Matthew Henry's Complete Commentary
Matthew Henry · 1714
Matthew Henry 사후(1714) 공개 도메인. 디지털판 CC0-1.0.
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Revelation 11章 1-2 Matthew Henry's Complete Commentary
¹ すると、杖のような測り竿が私に与えられた。そして御使いが立って言った。「起きて、神の神殿と祭壇と、その中で礼拝する人々とを測りなさい」。
² しかし、神殿の外にある庭はそのままにしておき、それを測ってはならない。それは異邦人に与えられたからである。彼らは四十二か月の間、聖なる都を踏みにじるであろう。
神殿を測るこの預言の箇所は、エゼキエルの幻に見出されるもの、すなわち Eze 40:3 以下を明らかに指している。しかし、そのいずれをどのように理解すべきかはそう容易ではない。前の場合に神殿を測った目的は、それを再建するためであったと思われ、しかもより有益に建てるためであった。ここでの測量の目的は次のうちの一つと見られる。1. ここに予告される公の危険と災難の時に、それを保全するためか、2. それを試すため、すなわち山の上で示された標準、あるいは型とどれほど一致しているかを示すためか、3. それを改革するため、すなわち過剰なもの、欠けているもの、変質したものを、真の型にしたがって正すためである。見よ。
I. どれほど多くが測られるべきであったか。1. 神殿、すなわち福音教会一般。それが福音の規則が指示するように建てられ、構成されているか、狭すぎたり広すぎたりしないか、入り口が広すぎたり狭すぎたりしないかを調べる。2. 祭壇。最も厳粛な礼拝の行為がささげられた場所は、一般に宗教的礼拝を指す言葉として用いられうる。教会が本質と位置の両面において真の祭壇を持っているかを調べる。本質においては、彼らがキリストを自分たちの祭壇とし、すべてのささげ物をその上に置いているか、位置においては、その祭壇が至聖所のうちにあるか、すなわち彼らが御霊と真理によって神を礼拝しているかを見る。3. 礼拝者たちもまた測られなければならない。彼らがすべての礼拝の行為において神の栄光を自分たちの目的とし、神の言葉を自分たちの規則としているか、ふさわしい感情をもって神に近づくか、また彼らの歩みが福音にふさわしいものかを調べる。
II. 何が測られてはならなかったか(Rev 11:2)、そしてなぜそれを除外すべきであったか。1. 何が測られてはならなかったか。神殿の外にある庭は測ってはならない。ヘロデが神殿に付け加えた建物のうちに外庭を建て、それを異邦人の庭と呼んだと言う者もいる。またハドリアヌスがその都と外庭を建て、それをアエリアと呼んで異邦人に与えたと伝える者もある。2. なぜ外庭は測られなかったのか。それはソロモンの型にしてもゼルバベルの型にしても、神殿の一部ではなかったので、神はそれに目を留められなかった。神はそれを保全のために印づけようとはされなかった。むしろそれは異邦人のために計画され、異教の儀式と慣習を持ってきて福音教会に付け加えようとする目的を持っていたので、キリストはそれを彼らに任せ、彼らが望むように用いるようにされた。そしてそれとその都は、一定の期間、すなわち四十二か月の間踏みにじられた。ある人々はこの期間を反キリストの支配の全期間と見なす。外庭で礼拝する者は、偽った仕方で礼拝するか、偽善的な心で礼拝する者であり、これらは神に退けられ、神の敵のうちに見出されるであろう。3. 全体から見よ。(1.) 神は世の終わりまで、世のうちに神殿と祭壇を持たれる。(2.) 神はこの神殿に厳格な関心を持ち、その中でいっさいのことがどのように取り扱われているかを観察される。(3.) 外庭で礼拝する者は退けられ、垂れ幕の内で礼拝する者だけが受け入れられる。(4.) 聖なる都、すなわち目に見える教会は、世において非常に踏みにじられる。しかし(5.) 教会の荒廃は限られた期間であり、短い期間であり、教会はすべての苦難から救い出されるであろう。
³ また、わたしはわたしのふたりの証人に権威を与えよう。彼らは荒布を着て、千二百六十日の間預言する。
⁴ 彼らは、地の神の前に立っている二本のオリーブの木と、二つの燭台である。
⁵ もしだれかが彼らを害しようとするなら、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼす。もし誰かが彼らを害しようとするなら、必ずこのように殺される。
⁶ 彼らには、預言する日の間、天を閉じて雨が降らないようにする権威がある。また水を血に変える権威があり、望むままにあらゆる災害で地を打つ権威を持つ。
⁷ 彼らが自分たちのあかしを終える時、底知れぬ淵から上って来る獣が彼らと戦いをいどみ、彼らに勝って、彼らを殺す。
⁸ 彼らの死体は大きな都の大通りの上に横たえられよう。その都は霊的にソドムとエジプトと呼ばれ、また私たちの主が十字架につけられた所である。
⁹ 各民、部族、舌、国民のうちの人々が、三日半の間彼らの死体を見る。そして彼らの死体を墓に置くことを許さない。
¹⁰ 地に住む者たちは彼らのことで喜び、楽しみ、互いに贈り物を送る。このふたりの預言者が地に住む者たちを苦しめたからである。
¹¹ 三日半の後、神からのいのちの霊が彼らのうちに入った。すると彼らは自分の足で立ち上がった。そして彼らを見た者たちに大きな恐れが落ちた。
¹² 彼らは天からの大きな声を聞いた。それは彼らに「ここに上って来なさい」と言うものであった。彼らは雲に乗って天に上げられた。彼らの敵はそれを見た。
¹³ その同じ時に大きな地震があり、都の十分の一が倒れた。地震で七千人が死んだ。残った者たちは恐れ、天の神に栄光を帰した。
このように踏みにじられる時にも、神はご自身のために忠実な証人たちを残しておかれた。彼らは神のことばと礼拝の真理、また神の道の卓越性をあかしすることに失敗しない。ここで観察せよ。
I. これらの証人の数。それは小さな数にすぎないが、十分な数である。1. 小さな数である。繁栄の時には多くの人がキリストを認め告白するが、迫害の時には彼を見捨て否認するであろう。事が裁判にかけられる時、一人の証人はほかの時の多くの人よりも価値がある。2. 十分な数である。ふたりの証人の口によってすべての事が確定されるからである。キリストも弟子たちを二人ずつ遣わして福音を宣べ伝えさせた。ある人々はこのふたりの証人が、しばらく地に戻るエノクとエリヤだと考えている。ほかの人々は信じるユダヤ人の教会と異邦人の教会だと考える。しかし、むしろこれらは最悪の時にもキリスト教信仰を告白するだけでなく、それを宣べ伝え続ける神の傑出した忠実な牧者たちと思われる。
II. 彼らが預言する、すなわちキリストのためにあかしする期間。千二百六十日、すなわち多くの人々が考えるように反キリストの支配の期間までである。もしその間隔の始まりを確定できるなら、一日を一年とするこの預言的な日数は、その終わりがいつであるかの見通しを私たちに与える。
III. 彼らの服装と姿勢。彼らは荒布を着て預言する。これは世において教会とキリストの利益が低く苦しめられている状態に深く心を痛める者としてそうするのである。
IV. 彼らがその大きく困難な務めを果たす間、どのように支えられ、供給されたか。彼らは全地の神の前に立ち、神は彼らに預言する権威をお与えになった。神は彼らをゼカリヤの幻の二本のオリーブの木と燭台、すなわちゼルバベルとヨシュアのようにされた、Zec 4:2 以下。神は彼らに聖なる熱心と勇気と力と慰めの油を与えられた。神は彼らをオリーブの木とし、その信仰告白のともし火は神から受けた内なる恵みの原則である油によって燃え続けた。彼らにはともし火だけでなく、器にも油があった。すなわち霊的ないのちと光と熱心の習慣があった。
V. 彼らが預言する間に享受した安全と防衛。だれかが彼らを害しようとするなら、彼らの口から火が出て、彼らを滅ぼした、Rev 11:5。ある人々はこれが、エリヤが自分を捕らえに来た隊長たちとその隊を焼み尽くすために天から火を呼び求めたことを暗示すると考える、2Ki 1:12。神は預言者エレミヤに約束された(Jer 5:14)。見よ。わたしはあなたの口にあるわたしのことばを火とし、この民を木とする。それは彼らを滅ぼすであろう。彼らの祈りと説教、また苦難の中の勇気によって、彼らは迫害者たちの多くの心と良心を刺し傷つける。彼らは自ら罪に定められた者として去り、エレミヤのことばの前でのパシュルのように、自分自身にとっても恐怖となる、Jer 20:4。彼らは神に自由に近づくことができ、神のうちに深い関心を持つので、彼らの祈りによって神はファラオにされたように敵たちに災害とさばきを下される。彼らの川を血に変え、エリヤの祈りに応えて天の露をとどめ、天を閉じて多くの日、雨が降らないようにされた、1Ki 17:1。神は迫害者たちのために神の矢を定め、彼らが神の民を迫害している間にもしばしば彼らを災害で打たれる。彼らは刺し棒を蹴ることが難しいことを知る。
VI. 証人たちが殺されること。彼らのあかしをさらに強くするため、彼らは自分の血でそれに印を押さなければならない。ここで観察せよ。1. 彼らが殺される時。彼らが自分たちのあかしを終えた時である。彼らのわざが終わるまでは死なず、傷つけられない。ある人々はこれを彼らが自分たちのあかしを終えようとする時と訳すべきだと考える。彼らが千二百六十年の大部分の間、荒布を着て預言した後、その時に彼らは反キリスト的な悪意の最後の効果を感じるであろう。2. 彼らに勝って殺す敵、すなわち底知れぬ淵から上って来る獣。悪魔の大きな道具である反キリストが彼らに戦いをいどむ。それは巧妙で詭弁的な学問の武器だけでなく、主に公然たる力と暴力によって行われる。神はご自身の敵がしばらくの間神の証人たちに勝つことを許される。3. 殺されたこれらの証人たちが野蛮に扱われたこと。彼らの敵の悪意は彼らの血と死で満足せず、彼らの死体にまで及んだ。(1.) 彼らは彼らに穏やかな墓を許さなかった。彼らの死体は広い大通り、すなわちバビロンの大路、あるいはその都に至る大道に投げ出された。この都はその恐るべき悪のゆえに霊的にソドムと呼ばれ、偶像礼拝と暴政のゆえにエジプトと呼ばれる。そしてここでキリストはご自身の神秘的なからだにおいて、世のどこよりも多く苦しまれた。(2.) 彼らの死体は地の住民たちに侮辱され、彼らの死は反キリスト的な世界に喜びと楽しみの事柄となった、Rev 11:10。彼らはこれらの証人たちから解放されたことを喜んだ。これらの証人たちは自分たちの教理と模範によって敵たちの良心を悩ませ、恐れさせ、苦しめたからである。これらの霊的武器は悪人たちの心を刺し、彼らを忠実な者たちに対する最大の怒りと悪意で満たした。
VII. これらの証人たちの復活とその結果。観察せよ。1. 彼らが再び立ち上がる時。彼らが三日半死んだまま横たわっていた後(Rev 11:11)であった。これは彼らが預言した期間に比べれば短い時間である。ここには復活でありいのちであるキリストの復活への言及があるかもしれない。主の死んだ者たちは生きる。わたしの死んだからだとともに彼らは立ち上がる。あるいは人々が不可能だと思った四日目のラザロの復活を指すかもしれない。神の証人たちは殺されることがあっても、再び立ち上がる。彼らの人格においては一般復活までではないが、彼らの後継者たちのうちにそうなる。神のわざが世で死んだように見える時、神はご自身のわざを再び生かされる。2. 彼らを生かした力。神からのいのちの霊が彼らのうちに入り、彼らは自分の足で立ち上がった。神は彼らにいのちだけでなく勇気をも入れられた。神は枯れた骨を生かすことができる。死んだたましいを生かすのは神からのいのちの霊であり、その霊は神の民の死んだからだと、世で死にかけている神の利益をも生かす。3. 彼らの復活が敵たちに与えた影響。大きな恐れが彼らに落ちた。神のわざと証人たちが再び生き返ることは、神の敵たちのたましいに恐怖を吹き込む。罪責のあるところには恐れがある。迫害する霊は残酷であるが、勇気ある霊ではなく、臆病な霊である。ヘロデもバプテスマのヨハネを恐れた。
VIII. 証人たちが天に上げられたこととその結果、Rev 11:12,13。観察せよ。1. 彼らの昇天。天という言葉によって、この世の恵みの御国のうちでの教会内のより傑出した地位を意味するかもしれず、また上にある栄光の御国のうちでの高い場所を意味するかもしれない。前者がその意味のようである。彼らは雲に乗って天に上げられた。これは文字通りの意味ではなく比喩的な意味であり、彼らの敵はそれを見た。迫害者たちがこの世においても大いなる日に受ける刑罰の少なくない部分は、神の忠実なしもべたちが大いに尊ばれ、高く上げられるのを見ることにある。彼らは神が彼らを呼び、ここに上って来なさいと言われるまで、この誉れに昇ろうとはしなかった。主の証人たちは、教会においても天においても、神が呼ばれるまで自分たちの高めを待たなければならない。彼らは苦しみと仕えに飽きてはならず、報酬をあまりに性急に掴み取ってはならない。ただ主人が呼ばれるまでとどまり、その時には喜んで神のもとに昇ることができる。2. 彼らの昇天の結果、すなわち反キリスト的帝国のうちでの強力な衝撃と激動、またその都の十分の一の没落。ある人々はこれを、教皇権からの宗教改革の始まりの時、多くの君主たちと国家がローマへの従属から離れたことと見なす。この偉大なわざは大きな反対に会した。西方の世界全体が大きな震動を感じ、反キリスト的な利益は大きな打撃を受けて多くの地盤と勢力を失った。(1.) その時抜かれた戦争の剣によって。反キリストの旗の下に戦った多くの人々がその剣で殺された。(2.) 御霊の剣によって。神を恐れることが多くの人に臨んだ。彼らは自分たちの誤りと迷信と偶像礼拝を悟り、真の悔い改めと真理を受け入れることによって、天の神に栄光を帰した。このように神のわざと証人たちが生き返る時、悪魔のわざと証人たちはその前に倒れる。
¹⁴ 第二の禍は過ぎ去った。見よ。第三の禍がすぐに来る。
¹⁵ 第七の御使いがラッパを吹いた。すると天で大きな声々がして言った。「この世の国々は私たちの主とそのキリストの国となった。神は世々限りなく王となるであろう。」
¹⁶ 神の前に自分の座に着いていた二十四人の長老たちは、地にひれ伏して神を拝し、
¹⁷ 言った。「今いまし、昔いまし、後に来る方、全能である主なる神よ。あなたがその大いなる力を取り、王となられたことを感謝します。
¹⁸ 諸国の民は怒ったが、あなたの怒りが来た。死人たちがさばかれ、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、およびあなたの名を恐れる者たち、小さい者も大きな者にも報いが与えられ、地を滅ぼす者たちが滅ぼされる時が来ました。」
¹⁹ そして天にある神の神殿が開かれた。その神殿の中に彼の契約の箱が見えた。そしていなずまと、声々と、雷鳴と、地震と、大きな雹があった。
ここで私たちは第七の、そして最後のラッパが吹かれるのを見る。それは通常の警告と注意の要求によって始まる。第二の禍は過ぎ去った。見よ。第三の禍がすぐに来る。そのとき第七の御使いがラッパを吹いた。 これはしばらくの間保留されていた。その間に使徒は非常に重大で、彼の注意と観察に値する介入する出来事について知らされる必要があったからである。しかし彼が以前期待していたものを、いま聞いた。すなわち第七の御使いがラッパを吹く音であった。ここでこのように吹かれたこのラッパの効果と結果に注意せよ。
I. 天にいる聖徒たちと御使いたちの大きな喜びに満ちた歓呼があった。観察せよ。1. 彼らの礼拝の様式。彼らは自分の座から立ち上がり、地にひれ伏して神を拝した。 彼らは畏敬と謙遜をもって行った。2. 彼らの礼拝の内容。(1.) 彼らは全世界を治め、支配される私たちの神であり救い主である方の権利を感謝をもって認める。この世の国々は私たちの主とそのキリストの国となった、Rev 11:15。それらは創造と購いの両面において本来権利上彼のものであった。(2.) 彼らは彼が実際にそれらを所有し、その上に支配しておられることを感謝をもって観察する。彼らは彼に感謝する。彼がその大いなる力を取り、権利を主張し、力を現し、こうして権利を所有に変えられたからである。(3.) 彼らはこの彼の支配が決して終わらないことを喜ぶ。彼は世々限りなく王となる。 すべての敵が彼の足の下に置かれるまで。そしてだれも彼の手から笏を奪い取ることはできない。
II. これらの神の力の正当な現れと働きに対して、世には怒りに満ちた反発があった(Rev 11:18)。諸国の民は怒った。 過去にそうであっただけでなく、なおそうであった。彼らの心は神に向かって立ち上がった。彼らは自分の怒りをもって神の怒りに出会った。それは神がご自身の民の敵たちに正当な報復を行い、彼らを悩ました者たちに患難をもって報い始める時であった。また神がご自身の民の忠実な奉仕と苦難に報い始める時であった。そして彼らの敵たちはそれに耐えることができず、神に向かって苛立って怒り、こうして自分たちの罪責を増し、滅びを急いだ。
III. もう一つの結果は天にある神の神殿が開かれたことであった。これによって、今や天と地の間により自由な交わりがあること、祈りと賛美がより自由に頻繁に上り、恵みと祝福が豊かに下ることが意味されるかもしれない。しかしそれはむしろ地上にある神の教会、天に属する神殿を意図するように思われる。これは第一の神殿時代の事柄のさまざまな状況への言及である。偶像礼拝的で悪い君主たちの下では、それは閉ざされ、放置された。しかし信仰的で改革する君主たちの下では、それは開かれ、人々が出入りした。同様に、反キリストの権力の間、神の神殿は閉ざされているように見え、実際にかなりの程度そうであった。しかし今やそれは再び開かれた。この開かれることに際して観察せよ。1. そこで何が見られたか。神の契約の箱。 これは至聖所にあった。この箱の中には律法の石の板が保管されていた。ヨシヤの時以前に神の律法が失われたが、そのとき見つかったように、反キリストの支配の下で神の律法はわきに置かれ、彼らの伝統と教令によって無効にされた。聖書は民から閉ざされ、彼らはこれらの神の言葉を調べてはならなかった。今やそれらは開かれ、今やすべての人の目の前に示された。これは言葉に尽くせず、価値の測れない特権であった。そしてこれは契約の箱のように、神の臨在がその民に帰り、なだめの供え物であるイエス・キリストにあって彼らに向かう神の恵みのしるしであった。2. そこで何が聞かれ、感じられたか。いなずまと、声々と、雷鳴と、地震と、大きな雹。 改革という大きな祝福には非常に恐ろしい摂理が伴った。そして神は今や開かれたその聖なる神殿でささげられた祈りに、義の恐ろしい事柄をもって答えられるであろう。世界のすべての大いなる変革は天で計画され、聖徒たちの祈りへの答えである。
本章において私たちは次の記述を見る。I. 使徒に与えられ、神殿の寸法を測るための測り竿、Rev 11:1,2。II. 神の二人の証人、Rev 11:3-13。III. 第七のラッパが鳴らされたこと、およびそれに続いたできごと、Rev 11:14-19 等についての記述。