捕囚(追放)
出来事イスラエル王国とユダ王国の民がアッスリヤとバビロンに捕らえ移された出来事に関するもの。
(1.)イスラエル王国の場合。ペカの時代にテグラテ・ピレセル二世がガリラヤとギレアデの住民の一部をアッスリヤに捕らえ移した(列王下15:29;イザ10:5,6と比較)(主前741年)。
サマリヤが滅んだ後(主前720年)、シャルマネセルとサルゴン(参照)によって、イスラエルの民がメソポタミヤとメデアに大々的に連れ去られた(列王下17:6;18:9;代上5:26)。(イスラエル王国を参照)
(2.)二部族の王国、すなわちユダ王国の場合。ネブカデネザルはエホヤキムの第四年に(エレ25:1)ユダを侵し、ダニエルとその仲間を含む王族の若者数人を(主前606年)、神殿の聖なる器と共に捕らえ移した(代下36:7;ダニ1:2)。主前598年(エレ52:28;列王下24:12)、すなわちエホヤキンの治世の初めに(列王下24:8)、ネブカデネザルは王(代下36:10)とその家族と臣下(列王下24:12)をはじめ、多くの勇士(16節)と非常に多くの貴族(14節)と職人(16節)を含む三千二十三人の著名なユダヤ人を捕らえ移し、ただ貧しく無力な者だけを残した。これがバビロンへの最初の大々的な追放であった。
主前588年、ゼデキヤ(参照)の反逆の後、ネブカデネザルによる二度目の大々的な追放があり(エレ52:29;列王下25:8)、ここにその王国の主だった人物八百三十二人がさらに含まれた。彼はまた残りの聖なる器も取り去った(代下36:18)。神殿が破壊されたこの時期(列王下25:9)から、完全な回復が成し遂げられた主前517年(エズ6:15)までが「七十年」の期間である。
主前582年に最後の最終的な追放が起こった。ネブカデネザルが捕らえ移した全数は、その妻と子と家族を率いた四千六百人の家長であった(エレ52:30;43:5-7;代下36:20など)。こうして追放された者はバビロンでかなり大きな共同体をなした。
クロスがユダヤ人に自分の地に帰ることを許した時(エズ1:5;7:13)、初めは比較的少数だけがこの特権を活用した。イスラエル王国に属する多くの者がついにエズラ、ゼルバベル、ネヘミヤのもとのユダヤ人と合流し、彼らと共にエルサレムに帰ったであろうことは疑いの余地がない(エレ50:4,5,17-20,33-35)。
しかし多くの者がバビロンの地に住み着き、その王国の各地に多くの居留地をなした。その子孫はおそらく東方の諸国に遠く広がり、一般住民の中に吸収されたであろう。(ユダ王国;捕囚を参照)