信仰

神学

神とその言葉に対する信頼。

信仰とは、一般に、ある陳述が真実であるという心の確信である(フィリ1:27、2テサ2:13)。その第一の観念は信頼である。ある事柄は真実であり、それゆえ信頼に値する。それが拠って立つ証拠に応じて、信仰の全き確信に至るまで多くの程度を持ちうる。

信仰は教えの結果である(ロマ10:14-17)。知識はすべての信仰における本質的要素であり、時には信仰と同等のものとして語られる(ヨハ10:38、1ヨハ2:3)。しかし両者はこの点で区別される。信仰はその中に同意を含み、それは理解の働きに加えて意志の働きである。真理への同意は信仰の本質であり、啓示された真理への私たちの同意が究極的に拠って立つ根拠は、神の真実性である。

歴史的信仰とは、単なる歴史上の事実と見なされる特定の陳述を把握し、それに同意することである。

一時的信仰とは、真理の提示と宗教的共感の影響、または時に聖霊の共通の働きと呼ばれるものによって、人々、たとえばフェリクスのうちに呼び起こされる心の状態である。

救いに至る信仰は、永遠のいのちと切り離せない関係を持つため、そう呼ばれる。これはウェストミンスター小教理問答の言葉以上に適切に定義することはできない。「イエス・キリストへの信仰は救いに至る恵みであり、それによって私たちは、福音において私たちに差し出されているキリストを、救いのためにただ彼だけを受け入れ、彼により頼む。」

救いに至る信仰の対象は、啓示された神の言葉全体である。信仰はそれをまさに最も確かな真理として受け入れ、信じる。しかしキリストに結び合わせる信仰の特別な働きは、主イエス・キリストの人格と働きを対象とする(ヨハ7:38、使徒16:31)。これは、罪人が神の前に義とされる信仰の特定の働きである(ロマ3:22、25、ガラ2:16、フィリ3:9、ヨハ3:16-36、使徒10:43、16:31)。この信仰の働きにおいて、信者は仲保者であるキリストを、そのすべての職務において、ただ彼だけを自分のものとし、彼により頼む。

神の証言に基づいて受け取られた真理へのこの同意または信頼には、常に深い罪の自覚、キリストへの明確な視野、同意する意志、愛する心が伴い、さらにキリストに依り頼み、信頼し、安らぐことが伴う。それは、自分の罪を意識した哀れな罪人が、罪責ある自己から救い主キリストへ逃れ、すべての罪の重荷を彼に投げかける心の状態である。それは主として、神の言葉における神の証言へ同意することではなく、神が啓示される唯一の救い主を、信頼と依拠をもって抱きしめることにある。この信頼と依拠こそ信仰の本質である。信仰によって、信者は直接かつ即座にキリストを自分のものとする。信仰はその直接の働きにおいてキリストを私たちのものとする。それは神が完全な従順の代わりに恵みによって受け入れられる行いではなく、私たちの救いの唯一の根拠として、贖い主の人格と働きをつかむ手にすぎない。

救いに至る信仰は、刷新された意志から出るので道徳的行為であり、神の真理への信じる同意には刷新された意志が必要である(1コリ2:14、2コリ4:4)。したがって信仰は、知的部分にあるのと同じほど十分に、私たちの本性の道徳的部分に座を持つ。心は、御霊の事柄を識別できるようになる前に、まず神的な教えによって照らされなければならない(ヨハ6:44、使徒13:48、2コリ4:6、エフェ1:17、18)。

信仰は私たちの救いに必要である(マコ16:16)。それは信仰の中に何らかの功績があるからではなく、単に罪人が神によって割り当てられた場所に立ち、神がなしておられることに従うことだからである。

信仰の保証または根拠は神の証言であり、神が語られることの合理性ではなく、神がそれを語られるという単純な事実である。信仰は直接に「主はこう言われる」に拠って立つ。しかしこの信仰のためには、神の真実性、誠実さ、真理、そして不変性が認められ、尊ばれなければならない。神の言葉は、罪人が神の賜物であるキリストと個人的に関わり、彼と結びつき、彼を抱き、自己をキリストに献げ、キリストを自分のものとして受け取るよう励まし、力づける。その言葉は力をもって来る。なぜなら、それはご自身の御業、とりわけ十字架においてご自身を啓示された神の言葉だからである。神はその言葉のゆえに信じられるべきであり、またその御名のゆえにも信じられるべきである。

キリストへの信仰は、信者に、断罪からの自由、すなわち神の前での義認を保証する。また、キリストにあるいのち、神的ないのちへの参与(ヨハ14:19、ロマ6:4-10、エフェ4:15、16など)、「神との平和」(ロマ5:1)、そして聖化を保証する(使徒26:18、ガラ5:6、使徒15:9)。

このようにキリストを信じるすべての者は、確かに救われる(ヨハ6:37、40、10:27、28、ロマ8:1)。

信仰は福音をも意味する(使徒6:7、ロマ1:5、ガラ1:23、1テモ3:9、ユダ1:3)。