暗闇

神学

聖書では、エジプトの第九の災い、キリストの十字架の出来事、神の臨在、また裁き・苦難・無知・死の象徴として用いられる。

エジプトの暗闇の災い、すなわち第九の災い(出10:21)は、「触れることのできる」暗闇として描写される。それは「エジプト全土」を覆い、「互いを見ることができなかった」。それはゴシェンの地には及ばなかった(23節)。

イエスが十字架に掛けられた時(マタ27:45、ルカ23:44)、「第六時から全地に暗闇が臨み、第九時まで」続いた。

シナイ山でモーセは(出20:21)「神のおられる濃い暗闇に近づいた」。これは、主がそこでモーセに語られた時におられた「山の上の厚い雲」であった。主は贖いの座の上の雲、すなわち栄光の雲の中に住まわれた(1列8:12)。詩人が(詩97:2)人の子らの間でなされる神の働きの測り知れない性質を描写する時、「雲と暗闇がその周りにある」と言う。神は濃い暗闇の中に住まわれる。

暗闇(イザ13:9、10、マタ24:29)はまた、主の来臨に伴う裁きの象徴である。それは悲惨と逆境の象徴であり(ヨブ18:6、詩107:10、イザ8:22、エゼ30:18)、ヨエル2:2のいなごの雲によってもたらされた「暗闇の日」は、すべての神的な事柄を覆う不明瞭さの象徴である。「暗闇のわざ」は不潔な行為である(エフェ5:11)。「外の暗闇」は、日没後に公的にも私的にも灯火で照らされることのない東方の通りの暗闇を指し、家の中の明るく喜ばしい光と対比される。またそれは、無知(イザ9:2、60:2、マタ6:23)と死(ヨブ10:21、17:13)の象徴でもある。

代表・関連聖句