the verses into measured feet, as a watch ticks off the seconds; but Hebrew offers line to line with the longer, more solemn, and more majestic beat of the pendulum of a large clock. If one sentence balances another, so that voice and sense stop together, the natural cadence thus produced satisfies the Hebrew ear, though, very generally, the effect is improved by an actual equality in the number of words in the two clauses.
[11] Instances of assonance indeed are common, and the appearance of the same suffix, sometimes in five or six words together, shows that the Hebrew ear was pleased with a frequent repetition of identical sounds. Some of the Liturgical Psalms, e.g., 106, show a special tendency to this device.
[12] Other names are “rhyme of sentiment;” “thought rhythm;” “sentence rhythm.”
It is convenient to speak of parallelism as simple or complex according as the verse formed by it consists of two members or more than two.
The perfect form exhibits a symmetry both in form and expression; there is a balance not only in the sense, but in the order and arrangement of the words, the lines being of equal length and identical in structure, verb answering to verb, and noun to noun, as in Psalm 19:2.
“Day to day uttereth speech,
And night to night sheweth knowledge.”
This form is variously called the synonymous or cognate parallelism. The second line may be an exact echo or repetition of the first, as in Job 42:1 of the same psalm.
“The heavens declare the glory of God,
And the sky sheweth his handy-work.”
But generally it either explains and illustrates the first line, as in Psalm 18:14.
“Yea, he sent out his arrows and scattered them.
And he shot out his lightnings and discomfited them.”
Or it gives a new turn to the thought, and carries it on, as Psalm 77:1.
“My voice is unto God, and I cry aloud,
My voice is unto God, and he will hearken unto me.”
The Psalms offer endless modifications of this perfect form. Sometimes the similarity of sense is dropped, while that of form remains. Often a graceful diversity is introduced by inverting the order of the words, as in the example above given, from Psalm 119:1, where in the Hebrew the clauses run
“The heavens declare the glory of God,
And the works of his hands shews the sky.”
a figure which the Greeks called chiasmus, and which in Hebrew poetry is often called introverted parallelism. Comp. Psalm 107:9; Psalm 107:16, where the English partially repeats the figure.
Often again the principal element is not one of resemblance, but of progression, as in Psalm 129:3.
“The ploughers ploughed upon my back,
And made long furrows.”
Here the echo is not so much in the sense as in the construction of the clauses. The balance is maintained in the number and order of the words employed, though an entirely new thought is introduced. Indeed, sometimes, the rhythm almost disappears. There is still a manifest intention of parallelism, but the charm of the echo is gone. We are very near prose in such verses as Psalm 107:38, &c.
“He blesseth them so that they multiply exceedingly,
And suffereth not their cattle to decrease.”
For this kind of parallelism the name synthetic was adopted by Lowth, but epithetic has been suggested as an improvement.
The alphabetical poems, presently to be noticed, show how the Hebrew poets of the later ages tried to supply to this kind of verse something of the definiteness wanting from the lax nature of their parallelism.
If contrast between the two clauses takes the place of resemblance, we get the second of the two principal forms of parallelism, the antithetic or, as it has been called from its prevalence in the Book of Proverbs, the gnomic or sententious rhythm. Here, as in the former case, the degrees of the antithesis are various. Sometimes the opposition extends to all the terms, as
“They are bowed down and fallen,
But we are risen and stand.”—Psalm 20:8.
Sometimes it is confined to one, and sometimes it discovers itself only as a contrast of sentiment without extending to the several terms. The Psalms do not afford many examples for this kind of verse, but the following fall more or less distinctly under it, Psalm 1:6; Psalm 15:4.
The poetic mood, however, does not at all times submit to the constraint of fixed metre, and even the simple style of Hebrew has to allow of many a licence to be elastic enough for the passion of lyric song.
In the development from the simple rhythm, the complex forms of verse followed the analogy of rhymed stanzas in English and other modern poetry. Just as the original rhyming couplets have developed into verses of every possible variety, so the simple Hebrew rhythm has undergone countless variations and numerous combinations. The rhyme of thought has been treated like the rhyme of sound. In this way grew up what is generally called the strophe system of the Psalms.
That a division of Psalms into stanzas, or strophes, is not an arbitrary arrangement, is proved by the occurrence of two marked features. The first of these is the Refrain, which itself in many of the hymns serves to mark the verse structure. This feature may, perhaps, be traced to the liturgical use of the Psalms, the chorus alone being sung by the full choir, while the priest or Levite chanted the rest. The most perfect examples are offered by Psalms 42, 43, 46, 48, 57, 80.
The other, which still more convincingly points to the fact that psalms were composed in stanzas is afforded by the alphabetical or acrostic psalms.[13] In these compositions, which are (counting Psalms 9, 10 as one) eight in number, the letters of the Hebrew alphabet are used as the letters of names and words are used in modern acrostics. There are as many as five variations in the mode and its use in the Psalter.
[13] This species of poem is not confined to the Psalter. Four out of the five chapters of the Lamentations and part of the last chapter of the Book of Proverbs are alphabetical.
In the Psalms 111, 112, each line has its own initial letter, and in the original each line consists generally of three words.
In Psalms 25, 34, 145, which are arranged in couplets, only the first line of the couplet shows the initial letter.
Psalms 37 is arranged in stanzas of four lines, the first line only of each having the initial letter.
The author of Psalms 9, 10, apparently intended to begin every line of his quatrains with the same letter, but abandoned it for a simpler plan after the first stanza (comp. Lamentations 3)
In the 119th. Psalm the alphabetic system has been carried out most completely and elaborately. It consists of twenty-two long stanzas, composed each of eight couplets, each of the eight beginning with the same letter. This laboured result first suggested to Bishop Lowth his examination into the principle of Hebrew poetry. It certainly furnishes a proof of the existence of a verse structure and a guide for dividing other poems into their constituent stanzas.
VI. The purpose and scope of the Psalms.—The covenant ideal in its bearing on individuals and on the nation at large in its relation to other nations (prominently put forward in the first two Psalms) may be said to furnish its purpose to the Psalter. This theocratic ideal was not born into the heart of the people at once, but was developed by a long and painful discipline after many failures and much suffering; and all this finds its reflection in the Psalms.
According to the two aspects under which it is viewed, this covenant ideal appears in the portrait of the perfectly just and upright individual, or in the picture of a prosperous and happy nation. The latter, however, is often represented in the person of its anointed king, or Messiah, to whom, even in the darkest and saddest days, the eyes of the race can hopefully turn. This identification of the ideal people with the ideal sovereign must always be borne in mind in reading the Psalms. It follows of necessity from the locus standi so commonly assumed by the writers, who, under their own personality, really present the fortunes of the community, its sufferings and trials, its hopes and fears. Thus the changeful destinies of the race are represented as involved in the fortunes of one individual, and this individual is very often the perfect King. It is in consequence of this that we can find in the Psalms, not only the Jews’ Messiah, but the Christians’ Christ, not only the victorious and triumphant monarch, but the despised and suffering Son of Man.
Another point in regard to the covenant ideal as presented in the Psalter must be noticed. The character of the upright individual is described from a religious rather than a moral point of view. The highest moral standard is touched in the Psalms, but it is, so to speak, touched from above, not from below; it is conceived of by reference to God and the requirements for one who would tread His courts, not by reference to the moral excellence of the qualities themselves that go to make up the perfect character. Hence proceeds a far stricter ethical sentiment than that which attends a merely moral code, a sentiment which regards a breach of the law not only as a lapse from the right, but as treason against God. Where, therefore, a moral standard would demand accusation and condemnation, the standard of the Psalmist cries for denunciation as of a recreant and apostate to a great cause. What are called the imprecatory psalms may possibly, sometimes, combine with their religious and patriotic vehemence some elements less pardonable. Party and even personal bitterness may sometimes lend the words a sting. They are certainly not so suited for Christian worship as the prayers and praises which form the greater part of the Psalter. But their difficulty, as component part of a Jewish book of devotion, vanishes when we reflect that the wicked, on whose head the curses fell, were at once foes to their nation and apostates from their religion, and in many cases actually represented public enemies such as churches and states even of Christian times have thought it right to denounce with anathemas.
This Psalm is the development in poetical language and imagery of the thought repeated in so many forms in the Book of Proverbs (e.g. Proverbs 2:21-22), that it is well with the righteous and ill with the wicked. The belief in Jehovah’s righteous government of the world was a fundamental principle of Old Testament religion, and it is here asserted without any of those doubts and questionings which disturbed the minds of many Psalmists and Prophets, especially in the later stages of Old Testament revelation.
The Psalm forms an appropriate prologue to the Psalter, which records the manifold experiences of the godly. For it affirms the truth to which they clung, in spite of all appearances to the contrary, in spite of the sufferings of the righteous and the triumphs of the wicked, that the only sure and lasting happiness for man is to be found in fellowship with God.
The Psalm expresses a general truth, and does not appear to refer to any particular person or occasion. Hence date and authorship must remain uncertain. Some (without good reason) have assigned it to David, during his persecution by Saul, or during Absalom’s rebellion: Dean (now Bp.) Perowne conjectures that it may have been written by Solomon as an introduction to a collection of David’s poems: Prof. Cheyne thinks that it was a product of the fresh enthusiasm for the study of the Law in the time of Ezra.
Two considerations however limit the period to which it may be assigned.
(1) It is earlier than Jeremiah, who paraphrases and expands part of it in ch. Psalm 17:5-8 with reference to Jehoiakim or Jehoiachin.
(2) The most striking parallels in thought and language are to be found in the middle section of the Book of Proverbs (10–24), which dates from a comparatively early period in the history of Judah, if not from the reign of Solomon himself. The ‘scorner’ is a character hardly mentioned outside of the Book of Proverbs: the contrast of the righteous and the wicked, and the belief that prosperity is the reward of piety, and adversity of ungodliness, are especially conspicuous in the middle section of that book: and further striking coincidences in detail of thought and language will easily be found.
The absence of a title distinguishes it from the mass of Psalms in Book I., and points to its having been derived from a different source. It may have been composed or selected as a preface to the original ‘Davidic’ collection (Introd. p. lviii), or, though this is less probable, placed here by the final editor of the Psalter.
The Psalm consists of two equal divisions:
i. The enduring prosperity of the righteous (Psalm 1:1-3),
ii. contrasted with the speedy ruin of the wicked (Psalm 1:4-6).
Observe the affinity of this Psalm to 26; and still more to 112, which celebrates the blessedness of the righteous, and begins and ends with the same words (Blessed … perish): and contrast with its simple confidence the questionings of 37 and 73, in which the problem of the prosperity of the wicked is treated as a trial of faith.
Ps 1:1-6.
敬虔な者と悪者の性格と状態、現在と未来の運命が描写され対比され、真の敬虔が究極の幸福の源であり、罪が悲惨の源であることが教えられる。これは書全体の教えの要約であるため、本篇は、意図的にそのように配置されたかどうかにかかわらず、ふさわしい緒言を形成する。
1. 幸いな者―文字通り「ああ、幸福」―主題を熟考した結果としての、強い感情の感嘆。複数形の使用は満ち満ちた多様さを示しうる
(2Ch 9:7)。
計り……道……座―それぞれに対応する動詞とともに、悪の段階を示す。すなわち、悪者の原則に基づいて行動し、悪者の交わりを養い、悪者の行動に永続的に従う。悪者は三つの語で描写され、最後のものは最も大胆な不敬虔を示す(比較せよ、
Ps 26:4, 5; Jer 15:17)。
これは善と悪に関する教えの詩篇であり、命と死、祝福とのろいを私たちの前に示し、私たちが幸福に至る正しい道を選び、確実に悲惨と滅びに終わる道を避けるようにしてくれる。神に仕える人々と神に仕えない人々、すなわち敬虔な人々と悪者たちとの異なった性格と状態が、ここには簡潔な言葉ではっきりと述べられている。それゆえ、だれでも自分に誠実であろうとする者は、ここで自分の顔を見、自分の運命を読み取ることができる。人の子らしあの聖徒と罪人、義人と不義な者、神の子どもたちと悪い者の子どもたちとへのこの区分は、罪と恵みとの間、女のすえとへびのすえとの間の戦いが始まって以来、古いものであると同時に、永続するものであり、人間を高低・貧富・自由人と奴隷に分ける他のいかなる区分をも生きのび、人間の永遠の状態はこれによって定められ、その区別は天国と地獄と同じほど長く続く。この詩篇は次のことを示している。一、敬虔な人の聖性と幸福(詩一1-3)。二、悪者の罪深さと悲惨(詩一4,5)。三、その双方の根拠と理由(詩一6)。ダビデの詩篇を集めた者(おそらくエズラであろう)が、この詩篇を残りの全体への序として最初に置いたのは正当なことであった。なぜなら、私たちが神の前に義人であることは、私たちの祈りが受け入れられるために絶対に必要だからである(まっすぐな者の祈りのみが神の喜びとなる)。したがって、幸福に関する私たちの観念においても、幸福に至る道の選択においても、正しくなければならないのである。良い道を歩まない者は、良い祈りをささげる資格はない。